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NEWSLETTER No.9

2004/09/30

今後の活動予定

○2004/10/04 午後3時~ 第二十回「坤の会」
 「永正七年正月二日実隆公條両吟和漢百韻」(三条西実隆、公條) 
 第51~64句注釈検討

○2004/11/06 午後1時(受付は正午より)~4時20分 第十二回「乾の会」
 シンポジウム「中国語における否定」 (「言語と論理における普遍性と個別性」、
 日本中国語学会との共催)
 於京都大学時計台記念館100周年記念ホール
 【第一部報告】(司会:京都女子大学 張猛)
  劉丹青(中国社会科学院語言研究所)
  「漢語否定詞形態句法類型的方言比較」(通訳:同志社大学 沈力)
  曹志耘(北京語言大学)
  「呉語湯渓方言的否定詞」(通訳:京都大学 中西裕樹)
 【第二部報告】(司会:東京大学 木村英樹)
  杉村博文(大阪外国語大学) 
  「否定情報の獲得と応用」(通訳:京都大学 李長波)
  田窪行則(京都大学)
  「理論言語学からのコメント(仮題)」(通訳:東京大学 楊凱栄)
 【討論】(司会:東京大学 木村英樹)
 *資料費2000円を頂戴いたします。
 *会場設備の関係上、通訳の音声をお聞きいただける人数は限られています。あらかじめ
 ご了承ください。

活動報告2001/07~2004/09

○2004/07/16 午後2時~4時40分 第十回「乾の会」
 シンポジウム「日本の文学・中国の文学-ひびきあうことば-」
 於京都大学文学部新館1階第1・第2講義室
 【講演者・題目】
  陳明姿(台湾大学日本語文学系教授)
  「唐代伝奇と源氏物語」
  釜谷武志(神戸大学文学部教授)
  「霞か雲か-日中古代文学中の自然観一斑-」
  朱秋而(台湾大学日本語文学系助理教授)
  「菅茶山における和習の意味」

○2004/07/17 午後3時~ 第十八回「坤の会」
 担当:川合康三 大谷雅夫
 「永正七年正月二日実隆公條両吟和漢百韻」(三条西実隆、公條)輪読14回目 
 第65~70句

○2004/08/25 午後3時~ 第十九回「坤の会」
 担当:川合康三 大谷雅夫
 「永正七年正月二日実隆公條両吟和漢百韻」(三条西実隆、公條)輪読15回目 
 第71~78句

○2004/09/21 午後3時30分~5時30分 第十一回「乾の会」
 高山倫明先生講演会
 於京都大学文学部新館1階第1講義室
 【講演者・題目】
   高山倫明(九州大学大学院人文科学研究院助教授)
  「長崎唐人貿易のことば-清人の記録した長崎方言をめぐって-」

第十回「乾の会」(2004/07/16) 講演要旨

「菅茶山における和習の意味-范成大との比較を通して-」
朱秋而(台湾大学日本語文学系助理教授)


