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科学哲学ニューズレター

No. 55, June 17, 2004

1. Cracow Revisited: 5th Quadrennial International Fellows Conference, by Soshichi Uchii

2. Our Activities, 2003

 

Editor: Soshichi Uchii


クラコフ再訪

ピッツバーグ大学、科学哲学センター主催の4年毎国際フェロー集会がポーランド、クラコフ近郊のリトロという町で5月26日から30日までの日程で開かれた。これは、センターの過去、現在の客員フェロー(研究員)を集めておこなわれる「同窓会」みたいな研究集会である。前回は、2000年の5月にアルゼンチンでおこなわれたのだが、ちょうどウェスとメリリー・サモンを京都大学に客員教授としてお迎えしていた時期と重なったので、わたしは出席できなかった。それに、今回はわたしのお気に入りの町の一つであるクラコフ近郊なので、是非とも参加したいと思っていたところ、幸いに21世紀COEプログラムのPaSTA研究会の予算で渡航費がまかなってもらえることになった。このチャンスを逃がす手はない。もちろん、ただ遊びに行くのではなく、"Darwin's Principle of Divergence" という発表論文を用意した上での参加。何しろ、ホテルに缶詰状態で、50あまりの研究発表が2つの会場で同時進行で予定されているのだ。

実は、クラコフでは5年前、1999年に、Logic, Methodology and Philosophy of Science (LMPS) という、われわれの分野では最大の国際会議が開かれて、私はカミさんと一緒に出かけていって一週間ほど滞在したのだった。このときは、前述のウェス・サモンがこの会議の会長だったので、メリリーやコンスタンツ大学のゲレオン・ヴォルタース夫妻と一緒に大変楽しい時間を過ごした。その一部は、私のウェッブサイトでも紹介してある(International Congress in Cracow)。

さて、乗り継ぎの都合で、5月25日朝のKLM便で関空から出発、同日夜はアムステルダムで一泊して、翌日の便でワルシャワ、クラコフへと飛ぶ予定となった。往復とももちろんエコノミークラスだが、オーバーブッキングで行きはラッキーにもビジネスクラスの席に変えてもらった。ハンフリー・ボガート(とローレン・バコール)の古いハードボイルド、探偵フィリップ・マーロウものなど、映画を二、三本見て、アテンダントがやたらと持ってくる食い物などを断りつつウトウトするうちに、やがてアムステルダムに到着。現地は午後3時すぎ。アムステルダムのスキポール空港もユニークないい空港である。空港ビルは多くの枝に分かれた一つの構造となっていて、妙なトラムやバスなどでゲートに移動する必要がない。そのため長い通路(動く歩道が完備)のそこここにしゃれた店がたくさんある。また、中心部、出口にかけては大きなプラザができており、ここにも多くの店、カフェ、催し物会場などでにぎわっている。しかし、12時間近くのフライトで疲れてショッピングどころではないので、早々に空港近くのホテルにチェックインして、ベッドに倒れこむ。おっと、そのまえに、コンピュータをネットにつないで、無事到着のむねメールを出しておく。

[空港すぐそばのスキポールA4は、各部屋からネットに直結で便利。]

翌朝は当然早く目が覚めたので、5時半に朝食をしっかり取り、ホテル周辺をうろうろした後、午前の便に乗るために再び空港へ。ワルシャワ空港(わたしは初めて)はやはり相当に見劣りする。国際線出口での両替はスピーディでレートもよく好印象だったのだが、国内便のゲートを探すうち道に迷って国際線のゲートに入ってしまう。主な原因は国内線ゲートがあまりに小さく、脇に一つの乗り場しかなかったということ。空港地図はあらかじめ見ていたはずなのに、この有様は、年齢のせいだけではなく、「ポーランド首都の空港はある程度設備が整っているはず」という先入見がもたらしたものに違いない。クラコフの空港が小さいのは知っていたが、ワルシャワも国内線に関してはチョボチョボとは予想外だった。かくして、とにかくクラコフにたどり着いたが、指定された新装シェラトンホテル前の駐車場で待っているはずのバスが見つからない。バスの出発は夜の9時、相当に時間があるので弱ったところ、シェラトンの親切なベルボーイが荷物を預かってやろうと言うので、ありがたく預けて町に繰り出す。勝手知ったるクラコフ旧市街部で撮った写真をいくつかお目にかけよう。(その他の名所旧跡については、前述のサイト、5年前の写真を参照。)


