開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期月1 | 杉村靖彦 | 講義 | 宗教学A(講義) |
[授業の概要・目的] 宗教と哲学は、人間存在の根本に関わる問いを共有しながらも、歴史的に緊張をはらんだ複雑な関係を結んできた。その全体を視野に入れて思索しようとする宗教哲学という営みは、多面的な姿ととりながら歴史的に進展し、現代でも大きな思想的可能性を秘めている。この授業では、その今日までの変遷を通時的に追うことによって、宗教哲学という複雑な構成体について、受講者が一通りの見取図を得られるようにすることを目的とする。 [授業計画と内容] 以下のテーマについて授業を行っていく(細部は変更の可能性あり)。 第1回 宗教と哲学:根本の問いから考える。 第2回 ミュートスからロゴスへ:哲学の誕生 第3回 ソクラテス、プラトン、アリストテレス:哲学における神 第4回 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教:啓示と信仰の神 第5回 ヘブライズムとヘレニズムの出会い:キリスト教神学の成立 第6回 中世における神学と哲学:スコラ哲学と神秘主義 第7回 近世形而上学:デカルトと哲学的神学の流れ 第8回 宗教哲学の成立と展開(1):カントとシュライアマハー 第9回 宗教哲学の成立と展開(2):ヘーゲルとキルケゴール 第10回 「神の死」とニヒリズム:ニーチェ 第11回 哲学と宗教の「解体」的反復:ハイデガー 第12回 日本の宗教哲学と仏教的伝統(1):西田幾多郎 第13回 日本の宗教哲学と仏教的伝統(2):九鬼周造 第14回 アウシュヴィッツ以降の宗教哲学:レヴィナス 第15回 フィードバック |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期月1 | 杉村靖彦 | 講義 | 宗教学B(講義) |
[授業の概要・目的] 宗教哲学とは、哲学の一形態であると同時に、宗教研究のさまざまな道の一つでもある。この両面性とそれによる独自な意義が理解できるように、この授業では、宗教哲学と宗教学の歴史的関係を明らかにした上で、基本となる文献を幅広く選び、それぞれについて読解の手がかりとなるような解題を行っていく。それを通して、この分野における過去の重要な思索を自ら追思索し、宗教という事象を視野に入れた哲学的・学問的思索の一端に触れることが、この授業の目的である。 [授業計画と内容] 以下のテーマについて授業を行っていく(細部は変更の可能性あり)。 第1回 宗教哲学と宗教学(1):歴史的位置づけ 第2回 宗教哲学と宗教学(2):さまざまなアプローチ 第3回 宗教哲学と宗教学(3):現代的課題 第4回 パスカル『パンセ』:考える葦と隠れたる神 第5回 ヒューム『宗教の自然史』:経験主義的宗教論の嚆矢 第6回 カント『単なる理性の限界内の宗教』:根源悪論と宗教哲学 第7回 ニーチェ『道徳の系譜学』:ラディカルな宗教批判 第8回 ジェイムズ『宗教的経験の諸相』:宗教心理学の方法 第9回 西田幾多郎『善の研究』:日本の宗教哲学の出発点 第10回 モース『贈与論』:宗教社会学の豊饒な可能性 第11回 ハイデガー『存在と時間』:「現存在」と「死への存在」 第12回 ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』:静的宗教と動的宗教 第13回 エリアーデ『聖と俗』:宗教現象学の射程 第14回 ヨナス『アウシュヴィッツ以後の神概念』:神概念の解体的変容 第15回 フィードバック |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期水4 | 杉村靖彦 | 特殊講義 | 「自覚」論的観点からの西洋哲学・宗教思想史の試み |
[授業の概要・目的] 「自覚」とは西田哲学の中心概念であり、かつ西田に始まる「京都学派」の哲学者たちが緩やかに共有する思考態度の表現である。だが、この語は元々「自己意識」に当たる西洋語の翻訳語として導入され、西田以前に一定程度使用されていたものであった。そのため、「アウグスティヌスの自覚」や「デカルトの自覚」といった表現が、違和感なく成り立ちえたのである。 だとすれば、京都学派の哲学を通して豊かに展開されたこの自覚概念を手引きとして、西洋哲学や宗教思想においてそれに対応する事象を見出し、それを自覚概念の光の下で新たに解釈し直すことも可能ではないか。本講義では、このような仕掛けを組みこんだ形で、宗教哲学を学ぶ上で重要な哲学・宗教思想の数々を年代順に通覧していくことによって、「自覚」論的観点から読み直された西洋哲学・宗教思想史の一端を提示してみたい。 [授業計画と内容] 以下の諸テーマについて、一つのテーマ当たり2回程度の授業をあてて講義する。 (「特殊講義」という、教員の研究の進展を直接反映させることを旨とする授業であるので、1回ごとの授業内容を細かく記すことはしない。また、以下の諸テーマ自体も部分的には変更の可能性がある。)1.「自覚」概念の形成と背景、およびその哲学的可能性 2.デカルトの自覚-コギトと神証明の自覚論的再考 3.メーヌ=ド=ビランの自覚-「内奥感の原初的事実」と自覚する身体 4.カントの自覚-「超越論的統覚」から「根源悪」論まで 5.ベルクソンの自覚-「純粋記憶の平面」の自覚論的再考 6.ハイデガーの自覚-自覚の場としての「現(Da)」 7.ユダヤ/キリスト教の自覚-「啓示」の自覚論的解釈 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期水4 | 杉村靖彦 | 特殊講義 | 西谷宗教哲学の研究(2) |
[授業の概要・目的] 西谷啓治(1900-1990)は、西田、田辺の後の京都学派の第三世代を代表する哲学者であり、大乗仏教の伝統を換骨奪胎した「空の立場」から「ニヒリズム以後」の現代の思索の可能性を追究したその仕事は、没後30年を経て国内外で多方面からの関心を引きつつある。しかし、その全体を組織的に考察した本格的な研究は、まだほとんどないと言ってよい。 本講義は、この西谷宗教哲学の全体を通時的かつ網羅的に研究し、今後の土台となりうるような組織的な理解を形成しようとするものである。それによって、今日の宗教哲学がそこから何を受けつぐことができるかを、批判的に考究していくための拠点を手に入れることを目指す。 この研究は、昨年度後期から開始されたものであり、今期の授業はその続きであるが、来年度以降も後期の特殊講義をあて、数年かけて進めていく予定である。1924年の西谷の卒論を扱った昨年度に続いて、今年度は1930年代までの諸論考を主に扱っていきたい。 [授業計画と内容] 以下の諸テーマについて、一つのテーマ当たり2~4回の授業をあてて講義する。 (「特殊講義」という、教員の研究の進展をダイレクトに反映させることを旨とする授業であるので、1回ごとの授業内容を細かく記すことはしない。また、以下の諸テーマにしても、細部については変更の可能性がある。)1.導入―西谷宗教哲学の受け取り直しのために 2.卒論の到達点と西谷宗教哲学の端緒―昨年度の授業の要約 3.「悪の問題」への着手―西谷宗教哲学の導きの糸として 4.哲学的神秘主義と根源的主体性―前期西谷宗教哲学の二つの焦点 5.真に「現(Da)」なる処-『アリストテレス論攷』とハイデガーのアリストテレス論の並行的読解なお、最後の授業は、本学期の講義内容全体をめぐる質疑応答と議論の場とし、講義内容の受講者へのフィードバックを図る。 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期火5 | 伊原木大祐 | 特殊講義 | ユダヤ的神話の解釈学(掟の侵犯を中心に) |
[授業の概要・目的] 古来、ミュートスはたえずロゴスを活気づけてきた。古典的な思想はいうに及ばず、現代の諸思想もまた、なお現存する神話的虚構を人間認識のための重要な素材として扱っている。たとえば、古代ギリシアの神話的(/叙事詩的)語りへの反応は、プラトン哲学ばかりでなく、ホルクハイマー/アドルノやヴェイユの哲学にも見られる。また、「オイディプス」や「アンティゴネ」といった神話的(/悲劇的)形象は、哲学・精神分析・フェミニズムなどを介して、今日に至るまでたえず別様に語り直されてきた。 本講義では、いくつかのユダヤ的な神話素に焦点を絞り、それを現代の哲学者たちがどのように解釈しているのかを確認しつつ、思索の糧としたい。中でも重視しているのは、「神的な命令(掟)とそこからの逸脱(侵犯)」という古代イスラエルの宗教に顕著な問題設定である。 [授業計画と内容] 初回は導入に当てる。第2回から本格的な議論に入ってゆくが、講義の性質上、各サブトピックに対して【 】で指示した週数を充てる。各々を論じるのに時間が足りない場合は、問題を深く掘り下げてゆく目的で、週数を調整・変更する可能性がある。1.導入的概説【1週】 2.原罪神話【4週】 3.族長神話【3週】 4.脱出神話【2週】 5.法の神話【4週】 6.フィードバック【1週】 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期火5 | 伊原木大祐 | 特殊講義 | ミシェル・アンリの哲学思想――導入と展開 |
