『哲學研究』第500号以降の目次

京都哲学会 『哲學研究』第500号以降の目次

発行日著  者論  文  名
611R6/2/28周藤 多紀トマス・アクィナスの《モドゥス》 研究 (三)―《モドゥス》の意味論的側面 ―
(2024)中嶋 優太若き西田幾多郎の生の倫理―新資料「倫理学講義ノート」におけるギュイヨー受容―
三上 航志「高邁なる者」の形而上学的基礎―デカルトにおける書簡の道徳と『情念論』の道徳―
610R5/7/28大河内 泰樹〈正義の批判〉としての倫理 ーフランクフルト期ヘーゲルのイエス論とケアの論理の接点ー
(2023)筒井 忠仁岩佐又兵衛と浮世絵 ー伝承とイメージー
根無 一行「自己への嘘」としての祈り ーカントにおける「信」と「反省的判断力」ー
満原 健西田幾多郎の純粋経験概念と実証主義の認識論
609R5/2/28氣多 雅子企投する思索 ー宗教哲学・西田哲学・仏教ー (下)
(2023)周藤 多紀トマス・アクィナスの《モドゥス》研究(二) ー《モドゥス》の倫理的側面ー
五十嵐 涼介情報の哲学史試論 ー『ポール・ロワイヤル論理学』・ライプニッツ・カントー
608R4/7/28周藤 多紀トマス・アクィナスの《モドゥス》研究(一)ーモドゥスの存在論的側面ー
(2022)早瀬 篤プラトン『パイドン』における形相原因説
氣多 雅子企投する思索ー宗教哲学・西田哲学・仏教ー(上)
607R4/2/28竹花 洋佑国家・時間・歴史主義ー前期の田辺哲学の最終局面ー
(2022)末永 絵里子希望の哲学的解釈学による自由の解釈学的哲学 ーリクールのカント宗教哲学理解とその活用の仕方をめぐってー
山本 舜極限概念と自覚ー西田幾多郎と田辺元の岐路ー
606R3/6/30大塚 淳統計学はなぜ哲学の問題になるのか
(2021)下田 和宣背景化する隠喩と隠喩使用の背景ーブルーメンベルクをめぐるひとつの哲学的問題系ー
小寺 里枝物質と精神の交叉点としての絵画ーベルクソン哲学からみるジャン・デュビュッフェの芸術理念と実践ー
605R2/10/30藤田 正勝西田幾多郎と鈴木大拙――生誕150年を記念して
(2020)杉山 卓史Empfindnis概念小史
特集 座談会「日本におけるアカデミズムの哲学史――『哲学雑誌』と『哲学研究』の比較分析」
上原 麻有子「趣旨説明」
納富 信留「大西祝の批評主義から見る『哲学雑誌』」
藤田 正勝「京都学派の形成過程で『哲学研究』が果たした役割とその特徴」
上原 麻有子「京都学派の形成過程で『哲学研究』が果たした役割とその特徴」
藤田 正勝「京都学派の形成過程で『哲学研究』が果たした役割とその特徴」
藤田 正勝「京都学派最盛期の『哲学研究』を支えた中井正一」
鈴木泉 / 納富信留 / 藤田正勝 / 上原麻有子(司会)「登壇者・来場者による質疑応答」
604R1/11/30芦名 定道フクシマ以降のキリスト教思想の可能性
(2019)周藤 多紀トマス・アクィナスによる徳の分類
田鍋 良臣ハイデッガーの信仰論―「黒ノート」に定位して
山森 真衣子広義の自己言及のパラドクスの一般構造と解釈方法
603H30/12/30林 晋西谷啓治と田辺元
(2018)児玉 聡スペンサーの進化倫理学の検討
倉持 充希プッサン作≪嬰児虐殺≫(シャンティイ、コンデ美術館)―ヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニのための作品という視点からの考察―
深尾 茅奈美カミーユ・ピサロ作≪チュイルリー公園とフロール翼、白い霜におけるピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌの風景画理論からの影響―自然への忠実さと絵画の構築性の調停を巡る探求―
602H30/1/30藤田 正勝京都学派の哲学の展開
(2018)満原 健 十九世紀ドイツ心理学と西田幾多郎の『善の研究』
氣多 雅子散らばりと取り集め―はい
601H29/6/20赤松 明彦ジャイナ教における相対主義と寛容の問題について
(2017)伊藤 和行 ガリレオの天体観測と新しい宇宙論
早瀬 篤ソクラテスは諸事例にもとづいて定義を獲得すべきだと考えるか?
