links students ito uchii newsletters gallery English index index

科学哲学ニューズレター

No. 24, March 29, 1999

Daisuke Kaida, Van Fraassen's Modal Interpretation of Quantum Mechanics

[For dvi file of this paper see here.]

[This issue is written in Japanese except for abstract; sorry for the English readers!]

Editor: Soshichi Uchii


Abstract

Van Fraassen's Modal Interpretation of Quantum Mechanics (MI) can be regarded as having two aspects, in view of his philosophical position, Constructive Empiricism. (a) On the one hand, MI can be seen as an attempt to give an answer to the measurement problem, thus clarifying certain aspects of our world-picture. (b) On the other hand, MI can be seen as an attempt to analyze the structure of quantum mechanics as a theory. As regards (a), he shares certain tenets with realist, and as regards (b) he reinforces his Constructive Empiricism by distinguishing carefully observable/unobservable elements of quantum mechanics.

ファン・フラッセンの量子力学解釈  海田大輔

1. ファン・フラッセンの量子力学解釈の二つの側面

 本稿は,バス・ ファン・フラッセン Bas C. van Fraassen による「量子力学の様相的解釈 Modal Interpretation of Quantum Mechanics」を扱う。ファン・フラッセンの量子力学解釈は,彼の哲学 的立場との関連において,二つの側面を持つ。本論に入る前にその二つの側面をあらかじめ簡 略に提示しておきたい。

ファン・フラッセンは「構成的経験主義 Constructive Empiricism」という独自の哲学的立場を もつ経験主義者(反実在論者)である。構成的経験主義について詳しい解説をする余裕はないの で,ここではごく簡単に要点をまとめることにする。構成的経験主義は,科学理論をモデルの 集合とみなし,それらのモデルの一定の部分(「経験的部分構造 empirical substructure」)を観察 可能な現象の直接的表現の候補者として指定する。そして,ある理論の受容には,その経験的 部分構造が,すべての観察可能な現象のつくる構造と同型である(「経験的に妥当 empirically adequate」である)という信念しか含まれないと主張し,理論の経験的部分構造以外の部分につ いては「真であるとも偽であるともわからない」という不可知論をとるのである(cf. van Fraassen 1980, p.12,64)。以上が,構成的経験主義の骨格である。さて,理論の経験的部分構造 の指定が出来るのはどうしてであろうか。それは,ファン・フラッセンが科学理論を文字通り に (literally) 理解するから,すなわち,科学理論を(われわれの意識から独立しているという意 味で)客観的な世界について何かを語るものとみなすからである(ibid. pp.11-13)。理論を文字通 りに理解した上で,理論の観察不可能な部分に対してはそれが真であるという信念を保留する という態度が,ファン・フラッセンを他の反実在論者から際立たせている特徴なのである(した がって,明らかに彼は道具主義者ではない)。

ファン・フラッセンの量子力学解釈は,量子力学理論の文字通りの理解の追求である,と言 うことがまずは出来る。しかし,この文字通りの理解に二つの側面があると考えられるのであ る。すなわち,(a)「世界がどのようであり得るのか?」という問いに答える試みという側面 と,(b)理論 の構造の分析という側面である。量子力学は文字通りの理解を困難にする多くの 難問を抱えており,その代表が「測定問題 measurement problem」である。側面(a)に着目すれ ば,「様相的解釈は,実在論者の量子力学解釈とその動機を共有しつつ測定問題に対する積極 的解答を与えている」と見ることも可能である。しかし,側面(b)に着目すれば,「様相的解釈 は,具体的な科学理論の分析に基づく構成的経験主義の補強である」とみなすことが出来るの である。様相的解釈において,量子力学理論の観察可能/不可能な要素がいかに注意深く,明確 な形で選り分けられるのかが本論で示されるであろう。以上の二つの側面を意識的に区別した うえで,様相的解釈の両側面を明らかにすることが,本稿の目標である。

2節では,量子力学による測定過程の取り扱い,フォン・ノイマンによる解釈,それにともな って生じる難問―測定問題―について解説し,様相的解釈を論じるための準備を行う。引き続 き,第3節で,側面(a)に重点を置いた様相的解釈の検討を行う。最後に,第4節において,側面(b)を確 認しつつ,様相的解釈が構成的経験主義をどのように補強しているのかを明らかにしたい。