[授業の概要・目的] 前世紀に独創的な「生の現象学」を打ち立てた哲学者ミシェル・アンリ(1922-2002)は今年、生誕100年、死後20年を同時に迎える。これを記念して、本授業では、アンリ哲学の総体的評価を遂行するとともに、そこから引き出しうる発展的議論のいくつかを提起するつもりである。 かつて「フランス現象学の神学的転回」の一翼を担う人物と目されていたアンリであるが、その思想に見られる「神学的」要素も、「現象学」的要素も、一義的に画定することはできない。授業ではこのような複雑さを考慮しつつ、初学者向けにアンリ思想の基礎理論を一通り説明したあと、場合によってはアンリ自身が目指していた議論の意図からも外れる形で、その応用可能性を探ってみたい。 [授業計画と内容] 初回は導入に当てる。第2回から徐々に本格的議論に入ってゆくが、講義の性質上、各サブトピックに対して【 】で指示した週数を充てる。各々を論じるのに時間が足りない場合は、問題を深く掘り下げてゆく目的で、週数を調整・変更する可能性がある。1.イントロダクション【1週】 2.アンリ哲学の基本線:内在と情感性【3週】 3.アンリ哲学の転回点:他者と宗教性【3週】 4.社会理論としての内在論【1週】 5.自己触発の意味と拡張【3週】 6.問われる身体【3週】 7.フィードバック【1週】 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期月4 | 津田謙治 | 演習 | 教父学の基本的研究を読むI/A |
[授業の概要・目的] この演習の目的は、初期キリスト教における教義史に関する古典的研究を読み、膨大な古代史料の中から教理的主題や歴史的背景、教父の特徴などを網羅的に概観するとともに、教義がどのような歴史的展開を示しているかを学ぶことである。この演習では、ドイツ語で書かれた後、英語や仏語に訳され、幅広く受容された教父研究のテキストを精読することによって、初期キリスト教思想研究に必要な文献読解力の向上を目指す。 [授業計画と内容] 今年度の前期では、H.R.ドロープナーの主要著作の一つである『教父学教本』を取り上げ、演習を行う。Hubertus R. Drobner, Lehrbuch der Patrologie, 3te Auflage, Frankfurt am Main, 2011.1.オリエンテーション 2.「教父」概念 3.教会教父 4.教父学 5.キリスト教文献の成立 6.口伝 7.使徒文献 8.聖書正典の形成 9.新約 10.旧約 11.福音 12.文学的類型 13.ヤコブ原福音書 14.トマス福音書 15.まとめと総括およびレポート等に関する解説 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期月4 | 津田謙治 | 演習 | 教父学の基本的研究を読むI/B |
[授業の概要・目的] この演習の目的は、初期キリスト教における教義史に関する古典的研究を読み、膨大な古代史料の中から教理的主題や歴史的背景、教父の特徴などを網羅的に概観するとともに、教義がどのような歴史的展開を示しているかを学ぶことである。この演習では、ドイツ語で書かれた後、英語や仏語に訳され、幅広く受容された教父研究のテキストを精読することによって、初期キリスト教思想研究に必要な文献読解力の向上を目指す。 [授業計画と内容] 前期に引き続き、H.R.ドロープナーの主要著作の一つである『教父学教本』を取り上げ、演習を行う。Hubertus R. Drobner, Lehrbuch der Patrologie, 3te Auflage, Frankfurt am Main, 2011.1.オリエンテーション 2.使徒たちの手紙 3.ニコデモ福音書 4.使徒行伝 5.文学的類型 6.ペトロ行伝 7.パウロ行伝 8.書簡 9.文学的類型(書簡) 10.バルナバの手紙 11.黙示録 12.文学的類型(黙示録) 13.ヘルマスの牧者 14.シビュラの託宣 15.まとめと総括およびレポート等に関する解説 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期火4 | 伊原木大祐 | 演習 | Georges Bataille, Théorie de la religionを読む |
[授業の概要・目的] 本演習では、ジョルジュ・バタイユの宗教論『宗教の理論』(1974)を扱う。本書は、バタイユが1948年に(ヴァール主宰の)哲学コレージュで行った講演「宗教史概略」をもとに執筆した作品である。ほぼ完成していたにもかかわらず、生前に出版されることはなかった。「宗教」の理論と銘打ってはいるが、代表作『呪われた部分』とほぼ同時期に書かれていることもあり、バタイユの濃密な哲学的思索が展開されている。本書を宗教哲学的な視野のもとで読み進めつつ、参加者による思索と議論をより重視した演習としたい。 [授業計画と内容] 第1回 イントロダクション 本演習で扱う著作およびその著者について知っておくべき最低限の事柄を説明する。 第2~14回 『宗教の理論』を最初から読み進めてゆく。進度は出席者の語学力に合わせて調整する。 第15回 フィードバック |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期火4 | 伊原木大祐 | 演習 | Max Scheler, Tod und Fortlebenを読む |
