略歴
山形県東置賜郡上郷村上新田(現在の米沢市上新田)生まれ。米沢中学校、第一高等学校を経て、1907年(明治40年)東京帝国大学文科大学哲学科に入学。1910年(明治43年)に卒業後、大学院に進学。西田幾多郎の『善の研究』を批判した処女論文「意識現象の事実とその意味(西田氏著『善の研究』を読む)」は大学院在学中の1912年(大正元年)に書かれた。1915年から第六高等学校ドイツ語講師、のち教授となる。1919年(大正8年)新潟高等学校教授。1921年(大正10年)東北帝国大学理学部助教授。1925年(大正14年)から2年間ドイツに留学。リッケルト、フッサールに学んだ。1928年(昭和3年)より法文学部教授。3期に渡り学部長を務める。1948年(昭和23年)東北大学教授を定年退官、文学博士の学位を受ける。この間1947年(昭和22年)10月から1948年(昭和23年)7月まで山形高等学校長を兼務。1949年(昭和24年)東北大学長となる。1950年(昭和25年)日本学士院会員。1957年(昭和32年)学長を辞任。東北大学名誉教授となる。1958年(昭和33年)文化功労者となる。1964年(昭和39年)5月6日、東京大塚癌研病院で死去。
主要著作
- 『フッセルの現象学』、第一書房、昭和6年
- 『全体の立場』、岩波書店、昭和7年
- 『体験と存在』、岩波書店、昭和11年
- 『認識論』、岩波書店、昭和13年
- 『歴史と弁証法』、岩波書店、昭和14年
- 『包弁証法』、理想社、昭和17年
テキスト
全集
- 『高橋里美全集』全7巻、福村出版、昭和48年
単行本
- 『全体性の現象学』、京都哲学撰書第17巻(解説:野家 啓一)、燈影舎、平成13年
高橋に関する参考文献
- 小坂国継『西田幾多郎をめぐる哲学者群像―近代日本哲学と宗教―』、ミネルヴァ書房、平成9年
- 野辺地東洋『西田哲学批判―高橋里美の体系―』、大明堂、平成9年