600H28/12/10記念特集号 特集 京都の哲学と『哲学研究』
 (2016)伊藤 邦武数理思想からみた田辺元の西田哲学批判
上原 麻有子西田哲学と一人称の哲学化
Yasuo DEGUCHITientai and Takahashi on the Three Satyas
特別報告
松丸 壽雄『哲学研究』の周辺
林 晋
市川 秀和
西田幾多郎田中上柳町旧宅について
中嶋 優太哲学館報告
座談会
藤田 正勝
氣田 雅子
井上 克人
司会
中畑 正志
上原 麻有子
京都の哲学と『哲学研究』
平川 佳世希少性、秘匿性、新奇性をめざす絵画――北方マニエリスム美術における絵画形態多様化の諸相――
598H26/10/10福谷 茂カントの誤謬論 一
(2014)冲永 宜司プラグマティズムと形而上学 - ウィリアム・ジェイムズとフィルディナンド・C・S・シラーを中心に -
呉羽 真エナクティヴィズムと意識のありか - <拡張した意識>への反論 -
597H26/4/10伊藤 邦武九鬼周造と輪廻の時間論
(2014)伊藤 公雄アントニオ・グラムシ 人と思想 - 現代社会理論とのかかわりで -
太田 純貴タイムマシンとしての衣服
596H25/10/10芦名 定道現代キリスト教思想における自然神学の意義
(2013)八杉 満利子デデキントの数学観 - 大学教授資格取得講演における概念拡張の仕組み -
佐々木 拓ロック哲学における動機づけの力 - 幸福、欲求、そして落ちつかなさ -
595H25/4/10手島 勲矢ヘブライ語は預言者と賢者の言語 - ユダヤ思想のロゴス化について -
(2013)蘆田 宏視知覚と脳
堀川 敏寛ブーバーにおける汝としての聖書物語(二) - 聖書翻訳と万人預言者論 -
594H24/10/10小柳 敦史エルンスト・トレルチと保守革命
(2012)堀川 敏寛ブーバーにおける汝としての聖書言語(一) - 偽りの預言と預言者の誤解 -
渡辺 一弘不確かな信念と帰納について - ヒュームの苦境から離れるために、ラムジーがとった二つのステップ -
593H24/4/10落合 恵美子東アジアの低出生率と家族主義-半圧縮近代としての日本
(2012)宇佐美 文理「形」と気象
Yuichi AmitaniModal Flexibility of Photographic Artworks
592H23/10/10藤田 正勝一九二〇年代のヨーロッパの哲学と日本の哲学の形成・発展
(2011)加藤 希理子エックハルトにおける真理認識と自己認識を巡る問題
太田 紘史質的意識の表象説
591H23/4/10板倉 昭二赤ちゃんから見た世界 ――発達科学の挑戦――
(2011)竹中 利彦デカルトの懐疑における自由意志の無差別性について
Tetsuji IsedaWhen Is Diversity within a Field Desirable?
–A Social-Epistemological Analysis of Current American Sociology–
590H22/10/10今出 敏彦ハンナ・アーレントの『公的なもの』の概念(二) ――世界への愛――
(2010)神崎 宣次他者の態度への関心 ――環境プラグマティズム以降の環境倫理学の方向性についての検討と評価――
呉羽 真「拡張した心」と認知の全体論
589H22/4/10吉岡 洋メディア芸術とは何か?
(2010)出口 康夫ことばと実在 ―「活動語」の意味―
太田 紘史高階意識と質的意識
588H21/10/10林 芳紀ロールズの第二原理とその平等主義的性格(下)
(2009)今出 敏彦ハンナ・アーレントの『公的なもの』の概念(一) ――現代の福音――
Makoto SuzukiUnderstanding the Indeterminacy of Translation
587H21/4/10宮崎 泉大乗仏教における空性と慈悲──その関係、機能と実践の一断面──
(2009)鶴田 尚美誕生以前と死後の非存在の非対称性
林 芳紀ロールズの第二原理とその平等主義的性格(上)
586H20/10/10杉村 靖彦宗教哲学へ──「証言」という問題系から──(二)
(2008)出口 康夫真矛盾主義的一元論──後期西谷哲学の再編成──(下)
池田 真治デカルトの『規則論』における想像と抽象
枝村 祥平ライプニッツにおける内的現象と外的現象── 一七〇一-六年を手がかりに──
大西 琢朗「概念の外延・文脈原理・フレーゲ構造
585H20/4/10松田 素二グローバル化時代における共同体の再想像に向けて
(2008)出口 康夫真矛盾主義的一元論──後期西谷哲学の再編成──(上)
杉村 靖彦宗教哲学へ──「証言」という問題系から──
三宅 岳史ベルクソニスムと偶然性の問題
佐藤 慶太「単なる概念(der bloße Begriff)」の二義性──カントの「超越論的哲学」を理解するための端緒として──