[授業の概要・目的] 本演習では引き続き、マックス・シェーラーの遺稿「Tod und Fortleben」を読み進めてゆく。主著『倫理学における形式主義と実質的価値倫理学』とほぼ同時期に執筆されたと考えられている本論考は、ハイデガーやレヴィナスのそれとは根本的に異なった「死」の現象学的分析として、また、不死や死後生に対する宗教哲学的アプローチの模範的な実例として、今でもなお精読に値するといえよう。訳読と解釈を通じ、参加者一人一人が自身の思索を深めていくことが期待される。 [授業計画と内容] 第1回 イントロダクション 本演習で扱う著作およびその著者について知っておくべき最低限の事柄を示した上で、昨年度までに読み終えた箇所の概要を解説する。 第2~14回 「Tod und Fortleben」を全集版で1回に1.5~2頁のペースで読み進めてゆく。 第15回 フィードバック |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期水5 | 杉村靖彦 | 演習 | 田辺元「社会存在の論理」とベルクソン『道徳と宗教の二源泉』の交差的読解 |
[授業の概要・目的] 田辺元の1934年の論文「社会存在の論理」は、田辺哲学の代名詞の一つである中期の「種の論理」の出発点となった論考として知られている。この長大な論文には、田辺独自の絶対無の行為弁証法を「種」という独自な概念を軸に具体化していくべく、多種多様な思想的伝統と現代的問題が縦横に参照されているが、その中でも、1932年に出たばかりのベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』との関係は特筆に値する。田辺はこの著作の「閉じた社会」と「開いた社会」という二極構造を自らの構想する「社会存在論」の構成の中に組み込みつつ、肝心な所で根本的な批判を加える。そしてこの批判的受容を通して、田辺自身の立場の独自性が際立つという構造になっている。 以上のことを踏まえて、本演習では、ベルクソンを直接扱った箇所である田辺の「社会存在の論理」の第3章と、そこで参照されているベルクソン自身の行論を交差的に読み進める。それによって、田辺とベルクソンの双方において複眼的な思想理解を可能にすると共に、哲学・宗教哲学の文献に対する参加者の研究的な読解の訓練の場としたい。 [授業計画と内容] 第1回 導入 テクストを読み進める上で必要な導入的説明を教員が行う。2回目以降の担当者を決める。第2回‐14回 田辺のテクストの論展開を追いつつ、そこで参照されるベルクソンの行論を抜粋して読み、両者を突き合わせていくという仕方で演習を進めていく。各回の担当者は内容要約、受容箇所の抜粋と訳出、疑問点の提示や問題提起などを含めた報告を行い、それを受けて教員がコメントと解説を行う。 第15回 著作全体を振り返り、教員との質疑応答や出席者間での討議を行う。 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期水5 | 杉村靖彦 | 演習 | Paul Ricœur, La symbolique du mal, Première partie: Les symboles primaires を読む |
[授業の概要・目的] ポール・リクール『悪のシンボリズム』は、1960年に『有限性と罪責性』の第2分冊として刊行され、リクールを解釈学的哲学への転じさせた記念碑的著作である。同時にこの著作は、その大部分が聖書や諸文明の神話から渉猟した悪の象徴的・神話的表現の意味解釈に充てられており、リクールが自らの哲学的立場を更新するにあたって、従来の哲学の境界を踏み越え、宗教的表現の生成現場へと深く沈潜したことが見て取れる。 本演習では、昨年度後期に続いて、この著作の第一部「一次的象徴:穢れ・罪・負い目」の重要箇所を抜粋して精読し、リクール解釈学の原点における哲学と宗教の交差の有りようを検討することによって、宗教哲学の可能性を探究するための材料としたい。 [授業計画と内容] 第1回 導入 テクストを読み進める上で必要な予備知識の解説を行う。2回目以降の担当者を決める。 第2回‐14回 リクール『悪のシンボリズム』第1部「一次的象徴:穢れ・罪・負い目」の重要箇所を抜粋し、1回当たり2頁程度のペースで精読していく。担当者は前日までに訳稿を提出することとし、教員がそれに修正コメントを加えた文書を出席者全員で共有して、 それを材料として演習を進めていく。 第15回 読み終えた箇所全体を振り返り、疑問点等について出席者全員で討議を行う。 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期金3 | 景山洋平 | 演習 | 現象学における人間論とその歴史的境界 ー ハイデガーと京都学派の諸著作から |
