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科学哲学ニューズレター

No.16, February 1997

Abstracts of Graduation Theses
(1) Emiko Itoh, "The Scope of Ethical Considerations in Environmental Ethics";
(2) Akira Ueda, "Poincare's Conventionalism: its geometrical aspect";
(3) Makoto Matsubara, "Recombinant DNA and NIH Guidelines"


今年度卒論特集

科学哲学科学史研究室の第2期生3名が卒業論文を提出し、試問も終って無事卒業する運びとなった。うち2名は就職、1名は別の道に転進する予定と聞いている。彼らの卒論はまずまずの水準に達しており、われわれの研究室の教育水準の目安ともなるはずなので、以下、彼ら自身の文章を抜粋して、取り上げた問題および結論部分を語ってもらうことにしよう。抜粋したのは筆者内井であるが、文章自体には一切手を加えていないことをお断りしておく。

1)伊藤恵美子 「環境倫理における倫理的射程の在り方について――シンガー『実践の倫理』を中心に――」

現代では他者に迷惑を掛けない限りでの利益追究が、容認されているが、その「他者」の中に、我々は本気で自然を入れようとしているのだろうか。それとも、自然とは我々にとってあくまでも道具的価値しかないのであって、「自然のために」といった言葉は本来意味をなさないのだろうか。
本論文の目的は、環境倫理の立場から、この問いに対する答えを見いだすことにある。もちろん、倫理によって、環境問題の解決法を即導かれるわけではない。しかし、環境保護のための科学技術を開発するにせよ、経済システムを変更するにせよ、民主主義市場経済の世の中では社会的、倫理的想定に関するコンセンサスが欠かせない。環境倫理は、この倫理的想定を明確にするという一定の役割、学際的研究のためのいわば「下働き」をするという役割を果たしうるだろう。・・・

本論文の目的は、環境倫理において、人間以外の「自然物」を倫理的配慮の範疇に入れるべきか、入れるとしたら「自然物」のうちの何が配慮に値するのだろうか、についての答えを見いだすことであった。そして、「意識ある存在」までを倫理的配慮の範疇に入れることが妥当であろうという結論を得た。無論、我々が得た答えは環境倫理の構築にとっては、ほんの第一歩でしかない。しかし、この第一歩からだけでも、我々の現在の生活は様々な面で改善を迫られることになる。例えば、発電のためのダム建設や熱帯雨林の伐採、海洋汚染などのために生じる、意識ある生命の苦痛を考慮に入れれば、我々は、少なくともリサイクル用品を使ったり、電気を節約するようになるだろう。「地球のために」などと大袈裟なことを考える必要はない。自分自身が普段感じる痛みや苦しみをもとに少しの想像力を働かせば、容易にこうした行動は導かれるであろう。

[コメント:シンガーの功利主義とディープ・エコロジストの主張とを対比させて論点を煮つめようとしたが、少々議論がよじれた。しかし、全体にクリアーな好編。]

2)上田 彰 「ポアンカレの規約主義――幾何学的側面において――」

幾何学を確実なものたらしめているのはなんだろうか。
幾何学に対して素朴なイメージを持っている人は、こう答えるだろう。幾何学は、実在する図形を取り扱う。だから、幾何学の証明は図形を書けば得られる、と。・・・
しかし、「実在する」とはどういうことだろうか。・・・
・・・ユークリッド幾何学が支持される最大の理由は、公理が実在するモデルによって裏付けられているように見えるからである。
だから、本稿において主に取り扱うことになるポアンカレがユークリッド幾何学に疑義を示した世界史上最初の人物であるというわけではない。しかし、それでもなおポアンカレに注目する理由がある。それは、公理が上述のような意味で「実在する」かどうかは問題ではなく、公理はいわば約束事、すなわち「規約」であると論じたからである。言い換えれば、ポアンカレはユークリッド幾何学の「実在性の神話」を崩したのである。・・・