584H19/10/10川添 信介ウェルブムと形象──トマス・アクィナスの認識理論との関連で──
(2007)原田 雅樹「科学作品の現象学」の試み──量子論における局所性、並びに代数的視点と幾何学的視点の干渉──
長田 蔵人「経験の可能性の制約」から「可能的経験」へ──カント『純粋理性批判』における演繹論と図式論
佐々木 崇パースの批判的常識主義
583H19/4/10根立 研介彫刻史における和様の展開と継承をめぐって
(2007)田中 紀行「ヴェーバー・パラダイム」をめぐる諸問題
海田 大輔傾向性の本質主義的理論に向けて──プライア説の批判的検討──
西村 正秀ジョン・ロックの認識論における観念と性質の類似について
北島 雄一郎量子力学における解釈問題と科学的実在主義
582H18/10/10小林 道夫ライプニッツにおける数理と自然の概念と形而上学(下)
(2006)赤松 明彦インドにおける哲学誌の成立とパースペクティヴィズム
杉山 卓史カントの人間学講義における「経験的・心理学的」趣味論について
沢崎 壮宏デカルト的「心の哲学」、その前史としての感覚知覚論
──「第十二規則」前半における「仮説」について──
581H18/4/10小林 道夫ライプニッツにおける数理と自然の概念と形而上学
(2006)氣田 雅子京都学派と宗教哲学 ──西田幾多郎から西谷啓治へ──
久木田 水生ラッセルの論理主義における非基礎付け主義
小野 真アリストテレスと西谷啓治
小林 剛色と音声のパラレリズム
580H17/10/10特集「始源の思索」
(2005)Muneo TOKUNAGAOn the Origin of the Lesyas
赤松 明彦根元の現れとしての文の意味と直観
宮崎 泉アティシャの論理学に対する立場
宇佐見 文理中国藝術理論史序説
金山 弥平メノンのパラドクス、想起、仮設法、根拠の推理とラリサへの道──古代ギリシア哲学における本格的認識論の始まり──
國方 栄二ロゴスとミュートス
水谷 雅彦コミュニケーションと倫理学(下)
579H17/4/10佐々木 丞平近世日本絵画の熟成──日本の美意識構築に見る室町期の思想の影響──
(2005)水谷 雅彦コミュニケーションと倫理学(上)
三谷 尚澄カントと「真正な生」
松本 直樹障害状況(breakdown)からの存在論──ハイデガー『存在と時間』における存在と無との関係について──
578H16/10/10特集「心の科学」
(2004)櫻井 芳雄神経回路網による情報の表現
黒田 妃香
服部 裕子
藤田 和生
新世界ザルにおける「こころ」の理解
板倉 昭二成り立つ心──赤ちゃんの心の発達──
蘆田 宏身体制御と錯視──手は騙されないか──
苧阪 直行デカルト的意識の脳内表現──心の理論からのアプローチ──
福谷 茂カントの«Opus postumum»の哲学史的位置について
深谷 訓子自然の第一の法──一七世紀初頭のネーデルランド絵画における「キモンとペロー」──
577H16/4/10岩城 見一ヘーゲルと近代散文文芸──美学講義のコンテクスト
(2004)中畑 正志志向性──現在状況と歴史的背景(三)──
周藤 多紀徳と認識──トマス・アクィナスにおける親和性による認識──
赤羽 律究極的真理と世俗の真理──ジュニャーナガルバの二真理説とチベットにおける思想的立場──
576H15/10/10氣多 雅子宗教は私的な事柄であるか
(2003)出口 康夫さいは投げられたか──確率論の応用の正当化と科学的経験の超越性──
関根 小織否定神学化する哲学──J・L・マリオンの宗教哲学──
金田 明子意味論的真理とその病理性について
575H15/4/10中畑 正志志向性──現在状況と歴史的背景(二)
(2003)杉村 靖彦フランス反省哲学における神の問題──ラニョー『神についての講義』をめぐって──
松根 伸治実践知と意志の弱さ──トマス・アクィナスの無抑制論──
浅沼 光樹神の内なる自然──シェリング哲学の第二の端緒として──
574H14/10/10山形 頼洋西田哲学における行為的自己とフランス哲学における自我と他者
(2002)藤田 和生動物の心を探る──見えないものの認識を通して──
川添 信介水とワイン──スコラ神学者の<哲学>──
瀬口 昌久身体から魂へ──プラトン『ティマイオス』における知覚理論と心身問題──
573H14/4/10伊藤 邦武ヒュームの奇跡批判
(2002)川添 信介トマス・アクィナスにおける確実性について
アンドレア・レオナルディハイデガーの「太陽」──『存在と時間』の存在論上の限界と方法論的矛盾
小林 亜津子聖餐をめぐるヘーゲルとルター──啓蒙と神秘の間
572H13/10/10井上 俊『シスター・キャリー』と初期シカゴ学派
(2001)中畑 正志志向性──現在状況と歴史的背景(一)
大原 嘉豊九品来迎図研究における顕密体制論の実効性
宮武 実知子「現実科学」の理念と困難──ハンス・フライヤーの社会学について
571H13/4/10池田 秀三徐幹の人間観