[授業の概要・目的] 本演習では、Martin Heideggerの四つのテキスト(Sein und Zeit, Kant und das Problem der Metaphysik, Beitraege zur Philosophie, Unterwegs zur Sprache)の必要箇所を精読し、現象学的存在論における人間の位置を考察する。これと並行して、京都学派の著作(西田幾多郎『善の研究』/『場所的論理と宗教的世界観』、田辺元「人間学の立場」/「生の存在学か死の弁証法か」、九鬼周造「日本詩の押韻」)の必要箇所を参照し、現象学との関係を考察する。現象学的存在論における人間概念は「有限性の超越論」(フーコー)や「人間中心主義」(デリダ)と理解されがちであり、こうした理解はミシェル・アンリなどフランス現象学の歴史的展開と大なり小なり連動している。しかし、ハイデガーの思索の変容はこうした解釈に収まらない人間論の可能性を示唆する。本演習では、京都学派との関係に力点を置くことで、現象学的存在論のこうした潜在力を、なにがしか異質な歴史的地平との関係から検討したい。 [授業計画と内容] 毎回一名の訳読と報告を行い、それにつづき教員が訳読とテクストの哲学的意義へのコメントを行い、その後は全員で討議する。以下に各回の講読予定を示すが、授業の進度はそのつど前後しうる。毎回2~3頁ほどハイデガーを講読する他、必要に応じて京都学派のテクストを参照する。 第一回 イントロダクション 第二回~四回 Sein und Zeit, Einleitungを中心に 第五回~七回 Kant und das Problem der Metaphysik. 図式機能論と自己触発論を中心に 第八回~十回 Beitraege zur Philosophie. 第五部 “Gruendung“と第八部”Seyn”を中心に 第十一回~十三回 Unterwegs zur Sprache. 論稿“Die Sprache”と”Das Wort”を中心に 第十四回 講読箇所に関する全体的考察 第十五回 フィードバック |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期木2 | 根無一行 | 講読 | James H. Cone, God of the oppressed(1975) を読む 1 |
[授業の概要・目的] 政治、社会、経済、教育、文化等、あらゆる面で抑圧され排除され続けてきた黒人たちを対話相手とする黒人解放神学(Black liberation theology)を主導したJames H. Coneの主著God of the oppressed(1975)を読む。コーンは『聖書』の中心的使信は被抑圧者の解放だとし、それこそが抑圧の状況の中で黒人の解放ということを想像可能にさせたと考える。コーンのこの考えは、時代も場所も異なり、なにより「当事者」とは言えない私たちと、しかし無関係ではない。キリスト教の中心的使信は被抑圧者の解放だという理解は、キリスト教とのいかなるものであれ強い関係性のもので成立してきた「宗教哲学」をその土台から揺さぶっているはずだからである。これまで宗教哲学が語ってきた言説は「白人=抑圧者」のものにすぎないのではないか。もっとも、黒人解放神学が政治的イデオロギーと化す可能性はコーン自身にも自覚されているように、コーンの聖書解釈もまた決定的・普遍的なものではありえない。重要なのは実践的な仕方で『聖書』の使信を証ししていくことだというわけである。非西洋圏の現代日本において宗教哲学に携わる私たちに対して本書は重層的で広い射程を持った問いを突きつけるだろう。私たちは何をどう考えていくべきなのか、本書を読みながらその手がかりをえたい。 [授業計画と内容] 第1回 導入 本講読の進め方を確認し、著者とテキストに関する基本的な事柄の説明等を行う。第2~14回 テキストの読解と議論等。第15回 まとめ |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期木2 | 根無一行 | 講読 | James H. Cone, God of the oppressed(1975) を読む 2 |
[授業の概要・目的] 政治、社会、経済、教育、文化等、あらゆる面で抑圧され排除され続けてきた黒人たちを対話相手とする黒人解放神学(Black liberation theology)を主導したJames H. Coneの主著God of the oppressed(1975)を前期に引き続き読む。コーンは『聖書』の中心的使信は被抑圧者の解放だとし、それこそが抑圧の状況の中で黒人の解放ということを想像可能にさせたと考える。コーンのこの考えは、時代も場所も異なり、なにより「当事者」とは言えない私たちと、しかし無関係ではない。キリスト教の中心的使信は被抑圧者の解放だという理解は、キリスト教とのいかなるものであれ強い関係性のもので成立してきた「宗教哲学」をその土台から揺さぶっているはずだからである。