ニューズレター第3号
昨年度は、11月に慌ただしく始まり、どの程度の成果が上がるか少し不安でしたが、12月の研究会、3月5日の韓国ソウル大学での国際シンポジウム、そして3月14日・15日の2日にわたる国際シンポジウムを開催することができ、初年度としてはひとまずの成果と思われます。韓国での調査・シンポ開催にご尽力いただいた誠信女子大学の楊普景先生、日本でのシンポで発表していただいた井上充幸氏(総合地球環境学研究所)、野島正宏氏(NHKエンタープライズ21)、杉本史子氏(東京大学)、李啓煌氏(韓国・仁荷大学)、李孝聡氏(中国・北京大学)に、末尾ながら感謝いたします。(藤井讓治)
■ 韓国出張彙報
2003年3月4日(火曜)〜6日(木曜)の日程で、韓国の大学・研究機関を訪問し絵図・地図の調査やシンポジウムを行いました。参加者は、藤井讓治、金田章裕、杉山正明、野田泰三、岩崎奈緒子、山村亜希、宮紀子、古松崇志、岡本隆司、マイケル・ジャメンツ、井上充幸、承志、井黒忍、尾下成敏です。以下、三日間の行動日程を記します。
- 3月4日 誠信女子大学博物館・高麗大学博物館等において絵図・地図を閲覧・調査。
- 3月5日 ソウル大学奎章閣・ソウル大学博物館において絵図・地図を閲覧・調査。
- 3月5日 国際シンポジウム「15〜16世紀の東アジア地図」を開催。
- 3月6日 国立中央博物館・仁村先生旧宅において絵図・地図を閲覧・調査。
今回の訪問では、楊普景氏(歴史地理学)を始めとする誠信女子大学韓国地理研究所の方々のご厚意を得て、わずか三日の間に、「渾天時計」(高麗大学博物館架蔵)、「大東輿地図」(ソウル大学奎章閣架蔵)、「混一歴代国都疆理地図」(仁村先生旧宅架蔵)や故李燦氏所蔵の絵図・地図コレクション(国立中央博物館架蔵)等、貴重な史料を多数閲覧・調査することができました。
また、京都大学と誠信女子大学の共催で、ソウル大学湖巌館の Maple Room を会場に、国際シンポジウム「15〜16世紀の東アジア地図」を開催しました(3月5日15時〜18時)。韓国からは楊氏の他、白忠鉉氏(ソウル大学・国際法)、河政植氏(崇実大学・東洋史学)、金浩東氏(ソウル大学・東洋史学)、成雲緕=i誠信女子大学・歴史地理学)、李起鳳氏(ソウル大学奎章閣・歴史地理学)、李成珪氏(ソウル大学・東洋史学)、李泰鎮氏(ソウル大学・韓国史学)等、19名の方々が参加されました。
シンポジウムでは、杉山氏、楊氏のご報告(要旨は下段に掲載)の他、井上氏から「混一歴代国都疆理地図」等の解説を頂きました。討論も活発に行われ、終了後は懇親会が行われました。
今回の訪問では、誠信女子大学韓国地理研究所の方々の他、李啓煌氏、金成R氏、金尚駿氏を始めとする韓国在住の日本史研究者の方々や京都大学の大学院生朴晋ハン氏(日本史学)にも通訳等で大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。またシンポジウムの会場を提供して頂いたソウル大学にも感謝いたします。日韓の学術交流に今回の訪問が役立てば幸いです。
杉山正明「東西の地図が示すモンゴル時代の世界像」
- 1402年、朝鮮王朝下で作成された「混一疆理歴代国都之図」はユーラシアとアフリカの全図で、そのもととなった「声教広被図」と「混一疆理図」は大元ウルス治下の中国において、あくまでも民間用に作成された。一方、1375年、アラゴン連合王国下で作成された「カタルーニャ地図」もユーラシアと北アフリカの地図である。この2つの地図を対比することで考察を進めたい。
- 13・14世紀、モンゴルはユーラシアの大半を制覇し東西を結ぶ大領域を形成した。そのことが「混一疆理歴代国都之図」作成の背景にあったと思われる。
- モンゴルの活動は東西交流を活発化させ「カタルーニャ地図」を出現させる条件をつくった。東洋を描いたそれまでの地図と比べて、この地図は合理精神や事実主義に基づいている。それは西欧「中世」との訣別、来るべき大航海時代の萌芽を示すものである。
- 以上から、モンゴルの活動による東西交流の活発化が、西欧における「中世」の殻を破り、つぎの「大航海時代」という一回りスケールの大きい世界史の時代を生み出すステップとなったと考えられる。
楊 普景「15〜17世紀、朝鮮の世界地図と世界認識」
- 世界地図からは、実在世界に対する変化、宗教的世界に対する変化、世界に対する認識範囲とその変化がうかがえる。また西洋及び諸外国の影響、西洋各国の地名表記とその変貌等も理解できる。
