歴史としてのヨーロッパ・アイデンティティ
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新しい時代を迎えるプラハから
藤井 真生(文学研究科博士後期課程、チェコ、カレル大学留学中)

 2003年2月2日、チェコ共和国の大統領ヴァーツラフ・ハヴェルが引退した。チェコ現代史において彼が果たした役割については詳しく述べるまでもないだろう。1989年のビロード革命から丸13年間、彼の引退をもってチェコは社会主義崩壊後の時代に一つの区切りをつけたとみることができる。私が初めてチェコを訪れたのは2000年の夏であり、社会主義時代を知らないのはもちろんのこと、その崩壊後の急速な変化も経験していない。しかし、体制自体は安定した軌道に乗ったと思われるここ数年、むしろ生活レベルでの変化が非常に大きいということは、チェコに長く住んでいる人の共通見解であるようだ。以下、私が直接経験し得たこの二年半の間の変化について、そういった日常生活の範囲から幾つか触れてみたい。

 歴史という人文系の学問を専攻する立場上、チェコにおいても頻繁に訪ねざるを得ないのが本屋と古本屋である。プラハの古本屋に関しては、故千野栄一氏が著書の中で触れているように、最近は倉庫の維持費や質の良い古本の供給源などが問題となっている。中心部から撤退したり、観光客相手の古地図や絵ハガキの比重を増しているところもあったりと、商業的にはなかなか苦戦しているようである。むしろ、ブルノなどの地方都市で意外な発見をすることが多い。それに対して、古本屋とは対照的に、市の中心部への大型書店の出店が続いている。

 私がプラハに来た当初、人文系の専門書でいえばカレル大学哲学部近くの「Fiserフィシェル」、それ以外も含めた全般を扱っている大型書店では、ヴァーツラフ広場に面した「Dum knihy本の家」と「Academiaアカデミア」の二つがあった。この三ヶ所を廻れば、新刊に関してはたいてい事足りた。出版冊数が極めて少ない90年代前半の本に関しては、丹念に市内の本屋を探し回るか、それとも古本屋に出るのを気長に待つ、というのが一般的である。ただし、古本屋にも出てくることはほとんどないので、結局のところ図書館で借りてコピーするしかない。ところで、ヴァーツラフ広場には上記二店以外にも本屋はあるのだが、昨年、「本の家」が改装して売り場面積を広げたかと思うと、さらに別の大型書店ができた。広場からちょっと入ったところでも新しい店を見かけ、客の奪い合いにならないものかと余計な心配もしたが、チェコの出版産業は非常に好調なようである。

 売り場では、チェコ文学と並んで、歴史書のコーナーがとても広く設置されている。各種新刊と共に世界各国史シリーズも続々と出版され、90年代末から刊行が始まったチェコの通史は出版社ごとに三種類もある。この活況は、一つには政治・経済面での安定が理由としてあげられ、またもう一つには、それを背景として、体制変換後の視点で「自国史」、その他の歴史を書く必要があった、とも言うことができるだろう。ただし、チェコはスロヴァキアと違って、一から「自国史」を創造する必要に迫られているわけではないので、素直に出版界の好況に帰すべきかもしれない。少なくとも私の専門である中世部分を読むかぎり、内容から何らかの思想や気負いといったものを感じることはなく、むしろそういったイデオロギー的なものから解放された、冷静な距離感というものを感じ取れる。

 当然のことながら、チェコ史学も時代の影響を受けて発展してきた。その揺籃期にあたる19世紀後半にはドイツとの対決色が強く、もちろん戦後はマルクス主義的な史観が支配的であった。しかし、近年顕著なのは、そういった強烈なイデオロギーからはちょっと距離を置いた客観性である。といっても、戦間期のように主観を排除して史料に現れる「事実」のみを記述しようとしているわけではない。その特色を強いてあげるとすれば、「ヨーロッパ復帰」と表現できるかもしれない。中世史に関していえば、チェコの歴史に対して圧倒的な影響力を及ぼしてきた神聖ローマ帝国および隣国のポーランド、ハンガリーだけでなく、その向こう側の英仏や教皇庁に対する視線、それらの勢力が総体として織り成す「ヨーロッパ史」の中に「チェコ史」を位置づけようとする意識、これらが明確に打ち出されているように思われる。さきほど、通史刊行の背景として思想的な色合いが薄いかのように述べたが、EU統合を前に控えて、「チェコ民族」のアイデンティティを今一度探求する、という意識をチェコの歴史家たちが共通して抱えていることは、もちろん否定できない。

 さて、「ヨーロッパ復帰」意識と関連して、と言えるかどうか、チェコの歴史家の著作のみならず、ここ二、三年は翻訳出版も盛んである。試しに机の上にある新刊を一冊手に取り、既刊書および刊行予定書を見てみると、主な著者はジャン・クロード・シュミット、カルロ・ギンズブルク、フィリップ・アリエス、エーディト・エンネン、エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ、ジョルジョ・デュビー、マルク・ブロックと続く。日本でももはや古典となった感のある彼らの研究が、個々の研究者レベルではともかく、一般レベルではようやくこれから摂取されようとしているのである。

 一般チェコ人のEU加盟に対する期待は非常に高く、それは「もともとヨーロッパ世界の正当な一員であったにもかかわらず、不当にも東側に取り残された」という意識の裏返しでもあろう。できるだけ早く「ヨーロッパ」に復帰してその一員として行動する。この基本方針は、ハヴェルの後を誰が継いでも(いまだに決まっていないが)基本的に変わらないと思われる。上記のように、主として「西側」の戦後歴史学の成果が大量に刊行されることも、そういった「ヨーロッパ復帰」を希求する意識の一つの表れかもしれない。ただし、何が「ヨーロッパ」なのか、そういった根本的問題に立ち返ってみる冷静さを得られるのは、もうちょっと先のことであろう。

 ところで、チェコ中世史ではチェコが属する地域を「中欧stredni Evropa」と表現する。これは、私が見たところ、凡そチェコ、ハンガリー、ポーランド、オーストリアおよびドイツを指していて、フランス、イングランド、イタリアといった、いわゆる西欧と、東の正教世界に対する「中央」を意味すると思われる。ドイツ人の居住地域および彼らによる東方植民運動の影響を大きく被った地域、と定義することもできるが、おそらくチェコ人はそうした括りを嫌がるだろう。これは、チェコを中心として見た場合の、非常にプリミティヴな地理的概念なのである。プラハ城の少し後方にあるストラホフ修道院は、チェコ一の蔵書数を誇る修道院図書館で名高いが、ここには、イベリア半島が頭部、イタリア半島が右腕、ロシアからドナウ下流、ギリシャにかけてがスカートといった具合に、ヨーロッパを女性として擬人化した16世紀末の地図が展示してある。チェコ(ボヘミア)は?もちろん彼女の心臓である。
2003年2月11日



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