科学哲学ニューズレター |
No. 28, September 14, 1999
Book
Review by Soshichi Uchii
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Towards the Citizen's Science Asahi shinbun-sha, 1999 [in Japanese] |
Editor: Soshichi Uchii
書評 高木仁三郎『市民の科学をめざして』朝日選書、1999年1月
内井惣七
このニューズレター前号ではプルトニウムの発見者シーボーグの最新著を取り上げた。本号では、これときわめて対照的な、高木氏の新著を取り上げたい。二つの本の内容が対照的だというよりも、二人の著者の「科学者としての生き方」が対照的であり、「科学と社会」とのかかわりを考えようとする場合、両立しない二つの選択肢を際だった形で提示している。(誤解を避けるためにあらかじめお断りしておくが、わたしは二人を比較してその優劣を論じたいのではない。いずれのタイプも社会にとって必要であることはほとんど自明である。ただ、同一人物が同時に二つのタイプに属することはあり得ない、という意味で二つは両立しない。)
かたや、シーボーグは、いわば科学研究の既存の体制内でめざましい成果を上げ、ノーベル賞という最高の栄誉を手にした。しかも、その後大学行政や政府の科学行政にも深くかかわり、原子力委員会の委員長としてアメリカ政府の核政策に影響を及ぼした(前号参照)。他方、高木氏は、核化学者としての有望なキャリア(1967年に朝日奨励賞)の途中で東京都立大学の助教授の職を辞し、1975年より非営利団体の原子力資料情報室を主催して、政府や原子力産業とは独立の立場から市民に資料や情報を提供し、後には政府の原子力政策に関する評価も行ってきた。そして、1997年には、プルトニウムの危険性を一貫して警告してきた功績により、フランスのマイケル・シュナイダーとともにライト・ライブリフッド賞(Right Livelihood Award)を与えられた。この賞は、1980年にヤコプ・フォン・ユクスキュルによって設立され、「もう一つのノーベル賞」と呼ばれるようになった(授賞式はスウェーデンのストックホルムでノーベル賞受賞式の前日に行われる)。その趣旨は、「今日の世界が直面する重大な問題に実践的で模範的なこたえを見いだした人々に栄誉と援助とを与える」ことにある。かくして、シーボーグと高木が際だった対照をなすことは明らかであろう。
前置きが長くなったのでさっそく本題に入ろう。本書は第一部「市民の科学」、第二部「市民にとってのプルトニウム政策」、および「あとがき」の三部からなる。「あとがき」は、高木氏が「市民のための科学」のあたらしい担い手を育てるために最近旗揚げした「高木学校」について述べられているので、第三部と見なして扱う方がよいと思う。彼の闘病生活という突然の出来事がなかったとしたなら、この本はもっとまとまりのある充実したものになったかもしれない。しかし、この出来事が第三部を短いながらも緊迫感のあるものにし、全体に迫力を与えている。
市民の科学
第一部では、高木のいう「市民の科学」という考えがどのようにして形を取ってきたか、その内実がどのようなものかが、高木自身の経験に即して語られる。ほぼ三十年前に日本で、そして世界で学園紛争が生じたとき、一世代前の人たちとちがって「科学者や技術者としての自己の存在にそんなに自信がもてなくなっていた」高木の世代は次の三つの方向で選択を迫られたという(pp. 10-11)。
(1)科学者・技術者という存在自体が特権的なものだから、それを捨てる(つまりドロップアウトする)。
(2)体制の中での科学者・技術者という矛盾を意識しつつも、その中に留まって、矛盾と闘う。
(3)体制から離れて、自前の科学・技術の確立をめざす。
これらの選択肢を深刻に考えた人たちは科学技術者の中では少数派だったが、自分のように(3)を選んだものはとりわけ少数だったと高木は述懐する。「民衆営為としての科学」という硬い表現が「市民の手による科学」に変わり、ヨーロッパでも同じような志から似たような形での「市民研究所」が広がっていった。
「市民の科学」とは、一般的には次のように特徴づけられる。
・・・「市民の科学」は、市民社会が実際に直面する問題から出発し、その営みの成果も市民の評価によって問われることになるから、市民と科学の間には、たえず密接な相互作用が必要だ。その意味で、市民の「ための」科学よりは、市民の「手による」科学と表現したいところで、もしそれがほんとうに実体として成立するのならば、専門的機関の内側で閉じて(市民との相互作用を欠いて)行なわれる既存の科学に対して、ひとつのオルターナティブ(現在支配的なものごとのあり方とは根本的に別のあり方をめざす選択肢)を提起するものだろう。(p. 15)
このような考え方(これは当初から明らかだったわけでなく、高木の活動の中で形成されていったもの)のもとで、高木らのグループが達成した一つの成果は、原子力問題についての「独立な批判とその組織化」である。ここで言われる「批判」とは、専門技術的な内容に立ち入った批判であり、「独立」とは官・産・学を貫くいわば体制側の利害集団からの独立を意味する。例えば、アメリカでは1979年のスリーマイル島の原発事故の後で、既存の利害関係に影響されない委員会によって安全性を監視しようと試みたが、多くの委員の利害関係はこの意味で独立ではなく、また専門的データも既存の機関に依存してうまく機能しなかった、と高木は言う(pp. 23-24)。独立性は非専門家のメンバーにかかってくるが、いかんせん彼らは専門的データの収集や批判の能力を欠く。