(2001)岩城 見一ヘーゲル,もう一つの感性論(Ästhetik)──「物」というフィクション
脇坂 真弥自由と法則──カントの道徳論を手掛りにして
野村 明宏〈社会的なもの〉と〈個人的なもの〉における非決定性の関係論──規律社会から管理社会への移行をめぐって
570H12/10/10水垣 渉「神の像」と「人間」──古代キリスト教における思想形成の前提と条件について(完)
(2000)片柳 栄一アウグスティヌスのコギト
伊藤 和行古典力学における運動法則の歴史性──ニュートンの第二法則をめぐって
前川 修複製の知覚──スライド鑑賞の諸問題
須藤 訓任〔書評〕水野和久著『現象学の変貌 秩序の他者』
569H12/4/10内山 勝利対話と想起 ──プラトン哲学の「方法」──〔その二〕
(2000)内井 惣七道徳起源論から進化倫理学へ(三)
小林 道夫現代フランスの認識論の哲学──G・G・グランジェの哲学を中心に
船山  徹カマラシーラの直接知覚論における「意による認識」(manasa)
568H11/10/10水垣  渉「神の像」と「人間」──古代キリスト教における思想形成の前提と条件について──
故有賀鐵太郎先生(一八九九-一九七七)生誕一〇〇年を記念して
(1999)加藤 尚武ヘーゲルによる「自然哲学」の改訂──その哲学体系における「数学」の抹消
芦名 定道キリスト教信仰と宗教言語
松田 克進スピノザと主観性の消失
567H11/4/10内井 惣七道徳起源論から進化倫理学へ(続)
(1999)小川  侃見えることの構造──セザンヌをめぐる構造論的・現象学的省察──
三浦  要禁じられた道──パルメニデスにおける探究の行方──
今井 尚生パウル・ティリッヒにおける意味の問題と宗教
566H10/10/10荒牧 典俊理性とは・・・分別か
(1998)内井 惣七道徳起源論から進化倫理学へ
齋藤 了文計算の哲学的意味
山脇 雅夫近代の存在論──ヘーゲルの現実性概念──
565H10/4/10長谷 正當死と実存協同──田邉の晩年の思想をめぐって──
(1998)杉村 靖彦倫理的主体性をめぐって──レヴィナスとナベール──
西  欣也無限性と無限界性のあいだ──最初期アドルノによるカント・フロイト評価──
奥野 満里子パーフィットの功利主義擁護論(完)──人格論からのアプローチ──
564H9/10/10岩城 見一ヘーゲルの<感性論(Ästhetik)>──心の病をめぐって──
(1997)藤田 正勝ことばと思索──あるいは日本語と哲学──
秋庭 史典情動の批判的機能──ヘルマン・コーヘンにおける美学と倫理学──
奥野 満里子パーフィットの功利主義擁護論──人格論からのアプローチ──
563H9/4/10伊藤 邦武ケインズの哲学思想の発展──『確率論』の以前と以後──
(1997)J.W.ハイジック種の論理とグローバル・ヴィレッジの批判
加藤 雅人ガンのヘンリクスにおける<エッセ>の問題
朴  一功ソクラテスの徳概念
562H8/10/10内山 勝利対話と想起──プラトン哲学の「方法」──〔その1〕
(1996)乾  敏郎知覚と認知の計算理論
倉田 隆デカルトの「大いなる傾向性」──『省察』における物体の存在証明の一考察──
吉本 浩和ハイデッガーにおける物の超越性の問題と現代社会の危機
561H7/10/10オットー・ペゲラー建築と自律的芸術
(1995)藤本 温真理・個・本質──オウベルニュとアクィナス
岩田 文昭リクールにおける反省哲学と解釈学
戸島 貴代志生と死──ベルクソニズムからの寄与
560H6/10/20薗田 坦近世初頭における自然哲学と自然科学
(1994)土井 健司エペクタシス──ニュッサのグレゴリウスにおける「無限」の問題──
橋本 康二論理的帰結関係をどう定義するか
松井 吉康マイスター・エックハルトにおける「自由」の問題
559H5/10/10内山 俊彦董仲舒における歴史意識の問題
(1993)芦名 定道宗教的認識と新しい存在
管  康弘コンミュニオンの意義と展開(完)──ロバートソン・スミスからデュルケームへ──
仲原 孝〔書評〕Taitetsu Unno(ed.), The Religion Philosophy of Nishitani Keiji
558H4/10/20吉岡 健二郎芸術と時間
(1992)苧阪 直行読みの精神物理学──有効視野の役割を中心に──
仲原 孝カントの「超越論的」哲学の意味
管  康弘コンミュニオンの意義と展開──ロバートソン・スミスからデュルケームへ──
557H3/3/20徳永 宗雄同語反復表現に見られるインド的思惟の特質
(1991)中釜 浩一時間空間論における規約主義
出口 康夫カントの超越論的観念論について
556H2/5/20青木 茂カントとヘーゲル──神の存在論的証明をめぐって──
(1990)佐々木 丞平日本絵画における写実と空間の問題
倉田 隆デカルトの判断論──『規則論』における知性の判断について──