[建物の中には土産物屋がいっぱい。値段を交渉しながら買う人あり、やめる人あり。]

[塔での時報のトランペットで有名。12時になると、中の祭壇が音楽つきで開いて、すばらしい彫刻が見られる。]

[乗ってみる値打ちあり。ただし、馬糞に気をつけよう。]


ヨーロッパの夕方はまだ明るいが、スキンニッツェ(旧織物会館)前の広場にあるカフェで夕食をとる。5年前に比べて、若い人たちの英語は格段にうまくなった感じがする。先のベルボーイだけでなく、このカフェの感じのいい若いウェートレスの英語も完璧だった。ギター弾き語りのニイチャンが訳のわからない歌をボソボソと歌って駄賃をねだりに来たが、ニベもなく追い返す。街角で見かけた、ワイングラス演奏のオッチャンのほうがはるかによかったぜ。5年前に写真を撮った、お年寄りグループの民族音楽団の方々もまだ健在だった。

[コペルニクスの遺品もあるコレギウム・マイウスは大学最古の建物。わたしのお気に入り。]

そうこうするうち、いい時間になってきたので、そろそろシェラトン前の駐車場をチェックしに戻る。お、今度はバスと、その前にたむろする一団がいるではないか。だれかがわたしを見て手を挙げる。近づいてみると見覚えのない顔だが、実は今回のピッツバーグ側世話役、大学院生のブライアン・ヘップバーンだとのこと。おそらく、ウェッブでわたしの顔をチェックしたのか(もちろん、帽子が目印!)、あるいは東洋人の参加者はわたし一人なのでそう見当をつけたのか、いずれかだろう。一団の人々と自己紹介を交わすが、こちらもそろそろ眠くなってきたので、名前なんかロクに覚えられない。バスが動き出すとやがて眠りに落ちてしまった(何しろ5時半起きやデ)。クラコフからバスで120キロあまりの行程でリトロのホテルにつき(夜の11時過ぎ)、寝ぼけ眼で降りていくと、なんとピッツバーグ科学センター所長のジム・レノックスが玄関で自らお出迎え。前所長、ジェリー・マッシーに劣らずなかなか丁寧な人だ。チェックイン手続きを終えると、再びベッドに倒れ込み。翌日は、朝の9時過ぎからセッションが目白押しなのだ。なお、このホテルにはジムを初めとして、テニスコートや50メートルのオリンピックプールまであり、所長のジムは昼には泳ぎ、夕方には村人たちがあきれて見守る中、リトロの町中にまでランニングに出かけるというタフガイぶり。

[Perla Poludoniaとは、南の真珠という意味らしい。]


今回の集会では、一つの特集テーマが設定されており、それは「ウィーン学団」の再検討。その初っぱなは、ゲレオン・ヴォルタースによる、カルナップのAufbauの見直し。いつものエネルギッシュな調子とは違って数段トーンの下がったゲレオンの演説は、あまり迫力がなかった。あとで聞けば、日程を一日間違えて早く来すぎた、おまけに風邪をひき、鼻声のゲレオンだったというのが真相。コンスタンツでは「罰として」学部長をやらされた、と言葉とは裏腹に自信家ぶりは相変わらず。先般の大戦中の哲学者たち、ガーダマーやその他の行状を調べた論文で波風を立てて、まんざらでもなさそうな様子だった。 初日の午後のセッションでは、91年にピッツバーグで隣の部屋にいたオランダのライン・フォスが、ブルーノ・ラトゥールの技術論をこき下ろした発表で、"Technologies as Moral Agents: a Kantian View on Moral Agency in Modern Technological Culture" という話。彼は、周りを「フランス帝国」に囲まれたマーストリヒトの大学で、医療関係の学生たちに哲学と倫理学を教えるプログラムの責任者をしているらしい。ラトゥールのテクノロジー論をめぐってだいぶ論争に関わっているらしいが、ラトゥール(のアホ)はカント倫理学をまるでわかっていないという論調。その言い分はわからないでもないが、ラトゥールの言い分をもうすこしフェアにまとめてから批判してやれヤ、と柄にもなく諫めるコメントを加えてしまった。ラインは、わたしの囲碁の弟子だったのだが、どうもその後やってないらしい。


