年 | 開催日 | 講 演 者 | 演 題 |
令和6年 | 11/2 | 中島 隆博 | 朝に道を聞く |
(2024) | | 出口 康夫 | WEターン |
(2024) | | Markus Gabriel | The Universal as Ongoing Achievement – How our Multilayered-Society generates Value Knowledge |
令和5年 | 11/3 | 伊原木 大祐 | 事件と感情——武内義範の宗教理論をめぐって |
(2023) | | 津田 謙治 | カッパドキア教父と夢 |
令和4年 | 11/3 | 筒井 忠仁 | 岩佐又兵衛と浮世絵:伝承とイメージ |
(2022) | | 大河内 泰樹 | 科学史からヘーゲルの体系を見る—有機体論と生理学 |
令和3年 | 11/3 | 早瀬 篤 | プラトン『パイドン』における形相原因説 |
(2021) | | 氣多 雅子 | 企投する思索──宗教哲学・西田哲学・仏教 |
令和2年 | 11/3 | 大塚 淳 | 統計学はなぜ哲学の問題になるのか |
(2020) | | 福谷 茂 | ヘノロジーとはなにかーカントから形而上学へー |
令和元年 | 11/3 | 杉山 卓史 | Empfindnis概念小史 |
(2019) | | 藤田 正勝 | 西田幾多郎と鈴木大拙――生誕150年を記念して |
平成30年 | 11/3 | 周藤 多紀 | トマス・アクィナスによる徳の分類 |
(2018) | | 芦名 定道 | フクシマ以降のキリスト教思想の可能性 |
平成29年 | 11/3 | 児玉 聡 | 進化倫理学の検討──ミルとスペンサー |
(2017) | | 林 晋 | 西谷啓治と田辺元──空と種 |
平成28年 | 11/3 | 太郎丸 博 | 保守主義者は反学問的なのか?──意識調査から見た科学の政治化── |
(2016) | | 赤松 明彦 | ジャイナ教における寛容と相対主義の問題について |
平成27年 | 11/3 | 平川 佳代 | 希少性、秘匿性、新奇性をめざす絵画──北方マニエリスムにおける絵画形態多様化の諸相 |
(2015) | | 上原 麻有子 | 西田哲学と一人称の哲学化 |
平成26年 | 11/3 | 伊勢田 哲治 | 19世紀科学哲学を現代の目で振り返る |
(2014) | | 岩城 見一 | アートは宇宙でなにができるか──京都市立芸術大学AASによるいくつかの実験をめぐって── |
平成25年 | 11/3 | 伊藤 公雄 | A-グラムシ:人と思想──現代社会理論とのかかわりで |
(2013) | | 伊藤 邦武 | 九鬼周造の形而上学的時間論について |
平成24年 | 11/3 | 蘆田 宏 | 視知覚と脳 |
(2012) | | 手島 勲矢 | ヘブライ語は預言者と賢者の言語──ユダヤ思想のロゴス化について── |
平成23年 | 11/3 | 宇佐美 文理 | 「気」と形象 |
(2011) | | 落合 恵美子 | 東アジアの低出生率と家族主義──反圧縮近代としての日本近代── |
平成22年 | 11/3 | 板倉 昭二 | 赤ちゃんから見た世界──発達科学の挑戦── |
(2010) | | 内井 惣七 | ダーウィンの思考をたどる |
平成21年 | 11/3 | 出口 康夫 | 言葉と実在──「活動語」の意味と指示── |
(2009) | | 吉岡 洋 | メディア芸術とは何か |
平成20年 | 11/3 | 宮崎 泉 | 大乗仏教における空性と慈悲──その関係、機能と実践の一断面── |
(2008) | | 内山 勝利 | 形と色──プラトン『ティマイオス』の周辺 |
平成19年 | 11/3 | 杉村 靖彦 | 宗教哲学へ──「証言」という問題系から |
(2007) | | 松田 素二 | 共同体概念の再想像について──アジア・アフリカ社会のフィールドワークから |
平成18年 | 11/4 | 田中 紀行 | 「ヴェーバー・パラダイム」をめぐる諸問題 |
(2006) | | 根立 研介 | 和様彫刻の成立と対外美術受容 |
平成17年 | 11/3 | 赤松 明彦 | インドにおける哲学史の二つの系譜 |
(2005) | | 小林 道夫 | デカルトとライプニッツにおける数理と自然の概念 |
平成16年 | 11/3 | 水谷 雅彦 | コミュニケーションと倫理学 |
(2004) | | 佐々木 丞平 | 近世日本絵画の熟成──日本の美意識構築に見る室町期の思想の影響── |
平成15年 | 11/3 | 福谷 茂 | カント«Opus Postmum»の哲学史的位置について |
(2003) | | 櫻井 芳雄 | 神経回路網による情報の表現 |
平成14年 | 11/3 | 氣多 雅子 | 宗教は私的な事柄であるか |
(2002) | | 酒井 修 | 相克する立場のあひだに、理解は果たしてまたどこまで可能か |
平成13年 | 11/3 | 川添 信介 | 水とワイン──スコラ神学者の<哲学> |
(2001) | | 藤田 和生 | 動物のこころをさぐる |
平成12年 | 11/3 | 中畑 正志 | 志向性 ──問題状況と歴史的背景 |
(2000) | | 井上 俊 | 「武道」の発明 |
平成11年 | 11/3 | 伊藤 和行 | 古典力学における運動法則の歴史性 |
(1999) | | 片柳 榮一 | アウグスティヌスのコギト |
平成10年 | 11/3 | 芦名 定道 | キリスト教信仰と宗教言語 |
(1998) | | 加藤 尚武 | ヘーゲル研究の現段階 |
平成9年 | 11/8 | 中村 俊春 | ルーベンスと専門画家たち──絵画ジャンルの多様性をめぐって── |
(1997) | | 水垣 渉 | 神の像(Imago Dei)と人間 ──キリスト教人間観における一つの問題点── |
平成8年 | 11/3 | 藤田 正勝 | ことばと思索──とくに日本語と日本の哲学をめぐって── |
(1996) | | 荒牧 典俊 | 理性とは・・・・分別か |
平成7年 | 11/3 | 伊藤 邦武 | ケインズとラムジー ──二つの合理性概念── |
(1995) | | 中 久郎 | 社会的行為論の展開 |
平成6年 | 11/3 | 清水 善三 | 鎌倉以降における彫刻の衰微について ──日本彫刻の可能性と限界── |
(1994) | | 乾 敏郎 | 一般化逆光学について ──知覚と認知の計算理論 |
平成5年 | 11/3 | 岩城 見一 | 美学と二つの形而上学 |
(1993) | | 内井 惣七 | 進化と種の分岐 ──ダーウィンとウォレスの違い── |
平成4年 | 11/3 | 筒井 清忠 | 近代日本における「教養」の問題 ──その歴史社会学的考察── |
(1992) | | 薗田 坦 | 近世初頭における自然哲学と自然科学 |