直線とは何か、距離とは何か、次元とは何か。その際に定義が必要となることは意識しやすい。しかし、私たちが感覚を元にして行なっている定義は、感覚を前提にしないとき、不十分なものとなって現れる。感覚は私たちが長い生活のなかで培ってきたものにすぎない(・・・)。だから、その感覚を前提にしない世界のことを私たちは想像しにくい。ポアンカレはその盲点を、様々な例を用いて暴き出し、感覚の中に含む前提を「規約」と置き換えた。それが「規約」である以上、異なる「規約」が存在してもいいのではないか。ポアンカレが「規約主義者」といわれるゆえんである。

[コメント:問いを立てておきながらその答えをまとめなかったり、不適切な用語を使ったりという欠点はあるが、ポアンカレのポピュラーな著作――内容はやさしいとは言えない――ほぼすべてに当たった努力は多としよう。]

3)松原 真 「組換えDNA問題とNIHガイドライン」

・・・遺伝子をめぐって多くの問題が考えられている今、分子生物学の分野で最初に科学と社会の関係が問題となった、組換えDNA技術をめぐる論争を取り上げ、検討してみたい。1973年、スタンフォード大学スタンレー・コーエン、カリフォルニア大学ハーバート・ボイヤーによって発表された組換えDNA技術により、遺伝子研究を主とする分子生物学は、新たな局面を迎えることとなった。組換えDNA技術とは、異種の遺伝子を生体外でつなぎ合わせ、それを生体内にもどして働かせる技術である。 ・・・遺伝子を人間が恣意的に操作する事を可能とするこの技術の与える影響の大きさゆえ70年代から80年代前半にかけて、いわゆる組換えDNA論争が引き起こされることになった。この論争の中で科学者は自発的に研究を停止することを決定するなどといった過去に例のない行動をとっている。以下においては組換えDNA技術という革新的な実験手段をめぐり何が争われ、何がなされたのかということを科学者を中心にして考えてみたい。・・・

認め得るような何らかの被害がでるまえに、危険性を持つと考えられる研究を自発的に停止し、その後自ら研究を規制するガイドラインを作成したことは過去に例のないことであり、研究者の意見を統一していったバーグやシンガーらの行動は評価されるものと思われる。彼らの成功は組換えDNA技術という、技術的な問題とそこから派生する社会的問題の二つの側面を持つ科学的問題に対して、技術的な観点からのみ解答を与えることで全体の問題解決を図った点にあるのだが、逆にその点において多くの批判を受けることになったのである。・・・科学者は、この論争を通して社会的、倫理的な問題に立ち入ることなく、研究を進めてきた。・・・しかし、科学の社会に与える影響が過去に比べてとても大きくなった今、科学者は真理の探求だけに明け暮れるのではなく、科学者以外の人々と情報を交換しながら一歩一歩着実に研究を進めていく必要があると思われる。その過程の中で科学者は自らの研究の自由をある程度制限してでも、問題解決に向けて中心となって行動することが求められるだろう・・・。

[コメント:組換え技術をめぐって、科学者がみずからの研究を自主規制しようとした、アシロマ会議からNIH(アメリカ国立衛生保健局)ガイドライン実施の動き、そして論争の鎮静化までをていねいに追跡した好編。結論は全然説得力がないが、これはわれわれ自身が考えるべき問題。]


編集後記 昨年出版した『進化論と倫理』(内井惣七)が機縁となって、長谷川寿一・真理子夫妻がオーガナイズする進化生物学・行動生態学の研究グループで話をする機会を与えられた。社会生物学論争が落ち着いた頃に旗揚げしたアメリカの「人間行動と進化学会」の学際的活動に刺激され、日本でもこれから同様な学際的研究を活発にすることを目指すグループの二日間にわたるセッションに参加し、大いに感銘を受けた。
岩波『科学』誌で、このグループのメンバーが主として執筆する人間行動と進化の特集号(4月)を企画しており、筆者も「道徳起源論」という論文を寄稿した。オランダ出身の霊長類学者ド・ヴァールの最新著 Goodnatured: the origins of right and wrong in humans and other animals, Harvard. U. Press, 1996 の議論を紹介かたがた援用し、ダーウィンの道徳起源論の妥当性を擁護する。
同じく「進化」をキーワードとする「進化経済学会」が来月京都で旗揚げするそうである。(97.2.20/内井惣七)

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