吉田 喜久子マイスター・エックハルトに於ける受肉のmysterium──三一性のmysteriumへ向かう道──
浜野 研三クワインの行動主義的物理主義と翻訳の不確定性テーゼ
隈元 忠敬〔書評〕三渡幸雄著『カント哲学の基本問題』
555H2/3/20酒井 修ヘーゲル哲学の本邦渡来──その『論理学』の研究のために──
(1990)依田 義右マルブランシュの天使論と悪魔論
早瀬 明歴史と世界──青年ヘーゲルの歴史経験──
阿部 典子フィヒテ哲学の上り道における自覚
品川 嘉也〔討議〕情報の物理学と哲学──大庭健氏の批評に答える──
長澤 邦彦〔書評〕隈元忠敬『フィヒテ「全知識学の基礎」の研究』
野村 直正〔書評〕小川侃著『現象のロゴス──構造論的現象学の試み』
554S62/9/20梶山 雄一空と慈悲
(1987)田中 成明法律学と哲学──実践哲学の復権の一側面──
門脇 健劇としての『精神現象学』──ヘーゲルの見たハムレット──
真田 郷史スピノザの倫理思想における目的因の否定──人間本性の型(exemplar humanae naturae)をめぐって──
〔資料〕西田幾多郎・全集未収載遺稿(四)
小田 武〔回想〕『哲学研究』の思い出
藤本 隆志〔書評〕野本和幸著『フレーゲの言語哲学』
『哲学研究』第47巻総目録
553S61/9/20清水 善三曼荼羅の構成(2)
(1986)圓増 治之「真理への意志」──近世哲学に於けるその内的変動──
安藤 正人デカルトにおける意志の問題──意志とindifferentia──
中村 治トマス倫理学の基礎──至福への本性的欲求について──
〔資料〕西田幾多郎・全集未収載遺稿(三)
神野 慧一郎田村均氏の書評に答う
早瀬 明〔書評〕藤田正勝著『若きヘーゲル』
552S61/3/20澤口 昭聿普遍概念としての多様体
(1986)宝月 誠「相互作用論」のモデル序説(完)
長倉 久子事物の類似たるイデア──ボナヴェントゥラのイデア論における問題──
小林 道夫デカルト形而上学における自然学の形而上学的基礎づけ──伝統的形而上学との対比において──
〔資料〕西田幾多郎・全集未収載遺稿(二)
大橋 良介〔学界展望〕西田哲学をめぐる最近の論点──書評をかねて──
氷見 潔〔書評〕岩波哲男著『ヘーゲル宗教哲学の研究──ヘーゲルとキリスト教』
551S60/3/20本吉 良治沈黙の思考(完)
(1985)土岐 邦夫ヒュームにおける理性と情念
松丸 壽雄「有の問い」から「回思」へ──ハイデガーに於ける「思索」と「詩作」に関する一考察
中畑 正志言語・意味・対象──『クラテュロス』におけるプラトンの言語哲学
〔資料〕西田幾多郎・全集未収載遺稿(1)
臼井 二尚〔回想〕留学当時の思出(完)
田村 均〔書評〕神野慧一郎『ヒューム研究』
550S59/10/20辻村 公一最後の神──ハイデッガーの思索に於ける
記念特集号藤澤令夫「状況」の変化と「もの自身」の変化──プラトン『テアイテトス』(154B-155D)における背丈比べのパラドクスの哲学的意味
(1984)山田 晶アリストテレス『詩学』悲劇論における《プラグマ》の意味について
酒井 修1801年夏のヘーゲル──『イエーナ時代の論理学』研究(2)
服部 正明クマーリラの vakyartha(文章の意味)論
日原 利國華夷観念の変容
本吉 良治沈黙の思考
平野 俊二海馬の「空間地図説」対「時間処理説」の検討
吉岡 健二郎美的価値の問題
中 久郎行為理論における「秩序」の問題
梶山 雄一輪廻と超越──『城邑経』の縁起説とその解釈
水垣 渉「ヨブ記」における問いの問題
木曾 好能普遍についての試論──ロック,バークリー,ヒュームの普遍論の批判的検討
池田 秀三中国古典における訓詁注釈の思想
清水 御代明ジャワの小学生の連想反応──筆記反応の読みとりについての覚書
佐々木 丞平江戸時代における外科書と相書──円山応挙の人物図研究序説
宝月 誠「相互作用論」のモデル
長谷 正當構想力と超越の問題
御牧 克己インド・チベット論理学における「所証相似」(sadhyasama)の問題
〔第550号記念特集号記事〕
田中 美知太郎『哲研』に書いたもの
長尾 雅人『哲学研究』と私
澤瀉 久敬第五五〇号を祝して
舩山 信一『哲学研究』との私の係わり合い
高峯 一愚『哲学研究』回顧
臼井 二尚〔回想〕留学当時の思出
549S59/4/20江原 昭善人類はなぜ人類なのか──「未完の人類」
(1984)清水 善三曼陀羅の構成[1]
日高 敏隆いわゆる「原型」思想について──動物学における「比較」概念の問題
林 愛子体験と形而上学──ジャンケレヴィッチ哲学の理解の試み
平野 俊二〔報告〕パサデナの冬
嶺 秀樹〔書評〕下村寅太郎『ブルクハルトの世界』
548S58/10/20野本 和幸フレーゲにおける論理哲学の形成──意味論の視点から
(1983)池田 秀三緯書鄭氏学研究序説──探究と倫理
伊藤 邦武パースにおけるプラグマティズムと規範学の理論
