日本哲学史専修ウェブサイト 中江兆民

略歴

1847(弘化4)年11月1日、土佐藩高知に生まれる。本名は中江篤助。1871(明治4)年、フランスへ留学。1874年に帰国後、自身が創設した仏蘭西学舎(のち「仏学塾」と改称)を中心に、フランスから持ち帰った思想を広める。そのなかでもルソーを日本に紹介した功績は大きく、「東洋のルソー」とも呼ばれる。主に自由民権論の理論的指導者として活躍し、1890年には衆議院議員となるも、政界に失望して翌年に辞職。以後実業に手を出すも悉く失敗。1901年4月咽頭癌と宣告され、同年12月13日永眠。

思想の概要および主要著作

兆民の思想は、『一年有半』にある「我日本古より今に至る迄哲学無し」「総ての病根此に在り」という言葉から見渡すのが最 も適当であろう。兆民は帰国後、ルソーの『社会契約論』の漢訳(『民約訳解』)を出版、また様々な政治新聞の記事を執筆するなどして、自由民権論や平等主 義を広く民衆に訴えかけた。しかし一方で、「東洋のルソー」とまで呼ばれる存在でありながら、政治家としての活動期間は短かった。それは、何よりもまず 「哲学が無い」という「病根」を言論によって取り除かなければならない、という考えが兆民にはあったためと考えられる。
兆民は「日本に哲学無し」と嘆くだけでなく、自身の手によって哲学体系を構築するつもりでいた。しかし現実には癌のため、哲学書としてはわずかに『続一年 有半』のみしか書けず、これをもとに日本に自立した哲学が生まれることを願って兆民は亡くなった。  今日、日本には西田幾多郎らによる哲学があるとしても、信念の無い政治家・行動理念の無い民衆があまりに多い。これを兆民が見ればやはり「日本に哲学無 し」というのではないだろうか。兆民の嘆きはそのまま現代に通じるものであって、そのため兆民の仕事から現代の我々が学ぶべきことは多いと思われる。

  • 『民約訳解』
  • 『理学鉤玄』
  • 『三酔人経綸問答』
  • 『一年有半』
  • 『続一年有半』

中江に関する参考文献

  • 飛鳥井雅道『人物叢書 中江兆民』、吉川弘文館、1999年
  • 舩山信一『船山信一著作集第六巻 明治哲学史研究』こぶし書房、1999年
  • 藤田正勝「「日本古より今に至る迄哲学無し」―中江兆民―」世界思想社『日本近代思想を学ぶ人のために』、1997年 所収
  • 松永昌三『中江兆民評伝』岩波書店、1993年
  • なだいなだ『TN君の伝記』福音館書店、1976年
  • 松永昌三『中江兆民の思想』青木書店、1970年
  • 河野健二「東洋のルソー 中江兆民」中央公論社『日本の名著36 中江兆民』1970年 所収
  • 松永昌三『中江兆民』柏書房、1967年
  • 桑原武夫 編『中江兆民の研究』岩波書店、1966年
  • 山口光朔『異端の源流』法律文化社、1961年
  • 土方和雄『中江兆民 近代日本の思想家』東京大学出版会、1958年
  • 幸徳秋水『兆民先生』博文館、1902年