- 朝鮮時代に作成された世界地図は5つのパターンに分類できる。1、事実的世界地図−世界を正確に、かつ科学的・事実的に表現しようとした地図、代表的なものに「混一疆理歴代国都之図」「輿地全図」等がある。2、東洋中心の伝統的世界地図−中国を中心に描くことで、中国中心の世界観を示した地図である。代表的なものに「混一歴代国都疆理地図」「華東古地図」「天下輿地図」「天下古今大総便覧図」等がある。3、想像上の世界地図(円形天下図)−現実世界とはかけ離れた世界認識を示す地図、代表例として「天下総図」「天下図(堪輿図)」「天下図(地図)」等がある。4、西欧式世界地図−西欧から伝わった西欧式世界地図をもとにしたもの、「坤輿万国全図」等がその代表例である。5、天地図−天と地を一緒に描いたもの、天地相関的思考を明確に描いた世界地図と言える。「天地図」等がその代表例である。
■ 国際シンポジウム「15〜17世紀成立の絵図・地図を考える」彙報
2003年3月14日(金曜)・15日(土曜)の両日にわたり開催された、国際シンポジウム「15〜17世紀成立の絵図・地図を考える」についてお伝えします。
3月14日は絵図・地図の熟覧会を行いました。まず14時〜15時50分までの間、附属図書館において、「坤輿万国全図」「寛永平安町古図」、宮崎市定氏旧蔵地図等を熟覧し、ついで16時〜17時30分までの間、総合博物館において「混一疆理歴代国都之図」「本朝図鑑綱目」「南瞻部州万国掌菓之図」や杉山正明氏所蔵の「カタルーニャ地図」の写真等を熟覧しました。総勢26名の参加者を得て盛況のうちに終えました。
3月15日は、10時から18時にわたり文学部陳列館会議室で行われ、井上充幸氏、野島正宏氏、杉本史子氏、李啓煌氏、李孝聡氏よりご報告を頂きました。いずれも力のこもったものでした。報告者の方々と35名の参加者の方々に感謝申し上げます。以下、簡略ながら、ご報告の要旨を記します。
井上充幸「中国・朝鮮・日本における楊子器系『混一疆理図』の展開−『天文図』との関係を中心に−」
- 明王朝の時代、楊子器(1458−1513)が作成した世界地図「混一歴代国都疆理地図(楊子器図)」に関して考察を進める。
- 「楊子器図」は中華王朝の支配する「空間」を表現する図であり、「時間」の象徴である「天文図」と対になって作られた、きわめてモニュメンタルな作品である。
- 嘉靖5年(1526)の年記を持つ「楊子器図」の写本は中国・韓国・日本に現存し、宮内庁書陵部架蔵、水戸彰考館架蔵、高麗大学仁村紀念館架蔵、遼寧省旅順博物館架蔵のもの等が知られている。
- 「天文図」と「地理図」が対になって現れる事例は、朝鮮王朝時代の韓国、江戸時代の日本においても見いだすことができ、東アジアにおける「王権」のありかたを理解する上で、重要な手がかりになると考えられる。
- 中国の江西省は明代における地図製作の重要拠点であった。また、かねてから中国製地図の入手に積極的であった朝鮮王朝は、独自の情報を加えて多くの地図を作成した。
- 壬辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮半島侵略戦争)を契機として、中国製地図・朝鮮製地図が多数日本に将来された。
* 井上氏は東洋史学がご専攻、現在は総合地球環境学研究所に勤務されている。
野島正宏「地図情報アーカイブス構築に向けての検討要素」
- 地図情報アーカイブスは、1、学際研究のためにネットワーク経由で実用できる。2、研究の進行に伴い、新たな情報を体系的に蓄積・共有できる。3、研究成果の一部を最小のコストで加工し一般向けに公開できる。4、構築後の仕用追加は最小限に、ただし必須の変更には柔軟に対応できるよう事前設計に十分留意する、といった方向性で検討すべき。
- 精密な地図撮影を行う場合、現在においても銀鉛カメラの使用が望ましい。
- 撮影やデジタル化を行う場合、研究に十分必要な解像度(精細度)、具体的には「dpi(dot per inch)」に注意する必要がある。
- 複数年度にわたる共同作業では、統一手順の作成や撮影の優先順位決定が不可欠。
- 学術アーカイブスの構築にあたっては、原寸で全体を確認でき、カラープリント可能な画像と、多段階ズームアップができるオンライン用画像の双方を整理・蓄積すべき。
- 材質が分かる画像や映像(条件によりハイビジョン映像)の撮影・収集を検討すべき。