これまで宗教哲学が語ってきた言説は「白人=抑圧者」のものにすぎないのではないか。もっとも、黒人解放神学が政治的イデオロギーと化す可能性はコーン自身にも自覚されているように、コーンの聖書解釈もまた決定的・普遍的なものではありえない。重要なのは実践的な仕方で『聖書』の使信を証ししていくことだというわけである。非西洋圏の現代日本において宗教哲学に携わる私たちに対して本書は重層的で広い射程を持った問いを突きつけるだろう。私たちは何をどう考えていくべきなのか、本書を読みながらその手がかりをえたい。 [授業計画と内容] 第1回 導入 本講読の進め方を確認し、著者とテキストに関する基本的な事柄の説明等を行う。 第2~14回 テキストの読解と議論等。第15回 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期木2 | 安部浩 | 演習 | シェリングの自由論 |
[授業の概要・目的] カント、フィヒテ、ヘーゲル等の哲人。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン等の楽聖。これらの巨人に伍して空前絶後の精神の運動を牽引しつつ、百花繚乱の「ゲーテの時代」を駆け抜けた早熟の天才がいた。F.W.J. シェリングである。 彼が遺した数多の著述・講義録の中でも、『人間の自由の本質』こそは蓋し最重要作の一つである。では本著作において、「哲学における最内奥の中心点」と自らが見做す「必然性と自由の対立」なる問題にシェリングはいかなる仕方で挑むのか。「ドイツ観念論の形而上学の頂点」(ハイデガー)と評される当該著作を冒頭から繙読し、議論を戦わせていくことで、われわれは、自由、汎神論、悪、無底等をめぐる問題系の考察に努めることにしよう。そしてそれにより、語学・哲学上の正確な知識、及び論理的思考力に基づく原典の厳密な読解力を各人が涵養すること、そしてこの読解の過程において浮上してくる重要な問題をめぐる参加者全員の討議を通して、各人が自らの思索を深化させていくことが、本演習の目的である。 [授業計画と内容] 原則的には毎回、予め指名した二名の方にそれぞれ、報告と演習の記録を担当して頂くことにする。ここに各回に扱う予定である原典の範囲を記すが、授業の進度については出席者各位の実力を勘案して修正することもある。 以下、内容の梗概に続き、括弧内に教科書の頁番号を(また適宜、斜線を付して行番号をも)示す。 1. ガイダンスと講読文献の説明 2. 「前書」と題目(3-7) 3. 「感じ取られる自由の確実性と自由の体系的概念の問題」及び「汎神論概念の諸解釈・その1」(9-12/35) 4. 「汎神論概念の諸解釈・その2」(12/36-16/18) 5. 「汎神論概念の諸解釈・その3」(16/18-21/20) 6. 「汎神論概念の諸解釈・その4」及び「<観念論的・普遍的自由概念>対<人間の生ける自由概念>」(21/21-25/14) 7. 「悪への能力としての人間の自由の問題系(現実性の神的起源に鑑みつつ)」(25/15-29/19) 8. 「自然哲学的演繹(啓示の原理の内的二重性)」(29/20-34/27) 9. 「悪の可能性の演繹・その1」(34/28-39/3) 10. 「悪の可能性の演繹・その2」(39/4-42/16) 11. 「悪の可能性の演繹・その3」(42/17-45/7) 12. 「悪の現実性の演繹・その1」(45/8-48/3) 13. 「悪の現実性の演繹・その2」(48/4-52/29) 14. 西谷啓治「悪の問題」 15. フィードバック |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期木2 | 安部浩 | 演習 | シェリングの自由論 |
[授業の概要・目的] カント、フィヒテ、ヘーゲル等の哲人。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン等の楽聖。これらの巨人に伍して空前絶後の精神の運動を牽引しつつ、百花繚乱の「ゲーテの時代」を駆け抜けた早熟の天才がいた。F.W.J. シェリングである。 彼が遺した数多の著述・講義録の中でも、『人間の自由の本質』こそは蓋し最重要作の一つである。では本著作において、「哲学における最内奥の中心点」と自らが見做す「必然性と自由の対立」なる問題にシェリングはいかなる仕方で挑むのか。「ドイツ観念論の形而上学の頂点」(ハイデガー)と評される当該著作を冒頭から繙読し、議論を戦わせていくことで、われわれは、自由、汎神論、悪、無底等をめぐる問題系の考察に努めることにしよう。そしてそれにより、語学・哲学上の正確な知識、及び論理的思考力に基づく原典の厳密な読解力を各人が涵養すること、そしてこの読解の過程において浮上してくる重要な問題をめぐる参加者全員の討議を通して、各人が自らの思索を深化させていくことが、本演習の目的である。 [授業計画と内容] 原則的には毎回、予め指名した二名の方にそれぞれ、報告と演習の記録を担当して頂くことにする。ここに各回に扱う予定である原典の範囲を記すが、授業の進度については出席者各位の実力を勘案して修正することもある。 以下、内容の梗概に続き、括弧内に教科書の頁番号を(また適宜、斜線を付して行番号をも)示す。 1. ガイダンスと前期の復習 2. 「悪の現実性の演繹・その3」(52/30-55/22) 3. 「悪の現実性の演繹・その4」(55/23-59) 4. 「悪の現実性の演繹・その5」(60-63/18) 5. 「悪の現実性の演繹・その6」(63/19-66/4) 6. 「神の自由・その1」(66/5-70/29) 7. 「神の自由・その2」(70/30-/75/10) 8. 「神の自己啓示の目標ー愛の全一性・その1」(75/11-79/17) 9. 「神の自己啓示の目標ー愛の全一性・その2」(79/18-82/8) 10. 「神の自己啓示の目標ー愛の全一性・その3」(82/8-84/31) 11. 「神の自己啓示の目標ー愛の全一性・その3」(84/32-87) 12. 辻村公一「無底ーシェリング『自由論』に於ける」 13. 薗田坦「無底・意志・自然ーJ.ベーメの意志-形而上学について」 14. 総括と総合討論 15. フィードバック |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期火2 | 竹内綱史 | 演習 | ニーチェ『Die fröhliche Wissenschaft』第五書を読む |
[授業の概要・目的] 本演習では、ニーチェの著作『Die fröhliche Wissenschaft』(邦訳名『悦ばしき知識』『華やぐ知慧』『喜ばしき知恵』『愉しい学問』等)の第五書(1887年)を精読する。同書は第一書から第四書までの第一版が1882年に出されたのち、新たに第五書が付け加わった第二版が1887年に出版された。すでに第一版で「神の死」や「永遠回帰」が語られていたが、『ツァラトゥストラ』(1883-1885年)や『善悪の彼岸』(1886年)を出版したのちに、ニーチェがあらためて自らの哲学のエッセンスを語り直したのが第五書である。そこでは円熟期ニーチェ哲学の中心テーマが集中的に論じられており、彼の哲学の最重要テクストの一つである。本演習ではそのテクストを精読することで、「神の死」「ニヒリズム」「キリスト教道徳批判」「権力への意志」といった彼の哲学の中心問題についての理解を深めたい。 [授業計画と内容] 第1回 イントロダクション 『Die fröhliche Wissenschaft』という著作の概要や背景について解説する。基本的な訳書や概説書・注釈書などを紹介し、授業の進め方について周知する。第2回~第15回 『Die fröhliche Wissenschaft』第五書精読 『Die fröhliche Wissenschaft』第五書を冒頭の節(第343節)から精読する。テクストの一語一句について全員で議論する。受講人数によっては毎回プロトコル担当者を決め、授業の最初に前回のプロトコルを発表してもらいそれについて検討してから、続くテクストの精読を行う予定。 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期木3 | 鬼頭葉子 | 特殊講義 | 世俗とは何か:政治と宗教とのかかわり |
[授業の概要・目的] 近代以降、宗教と政治とのかかわりについて考えるとき、「政教分離」という思想のもと、両者は対立的に考えられてきました。ここに至るまでには、近代化、世俗化という過程を経ています。しかし、現代においては宗教と政治は容易に分けられるものではなく、また宗教概念も個人の内面的なものの表現に留まるものではないことが、多くの思想家たちによって指摘されています。本授業では、世俗とは何か、公共圏とは何かを探求し、世俗主義に関連する政治的価値(自由、正義、寛容、人権など)と宗教思想とのかかわり、また世俗の時代における人間理解について考えます。 [授業計画と内容] 以下のテーマを中心にして進めていく予定であるが、受講者の関心によっては適宜、順序や内容などを変更する場合もある。1 世俗、世俗化、世俗主義 2 聖なるもの、世俗的なもの 3 啓蒙主義による社会の世俗化と宗教の近代化 4 公共圏の誕生 5 私的宗教と公的宗教、国家と宗教 6 宗教的教義の相対化と道徳の内面化 7 信仰と理性 8 世俗の時代における政治の役割 9 宗教倫理と世俗主義の人道主義 10 宗教的自由をめぐる問題 11 宗教的寛容 12 世俗の時代における宗教原理主義 13 世俗と暴力の宗教的側面 14 人権概念を通じた「人間」の再構築 15 フェミニズムと世俗主義 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