二日目、28日の午前のセッションでは、達者なプリゼンテーションで知られるジョン・ノートンの"Material Theory of Induction"を聞く。これまでの、演繹論理をモデルにした帰納法の理論はダメで、個別的な分野に応じた「実質的な前提」をおいた推論方法として帰納法を理解せよ、そうすれば帰納推理の本質がよく見えてくるという発表。ベイズ主義など、確率論的帰納の理論も、統計に関わる実質的な前提の枠内での理論だから「普遍的な」帰納法の理論を僭称するのは間違いだということになる。これに対しては、ベルギーのゲント大学のグループが、自分たちはそういう実質的な前提も取り込んで、帰納と演繹を統合して形式的に扱えるような論理体系を研究しているのだ、とコメントを加えていた。この研究は確かにおもしろそう。午後のセッションでは、カナダ、カルガリーのマーク・エレシェフスキが、ボイドのHomeostatic Property Clusters を軸にした実在論志向の分類理論は、種問題など、進化生物学がらみの分野に適用されるとまるでダメだよ、という発表。この主張に異論はないが、そんなツマラン主張をやっつけてもしょうがないヤロ、という感じ。マークとは8年前にイタリアで知り合ったのだが、(そのときと比べて)話しぶりが格段に堂に入ってきた彼は、「ブリティッシュ・コロンビアで話をした際、網谷君が一番いい質問をしてくれたよ」、とほめていた。

といったところで、午後二番目のセッションでわたしの発表、"Darwin's Principle of Divergence"。この論文はすでにウェッブ上でも公表しているので見ていただけばわかるとおり、わたしがピッツバーグに91年に滞在したときから始めた研究をまとめた93年の日本語論文の一番大事なところを要約した発表。パワーポイントで入念に準備したファイルも、ウィンドウズのプラットフォーム上ではフォントが変わってしまってがっかりした。ポーランドではマッキントッシュはほとんど入ってないそうである。わたしのかなり古い研究なのだが、欧米の科学哲学者には、この「形質分岐の原理」の意義を知っている人が少ない。他方、ダーウィン学者はこれを知っていても、変種の間の違い、種の間の違いがなぜ一般的に拡大していくかというダーウィンの説明の構造を、論理的にきちんと解明できる人はなかなかいない。プリゼンテーションは、まずまずの出来で、下手なプリゼンテーションが大多数の中では、まあ上の方だろうと自画自賛。「(一介の日本人の発表だからと)これを聞き逃した連中は、大きな損をしたはずだね」、とこれはゲレオンの親切なコメント。ミネソタのケン・ウェイタースは、「これを知っていたならダーウィンについての論文をもっと違った風に書いたはずだ」とのコメント。いずれにせよ、これで主たる任務は終えたので、あとは気が楽。


翌日29日(土曜日)は午前のみのセッションで、午後はエクスカーション、夜はバンケットという予定。午前のセッションでは、量子力学の2スリット実験の説明に「負の確率」を導入するという試みを初めて聞いた。うまくいくのケ?それから、他のセッションを聞いていて終わりかけの途中からになったが、ミクロシュ・レデイ(ハンガリー)の発表は、フォン・ノイマンの未公開の手紙を紹介したらしい。わたしが入っていったときには、原爆を落とす決定にフォン・ノイマンがどう関わっていたかというような質問が進行中で、アホなアメリカ人が「なぜ東京に落とさなかったのか」などとアホな質問を追及していたので、「東京は当時すでに焼け野が原でしたがナ」とフロアからつい怒鳴ってしまった。ホンマ、もうちょっと物事を調べてからものを言え!

午後のエクスカーションは、当初聞いた予定では筏下りだったのだが、前日の雨で予定変更の噂。しかし、結局ピエニー国立公園の現地に行ってから、筏下りに参加する組と、教会を見に行く組の二手に分けることになった。荒れた湖を前に、「わたしはセーリングに来たのだ」と断固ヨットに乗り込んだウィルフリッド・セラーズの故事に習い(ジェリー・マッシーがどこかで紹介していたし、当のジェリーも居合わせた)、ジムやジェリーを含むわれわれは断固筏に乗り込む。保津川下りに比べたら、筏は大きいし、川幅も何倍も広い。チェコとの国境近くを蛇行しながら流れるドゥナイェクという川で、目的地まで2時間かかるとのこと。乗ってみれば何のことはない、ごくごく穏やかな川下りで、ただ寒いのがこたえた。ハイランダーの衣装で誰か写真を撮らないかと船頭が誘いをかけるのに、誰も応じないので最前列にいたわたしが応える。それが以下の写真。翌日の朝のセッションで、ある発表者が、誰かが撮ったわたしの写真をパワーポイントで見せて受けたらしい。せやけど、ワシの許しをとってないデ!

