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科学哲学ニューズレター

No. 44, February 5, 2002

The Graduation Theses and Master's Theses, 2002

Editor: Soshichi Uchii


本年度の卒業論文・修士論文特集

訂正とお詫び 卒業論文については試問当日に一編の取り下げ申し出がありましたので、このニューズレターでの要約についても削除させていただきました。編集者の不手際をお詫びいたします。(2002年2月8日、内井惣七)

われらが京大文学研究科・文学部では、論文の締め切りも口頭試問の日程も年々早くなる傾向にあり、あわただしい。今年は旧称「Top 30」向けの対策、自己点検・自己評価(そしてやがて来る他者評価)、副学長陣頭指揮の「文学研究科フォーラム」(筆者内井にピンチヒッターまで回ってきたデ)と、作業・行事が目白押しのうえ、3月に迫ったピッツバーグ科学哲学センター40周年記念講演、わたしの原稿もまだできてない。おまけに、某出版社の企画で引き受けた『科学の倫理学』、一ヶ月半で原稿は書き上げたが、勢い余って字数オーバーでたぶん修正せなアカンし、空間時間の哲学も早く進めたいし、誰かさんと誰かさんのD論文もはよう出してもらいたいし、学術会議に対してはブチ切れたし、50代最後の年齢にはなってしまうし、もうどうにもなりまへんワ。かようなわけで、学生、院生諸君の苦心作の論文についても、簡潔調でいくことにしよう。口頭試問は2月5日-2月6日、覚悟はエエか?(これがワシの「職業倫理」やとはいえ、もう少々クタビレテきたぜ。)


卒業論文 Graduation Theses


中沢真吾「理化学研究所の設立背景」(Shingo NAKAZAWA, How the Riken Institute was founded)

理化学研究所、通称「理研」は1917年に、官・民の共同出資で設立された。この論文で明らかになることは、(1)大戦による輸入途絶が政府や科学者の行動を変え、理研設立の直接の要因になったこと、(2)当時の研究機関である大学、工業試験所の研究能力の限界が、それらから独立した研究機関を必要とする気運を高めたこと、(3)すでに産業界に科学研究の重要性に対する理解が高まっており、これが理研設立運動を後押ししたこと、である。


川合 大「フリーソフトウェアとオープンソースソフトウェア運動」(Dai KAWAI, Free Software and Open Software)

GNUとはなんぞや、フリーソフトウェアの「フリー」とはなんぞや、「オープンソース」とはなんぞや、「copyleft」とはなんぞや。こういった運動はどんなニイチャンたちが始め、どんな成果があり、われわれ一般のコンピュータ・ユーザー(というよりも、著者川合君みたいな、コンピュータ・オタクのニイチャンたち)にどんな御利益があるがや。ご用とお急ぎでない方は見てらっしゃい、聞いてらっしゃい。タメになるぞなもし、エエことがあるがや。GNUの元祖、ストールマン(かつてのニイチャン、現在はオッサン)は、最近なんか賞をもらったとよ。


神田 周「インターネットにおけるワールドワイドウェブの発展について」(Amane KOUDA, The Development of WWW on the Internet)

いまやWWWと表記した方がわかりやすいワールドワイドウェブはどのように発展してきたか。1969年に始まったARPANET(インターネットの先駆)、検索ソフトの発展、リンクからリンクへとつながっていくパイパーテクスト、ヨーロッパのCERN の研究者が開発を始めたWWW、通信の仕様、ブラウザの開発と、いろいろなエレメントを取り入れてきた結果、ついに1993年頃から「インターネット」と「WWW」は同義と見なされるほどに、WWWが中心的な構成要素にのし上がった。このような大規模システムが成長していく方向を決めたのは、「開発者ではなく、そのシステムに参加している利用者」だ、というのが著者の結論らしきものか。


桂田佳明「イタリア・ルネサンスの機械文化」 (Yoshiaki KATURADA, The Mechanical Masters of the Renaissance Italy)

封建制度の崩壊と商業活動の活発化を背景として技術家たちが社会的地位を向上させたルネサンスのイタリアでは、自らの才能を活かして活躍するものが現れた。その最初の世代を代表するブルネッレスキは、絵画、建築、彫刻の分野で独創的な仕事を成し遂げた。技術家の中には、15世紀以降になると図版を伴った手稿を著すものも登場し、そうした技術家の一人であるフランチェスコは、手稿中で独創的な動力伝達・変換機構を考案していた。フランチェスコの試みは近代科学の特質である体系的な知識に至ることはなかったが、模倣に依存するすることで確立されていた工房の伝統と決別した、建築家、軍事技術家として独創的だった。


