第八回研究会

雲南省通海県納古鎮納家営清真寺アラブ語碑文――所謂「新行」への転向において「アブー・ハニーファの学説」が合法化の根拠とされた事例――

中西 竜也

発表要旨

近代以前の中国ムスリム(回民、漢回)は、しばしば自らハナフィー派への帰属を表明していた。しかし例えば、近代に中国でキリスト教伝道活動に従事する傍ら、当時の中国ムスリムに親しく接したDabry de Thiersantは、彼らが実際には「別の如何なるものとも完全に異なった新しいセクトを形成している」との見解を示している。確かに近代以前の中国ムスリムは、自らも認める如く、経典の欠如からハナフィー派学説を十分には知り得なかった。だからこそ彼らは、特にイスラームの儀礼に関して、新たな知識を得る度に、歴史上幾度と無く、「土着化したイスラーム」から「正統的イスラーム」への修正を試みてきたのである。

但し、そのような修正において目指された「正統的イスラーム」が、法学レヴェルでは、即ハナフィー派学説であったかということについては、明示的な史料に乏しい。むしろ例えば、明末清初の常志美・舎起霊によるイスラーム儀礼改革(「古行」から「新行」への改革)では、あくまでクルアーンとスンナへの回帰が唱えられていたというし、中国で流布していたイスラームの儀礼に関するアラブ・ペルシア語経典は、ハナフィー派のものが圧倒的に多かったことは確かであるが、若干の例外も報告されている。

従って、中国ムスリムの「正統的イスラーム」観と、ハナフィー派への帰属の表明が、如何なる関係に在ったかはよく分かっていない。彼らは、あるいは、ハナフィー派学説を中心に据えながらも、クルアーンとスンナの趣旨に忠実たらんとして、一部の儀礼については他学説を採用していたかもしれないのである。事実、1944年に岩村忍氏や佐口透氏によって行われた内蒙古・長城地帯の清真寺に関する調査の報告によれば、「古行派」(中国において代々行われてきたイスラーム儀礼に関する慣行の保守を主張)がアブー・ハニーファの学説を信奉するのに対して、「新行派」(常志美・舎起霊の流れを汲む改革派)はシャーフィイーの学説をも取り入れているという見解が存在したという。あるいはまた、実際には諸学説が混在していたとしても、そのようなイスラーム儀礼が、あくまでハナフィー派に則ったものと認識されていたかもしれない。問題は要するに、近代以前の中国ムスリムが如何なるレヴェルでハナフィー派への帰属を表明していたのか、ということである。

納家営清真寺アラブ語碑文(多くのペルシア語語彙――エザーフェ構造――を含む)は、この問題に一つの回答を提出する。該碑はもともと雲南省通海県納古鎮に在る納家営清真寺の月台南壁に嵌め込まれていたという(報告者が実見した2004.2.10当時は、当該清真寺の向かい側に在る女寺の礼拝大殿に安置されていた)。その主な内容は、イエメンより来華した法学者が、各地で中国ムスリムの従来の礼拝方式を「アブー・ハニーファの学説」に則るよう改革したこと、並びに納古鎮においてBaqlなる人物(本報告内において蔡??に同定)がその改革を引継ぎ遂行したことの顕彰と、その修正後の礼拝方式を維持していくようにという後世への訓戒、である。また当該碑文中には、納古鎮のムスリムが「アブー・ハニーファ学説」を信奉するとの表明がある。加えて、修正対象となった礼拝方式が具体的に挙げられており、そのうちの一つ、義務礼拝後のウィルドに開扉章(クルアーン首章)を読誦することは、「シャーフィイーの学説」であるとの見解が示されている。果たしてここから、問題の碑文の立碑関係者に、礼拝儀礼において「アブー・ハニーファ学説」以外の混在は認められないとする意識が、認められるのである。

なお、納家営清真寺アラブ語碑文の正確な立碑年代は不明であるが、碑文中に述べられる礼拝方式の修正が、前述の「古行」から「新行」への改革に他ならないことからすれば、立碑は、雲南において新行・古行の争いが皆無とされ、「新行」の維持を唱える必要性の乏しかった民国期よりも前であると考えられる。碑文中にペルシア語語彙が混在していることも、この年代推定を支持するはずである。また、イエメンの法学者やBaqlが修正対象とした「連班」(イマームが他の礼拝者の列に入って集団礼拝を指導すること)は、康煕53年頃、雲南では見られなくなったというから、立碑年代はこの辺りである可能性が高い。これは、Baqlを蔡??(康煕32年没)に同定したこととも、矛盾しない。

ところで、納古鎮のムスリムに「アブー・ハニーファ学説」を排他的に信奉する意識の存在は読み取り得たが、納家営清真寺アラブ語碑文の所謂「アブー・ハニーファ学説」が正しくハナフィー派学説であったか否か、加えて「シャーフィイーの学説」が正しくシャーフィイー派学説であったか否かについては、疑問が残る。「古行」(義務礼拝後の開扉章読誦)を「シャーフィイーの学説」とし、「新行」を「アブー・ハニーファの学説」とする見解は、あるいは、中国におけるアブー・ハニーファの権威・正統性を前提とした、「新行」を合法化する為の付会の説であったかもしれない。この点については、今後の課題としたい。

また、本報告では本格的に取り扱い得なかったが、イエメンから法学者が来華してイスラームの儀礼改革を行ったという逸話の事実性については、イエメン人の活発な海域活動を視野に入れる時、十分に検討する価値がありそうである。

討論内容