2. フォン・ノイマンの解釈と測定問題

物理学の理論は,数学的フォーマリズムとそれに対する解釈とから成る。量子力学において は,フォーマリズムとしてヒルベルト空間論が用いられる。ヒルベルト空間論の様々な数学的 概念に物理的な意味付けを行うのが量子力学の解釈である。  解釈の全くなされていないフォーマリズムは物理的意味を持たない。したがって,あるフォ ーマリズムが物理学理論の要素と認められるためには,フォーマリズムとともにフォーマリズ ムに対する最小限の解釈を与えなければならないだろう。量子力学について言えば,以下の解 釈については,一応の了解があると考えられる(「⇔」は対応関係をあらわす。さしあたり直観 的な意味で理解していただきたい)。

 (1) 物理系 ⇔ ヒルベルト空間H

 (2) 物理系の状態 ⇔ 密度作用素W(特別な場合として,1次元射影作用素が含まれる)

 (3) 物理量(オブザーバブル) ⇔ 自己共役作用素A

 (4) 運動方程式 ⇔ シュレーディンガー方程式(ユニタリー変換)

 (5) 物理量の取り得る値 ⇔ 対応する自己共役作用素Aのスペクトル(Aが点スペクトルを 持つ場合は固有値a_i)

 (6) 状態Wにある系において,オブザーバブルAの測定がなされたならば,測定終了後のA の期待値はTr(WA)に等しい。((6)は,普通「ボルンの確率解釈」と呼ばれるものであるが,フ ァン・フラッセンに従って「ボルンの規則 Born's Rule」と呼ぶことにする。)

われわれは,(1)〜(6)をレッドヘッドの用語を借りて「最小道具主義解釈」と呼ぶことにする。 「最小道具主義解釈」を出発点として,これにさらなる解釈を付け加えて行くことにより様々 な量子力学解釈が得られることになる。

さて,ボルンの規則は,「測定がなされる」という条件つきで測定結果の確率値を与えてい る。このことが意味するのは,量子力学を或る物理的対象系に適用して利用する際には常に 「その系を外から見ている測定者」が前提されている,ということである。頑固な道具主義者 にとっては,このことは問題にならないかもしれない((1)〜(6)を最小道具主義解釈と呼んだ所 以である)。しかし,測定者自体も物理的対象であり,測定という相互作用もひとつの物理的相 互作用であり,さらに量子力学は普遍的 universal な理論であるという三点を認めるならば,量 子力学は測定者(測定装置)をも含めた測定過程を記述しなけれならないことになるだろう。こ うして(1)〜(6)にさらなる解釈を付け加えて行くことになるのである。

この問題に対する最初のアプローチは,フォン・ノイマン(1957,ドイツ語版は1932)による ものである。以下,フォン・ノイマンの解釈を,後でファン・フラッセンの解釈を述べる際に 必要となる論点にしぼって解説する(表記法は現代的なものを用いる)。対象系Sのオブザーバ ブルAを,装置Mを用いて測定する(指針オブザーバブルはB)ことを考える。ただし,A,Bは自 己共役作用素であり,各々の固有ベクトルを|a_i>,|b_i>とする。今,量子力学による測定の記 述を系S+Mの内部で完成させることを目指しているのであるが,そのためには,オブザーバ ブルA,Bが最終的に系S+Mの中で値を持つことが必要である。系のオブザーバブルに値を持 たせるためにフォン・ノイマンの置いた要請が,次の「固有値−固有ベクトルリンク」(ディラ ック‐フォン・ノイマン リンク)である。

(i) オブザーバブルBがb_iという値を持つのは,系の状態がb_iの固有状態|b_i>にある時そ してその時に限る。

系が状態|b_i>にある時,Bを測定してb_iが得られる確率は,ボルンの規則により,1である。 したがって,要請(i)は「物理量Bがb_iという値を持つ ⇔ 系は,Bを測定したら確率1でb_iが得 られるような状態にある」という双条件文を述べていることになる。後で述べるようにファ ン・フラッセンはこの要請を問題にするのであるが,ここでは,この要請が一見すると自然に 思われるということを確認しておく。古典物理学においては,系の物理量の正確な値を,系を 撹乱することなしに測定によって知ることが出来る(少なくとも原理的には)ということが前提 とされていた。あらゆる物理量がつねに一意に決まった値を持っており,正しい測定は,その 値を「正確に」示すことが出来るとみなされていたのである。このことから,量子力学におい ても,「測定によって物理量の値が得られたなら,測定直前の系の状態は,その物理量の値を 確実に(すなわち確率1で)予測できるようなものであった」と考えるのは自然に思われるので ある。  要請(i)を置いた上で,測定過程を量子力学的に記述することを目指す。まず,対象系Sの初 状態がAの固有状態|a_i>である場合から考える。装置系Mの初状態を|b_0>として,測定過程は 次のように記述される。