 江戸後期の漢詩人たちは南宋范成大の「四時田園雑興六十首」から多大な影響を受けた。関西
屈指の詩人菅茶山は范成大や陸游らに学びながら独自の詩風を作り上げた一人とよくいわれる。
 しかし、実際茶山と范成大のもっとも代表的な田園詩を比較してみると、両者が驚くほど
異なっていることが浮かび上がってきた。范成大の「秋日田園雑興十二絶」は、序文にあるように
ただのどかな田園風景を「野外即事」的に詠っていると思われがちだが、しかし詳しく十二首の
題材、手法を分析してみると、意外にも詩の内容は単なる季節の風物を謳歌するものばかりではない。
農民に課せられた重税の不合理さを代弁したり、権門と田舎の落差に触れたりするなど、為政者に
対する風刺や皮肉を含み、諷喩詩の伝統を受け継いでいることを見落としてはならない。また、
表現方法としては漢詩の用典の美学をきっちり守っていることも窺える。例えば、五首目の「箋訴す
 天公 掠剩するを止めよ、半ばは私債償い 半ばは官に輸む」という詩は、重税を課せられた
農民のつらさをリアルに捉えたものである。詩の背後に百姓の親とも言われる士大夫官吏の慈しみと
憐れみが込められている。農民に代わって政治を批判する社会詩の側面を色濃く帯びていることは
明白である。さらに一見平明で写実的に季節の風物を歌う作品に、実はやや留意すれば、故事や
典拠が随所にちりばめられているものも少なくない。
 一方、同じ秋をテーマにした茶山の「秋日雜咏十二首」(『黄葉夕陽村舍詩』後編卷七)は
どうであろうか。一首目の「蓮は已に摧殘し菊は未だ開かず、此の時 秋物 各おの才を争う。
人を遮りて敗醬は金粟を堆くし、路に沿うて雞腸は玉杯を捧ぐ」は、蓮の散ったあとと残菊咲き
始める間に、道端を賑わす「女郎花」を「金粟」と歌い、そして対に「たびらこ」の花を「玉杯」と
詠み、日本の秋の田園風景を上手に七言絶句で捉えている。「金粟」という詩語は中国では主に
「桂花」つまり木犀に譬えられている。茶山のように女郎花になぞらえて詠んだ用例は管見の限り
見当たらない。しかし、日本では「女郎花 花ノ色ハ蒸粟ノ如シ、俗呼ビテ女郎ト為ス」と、源順が
語っているように、黄色い女郎花は蒸した粟に似ているため平安朝から粟に見立てて詠まれている。
茶山はおそらく意識的に中国にない日本独自の女郎花の捉え方を漢詩に用い入れ、秋の情緒を
醸し出そうとしているだろう。
 この連作のほかの詩にも鳳仙花、鶏頭、朝顔、紫茸、萩、残り撫子、瓢など、秋の情緒を漂わせる
風物が用いられ、日本の秋の田園生活を描いている。中国社会詩や諷喩詩を織り込んだ范成大の
田園雑興と大きく異なる。茶山のこの連作は、中国詩の伝統に無い和習的な素材を取り入れ、そして
和習的な表現をしていたかもしれない。しかし、それはおそらく偶然的な所作ではなく、詩人茶山が
意識的に和歌や俳諧の独特な着想や詩趣を漢詩に取り入れた結果であろう。茶山は漢詩という形式に
和歌や俳諧より容量の多い日本的な詩情を盛り込むことに成功したともいえよう。

「霞か雲か-日中古代文学中の自然観一斑-」
釜谷武志(神戸大学文学部教授)


 漢語の「霞」が、現代中国語でも古典語でも共に、日本語で通常用いられる「かすみ」(空が
ぼんやりとして遠方の視界が利かない現象)ではなく、色鮮やかな朝やけや夕やけのあかい雲を
指すことは、よく知られている。
 中国の古典詩において「霞」はしばしば用いられる語である。試みに唐を代表する詩人である
杜甫と李白の詩を対象に、手元の索引類で検索してみると、杜甫の詩で十七例、李白にいたっては
五十七例を数える。
 こうした霞が最初に詩に出てくるのは、五言詩の興隆の時期である建安文学においてであろう。
曹丕「芙蓉池の作」は、夕刻に都の西園を遊覧しての感懐をうたう。そこに「丹霞」なる語が見え、
さらに「五色」、神仙が出てくる。曹丕は、夕暮れのあかい雲、そしてその直後の様々な色の雲を
目にして、五色と関連する不老不死に想いをいたしたのではないか。じつは「霞」は、中国では
神仙・道教とかかわる用例がはるかに多い。
 さて小島憲之『漢語逍遙』によれば、『懐風藻』に見える「霞」は、大津皇子の詩などを除けば、
おおよそが中国的な霞であり、『万葉集』に見える「霞」はほとんどすべてが「かすみ」である
という。たとえば、『万葉集』巻十に「ひさかたの、あめのかぐやま、このゆふへ、霞たなびく、
はるたつらしも」(1812)とある。
 『和漢朗詠集』巻上の春「霞」部での白居易の詩は、当然、火よりも赤い朝焼けを指している。
しかし、この後に続く道真の漢詩や和歌三首はいずれも日本のかすみを指している。同書・巻下の
仙家・道士隠倫の部に、「霞」をさがしても、それは春かすみに近い意味である。本来中国で
道教的なものと結びついていた「霞」が、字面としてはそのまま使われて残っているものの、指す
内容は色鮮やかな赤ではなく、かすみになっている。
 とすれば、当時の日本人が中国の漢詩を強く意識して漢詩を作る時以外は、どうしても「かすみ」と
結びついてしまい、「霞」の漢字を使いながらも、念頭にあるのはぼんやりしたかすみであった。
また、道教的な考えは日本に伝わったと言われているが、こと赤い色と結びついた神仙世界という
ものは伝わってこなかった。というよりも、伝わったが、日本ではそれが違った形で理解されてきた。
 さらに、中国の詩をまねた漢詩では夕日が登場するものの、和歌では朝日や夕日そのものでなく、
光の当たった花の美しさに視点が移っていて、基本的には朝焼けや夕焼けが美しいものと認識されて
いなかったのではないか。