高木らの原子力資料情報室は、日本の原子力行政に関して前述のような「独立な批判とその組織化」を試みてきた。現実の取り組みから浮かび上がってきたアプローチは、概略次の三点にまとめられる、と高木は言う。
(1)国家や各種体制を維持するための支配的な仕組みとなった現代科学技術は、人々の生活や自然を害する傾向を持つので、これを(独立な)市民の側から批判し、対抗的な評価を行なう必要がある。
(2)自分の専門分野内での価値判断や利害の考慮ではなく、実際の生活者の感覚と視線でものを見ることを基盤にして科学技術を考えること。
(3)最終的な政策決定は市民によるという立場で、市民の判断材料となるような情報を、市民にとって意味のあるメッセージに直して提供する。(pp.49-50 参照)
こういった方針に基づく活動の詳細は第3章で述べられているが、おそらくある程度具体性のある事例に即して紹介しないと説得性に欠けるであろう。そこで、第二部のプルトニウム政策に関わる原子力資料情報室の活動に目を向けることにしよう。
市民にとってのプルトニウム政策
日本および世界各国の原子力政策について漠然としたことしか知らなかった読者にとって、本書の第二部はまさに啓発的であり、高木の言う「市民の科学」の意義が実感されるのではないだろうか。プルトニウムという自然界にはほとんど存在しない元素が原子炉で生成され、これが長崎の原爆で使われたことは多くの人が知っている。また、日本では「プルサーマル計画」が進められていることも、多くの人は字面では知っているだろう。しかし、プルトニウムを使う技術にはいったいどういう問題があるのだろうか。「高速増殖炉」「MOX」、あるいは使用済み核燃料の「再処理」とはいったい何だろうか。こういった初歩的なところからクリアーしていかないと「市民の科学」にはたどり着かないのである。
まず、第二次大戦中のマンハッタン計画では、人里離れたワシントン州ハンフォードに大工場を作り、やっとの事で1945年夏までに爆弾二個分(十数キロ)のプルトニウムしか生産できなかったことを想起しよう。ところが、100万キロワットの原子力発電所が一年間稼働すると、約250キロのプルトニウムが生産される。日本ではすでに十数トンのプルトニウムが蓄えられているという(p. 97)。しかし、このプルトニウムを使うためには、使用済み燃料を再処理(化学処理)してプルトニウムを分離し取り出さなければならない。プルトニウムはもちろん原爆に転用できるほか、きわめて毒性の強い金属であり、ウランよりもはるかに取り扱いの難しい物質である。したがって、プルトニウムの移送には厳重な警備が必要となる(p. 113)。 それに伴い、管理強化、秘密主義、隠蔽(動燃の不祥事を想起されたい)、事故やテロの危険性も増える。
では、このように取り扱いの難しいプルトニウムが原子力産業で重視されたのはなぜだろうか。それは、「高速増殖炉」という1950年代から60年代にかけての技術的な「夢」があったからである。簡単にいえば、ウラン238は燃えない(核分裂しない)がプルトニウム239は燃える。そこで自然界に大量にあるウラン238をプルトニウム239に転換(増殖)すれば、原子炉で取り出せるエネルギーは飛躍的に増えることになる。つまり、高速増殖炉とはプルトニウムを増殖させて燃やす原子炉の方式にほかならない(p. 93)。ところが、これの技術的困難は予想外に大きく(p. 107 にある「もんじゅ」の建設費見積もり推移のグラフが説得的)、日本とフランス以外の国は開発から撤退してしまった。日本では1995年に事故を起こした「もんじゅ」が高速増殖炉の実験炉にほかならない。その後フランスも実質的に撤退してしまった(p. 103)。
さて、「もんじゅ」の事故の後浮上してきたのが「MOX, uranium-plutonium mixed oxide fuel」である。これは、ウランとプルトニウムの混合酸化物を(軽水炉などの)普通の原子炉で燃やそうという計画である。これが、日本では「プルサーマル計画」と呼ばれている。これについては、第二部の第2章が評価報告となっていて、「経済性、安全性、安全保障、廃棄物管理、そして社会的影響におよんで多くの不利益をもたらすので、その推進は即刻中止すべきである」というきわめて否定的な結論が出されている。その根拠は英文および和文要約としてすでに出版されているが、第2章でも要点が示されている(pp. 138-156)ので読者は是非目を通すようにおすすめしたい。
政府および原子力産業がこれまで繰り返し主張してきた言い分、すなわち「資源小国日本はプルトニウムをやらないと将来エネルギーが足りなくなる」という主張に対する反論と代替策は、エネルギー損失(約66パーセントに達する)を減らすための研究を行なえという提言に要約されている(pp. 114-120)ことも付け加えておきたい。
第三部に相当する「おわりに」については、「高木学校」発足の顛末記なので、興味深いけれども、この書評での言及は省略する。「オルターナティブ・サイエンティスト」が日本でいかに育つか。五十年前に日本に輸入された科学哲学が絶滅に瀕しているという感触をもつわたしには、楽観はできない。
編集後記 オンラインで読める同書の書評についてリンクをあげておく。
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September 14, 1999.