森口 美都男〔討議(1)〕「純粋実践理性の批判」とは何を意味し得るか
山崎 和夫〔討議(2)〕(A)品川嘉也氏の最近論文『力学における決定論と意識の自由について』を読んで
品川 嘉也(B)力学における決定論とは何か──古典力学の隠された変数
547S58/5/20山田 晶トマスにおけるレスとエッセンチアについて
(1983)新田 博衛絵画空間について(承前・完)アルベルティとヒルデブラント
金子 晴勇ルターとオッカム主義の伝統
福谷 茂物自体と『純粋理性批判』の方法
佐々木 丞平〔調査(1)〕エルヴィン・ベルツの遺産
小南 一郎〔調査(2)〕道教の旅から
546S57/11/20水垣 渉古代キリスト教における「好奇心」の問題
(1982)大出 晁論理における原理的なもの──アリストテレスの所論をめぐって
品川 嘉也力学における決定論と意識の自由について──情報構造としての意識
平松 希伊子デカルトにおける永遠真理創造説について
中島 道男〔新刊紹介〕中久郎『デュルケームの社会理論』
545S57/8/20山内 得立随眠と帰属の理論(承前・完)
(1982)中 久郎共同体論における共同性の問題
小池 澄夫「分割法」考案──プラトン後期対話篇への視点
酒井 潔主観と自発性──ライプニッツ形而上学の根本問題
竹内 享〔書評〕川原栄峰『ハイデッガーの思惟』
544S57/4/20山内 得立随眠と帰属の理論(承前)
(1982)西村 嘉彦デカルトの自由意志論
宝月 誠相互作用論から見たキャリア分析──ジャック・ローラーの解釈
氷見 潔ヘーゲルの啓示宗教論
小熊 勢記〔書評〕浜田義文『カント倫理学の成立イギリス道徳哲学及びルソー思想との関係』
543S56/11/20山内 得立随眠と帰属の理論
(1981)酒井 修論評と構築とのあひだ──ヘーゲル『イエーナ時代の論理学』研究(1)
佐藤 文隆物理学と宇宙論における最近の試み──統一ゲージ理論と力の法則の相対化
北岡 武司カントにおける最高善の実践的必然性に関する一試論
加藤 哲弘〔書評〕Friedrich-Wilhelm von Herrmann : Heideggers Philosophie der Kunst
542S56/3/20平野 俊二記憶の二過程
(1981)浅野 楢英アリストテレスにおける個別と普遍──『形而上学』巻一〇章の問題を中心として
岡村 信孝直観と綜合
溝部 明男T・パーソンズにおける「合議制的アソシエーション」と「専門職」をめぐって──故タルコット・パーソンズ教授を偲ぶ
『哲学研究』第四十六巻(531~542号)総目録
541S55/12/20柿崎 祐一視覚の生態──心理学的知覚論への一試考
(1980)岩城 見一《芸術の終焉》と《芸術の可能性》──ヘーゲル美学の解釈について
小浜 善信伝達の可能根拠について──Confessiones, XI, 3, 5
舩山 信一「構造的発展における哲学」としての体系──西田哲学とヘーゲル哲学との対立点
540S55/4/20藤澤 令夫現実活動態(下)アリストテレスにおけるキーネーシス(あるいは運動の論理)とエネルゲイア(あるいは活動の論理)との対置について
(1980)長澤 邦彦知識学と「弁証法」──1794年の『基礎』を中心に
赤松 明彦ダルマキールティのアポーハ論
539S55/2/25藤澤 令夫現実活動態(上)アリストテレスにおけるキーネーシス(あるいは運動の論理)とエネルゲイア(あるいは活動の論理)との区別
(1980)水垣 渉探求とロゴス(完)
西谷 敬マックス・ヴェーバーにおける理解の方法(完)
田村 祐三空間と幾何学(完)
538S54/11/20山田 晶トマス・アクィナスにおける《causa rerum》について(承前)──Sum.theol. I, q.14, a.8.
(1979)山田 弘明デカルトの合理主義について(完)理性の意義と役割
安彦 一恵G・W・F・ヘーゲル体系以前期における思想形成の内面的展開(完)
537S54/8/30池田 義祐支配変動論
(1979)山本 誠作ホワイトヘッドと西田哲学──神と世界との関係をめぐって
杉山 聖一郎認識と超越──カント哲学の場合
米沢 有恒芸術の過去性をめぐる一考察──ハイデッガーの哲学を中心にして
536S54/4/10森口 美都男「現實」
(1979)西谷 敬マックス・ヴェーバーにおける理解の方法(承前)
田中 進ヒュームに於ける「外界」と「自我」の問題(完)
長岡 成夫カントの義務論
535S53/6/10クルト・ヒュプナー歴史知識における理論(2)(神野慧一郎訳)
(1978)新田 博衛絵画空間について(中)アルベルティとヒルデブラント
山田 弘明デカルトの合理主義について(2)理性の意義と役割
大橋 良介〔書評〕アカデミー版『シェリング全集』第一巻
534S52/12/25山田 晶トマス・アクィナスにおける《causa rerum》について ──Sum.theol. I, q.14, a.8.
