言語の形式と機能−東アジア言語と他との比較から

          柴谷方良(米国ライス大学言語学科教授)

 

本発表では以下の3つの疑問に対する答えを与えることを目的とする。

 

(1)人間言語の機能と形式はどのような相関を持つか。

(2)その相関は人間の認知をどのように反映しているか。

(3)言語の使用は機能と形式の相関にどのような影響を与えるか。

 

言語には同じ意味領域で一見同一の機能を果たすと見える言語形式が複数存在する場合がある。使役、再帰、や中動相における迂言形(独立した形式を用いる形)と形態論的表示(接辞、屈折などを用いた形)、語彙的形式などがその例である。以下のバリ語の例を見られたい。

 

Bali語の中動相

語彙的中動相           形態的           迂言的

中動相                 中動相            中動相

nyongkok ‘squat’         xxx             (使役+ awak)

negak ‘sit’                xxx             (使役+ awak)

   xxx                   xxx             nyagur awak-

                                          ‘hit oneself’

   xxx             ma-cukur ‘shave’     nyukur awak-

                                           ‘shave oneself’

   xxx               ma-jalan ‘walk’            xxx

 

これに対する説明として、Haiman(1985)などは、その形式の使用頻度に基づく熟知度と相関を考えている。彼は、より使用頻度が高く、慣れ親しんだ状況に対しては、より縮約され、単純な形が使われ、その反対に使用頻度が低く、特殊な状況では、より長い、迂言的な形が使われるとする。すなわち、形式の長さと熟知度が相関するとするのである。

 Haimanは、再帰形の短形と長形の使い分けに対し、内向き行為と外向き行為という区別を立て、内向き行為に短形を外向き行為に長形を使うと説明する。内向き行為とは通常自分に対して行う行為であり、「ひげをそる」とか、「髪を切る」、「体を洗う」といったものである。外向き行為は、通常他者に対して行う行為であり、「殴る」とか「押す」とかの行為がこれにあたる。内向き行為は、自分に対して行うのが無標であり、外向き行為は自分に対して行うのは有標になる。自分に対して行うのが無標である内向き行為により短かい形式を使い、自分に対して行うのが有標で、通常でない行為に対しては長形の再帰形を使うという説明である。以下のように、英語:[語彙的な形式][再帰形]、ロシア語:[接辞などの形態論的表示形式][迂言的な形式]となる。

 

English  a. Max kicked himself. (迂言的な中動相)

        b. Max washed. (語彙的な中動相)

Russian a. On porezal sebja. (迂言的な中動相)

          he cut    self

         ‘He cut himself.’

       b. Ona odevaet-sja. (形態的な中動相)

          she  dress-MID

         ‘She is getting dressed.’

 

これは語の複雑さと使用頻度が負の相関をするとしたZipf(1935)の考え方に基づくものである。

 しかし、「縮約形:非縮約形」、「複雑な形:単純な形」、「有標の形:無標の形」といった純形式的な指標による区別では、実際の言語現象を十全にとらえることはできない。たとえば、内向き行為、外向き行為による区別は二項対立的なものでなく、再帰形(ここで言う迂言的な中動相)と形態論的な中動相との区別もはっきりしたものではない。

 さまざまな言語で、再帰形、中動相における短形と長形の使い分けは連続的なものである。さらに、以下のようにスウェーデン語などでは「自分を見る」の再帰形が長形(=複合形)で「自分を鏡で見る」の再帰形が短形でも現れることから、動詞自体よりも状況の性質が問題になる。

 

Swedish (Tohno 1999; pc): sig själv, sig, Ø, (-s)

 a. Hon såg *sig/  sig  själv. ( sig själv ともに義務的)

      she  saw MID MID self

      ‘She saw herself.’

 b. Hon såg sig (själv) i spegeln. (sig 義務的; själv 随意的)

      she  saw MID self in mirror. DEF

      ‘She saw herself in the mirror.’

 

また、「首をつって死ぬ」が言語によって、短形で現れた長形で現れたりすることから、ある行為がどのように捉えられるかは文化によって異なるといえる。

 そこで、本発表では、形式と機能の関係を捉えるのに、形式の生産性という指標を導入する。すなわち、より生産性が高い形式は意味的により透明であり、より生産性の低い形式は意味的な透明度が低い。一般に語彙化した形式はもっとも生産性が低く、形態的な手段による形式はそれほど生産性が高くないものからかなり高いものまであり、迂言的な形式は生産性が高い。

 

  低い←―――生産性――→ 高い

  語彙的―→             

  形態論的       ―――――→         

  迂言的          ―→                                              

  低い←――意味的透明度―→高い

                   

 

この生産性の高さ、意味的な透明性は、熟知度の程度と相関する。

 

     語彙的……  形態論的……   迂言的                                              

                                          

   

       高い←――熟 知 度 ――――→低い

 

以上から、機能と形式の相関について次の原則を立てることが可能である。

 

 機能的透明性の原理

  より熟知度が低い、あるいは、普通でない状況は意味的・機能的により明示的なコード化を必要とする。

 

この原理の系としてつぎのことが導かれる:

・生産的な形態表示は、不規則的な形態表示、あるいは形態表示がないものよりも

  意味的により透明である。

 ・独立形式による迂言的な表現は接辞や屈折による形態的な表示よりも意味的により

  明示的である。

 

最初に提示した問いに対しては次のように答えられる。

 

(1)人間言語の機能と形式はどのような相関を持つか。

  人間言語の機能と形式の関係は恣意的ではなく、機能的透明性の原理に従う。

 

(2)その相関は人間の認知をどのように反映しているか。

   熟知度があり予想できる事態と熟知度がなく予想できない事態とが区別される。

 

(3)言語の使用は機能と形式の相関にどのような影響を与えるか。

   使用頻度が高くなれば、より短い形式となり、透明性がより低くなる。

 

参照文献

Haiman, J. 1983. Iconic and economic motivation. Language 59:781- 819.

Tohno, T. 1999. Middle voice in Swedish. Kobe University MA Thesis.

Zipf, G. 1935. The Psycho-Biology of Language. Boston: Houghton Mifflin.

                                                            (報告 田窪)