(ii) φ=|a_i> *|b_0> ―→|a_i> * |b_i>  (「*」はテンソル積をあらわす。以下同様。)

測定終了後の系S+Mの状態はI*Bの固有状態であるため,要請(i)より,I*Bは値b_iを持つ。同 様に,A*Iは値a_iを持つ。したがって,この場合には,量子力学的な測定過程の記述が系S+ Mの内部で完結している。しかしながら,Sの初状態がAの固有状態であるのは極めて特殊な 場合であって,一般にはSの初状態はAの固有状態の「重ね合わせ」の状態になっている。S の初状態がΣc_i|a_i>であるとき,測定過程はユニタリーな時間発展の線形性により次のように 記述される。

(iii) φ=(Σc_i|a_i> )* |b_0> ―→Σc_i|a_i> *|b_i>

明らかに,終状態はオブザーバブルA*Iの固有状態ではない。さらにまずいことには,I*Bの固 有状態でもない。この事態を解決するためにフォン・ノイマンは次の規則を導入する。

(iv) 測定がなされるならば,(iii)の右辺は|a_k> *|b_k>に遷移する。そしてこの「状態の遷 移」が起こる確率は|c_k|^2である[^2 は2乗を表す]。

これが,射影公準 Projection Postulate(「波束の収縮」の要請) である。終状態をI *Bの固有状態 にするために,むりやりに遷移を起こさせるのである。(iv)における状態の遷移はシュレーデ ィンガー方程式に従う時間発展ではない。  

こうして,測定過程は量子力学によっては記述できない要素を含むことになる。時間発展に は,シュレーディンガー方程式にしたがう連続的・決定論的なものと,波束の収縮という非連 続的・非決定論的なものの2種類が存在することになった。ただちに問題になるのは,シュレ ーディンガー方程式に従う時間発展の中で,「いつ」波束の収縮という非連続的な過程が生じ るのか,ということである。これがいわゆる「測定問題」である。フォン・ノイマン,ウィグ ナー等は,波束の収縮を起こさせるために,測定者の「意識」が必要であるという見解に至っ たが,「意識」が物理的対象の変化の仕方に影響を与えるというのは少なくとも非常に奇妙な 事態であるということは言えよう。以上が,フォン・ノイマンの解釈と測定問題についての概 略である。「フォーマリズム+フォン・ノイマンの解釈(最小道具主義解釈および射影公準)」 を「通常の量子力学」と呼んでも差し支えないだろう(物理学の学生は,例外なく,射影公準こ みで量子力学を教わる)。

様相的解釈に進む前に,次の点を確認しておきたい。シュレーディンガー方程式は線形の時 間発展法則であるため,系の時間発展がシュレーディンガー方程式で記述される限り,最初に 重ね合わせにあった状態はいつまでたっても重ね合わせのままである。それにもかかわらず要 請(i)を置くならば,射影公準を要請せざるを得ない事態になるのは必然的といえる。なぜな ら,測定が終了したのなら「測定結果としてオブザーバブルがある値を得た」ということは否 定しようのない事実であり,しかも要請(i)はその事実を「測定終了時の系の状態はオブザーバ ブルの固有状態にある」ということと同一とみなすからである。

3. ファン・フラッセンの解釈(様相的解釈)

前節で述べた測定問題をめぐる状況は,ファン・フラッセンの哲学的観点からは,「量子力 学の文字通りの理解が難航している状況」と見ることが出来る。様相的解釈は,観察不可能な 部分をも含めて,一つの整合的な世界像を得ようとする意図を持っており(後述),その意味で は実在論者と問題意識を共有しているとみなすことも可能である。経験主義的観点にとらわれ ずに,様相的解釈の「形而上学的」含意を引き出し,評価しようというのが,本節の目的であ る。ただし,次節で様相的解釈の経験主義的側面を論じるときに必要になる材料は本節ですべ て登場する。

3-1 値状態と動状態

様相的解釈は,いわゆる「射影公準なしの解釈」である。時間発展を量子力学だけで(すなわ ちシュレーディンガー方程式だけで)記述するということを前提とするなら,射影公準を排除す るためには,要請(i)を何らかの形で改訂しなければならないことは前節最後にコメントしたと おりである。しかしながら,(i)が古典物理学との対比において自然に思われるということも事 実であった。そこで,ファン・フラッセンは,状態の概念に反省を加えることから出発する。 彼によれば,物理系の状態にはほんらい概念的にことなる次の2種類のものがあり,それらは 注意深く区別しなければならない。