- オリジナルの収蔵環境の記録等を(ハイビジョン)映像で撮影することを検討すべき。
- 内外への公開を行う前提で、オリジナルの撮影時に利用条件の確認をした方がよい。
* 野島氏はNHKエンタープライズ21に勤務されアニメ事業等を担当されている。
杉本史子「日本近世における巨大絵図−国絵図−」
- 国絵図とは、日本において16世紀から19世紀にかけて作成された国・郡単位の絵図の研究上の総称であり、その代表は江戸幕府が全国に命じて作成した地図である。
- 江戸幕府は、少なくとも慶長・正保・元禄・天保の数次にわたり全国へ国絵図・郷帳(郷村の村高を記した土地台帳)の作成・提出を命じた。とくに元禄9年(1696)から同15年(1702)にかけて実施された国絵図作成事業では、従来の国絵図にはみられない国境把握・記載がなされ、領主編成・軍事のための地図であったそれまでの国絵図とは異なる。
- 国絵図作成事業は、幕府と関係諸集団との間での土地空間をめぐる領有・支配、また裁判権の編成の問題と不可分である。
- 国絵図は、山形と水系によって形作られた空間表現の中に、行政上・軍事上意味を持つ地名ラベルを配置している。この点については、中国文化圏内で作成された地図と比較してゆく必要がある。
- 近世日本における国絵図作成事業を、世界図規模でのグローバルな相互影響のみならず、16世紀後半のヨーロッパにおけるアピアン図の作成やサクストン図の作成等、世界各地の動向のなかにどう位置づけるかは、今後の重要な課題となるだろう。
* 杉本氏は日本史学がご専攻、現在は東京大学史料編纂所に勤務されている。
李 啓煌「朝鮮古地図発達の概略−朝鮮時代前期を中心に−」
- 朝鮮半島の場合、地図に関心がもたれた動機としては、支配地域への関心や国境の確定等が挙げられる。
- 朝鮮時代前期(14世紀末〜16世紀)における地図作成で注目されるのが、「歴代帝王混一疆理図」(混一疆理歴代国都之図)である。現在龍谷大学に所蔵されているこの地図の写本は、15世紀の成立ではないかと想定されている。
- 15世紀前半、軍事施設や山・川・道路を書き込んだ地図の作成を、朝鮮王朝が命じたことが知られている(ただし地図は現存しない)。
- 15世紀には、地図の作成と並行する形で、「八道地理志」等の地理志が編纂された。国家の統治に必要な資料の収集・把握を行う上で、この事業は重要であったと言われる。
- 朝鮮前期に作成された地図のうちで、現存する最古の地図が「朝鮮方域図」(16世紀後半に作成)である。かなり正確に朝鮮半島を描き、満州や対馬も描かれている。対馬等が描かれたことの意味を問う必要があろう。
* 李氏は日本史学がご専攻、韓国の仁荷大学に勤務されている。今回のご報告では、地図研究の現状や朝鮮王朝下で作成された地図の一覧表等を提示して頂いた。
李 孝聡「現存する15−17世紀の『中文世界地図』」
- 中国人の伝統的な天下観念に基づき、地図の中央に中国王朝を配し、周辺地域をその外側に描いた地図を「中国人の世界地図」とする。そして地図中に漢字を用いた地図を「中文地図」と呼ぶ。
- 元代の天下、或いは全国地図に描かれる地域は、そのほとんどがユーラシア大陸とアフリカ全域を覆うものであった。恐らくアラブ人側の資料に基づいて、アフリカ・ヨーロッパ内陸部を描いたと考えられる(例えば「混一疆理歴代国都之図」等)。
- 明前期に描かれた地図は、製作時期が王朝の創設期という事情もあって、そのほとんどが全国的地理調査に基づいたものとは考えにくい。恐らく元代の地図を模写したと思われる(「大明国図」等)。こうした点から、地図がカバーする空間は明の統制する地域をはるかに超えている。
- 明中期には、元代地図の系譜を引いた「西南海夷図」(羅洪先作)等のような地図も存在する一方で、西域以西の地域を描かない、また描いたとしても、ヨーロッパ諸国やアフリカは小さな島々として記載する地図(「古今形勝之図」等)も登場する。
- 羅洪先等が製作した「中文地図」に基づき、マルティニの地図集等が作成された。
* 李氏は歴史地理学がご専攻、中国の北京大学に勤務されている。
3月14日・15日に行われたシンポジウムでは、様々な分野の研究者が参加して、活発な意見交換が交わされ、また異なる分野どうしで親睦を深めました。
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