(1977)ヤン・パトチュカ芸術過去論(米沢有恒訳)
太田 喬夫芸術的気分について
533S52/9/30クルト・ヒュプナー歴史知識における理論(1)(神野慧一郎訳)
(1977)西谷 敬マックス・ヴェーバーにおける理解の方法
山田 弘明デカルトの合理主義について
532S51/10/30新田 博衛絵画空間について(上)アルベルティとヒルデブラント
(1976)筒井 文隆カントの「我」と経験
小川 侃ベルクソンの方法とその検討──ベルクソン的反省と現象学的反省
531S51/7/30清水 善三藤原彫刻に関する一考察(1)
(1976)有福 孝岳カントに於ける様相の問題(2)余語,東洋的反省
田中 敦超越論的主観性の問題
安彦 一恵G・W・F・ヘーゲル体系以前期における思想形成の内面的展開(1)
530S50/7/30大峯 顯フィヒテにおける構想力の概念
(1975)田中 進ヒュームに於ける「外界」と「自我」の問題(1)
田村 祐三空間と幾何学(1)
『哲学研究』第四十五巻(519~530号)総目録
529S50/1/25クルト・ヒュプナー科学における相対主義と進歩の問題について──亡きイムレ・ラカトスを念頭に(神野慧一郎訳)
(1975)有福 孝岳カントに於ける様相の問題(1)余語,東洋的反省
土屋 盛茂カントに於ける認識の客観性
丸山 高司「歴史の説明」について
528S49/9/30水垣 渉探求とロゴス
(1974)浅野 楢英アリストテレスのシュロギスモス体系──最近の諸研究によって
神林 恒道浪漫主義美学についての一考察──その神話解釈の問題をめぐって
田中 邦夫〔書評〕R. E. Allen : Plato’s Euthyphro and the Earlier Theory of Forms
527S49/5/30中 久郎機能分析の方法──デュルケーム理論の問題
(1974)石井 誠士宗教的死と愛(3)キェルケゴールを通して
木曾 好能ヒュームの哲学(1)その因果論
山田 弘明デカルトにおける「直観」
526S48/9/30清水 善三彫刻の和様
(1973)藪木 栄夫必然性と反事実的条件文
山本 道雄イエナ時代のヘーゲルについての一考察──近代の黙示録『絶対自由と恐怖』
布施 佳宏M・メルロ=ポンティの身体論──le corps propre について
525S48/6/30山田 晶在りて在る者──アウグスティヌスの Exod. 3, 15 解釈
(1973)石井 誠士宗教的死と愛(2)キェルケゴールを通して
山形 頼洋他我の存在について
野田 修因果の必然性──ヒュームの因果論
524S47/12/25山田 晶在りて在る者──アウグスティヌスの Exod. 3, 14 解釈
(1972)野本 和幸バートランド・ラッセルの記述理論形成の過程
石井 誠士宗教的死と愛(1)キェルケゴールを通して
523S47/7/1吉岡 健二郎芸術と言語
(1972)向井 守マックス・ウェーバーにおける東洋哲学の社会学的考察(3)
内井 惣七帰納論理学と確率
522S46/12/1ディーター・ヘンリッヒ近代哲学の根本構造(有福孝岳訳)
(1971)W・パンネンベルクヘーゲル哲学におけるキリスト教の意義(中埜肇訳)
若松 謙カントの動機論
521S46/10/1長尾 雅人佛身論をめぐりて
(1971)向井 守マックス・ウェーバーにおける東洋哲学の社会学的考察(2)
物部 晃二芸術的価値に関する若干の考察
520S46/6/30吉岡 健二郎芸術学についての一考察──ヘットナーを中心にして
(1971)服部 知文John Locke における「啓示」概念について
宮地 正卓カントと非ユークリッド幾何学──マルチンのカント理説擁護との関連において
西谷 敬マックス・ヴェーバーの政治思想──ナショナリズムと合理主義
519S46/3/31武藤 一雄宗教哲学の新しい可能性
(1971)後藤 平キリスト教と実存哲学──K・ヤスパースとG・マルセル
若松 謙カントに於ける人間の自由の問題
竹尾 治一郎〔書評〕『論理実証主義の遺産』P. Achinstein, S. E. Barker (ed.), The Legacy of Logical Positivism
518S46/2/28重澤 俊郎登析と孔丘──この二人はなぜ敵対しなければならなかったか
(1971)山下 正男論理学とは何か(完)
稲葉 稔ヘーゲル『精神現象学』に於ける「自意識」の研究序説(3)
池田 善昭ライプニッツの悪について──〈自発性〉(spontanéité)の問題
517S45/9/1山内 得立第三の論理
(1970)山下 正男論理学とは何か(未完)
稲葉 稔ヘーゲル『精神現象学』に於ける「自意識」の研究序説(2)
51645/8/1山田 晶無からの創造[2]その思想の形成
(1970)土屋 純一観念・性質・実体──ロックの場合
浅野 楢英普遍の問題[2]プラトンの見解とアリストテレスおよび現代分析哲学者たちの諸見解との比較