  動状態 Dynamic state:系の時間発展や(他の系との)相互作用を記述するために必要なすべ ての情報を提供する状態

  値状態 Value state:系のすべてのオブザーバブルの値が与えられることによって特定され る状態

「通常の量子力学」には値状態に対応する数学的概念は存在しないので,ファン・フラッセ ンは値状態に対応する数学的概念(後述の仮想的純粋状態)を新たに付け加えることになる。古 典物理学においては両者はたまたま同一であった(phase spaceの領域を指定することにより,両 方の状態が決まる)が,量子力学においても両者が一致する保証はない。フォン・ノイマンが要 請(i)を当然のものとして前提したのは,二つの状態を十分に区別せず,古典物理学と類比的に 考えたことに由来すると考えられるのである。二つの状態の区別をするならば,(i)の自明性は うすれ,(i)を改訂する道が開かれる。  

ここで,後で用いることになる2つの命題を導入して,2つの状態の区別を別のやり方で述 べておこう。

状態付与命題 State-attributing proposition [M,E]:これは,或る物理系に動状態を付与する命 題であり,「系の状態は,Mを測定すれば確実に値Eが得られるようなものである」というこ とを言う。

値付与命題 Value-attributing proposition < M,E >:これは,或るオブザーバブルに現実の値を 付与する命題であり,「オブザーバブルMが現実に値Eを持つ」ということを言う。

まず,状態付与命題について説明する。動状態がWであったとすると,MとEを適当に選ぶこと によって,Tr(W P_M (E))=1とすることが出来る(「状態Wにおいて,MとEがボルン確率1を与 える」という言い方をする)(ここで,P_A (E)はAの射影作用素値測度 projection-valued measure, Eはボレル集合である。)例えば,Eが実数の集合Rであるならこれはトリビアルに成り立つ。こ のような[M,E]をいくつか与えることにより,動状態が一意に決まるのである(状態付与命題が いくつ必要であるかは場合による。例えば,系がMの固有状態にあり,Eが対応する固有値m_i であるならば,[M,{m_i}]ひとつだけで動状態は一意に決まる)。なおTr(W P_M (E))=1の時, 「状態Wは状態付与命題[M,E]を真にする」と言うことにする。値付与命題については,値状 態が,値付与命題の集合として表現されることに注意されたい。

3-2 「固有値−固有ベクトルリンク」の要請を緩める

我々は以下で,純粋状態だけでなく混合状態も扱いたいので,「固有値-固有ベクトルリンク」 を特別な場合として含む次のような規則を導入し「フォン・ノイマンの規則」と名づける。

(v) < M,E >が真となるのは,状態Wに対してTr(WP_M (E))=1が成り立つ時,そしてその 時に限る。

動状態と値状態の区別をした上で,ファン・フラッセンは「固有値-固有ベクトルリンク」の要 請を緩める。すなわち,系が動状態Wにあるとして,この時,M,Eがボルン確率1を与えなく ても,< M,E >を真にする方法を考えようというのである。以下,具体的な状態に即して解説 を行う。

今,例えば,系の動状態がW=c_1 P_|a> + c_2 P_|b>にあるとする。 Tr(WP_M (E))=1を満たす M,Eをすべて考えることにより,すべての真なる状態付与命題[M,E]の集合が出来る。これに フォン・ノイマンの規則を適用することにより,真なる値付与命題< M,E >の集合(S_Wとする) が得られる。ここまでは,固有値-固有ベクトルリンクの要請に合致する(混合状態を認めたと いう点で異なるだけである)。ここで,Wの値域(今の場合|a>,|b>の張る平面)内の任意のベクト ル,という「仮想的な純粋状態x」を考える。この仮想的純粋状態xについて,S_Wを得た時と 同様の手続きを取ることにより,新しい真なる値付与命題の集合(S_xとする)が出来る。この 時,S_xがその部分集合としてS_Wを含むことに注意されたい。こうして,オブザーバブルに 値を与える規則としての「固有値-固有ベクトルリンク」を緩めるという目標が達せられた。ま た,xはWの値域内の任意のベクトルで良かったという点にも注意されたい。WによってS_x ⊂ S_Wという条件に制限されつつ,xの選び方は無限の自由度を持つのである。系の動状態がW であるとき,値状態はS_x,S_y,... のうちのどれかである(ただし,x,y,... はWの値域内の任意の ベクトル)。