吉田量久「ドーキンスにおける延長された表現型」(Kazuhisa YOSHIDA, Dawkins on the Extended Phenotype)

ドーキンスが、自然淘汰の単位は個体ではなく遺伝子であり、「利己的な遺伝子」という考えのもとで生物の適応的な諸性質が統一的に理解できることを論じたことはよく知られている。しかし、「延長された表現型」の考え方と、慣習的な個体の表現型だけで考えるやり方との比較検討は不十分である。この論文では、そこに立ち入って検討し、「延長された表現型」の考え方をとることになぜ利点があるのかを明らかにして、ドーキンスの立場を補強したい。


修士論文 Master's Theses


 

小菅雅行「量子力学の多世界解釈」(Masayuki KOSUGA, The Many-World Interpretation of Quantum Mechanics)

量子力学のかつての正統的解釈、コペンハーゲン解釈においては、量子系の状態関数の変化は、(1)シュレーデインガー方程式に従った連続的・決定論的な変化と、(2)観測によって引き起こされる不連続的な変化(波束の収縮)の二種に分類される。これに対し、(2)の変化を認めない解釈の一つとして提唱されたのが、エヴェレットのいわゆる「多世界解釈」である。この解釈では、著者言うところの「観測者の特殊性」がどのように解消されるか、(2)の過程で入る確率がどのようにうまく再現されるか、そして「観測」概念がどのように変革されるかが解説される。


金田明子「意味論的真理とその病理性について」 (Akiko KANEDA, The Semantic Truth and Its Pathology)

タルスキの古典的真理論から始めて、クリプキの真理の不動点理論、グプタ-ベルナップの真理の改訂理論までを調べて、「真理」概念がもたらす諸問題を検討する。まず、タルスキがいわゆる「T等値文」を成り立たせるように意味論的真理を定義したことはよく知られている。しかし、真理述語によるパラドックスを回避するために導入した言語階層によって、制限が不必要に強すぎることになり、この点がクリプキにより批判された。

クリプキが代わりに提出した真理の不動点理論は、言語階層を導入するのではなく、モデルの系列によって「真理」を定義するが、その際「解釈」が必要となる。あることを主張する、あるいは否認するための規則に相当するジャンプ関数とそれに伴う3値論理を導入する方策により、クリプキは循環的定義だからといって直ちに意味論的パラドックスが生じるのでないことを説得的に示した。外的事実との対応をもつ有基底的文と、そうでない無基底的文の区別をつける不動点理論は、かくして、タルスキの真理集合より大きな領域を確保できる。しかし、有基底性の条件はまだ制限が強すぎると批判するのが、グプタ−ベルナップの改訂理論である。

グプタ−ベルナップの立場で真理のエッセンスと見なされるのは、真理値の安定性である。彼らの基本的発想は、循環的定義だからといって即退ける必要はなく、被定義項について安定した情報を与えられるか否かが重要なのである。真理の定義にも同じ考えを適用すれば、クリプキが無基底的と見なした文にも「真理」を名乗る資格のある場合がある。安定した意味(外延)に至るための規則が改定規則であり、これが安定した結果をもたらすなら「真理」を規定できることになる。改訂とは、適当な仮説から始め、推論によって仮説的外延に至るプロセスをくり返すことである。このくり返しで得られる系列で、極限として安定的な真理値に達すれば、循環的定義からも真理が決まる。クリプキと違って、改訂理論のジャンプ関数は2値である。ただし、改訂理論では極限規則の選び方に自由度が残る。この選択が「言語規約」の選択に相当し、広義の「事実」(クリプキより広い)と規約の間の線引きが行なわれることになる。

以上の検討の結果、これまでの真理定義の諸説が「真理」について何を明らかにしたかが整理される。


編集後記 論文執筆についての学部生、院生の認識がいろいろな面で甘すぎるので、警告しておきたい。(1)参考文献、先行研究などに論文内容の一部を負うときには、必ずその旨を論文中で断り、どこが、どの著作のどの箇所に負うのか明記すること。翻訳文を借用するときも同様。教師が『科学の倫理学』などといった本を書き、このニューズレターでも「盗作」のたぐいについて他人を批判する記事を何度も書いているのに、その教師の研究室の学生が、そのような批判に該当することをヌケヌケとやってくれるのでは話にならん。 (2)提出した論文を取り下げるにもルールがあることを認識せよ。みずから取り下げを申し出るなら、試問の前、できるだけ早めにやるのが礼儀。例えば、何か試験を受けて、結果の点数が気に入らなかったから「なかったことにして欲しい」などという身勝手が通ると思うか?世の中をなめるな。「汝自身を知れ!」××、××!(内井惣七)


February 5, 2002; corrected Feb. 8. (c) Soshichi Uchii

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