筒井 文隆ベルグソンの形而上学と科学
515S45/7/1山田 晶無からの創造[1]その思想の形成
(1970)長谷 正當ブロンデルの『行動』(1893)に於ける認識と存在との関係[2]
山岡 泰造水墨畫の一考察──郭煕の林泉高致と早春圖
浅野 楢英普遍の問題[1]プラトンの見解とアリストテレスおよび現代分析哲学者たちの諸見解との比較
514S45/6/1中 久郎逸脱の行為状況理論
(1970)大羽 蓁知覚理論に於ける機能主義の展開と知覚の問題
長谷 正當ブロンデルの『行動』(1893)に於ける認識と存在との関係[1]
山下 正男〔書評〕北川秀則著『インド古典論理学の研究』を読んで
513S44/11/1斎藤 義一フィヒテの晩年の思想について
(1969)田之頭 安彦プロチノスの素材論,その2──知的素材と愛
岡本 藤一ヒューム認識論における信念の考察
木村 慎哉志向性
512S44/10/1辻村 公一ハイデッガーに於ける世界の問題(完)『有と時』の時期に於ける
(1969)梶山 雄一仏教における瞑想と哲学
今津 鶴雄「存在」と構想力──カントの存在概念(理解)をめぐって
田之頭 安彦プロチノスの素材論,その1──知的素材と愛
511S44/3/1ウィンストン・L・キング宗教的象徴の本質と作用(武内義範訳)
(1969)辻村 公一ハイデッガーに於ける世界の問題(未完)
稲葉 稔ヘーゲル『精神現象学』に於ける「自意識」の研究序説(1)
510S44/2/1植田 壽蔵書の論理
(1969)神野 慧一郎倫理の理論に於ける功用の観念
有福 孝岳世界概念の哲学──カントに於ける道徳と宗教の問題
509S43/9/1島 芳夫自由・運命・摂理
(1968)向井 守マックス・ウェーバーにおける東洋哲学の社会学的考察(1)
野本 和幸科学的認識をめぐる合理論と経験論の対立と交錯──その現代理論哲学における意味
508S43/3/1ジョン・D・ゴヒンホワイトヘッド『過程と実在』への序説(承前・完)(野田又夫訳)
(1968)森口 美都男苦しみの場所 その四
戸田 省三郎自由と必然──カントの自由論を中心として
507S43/2/1ジョン・D・ゴヒンホワイトヘッド『過程と実在』への序説(野田又夫訳)
(1968)三谷 恵一〔書評〕脳と電子計算機(後篇)F. H. George 著 : The Brain as a Computer について
506S42/7/1本吉 良治好奇動因と選択
(1967)中 久郎社会的事実と行為──デュルケム理論の問題
春名 純人カントの神存在論証について──特に批判前期の「唯一の証明根拠」(1763年)を中心とする
『哲学研究』第四十三巻(495~506号)総目録
505S42/5/1梶山 雄一存在と知識仏教哲学諸派の論争(2)經量部の根本的立場
(1967)ヴァン・ブラフトヘーゲルの精神現象学,及びそれ以前の諸書に於ける「生と死の戦い」の思想について(承前・完)
森 啓デカルト哲学の立場
三谷 恵一〔書評〕脳と電子計算機(前篇)F. H. George 著 : The Brain as a Computer について
504S42/4/1森 三樹三郎自然と人為
(1967)吉田 忠勝悪における自然の意味──シェリングをめぐる自然の概念(2)
池田 進空間視知覚の方法論的検討──大きさの恒常現象に関連して
503S41/12/15山田 晶行為と罪
(1966)吉岡 忠勝芸術に対する自然の関係──シェリングをめぐる自然の概念(1)
吉岡 健二郎芸術と技術
副島 正彦ヒュームの「共感」の倫理
502S41/12/1島 芳夫歴史に於ける行為と反省(承前・完)
(1966)岩坪 紹夫ライプニッツとベール──精神的悪の問題
川村 榮助カントにおける歴史の問題──目的論と歴史
501S41/1/1植田 壽蔵フラ・アンジェリイコの事蹟が語るもの
(1966)池邊 義教パトスのロゴス──ベルグソン哲学における直観と反省の問題
神野 慧一郎批判的合理主義の一側面
渡邊 守道クザーヌス五百年祭に出席して
500S41/9/30野田 又夫西洋哲学の特徴
記念特集号辻村 公一無底──シェリング『自由論』に於ける
(1966)服部 正明古典ニャーヤ学派のアートマン論とその背景
湯浅 幸孫シナの倫理思想に於ける「規範」と「現実」
園原 太郎行動主義と意識の問題
森口 美都男善悪と自他
井島 勉芸術制作における内在・超越の問題
蓮実 重康縄文文化の時代の土偶彫刻における抽象と具象の芸術的意味
池田 義祐社会事象としての多数決について
梶山 雄一存在と知識──仏教哲学諸派の論争
武藤 一雄使徒パウロの回心とそれをめぐる諸問題
「哲学研究」の思い出
植田 壽蔵「哲学研究」の恩を思う
山内 得立「哲学研究」の初めの頃
下村 寅太郎回想
三村 勉編輯回思
哲学研究総目次 第一巻~第四十三巻(1~500号) 附執筆者別索引

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