この仮想的純粋状態は,「系のすべてのオブザーバブルが現実にどのような値を持っている のか」という情報と一対一に対応している。したがって,値状態の表現として便宜的にxを用 いることが出来る。以下でもこの表現を採用することがある。ただし,値状態はあくまでも 「すべての値付与命題の集合」のことであり,動状態の値域内のベクトルとは概念的に異なる ということをいつでも念頭においておかなければならない。

3-3 様相的解釈

様相的解釈によれば,物理系は動状態と値状態の両方を,常に持っている。これは,測定 がなされているいないにかかわらずそうなのである(この点の意義については後述)。通常の量 子力学理論で言う状態は,ファン・フラッセンの用語で言えば動状態である。動状態はシュレ ーディンガー方程式に従って決定論的に時間発展する。値状態は動状態の値域内の純粋状態で あらわされる。動状態は値状態が現実にどれになるかは指定しないが,可能な値状態の集合を 指定する。  測定が終了した段階で系S+Mは(iii)の右辺の動状態にある。この動状態に対して部分跡 (partial trace)をとることにより次が言える。すなわち,全系が純粋状態φ=Σc_i|a_i> *|b_i>にあ る時,その部分系だけに注目すると,系S,Mの状態はそれぞれ,#φ=Σ|c_i|^2 P_|a_i> ,φ# =Σ|c_i|^2 P_|b_i>という混合状態にあるとみなせるのである(ただし,#φ,φ#は,それぞれ系 M,Sに対応するヒルベルト空間でφの部分跡を取ったもの)。これは数学的事実であり,得ら れた混合状態(とみなせるもの)は転義混合 improper mixture と呼ばれることがある(cf. d'Espagna(1974), p58-62)。さて,動状態と値状態は次のようになる。  

(vi) 系S+M,S,Mの動状態は各々,φ,#φ,φ# である。

(vii) 系S+M,S,Mの値状態は各々,φ,x,y である。ただし,φ,x,y は各々, φ,#φ,φ# の値域内の任意の純粋状態である。

測定器Mの系に注目しよう。値状態は,状態φ#=Σ|c_i|^2 P_|b_i>の値域内の純粋状態のどれか になっている。今,測定過程としての条件が満たされている(すなわち,物理過程が(iii)のよう に具体的な形で与えられている)ので,この可能な集合における確率配分を与える事が出来 る。そしてこの確率を与えるものこそボルンの規則であるとファン・フラッセンは解釈する。 つまり,ボルンの規則(条件文)の前件は動状態についての主張であり,後件は値状態について の主張であると解釈するのである。この様に解釈されたボルンの規則は次のように書きかえら れる。

(viii) (vi),(vii)で記述された物理過程が,指針オブザーバブルBによる対象系のオブザーバ ブルAの測定であり,状態がφ=Σc_i |a_i> *|b_i>であるならば,y=|b_k>である確率は|c_k|^2で ある。

これで,測定装置の値が確率配分とともに指定された。しかし,このままでは,対象のオブザ ーバブルがどのような値を持っているかは全く指定されていない(部分跡を取ることによって得 られた転義混合は,系Sと系Aとで全く独立であることに注意)。したがって,次の要請が必要 になる。

(ix) A測定の終了後に,φ=Σc_i|a_i>*|b_i>に対して,(viii)が成り立っているなら, 「y=|b_k>かつx=|a_k>」が成り立っている確率は|c_k|^2である。

以上では,「物理過程が(iii)という形で書ける場合には,その物理過程は指針オブザーバブルB によるオブザーバブルAの測定過程とみなせる」という前提しか用いていないことに注意され たい。(iii)の条件を,系の時間発展を表すハミルトニアンによって述べなおすことは可能であ る。ここでは扱わないが,ファン・フラッセンは,(iii)を特殊な場合として含むような,物理 過程に対する非常に弱い制限を,ハミルトニアンに課せられる「測定のメタ基準」として提出 している(cf. van Fraassen,1991,pp.211-218)。

以上で,様相的解釈の骨格はすべて述べたことになる。様相的解釈の描く世界像を「形而上 学的」視点からまとめれば次のようになろう。様相的解釈によれば,量子力学は,現実世界の 時間発展ではなく,諸可能世界の集団全体の時間発展を記述していることになる。系は常に2 つの状態を伴って時間発展する。動状態はシュレーディンガー方程式に従って決定論的に発展 する。値状態は,動状態により制限された可能性の中で時々刻々可能態から現実態への遷移を 行っている。測定(という物理的相互作用)の条件が満たされていない時にも,この遷移は起こ っている。ただし,確率配分が与えられるのは,測定(という物理的相互作用)の条件が満たさ れたときだけである。すなわち,物理過程が測定過程としての条件を満たす時だけ,可能な値 状態のうちのどれが現実化されるかに対する確率が(ボルンの規則によって)与えられるのである(注1)