金4・5(隔週) | 杉村靖彦伊原木大祐 | 演習 | 宗教哲学基礎演習B |
[授業の概要・目的] 宗教哲学の基本文献を教師とチューター役の大学院生の解説を手がかりに読み進めていくことで、より専門的な研究への橋渡しになるような知識と思考法の獲得を目指す。4回生以上の宗教学専修在籍者にとっては、卒論の中間発表の場ともなる。 宗教学専修の学部生を主たる対象とするが、哲学と宗教が触れ合う問題領域に関心をもつ2回生、および他専修学生の参加も歓迎する。 [授業計画と内容] 宗教哲学の基本文献といえる著作や論文を選んで各回の授業に割り振り、事前に出席者に読んできてもらう。そして、毎回チューター役の大学院生の解説を踏まえて、教員の司会進行の下で、質疑応答と議論を行っていく(その際、履修者には特定質問者の役割を少なくとも1回は担当してもらう)。また、卒論の中間発表の際には、論述の仕方や文献の扱い方なども指導し、論文の書き方を学ぶ機会とする。 隔週の授業のため、全7回として各回のテーマを記しておく。なお、どのような文献を取り上げるかは、前期の「宗教哲学基礎演習A」の様子を見て決めることにする。それによって、各回で取り上げる文献の種類も、以下の記したものとは異なる可能性もある。 第1回 オリエンテーション・卒業論文の中間発表 第2回 宗教哲学の基本文献(近代フランス)の読解・解説・考察 第3回 宗教哲学の基本文献(近代ドイツ)の読解・解説・考察 第4回 宗教哲学の基本文献(近現代英米)の読解・解説・考察 第5回 宗教哲学の基本文献(現代フランス)の読解・解説・考察 第6回 宗教哲学の基本文献(現代ドイツ)の読解・解説・考察 第7回 宗教哲学の基本文献(京都学派の哲学)の読解・解説・考察 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
金4・5(隔週) | 杉村靖彦伊原木大祐 | 演習Ⅱ | 宗教学の諸問題 |
[授業の概要・目的] 演習参加者が、宗教学の諸問題のなかで各人の研究するテーマに即して発表を行い、その内容をめぐって、全員で討論する。討議のなかで、各人の研究を進展させることが目的である。 [授業計画と内容] 参加者が順番に研究発表を行い、それについて全員で討論する。各人の発表は2回にわたって行う。即ち、発表者は1時間以内の発表を行い、続いてそれについて討論する。発表者はその討論を受けて自分の発表を再考し、次回に再考の結果を発表して、それについてさらに踏み込んだ討論を行う。したがって、1回の授業は前半と後半に分かれ、前半は前回発表者の2回目の発表と討論、後半は新たな発表者の1回目の発表と討論となる。 第1回 オリエンテーション、参加者の発表の順番とプロトコールの担当者を決定。 第2回ー8回 博士課程の院生による発表と全員での討論。 第9回-14回 修士課程の院生による発表と全員での討論。 第15回 総括。 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期集中 | 板橋勇仁 | 特殊講義 | 身体論としての西田哲学の研究 |
[授業の概要・目的] 後期西田哲学に身体論が展開されていることはよく知られている。しかしこの身体論に焦点を当てた研究成果はまだ多くない。なぜであろうか。西田哲学の出発点は処女作『善の研究』であるが、この『善の研究』にある身体論には注目されてこなかった。そして『善の研究』の身体論から理解してゆかない限り、後期西田哲学の身体論の意義とその射程も明らかにならないであろう。しかも西田哲学の身体論は一貫して、現代日本の身体を取り巻く状況に対して鋭い問題提起を突きつけてくる。初期・後期の西田哲学の身体論を理解し、それを現代の身体の状況と照らし合わせるために、以上の問題意識に基づいた拙著『こわばる身体がほどけるとき』を講読する。あわせて拙著が依拠する西田の著作をも具体的に検討し、そのうえで参加者で積極的に議論したい。拙著については、もう一度中心線を骨太に描き直すと共に、拙著には盛り込めなかった、多様な伏線をできる限り追ってみたい。 [授業計画と内容] 第1回 ガイダンス 第2回 現代の身体の状況 第3回 『善の研究』における「経験の場」(1) 第4回 『善の研究』における「経験の場」(2) 第5回 『善の研究』における「身体」 第6回 『善の研究』における「唯一実在の分化発展」 第7回 『善の研究』における「主観的自己」と生 第8回 『善の研究』の身体論の持つ意義 第9回 前半のまとめと中期西田哲学 第10回 後期西田哲学における「経験の場」と「制作」(1) 第11回 後期西田哲学における「経験の場」と「制作」(2) 第12回 後期西田哲学における「身体」(1) 第13回 後期西田哲学における「身体」(2) 第14回 西田哲学の身体論の現代的意義(1) 第15回 西田哲学の身体論の現代的意義(2) |