[所長のジムのほか、最後の列にLSE のジョン・ウォラル、世話役のブライアン]

夜は、バーベキューのバンケット、楽しいフォークミュージックとダンスつき。もっとも、ジェリーのような菜食主義者には、子豚の丸焼きなんぞは犯罪行為に当たるだろう。わたしは気がつかなかったのだが、ジェリーが翌朝「あれを見たか?」と話を振っていた。


翌30日、日曜日は、いよいよ最終日となった。わたしの好みではないが、面白かったのは、ジャネット・クーラニというノートルダムのフェミニストが展開した"Getting Philosophy of Science Socially Connected"という話。アメリカ帰りの誰かさんも似たような話をしているので、チョボチョボかと思ったら大間違い。迫力がまるで違う。要するに、科学哲学者ももっと科学社会学、倫理学、社会哲学などの成果を取り入れて、科学哲学を社会的にもっと有意義な営みに変えていかなければならない(しかし、どういう方向へ?特定のイデオロギーにコミットしてか?)という、聞きようによっては至極ごもっともな話なのだが、近年の実在論論争、時空の哲学、量子力学の哲学なんぞは全部社会的に重要な課題から目を背けた「ケツの穴の小さな」営みにすぎんとばかりに切って捨てる勢い。男性哲学者がなまじ質問でもして疑念を表明しようものなら、とたんに(××の武器)トーンを2オクターブほどあげて相手を退散させてしまう勢い。これは哲学ではなくて脅迫に近い。その雰囲気と光景が「面白かった」というわけ。 最後の午後のセッションでは、前述ゲント大学のグループの女流論理学者と、ジェリー・マッシーが「発見の論理」をそれぞれ違う角度から論じて、これまた別の意味で面白かった。ジェリーは発見に伴う概念的な変革に照明をあて、ゲントのヨーク・メーウスは帰納的推理を文脈ごと形式的な推論の中に取り込んで扱う試み。かくして有意義な四日間は終わったのである。

翌日は、飛行機便の都合で、早朝のバスでクラコフまで。グロースカ通りにあるヤギエオ大学哲学科に荷物を預けて、クラコフの町をしばしの散策。結局、ヴァヴェル城を少しだけ再訪したのだが、城内中庭のすばらしいアーチ型回廊が修復中でよく見られず、残念。今回の集会では、すべてにわたってヤギエオ大学の人たちが準備に走り回って、行き届いた世話をして頂いたことがよくわかった。大変にありがとう、ヂェンクイエン!クラコフにはまた来たい。

[ヤギエオの哲学科は、通りの奥、左手にある。一流レストラン(しかし、高くない)は右手。]

もっと写真を見たい方は、次のサイトへどうぞ。 http://homepage.mac.com/uchii/PhotoAlbum17.html


2003年度研究室業績

内井惣七(教授)

4月 ダーウィンのデモン『世界思想』30号、1−4.

6月4日  Recent Studies on the Soviet Nuclear Project, PHS Newsletter 51

7月22日 Edward Teller's Memoir, PHS Newsletter 52

1月16日 Review: Alice R. Burks, Who Invented the Computer? PHS Newsletter 53

2月3日 Review: Randal Keynes, Annie's Box---Charles Darwin, his Daughter and Human Evolution, PHS Newsletter 54

2月  『推理と論理──シャーロック・ホームズとルイス・キャロル』ミネルヴァ書房

3月8日 講演「科学の倫理学」人事院研修所(埼玉県入間市)

3月18日 国際シンポジウム The Road to the Origin 企画と司会、PaSTA研究会、京都大学

伊藤和行(助教授)

論文 「斜面運動の「原理」―機械学から運動論へ―」、『科学史研究』、第42巻228号、233-235頁。

発表 「斜面運動の「原理」―機械学から運動論へ―」、「シンポジウム:ガリレオ科学―新しい自然学とその歴史的背景」、日本科学史学会年会、5月24日、神戸大学)

「落下法則ー古典力学の誕生と数学」、「シンポジウム:力学と数学―歴史的視点から―」、第9回PaSTA研究会、9月3日、京都大学文学部。

澤井直

発表 [1] 「チャールズ・シンガー提出のガレノス生理学説の起源-近代初期解剖学史の見直しを射程に-」, 坂井達雄(順天堂大学医学部解剖学教室教授)との共同研究, 日本科学史学会生物学史分科会月例会, 京都大学, 2003年7月26日.