3-4 測定問題に対する解答

フォン・ノイマン(の方向から)の解釈が持つ難点を二点にまとめる。フォン・ノイマンの解 釈によれば,物理系の状態の時間発展には次の2種類のものがある。すなわち,物理系の状態 は,(a)一つの測定がなされた後,つぎの測定がなされるまでは,シュレーディンガー方程式に 従って連続的・決定論的に時間発展し,(b)測定が行われたときには,「射影公準」に従って非 連続的・非決定論的に遷移するのである。ある物理系の時間発展の仕方が,それが測定である か否かによって変化するのであれば,物理学理論は「測定」とは何であるかを明確に規定しな ければならないだろう。測定過程の物理的規定を行うことが出来ず,フォン・ノイマン,ウィ グナー等は射影公準を引き起こすための「測定者の意識」を必要としたのである。射影を引き 起こすのが彼らの言うとおり測定者の意識であるならば,意識という心的な作用が物理的対象 に影響を及ぼすという奇妙なことになる。生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせにあ った猫が,意識ある観測者がふたを開けて覗いた瞬間に「生」「死」どちらかの状態に遷移す ることになるのである(「シュレーディンガーの猫」のパラドックス)。これが第一の難点であ る。

測定の物理的規定を行う方向での解釈として有力なものに,超選択則 superselection rule に訴 えるものがある(例えば Beltrametti and Cassinelli(1980)Ch.8)。これは,ミクロ/マクロの区別を本 質的なものとみなし,マクロオブザーバブルの数を制限することにより,終状態の混合状態と (重ね合わせの)純粋状態との統計的一致を導き出すものである。「シュレーディンガーの猫」 の例で言えば,猫というマクロなレヴェルでは重ね合わせは消滅しており,意識的測定の有無 にかかわりなく「生」「死」どちらかに決まっている,という形で解決を与えようとするのが この立場である。この方向での解釈に対し,ここで詳しく論じることは出来ないが,少なくと も,ファン・フラッセンに従って次の難点は指摘できると思う。「〔われわれが量子力学を用 いて行うことのできる〕唯一の予言は,測定結果に対するボルン〔の規則によって与えられ る〕確率を用いるものである。もし,ある量子力学の解釈が,測定相互作用を特殊なマクロ過 程だけにくぎ付けするのであれば,その解釈は,量子力学は電離層のミクロ過程で起ることに ついてはいかなる予測も出来ない,ということを言っていることにならないだろうか?」(van Fraassen,1991,p270) これが第二の難点である。

様相的解釈は上の難点をどのように解決しているのだろうか。第一の難点に対しては,次の ように答えることが出来る。様相的解釈によれば,客観的な対象は常に動状態と値状態の2つ の状態を持つ。動状態から値状態への遷移は,測定するしないにかかわらずつねに起こって いるのである。したがって,心的作用が物理的対象の客観的状態を変化させるという事態は生 じない。第二の難点に対しては,次のように答えることが出来る。様相的解釈においては,測 定とは,ハミルトニアンに課せられた基準が満たされるような物理的過程のことである。そし て,ハミルトニアンに課せられた基準にはミクロ/マクロの区別に対する言及は全くなかった。 したがって,電離層のミクロのレヴェルで起こる物理過程であっても,それが測定の基準さえ 満たしていれば,確率の配分は(ボルンの規則により)可能なのである。(本節冒頭で言及した 「観察不可能な部分をも含めた一つの世界像を得ようとする意図」はここに明らかであろう。)

4. 様相的解釈と構成的経験主義  

構成的経験主義の骨格については第1節で簡単に述べた。その際に,(1)構成的経験主義は科 学理論を文字通りに理解する,という点に注意しておいた。文字通りの理解により,科学理論 の経験的部分構造の指定が可能になったのである。しかし,科学理論の経験的部分構造を科学 理論によって決定し,しかもその理論の経験的部分構造以外の部分に対して信念を保留すると いうことが果たして可能であるのかという疑問が生じるかもしれない。このようなことが可能 であるのは,ファン・フラッセンが(2)観察可能/不可能という概念は,科学理論に依存しない と考えているからである。彼は,観察可能/不可能の区別は,科学理論からは独立に,生物体で ある我々の限界として,世界の中で客観的に決まっていると考えているのである(cf. 1980,pp.56-59)(注2)

