- 中村 唯史
- ロシア文学、ソ連文化論
本専修の研究対象は、東はロシア、ウクライナ、ベラルーシ、西はポーランド、チェコ、スロヴァキア、そして南はバルカン半島のブルガリアや旧ユーゴスラヴィア諸国まで、ユーラシア大陸の広大な地域に居住するスラブ諸民族の文学・言語・文化です。共通の伝統を保持する一方で、多くは独立した国家と言語を有し、きわめて多様なスラブ文化のすべてを網羅的に把握することはできません。しかし大切なのは、特定の作家や作品を研究対象とする場合でも、できるだけ多くの知識に基づき、広い視野に立って考察することです。
ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフなどの近代ロシア文学が明治以降の日本文学に深甚な影響を及ぼしてきたこともあって、日本のスラブ研究は主にロシアを対象としてきました。政治状況に関わらず、その文学的・芸術的・学術的な重要性には変わりありません。しかし、それ以外の分野や地域についても、最近は研究が本格化しています。
本専修では、このような事情を踏まえて、ロシアの文学・言語・文化をはじめとして、多様なスラブ世界を自由に学べる環境を整えることを目標としています。そのために、できるだけ幅広い内容の授業を行う努力をしています。
学生・院生諸君の関心は、文学や言語はもちろん、文献学から映画、絵画、音楽まで多様です。本専修の学生に求めたいのは、文献を読み解くために必要な語学力を習得し、自分の関心をどんどん拡げていこうとする意欲と、ときには教員との議論も辞さないような自主的かつ開かれた研究姿勢です。
最近の卒業論文
- ・F・ソログープ『光と影』論
- ・アロイス・イラーセク『チェコの伝説と歴史』における諸民族の表象
- ・レオニード・ガイダイにおける文学作品の映像化手法の諸相
- ・ナボコフ『賜物』論――テーマの流れ(thematic line)を手がかりに
最近の修士論文
- ・ミハイル・ヴルーベリの絵画からみる女性イメージのあらわれ方について
- ・ブロツキーの詩学における〈抒情的「私」〉の位相と詩作の問題について
- ・サヴィンコフーロープシンを読む――銀の時代における自伝的言説と『蒼ざめた馬』
- ・1960年代ソ連社会における若者のモラルと日常への注目
最近の博士論文
- ・世界の瞬間――チェーホフの詩学と進化論
- ・ドストエフスキーはなぜ『カラマーゾフの兄弟』を書いたのか――『作家の日記』からの考察
- ・ロシア語の主語と主体をめぐる諸問題
チンチ・クラプリ博士の公開講義「ソ連とロシアにおけるサーミ文学」(ロシア語、2022年11月)会場風景
文学部受験生向けメッセージ
皆さんは「スラブ」という言葉を聞いたことがありますか? ロシアやウクライナ、ポーランドやチェコ、スロヴァキア、そして旧ユーゴスラヴィアの国々やブルガリアといった、東は極東・シベリアから、西はドイツ国境まで、南は地中海にいたる広大な地域に住んでいるのがスラブ人と総称される人々です。それぞれが独立して国家を持ち、ロシア語やポーランド語、チェコ語やブルガリア語等を話していますが、同時に「スラブ民族」としての共通の文化、伝統を持っています。またロシア語は、旧ソ連圏の非スラヴ諸民族のあいだでも、共通語や第二言語として、現在でも広く使用されています。
「スラブ専修」ではこのスラブ民族、スラブ世界に関することなら何でもあり、とにかくそれぞれが面白いと思うことを勉強しています。大きく分ければ、文学か言語かということになりますが、その中間にある文化や民俗について学ぶ人もいます。ドストエフスキーやトルストイ、チェーホフなど19世紀だけでなく、20世紀から現代に至るロシアの文学や文化、ポーランドやチェコなどの言語や文学を学ぶこともできます。さらには中世のスラブ世界の言語や文献の世界に入り込む人もいます。1991年、ソ連邦が崩壊しました。それから30年以上たったいま、かつてソ連の影響下にあったスラブの国々の社会と文化は大きく変わっています。新しい文学が生まれ、新しい世代の作家たちが活躍しています。社会の激変を受けて、言語も日一日と変化しています。 皆さんも、この長い歴史を持つと同時に、リアルタイムで大きく変貌をとげつつあるスラブ世界のことを勉強してみませんか?
大学院研究科受験生向けメッセージ
本専修は、平成7年度の文学部再編により開設され、平成8年度から大学院学生の募集を行っている。そして平成16年度には初めて2名の課程博士が出、現在、修士課程・博士課程あわせて16名の院生が在学している。
本専修は、それぞれに固有の特徴を示す一方で、多くの共通点を持つスラブ諸民族の言語と文学、そして文化を総体的に踏まえつつ、日露比較文学を含む個別的な対象の教育・研究を進めることを趣旨としている。ロシア政府・軍によるウクライナ侵攻という事態は、日本ではなお多分に未知の領域であるこの地域の文学・文化・思想を研究することの重要性を示している。
専任教員の中村は、20世紀のロシア語文学と多民族・多文化性を標榜したソ連文化の研究から出発して、現在は19世紀から20世紀初頭のロシア文学・思想へと関心を広げている。協力教員の人間・環境学研究科の堀口大樹は、ロシア語とラトビア語を主な対象としたスラブ語学とバルト語学を専門とし、テクストの特徴やコミュニケーションの場面、さらには社会や文化、歴史などの多角的な視点から言語事象を研究している。
本専修では、文献を緻密に読み解き、解釈する作業と、週2回のゼミでの報告とディスカッションを軸とし、ロシアの文学・文化・言語・思想、ポーランドの言語・文化、および考察の枠組や方法等に関する授業を開講している。院生諸君の関心は多様であり、それぞれの興味に応じて自由にテーマを選び、研究を進めている。授業も、本学の文学研究科、他の研究科の教員、ならびに非常勤の先生方の応援を得て、できる限り幅広く、かつバランスよく開講できるように努めている。ロシア、ポーランド関係の授業の他にもチェコ語の勉強会が実施され、学外・国内外の研究者を招いての公開講演会や上映会も行っている。
当専修を志望する諸君は、まず自分の専門分野を確立したうえで、将来的には、幅広い研究を目指してほしい。学部でロシア語・ロシア文学を専攻した人は大学院入学後に他のスラブ語や文学について学ぶ必要が出てくるかもしれない。他方、ロシア語がスラブ研究のための国際的共通語として重要な地位にあった経緯に鑑み、また19世紀ロシア文学が近代日本文学に深甚な影響を及ぼしてきた事実もあるので、ロシア以外の言語・文学を専攻した人も、入学までにできる限りロシア語の力をつけてきてほしい。とはいえ、修士課程入学時にまず第一に要求されるのは、それぞれが学部で専攻した言語、分野についての十分な学力と、自主的に勉学と研究を進めるための意欲である。
広範な文化現象を対象としうる本専修においては、担当教員が十全な知識をもって院生諸君の要望に応えられない場合も想定されるが、そのようなときでも諸君と意見や見解を交わすことはできる。人文学の基本が「対話」であると喝破した文芸学者ミハイル・バフチンを生んだロシアを初めとするスラブ文化の研究を志す諸君に期待したいのは、言語に対する感性を磨き、文化や歴史に関する知識を拡げようとする意欲とともに、それらの感性や知識に基づいて生じた自分の見解を教員や先輩と交差させ、たえず検証する開かれた姿勢である。