「唐代伝奇と源氏物語」
陳明姿(台湾大学日本語文学系教授)


 理想境は古くから文学の中で重要な役割を果たしている。多くの文学者達は虚構の世界に托して
様々な理想境を描き出そうとしてきた。今回の発表は日中両国の理想境を探究する一環として、
特にもっとも早く人生・人間を描き、かつ両国の文学の中心的特質を備えた作り物語―唐代伝奇と
『源氏物語』に焦点をあてて、両者の理想境の異同を考察し、ひいて両文学の特質を探究するものである。
 唐代伝奇の方では、特に「遊仙窟」「柳毅伝」「裴航」「張老」などをとりあげてみると、いずれも
仙境を理想境として設定したが、縁ある人しか訪れることができない。これらの仙境はいずれも人里
遠く離れたところにあり、また、たとえ仙境の近くまで来られても、中の神仙の承諾や案内がなければ、
入る術がないからである。「遊仙窟」の張生は道に迷い、なす術のない状態で、三日間斎戒して
誠心に祈ったことがようやく仙窟の中の神仙に通じて、舟で飛ぶように神仙窟にゆきつく。裴航は
もともと裴真人の子孫で、仙人になる素質を持ってはいたが、老嫗との約束をかたく守ったからこそ、
仙女雲英との結婚が許可され、仙境の一員になることができた。柳毅も竜女が竜宮への行き方を
教えてくれたので、竜宮を訪れることができ、彼が約束を守って依頼された手紙を届けたからこそ、
竜女と結ばれ、竜宮の一員になる。韋氏女の兄が仙境の張家莊を訪問できたのは、「宿命」による
ものである。
 さらに、「仙」と「俗」とは厳然とした区別があり、仙境の一員にならない限り、「神仙之府 
非俗人得遊」であり、たとえ偶然の因縁でそこを訪れても「不可久居」である。それゆえ、張生も
韋氏女の兄も仙境に長くいられない。また、「仙俗路殊」であり、たとえその後、再び尋ねて
行っても、「千山萬水」ばかりで、二度と仙境に至りつくことはできない。仙境である理想境は
人々の憧れであるが、いや、あるからこそ、俗人には容易に訪れられない伝奇性の強い世界なのである。
唐代の文人達が描き出した理想境はこのような伝奇的色彩の濃い仙境であった。
 『源氏物語』の方では、特に若紫の巻の北山、明石の巻の明石の浦、少女の巻と胡蝶の巻の六条院
などをとりあげてみると、この三つの理想境のいずれにも、中国の仙境の影は落ちている。中でも、
特に北山は、もっとも深く「遊仙窟」の影響を受けている。だが、そこに登場する「岩の中」の
「聖」は真の神仙ではなく、現実世界の高僧である。又、人里離れた山の中ではあっても、仙境とは
異なって、俗人も自由に出入りすることのできるところであるため、現実性が漂っている。さらに、
北山はまだ自然の風景であるが、明石の浦になると人工的要素が色濃くなり、六条院となると、完全に
住む人達の着想にもとづき、作り上げられた理想的な世界なので、現実性が深く漂うことになる。
作者は、人間界ではしょせん仙境という世界は求められないという諦観から、現実世界で思いどおりの
理想境を作り、それを享受しようと意図し、六条院を地上最高の楽園として作り上げたのであろう。
そして、その見事な造形は、読者を、そして作者自身をも十分に楽しませ得ているのである。
 もう一度繰り返して言うと、唐代伝奇では、いずれも仙境を理想境として設定し、その世界では
誰しも夢見る最高の悦楽を味わえるが、それがあくまでも仙境であるがゆえに、伝奇的な色彩を強く
帯びている。それに対して、『源氏物語』の方では、唐代伝奇など理想境譚の影響を受けながらも、
仙境を理想境として求めず、むしろ現実世界で望む通りの理想境を作り上げている。特に六条院は、
源氏などもっとも風雅を解する人の手で計画され、作り上げられた地上最高の楽園であり、現実性が
濃く漂っている。唐代伝奇の方では、伝奇性の濃い仙境を理想境として描き上げることによって
憧れをそのまま形象化したのに対して、『源氏物語』の方では、憧れを現実から遊離させず、地上の
楽園を理想境として作り上げたと言うことができよう。