以上が,The Scientific Image (1980)にそった,構成的経験主義の要約であ る。Quantum Mechanics :An Empiricist View (1991)において,ファン・フラッセンは再び,かな りの分量をさいて自らの構成的経験主義について説明しているが,上述の2点については,変 化はないと思われる。新しく強調されたのは次の点である。すなわち,(3)「量子力学の解釈は 複数存在しても良い。解釈の複数性は科学理論に対する我々の理解の不充分さを示すものでは ない。むしろ,複数の解釈を所有することにより,我々の理論に対する理解が深まるのであ る。」――このようにファン・フラッセンは言うのである(cf. 1991,ch.1,8)。観察可能な現象を 科学理論によって救うことを考える。この科学理論は,一般的には,観察不可能な部分を持つ ことになるだろう。このとき,観察不可能な部分による観察可能な部分(経験的部分構造)の救 い方が実際問題として一意に決まらないという事態は大いに考えられることである(論理的に言 えば,一意に決まらないのが当然とも言える)。ファン・フラッセンはこの複数の救い方のすべ てに対して「認識論的に」対等な身分を与えることになるのである。理論の観察不可能な部分 についてそれが真であるという信念を保留したことのごく自然な帰結であることが理解できる だろう。ファン・フラッセンの様相的解釈は,複数存在し得る解釈の一つとして提出されてい るのである。以上3点に注意した上で,様相的解釈を振り返りつつ,それが構成的経験主義を どのように補強しているのかを確認しよう。

前段(2)に関連して,彼はさらに「観察は測定〔という相互作用〕の特殊な亜種である。〔 …〕測定の相互作用は,一般的な物理的相互作用の一つの特殊な部分クラスである。」 (1980,p59)という見解を述べる。観察可能/不可能という区別が理論から独立に経験的に決ま る,という見解と,この観察「観」とは自然に調和すると思われる。様相的解釈の描く世界像 において測定過程から「意識」が排除されていたことは,この観察「観」とぴったり対応して いることを,まず指摘しておきたい(注3)。  

次に,様相的解釈が,観察可能/不可能な要素の選り分けを注意深く行うことにより,量子力 学の理論的構造を明らかにしていることを確認しておきたい。物理的測定を行う際,われわれ は例えば「スクリーンのこれこれの地点に輝点を得た」といった経験をする。これは,一つの 観察報告である。経験主義者として,ファン・フラッセンが救わなければならないのは,諸観 察報告のつくる構造である(cf. van Fraassen 1985,pp.268-276)。それでは,観察報告のつくる構 造と対応させられるべき量子力学の経験的部分構造は何か?(実は,ファン・フラッセン自身は この問いにあからさまには答えていないので,以下は様相的解釈を踏まえた私なりの代理の解 答である。)前節3-1で述べたように,「通常の量子力学」においては,その文字通りの理解が 難航していたという理由もあり,この経験的部分構造の指定が明確な形でなされていなかった と考えられる。そこで,ファン・フラッセンは,「ある物理量(オブザーバブル)が現実にある 値を持つ」という命題(値付与命題)を考え,値付与命題の集合という形で新たな状態(値状態)を 付け加えた。これによって,量子力学の経験的部分構造の指定が可能になったのである。量子 力学の経験的部分構造は「装置系の値状態の一部が作る構造」である。ファン・フラッセン が,「真である」という信念を与えるのは,この経験的部分構造に対してだけである。それ以 外の部分―動状態,シュレーディンガー方程式,さらには対象系の値状態も含まれる―につい ては,真であるとも偽であるともわからないという不可知論がとられることになるのである。

値状態と動状態の区別は,特に量子力学理論においては決して自明ではなかった。量子力学 の場合,オブザーバブルAが持ち得る値はその固有値a_iに限られていた(2の最小道具主義解釈 (5))。そのことから,フォン・ノイマンは,測定の直前に状態は固有値a_iに対応する固有ベク トル|a_i>になければならないと考えたのである(そして必然的に射影公準へと導かれた)。しか し,ここには実は「オブザーバブルが或る値をとる→測定直前の系の物理的状態は対応する固 有状態にある」という推論が介在しているということが,値状態と動状態の区別により,明ら かになったのである。ファン・フラッセンはこの推論には根拠がないと考える。そして,この 推論の無根拠性を指摘することから,フォン・ノイマン解釈以外の新たな解釈への道を実際に 開いたのである。  