網谷祐一

発表 [1] 「自然機能の因果説」, 創造的哲学者の会, 名古屋大学, 2003年4月26日.

[2] "Function and Accidental Doubles," ISHPSSB 2003 meeting, University of Vienna, Austria, 2003年7月18日.

[3] 「自然機能と選択の歴史」, 京都科学哲学コロキアム, 京大会館, 2003年7月27日.

その他 [1] ISHPSSB 2003大会参加報告, 生物学史研究, No.72(2003), pp.167-172.

瀬戸口明久

論文 [1] 「移入種問題という争点」, 『現代思想』, 31(13) (2003年11月), pp.122-134.

翻訳 [1] M.D. ゴードン, 「炭疽菌論争の解決」, グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成第二回報告書『人文知の新たな総合に向けて 哲学篇1』 (2004年3月) pp.123-147.

その他 [1](書評) 「ラピエール・モロ『ボーパール午前零時五分』」, 『化学史研究』31 (2004年3月), pp.54-55.

[2](文献紹介) 「移入種問題とナショナリズム」, 『生物学史研究』72(2003), pp.138-141.

発表 [1] 「環境問題における一元性と多元性」, 第5回PaSTA研究会, 京都大学, 2003年4月26日.

[2] 「移入種排除の優生学的含意」(文献紹介), 生物学史分科会夏の学校, おくたま路・東京都青梅市, 2003年8月28日.

[3] 「〈害虫〉の誕生」, 科学技術社会論学会第2回年次研究大会, 神戸大学, 2003年11月16日.

[4] 「サルをめぐる動物観と生物多様性保全」, 動物観研究会第6回公開ゼミナール/ヒトと動物の関係学会第37回月例会, 東京農工大学, 2003年11月30日.

金田明子

論文 [1] 「意味論的真理とその病理性について」, 『哲学研究』第576号 (2003年10月), pp.119-144.

発表 [1] 「相互依存定義の理論と真理の理論」, 名古屋哲学フォーラム2003「真理論のウソとマコト:現代真理論の動向」, 南山大学, 2003年9月6日.

[2] 「真理の循環定義とパラドクス」, 第12回PaSTA研究会, 京都大学, 2003年12月14日.

佐野勝彦

発表 [1] 「時間様相の非反射性について」, 京都科学哲学コロキアム, 京大会館, 2003年10月26日.

[2] 「時間様相の非反射性について」, 日本科学哲学会第36回大会, 千葉工業大学, 2003年11月15日.

[3] 「非反射性を表現できる命題時相論理」, 計算機言語談話会(CLC), 産業技術総合研究所 関西センター尼崎サイト, 2003年12月26日.

岸田功平

論文 [1] 「反事実文の意味論と自然法則の認識論」,グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成第二回報告書『人文知の新たな総合に向けて 哲学篇1』(2004年3月), pp.27-43.

発表 [1] 「反事実文の意味論と自然法則の認識論」,第8回PaSTA研究会,京都大学, 2003年7月25日.

田中泉吏

論文 [1] 「ダーウィンとサルの倫理学」, 「進化生物学は人間観を変えるか?:人文社会系諸学と進化生物学との対話」報告書, pp.35-42.

発表 [1] 「ダーウィンとサルの倫理学」, 独立行政法人 科学技術振興機構 平成15年度 異分野研究者交流フォーラム「進化生物学は人間観を変えるか?:人文社会系諸学と進化生物学との対話」, 妙義グリーンホテル(群馬県・妙義町), 2004年2月10日.

落合孝哉

発表 [1] 「タイムトラベルとその問題点」, 科学基礎論夏のセミナー2003, 北海道大学, 2003年8月31日.

[2] 「一般相対論とニュートン力学の比較」, 科学基礎論春のセミナー2004, 東北大学, 2004年3月5日.


June 17, 2004. (c) Soshichi Uchii

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