第十一回「乾の会」(2004/09/21) 講演要旨

「長崎唐人貿易のことば -清人の記録した長崎方言をめぐって-」
高山倫明(九州大学大学院人文科学研究院助教授)


 鎌倉時代の史書『吾妻鏡』は、清初には中国へ渡り、その和臭の強い変体漢文(東鑑体)のゆえに、
「海外の奇書」として一部に珍蔵されていた。蘇州近郊の人、翁広平(1760-1842)もこれに接して
大いに感興を催したが、わずか87年間の記事に飽きたらなかった。そこで「日本の為に通鑑を作らむ」と
欲して日中双方の資料を蒐集し、「世系表」「地理志」「風土志」「食貨志」「通商条規」「職官志」
「芸文志」「国書」「国語解」「兵事」「附庸国志・雑記」に分けて編纂したのが清代日本学の白眉
『吾妻鏡補』三十巻である。
 このうちの「国語解」は、漢語の見出しに音訳漢字で日本語形を付した漢日語彙(単語集)であるが、
そこに記録された日本語は、長崎奉行から唐人屋敷の門番にいたるまでの諸役をはじめ、通商用語や
輸出入商品名、また肥前色を見せる方言・俗語に満ちていて、長崎唐人貿易の現場で採集されたものに
相違ない。
 当時長崎に来航した唐人たちは、禁教政策および密貿易防止の目的で、総坪数約一万、周囲を堀と
塀に囲まれた唐人屋敷に隔離され、長崎市民との接触には厳重な制限があった。採集された日本語の
中には通事部屋・乙名部屋といった唐人屋敷内部の施設名もあることから、日本語の情報提供者
(インフォーマント)は、長崎の地役人、それも、唐人と接触する機会が最も多く、貿易に関しても
比較的重い任務を帯びていた唐通事にほぼ絞られる。
 本発表では、音訳漢字の解読法とその問題点を考察するとともに、貿易現場の最前線で、唐通事たちが
どのような言語生活を送っていたのか、その一端を探ってみたいと思う。

◇編集後記◇
 ニューズレター第9号をお届けいたします。
 前号と少し間が空いたため、今号は講演要旨を4本掲載し、分量も多めとなりました。
 本文にあります通り、11月にはシンポジウム「中国語における否定」を開催いたします。また、
12月には、島津忠夫先生(大阪大学名誉教授)、深澤真二先生(和光大学助教授)をお迎えし、
和漢聯句に関する講演会を開催予定です。多数のご来場をお待ちしております。 (福井記)


京都大学大学院文学研究科21世紀COEプログラム
「極東地域における文化交流」
kanwa-hmn@bun.kyoto-u.ac.jp