理論の観察不可能な部分が観察可能な部分を救う仕方(量子力学の場合は解釈の仕方)は複数 存在し得る,という経験主義にとって有利に働く事態を,具体的な事例に基づいて実際に示し て見せた点に,ファン・フラッセンの量子力学解釈の大きな意義があると思われるのである。

〔注〕

(注1) 様相的解釈は「量子力学的状態(動状態)が,徹頭徹尾どの値が生じ得るのかとい う可能性しか述べていない」ということを明るみに出した,と言うことが出来ると思う。この 点はいわゆる「くり返し測定 repeated measurement」を考えることにより最も明らかになり,ま た,この点に関連して様相的解釈に対する反論も提出されている(cf. Leeds and Healey(1996), van Fraassen(1997))。しかし,これらの問題に関してはまた稿を改めて論じたいと思う。)

(注2) ただし,観察可能/不可能という概念の科学理論からの独立性を主張するファン・フラ ッセンの議論は不十分である。我々が手にしている科学理論が観察可能であると指定する事物 の集合の外延と,我々が実際に知覚できると判断する事物の集合の外延とが異なる場合どうす るか。ファン・フラッセンは「優先されるのは後者の判断である」と言わなければならない し,そう明言しておかなければならないと思う。

(注3) 様相的解釈は,『科学的世界像』を書いた時点で既に骨格が完成していた。したがっ て,引用文が様相的解釈を念頭において書かれていることは明らかである。引用文の前後を読 む限りでは,ファン・フラッセンは,自身の様相的解釈のこの特徴が構成的経験主義の主張を 支えると考えているようだ。しかし,このあたりの彼の叙述はミスリーディングだと思う。彼 にとっては,観察可能/不可能が理論に依存しない経験的区別だ,ということさえ言えれば良か ったはずである。実際,彼自身「意識を排除した文字通りの理解=様相的解釈」の観察不可能 な部分に対しては,それが真であるという信念を付与しないのである。


付記
 本稿は、北海道大学大学院理学研究科に提出された修士論文に、数学的詳細の省略および哲学的論点の加筆訂正を施したものである。修士論文をご指導いただいた石垣壽郎先生、改訂にあたりご指導いただいた内井惣七先生に感謝申し上げます。
 なお、本稿は、京都科学哲学コロキアムの1998年10月の例会において口頭発表された。
 

参考文献  

Beltrametti,E. and Cassinelli,G.(1981): The Logic of Quantum Mechanics, Reading,Mass., Addison-Wesley  

Churchland,P.M. and C.A.Hooker(eds.)(1985): Images of Science, University of Chicago Press  

Clifton,R.(1996):The Properties of Modal Interpretation of Quantum Mechanics, Brit.J.Phil.Sci. 47, pp.371-398  

d'Espagnat,B.(1976):Conceptual Foundations of Quantum Mechanics, 2nd ed., Reading, Mass., Addison-Wesley (町田茂訳『量子力学における観測の理論』岩波書店,1980)  

Leeds,S. and R. Healey(1996): A Note on Van Fraassen's Modal Interpretation of Quantum Mechanics, Philosophy of Science 63, pp.91-104  

Redhead,M.L.G.(1989): Incompleteness, Nonlocality and Realism, Oxford U.P.(石垣壽郎訳『不完 全性・非局所性・実在主義』みすず書房,1997)  

van Fraassen(1980): The Scientific Image, Oxford U.P.(丹治信春訳『科学的世界像』紀伊国屋書 店,1986)  

---------(1985): Empiricism in the Philosophy of Science,in Churchland and Hooker(1985), pp245-308  

---------(1991): Quantum Mechanics: An Empiricist View, Oxford U.P.  

---------(1997): Modal Interpretation of Repeated Measurement:A Rejoinder to Leeds and Healey, Philosophy of Science 64, pp.669-676  

フォン・ノイマン(1957),『量子力学の数学的基礎』,井上・広重・恒藤訳,(みすず書房)


 編集後記

後期博士課程に在籍する海田君が修士論文で取り上げたファン・フラッセンの量子力学解釈を レヴユー・エッセイとしてまとめてくれたのでここに掲載する。日本の科学哲学の雑誌では、時空論の、量子力学解釈のといったハードコアの分野の論文はろくに出もせず、ハードコアの分野は日本では全滅に近い状態なので、この程度の紹介論文からでもこつこつと積み上げていくほかはない。海田君の論文は解説としてはよくまとまって明晰だと思う。(3月29日、内井惣七)

March 29, 1999.

webmaster