系・専修分属について

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系および専修への分属について

系・専修とは

文学部の学生の皆さんは、それぞれが関心をもつ学問分野をより専門的に学習・研究していくために、2回生進級時にに、3回生進級時に専修に分属することになります。4回生では、所属する専修の教員のもとで卒業論文を提出します。

専修は、各分野の学習・研究の基本単位を示しており、「研究室」と呼ばれることもあります。文学部には31個の専修があります。これら31個の専修を6つに大別して、より広い視野での学問的方向を示しているのがです。

各系の概要および各専修からの分属志望者向けメッセージについては、下記をご参照ください。


分属のスケジュール

系および専修への分属の手続き・ガイダンスは、例年以下のスケジュールで行われます。ガイダンスには、1回生も2回生もそれぞれの志望に応じて参加し、教員との面談を通じて、系および専修の選択にあたっての疑問を解消するように努めてください。

学年時期手続き等説明
1回生9月下旬系分属ガイダンス系分属ガイダンス実施後に、各研究室ごとのガイダンスが行われます。研究室ガイダンスは、教員や上回生と交流する機会です。
1回生9月下旬~10月初旬系分属志望届提出系分属志望届には、系を記入する欄とともに専修を記入する欄がありますが、志望専修が現時点で決まっていない場合は専修欄は「未定」を選択してもかまいません。
1回生11月分属先の系の決定
2回生4月1日系分属
2回生9月下旬専修分属ガイダンス
2回生1次志望
9月下旬~10月初旬

2次志望
10月中旬
専修分属志望届提出現在所属する系に関係なく、どの専修でも分属を志望することができます。

志望者数がその専修の定員基準を超過する場合は、分属者の選考を行う場合があります。選考の基準は専修ごとに異なります。詳細は各専修の分属ガイダンスでご確認ください。

定員超過などの理由により1次志望の専修への分属が不許可となった学生は、2次志望届を提出することになります。2次志望では、1次での分属予定者数が定員基準に達していない専修のみが選択対象となります。
2回生11月分属先の専修の決定
3回生4月1日専修分属
スクロール
できます

専修の定員など

系・専修の分属に関する各種の内規(専修ごとの定員基準、分属後の専修変更の手続き時期など)については、学生便覧の該当ページをご参照ください。

系及び専修に関する内規 – 学生便覧

各系の概要

東洋文化学系は、「東洋」と呼ばれる地域の文化の諸相を、言語と文学と思想の面から探求し、学問の対象としようとする系である。以下の専修から構成されている。

国語学国文学専修
中国語学中国文学専修
中国哲学史専修
インド古典学専修
仏教学専修

ここでいう「東洋」とは、日本、中国、インドをそれぞれの中心とした三つの文化圏の総体を指すものである。それぞれの文化圏には、悠久の時の流れの中で培われてきた大きな伝統が保持されている。その流れは大河の如くであるが、しかしその流れはまた、その時々の様々な新奇なまた異質な文化的要素との接触・衝突のなかで激流となり、新たな流れを生み出し、さらにまた合流して形成されてきたものでもある。したがって、たとえ近代・現代の文化的事象を対象に学問するにしても、目の前の事実だけではなく、その背後に伏流する諸文化層、大小さまざまな伝統の流れを視野に入れなければならない。事態は、古代を扱う者にとっても同様である。たった一巻のテキストといえども、単一の文化伝統から生み出されたものと思い込んではならない。その背後にある文化の諸相に常にまなざしを向ける必要がある。

この三つの文化圏は、古くから文化的な接触を続けてきた。たとえば東アジアの芸術文化・言語文化の形成と展開を考えるとき、紀元1世紀頃からシルクロードを経てもたらされたインド・中央アジアの仏教の文物、とりわけ大量の翻訳仏教経典の影響を無視することはできないであろう。また、近くは20世紀日本を文化的中継点として、西欧文化が東アジアに与えた影響の大きさを知るならば、現代におけるこの地域の文化接触の実相について考えることになるだろう。様々の視点から、なお多くの問題を見出すことができるに違いない。

この系で学ばれる事柄の多くは、現代の世界とは時空を異にする地平で生み出されたものである。そのような事柄を理解するためには周到な準備が要求される。今日に残された文献や口頭伝承を通じて、過去の声を聞き空間を隔てた思いを読み取るためには、諸言語の確実な習得と、何よりも言葉を大切に思う繊細で厳密な読解力が不可欠である。したがって、いずれの専修を選ぶにしても、第一に必要なのは語学力である。語学力と言っても単なるスキルではない、古代語であれ現代語であれ、そこにとどめられた声と思いを大切に感じ取り読み取ろうとする愛情に支えられた力である。文献学(フィロロギー)とは「言葉を愛する学」に他ならないのだから。

西洋文化学系は、ヨーロッパおよびアメリカの文化について、文学と言語に視点を定めて研究を行う部門であり、古典古代から中世、近・現代までの時代を広くカバーするとともに、取り扱う言語に応じて、西洋古典学、スラブ語学スラブ文学、ドイツ語学ドイツ文学、英語学英文学、アメリカ文学、フランス語学フランス文学、イタリア語学イタリア文学という7つの専修に分かれている。

いずれの専修においても文献資料の正確な解釈と整理が研究の基礎となるため、語学能力は極めて重要である。各専門領域の言語は言うまでもなく、ラテン語・ギリシア語の基礎知識は非常に有益であり、また近代語については作文や聞き取り、会話などの実践的運用能力も高める必要がある。従って全学共通科目の語学単位とその他の必修の語学の単位は1・2回生の間に取得しておくことが望ましい。

7つの専修はいずれも論理的・実証的であると同時に自由な発想に基く研究を重んじており、それぞれの地域や文化圏の文学・言語・思想・社会に関心をもつ学生諸君を幅広く迎えることを望んでいる。文学研究科図書館には、長い歴史と伝統を誇る旧文学科から受け継いだ豊富な文献資料が所蔵されているので、これらを存分に活用してほしい。また、人間・環境学研究科や人文科学研究所など学内他部局、そして他大学からの講師も授業を担当して、充実したカリキュラムを組んでいる。

哲学基礎文化学は人文学研究の基礎的領域を包括する。文化の領域について、文学研究や歴史研究とくらべると、もっとも根本的な原理を追求するという特質をもっている。たとえば歴史を記述する学問では、「実証的な真理」は自明の前提とされるだろうが、哲学基礎文化学系の学問では「実証とは何か」という問いが掲げられる。学問・文化という人間の営みを、人間のすべての営みと関連づけて考察することが、哲学基礎文化学系の学問の課題である。思想文化は断片的なものではなく、人間の生の全体に関わり、生きた統一体としてまとまりのある知の体系をなしている。その全体を真善美聖という観点から探求するのが哲学基礎文化学系の学問であるということもできよう。

哲学基礎文化学系には哲学、西洋哲学史、日本哲学史、倫理学、宗教学、キリスト教学、美学美術史学の各専修が含まれる。真なるものを真の観点から探求するのが哲学である。真理とは何かという研究領域は、従来「認識論」と呼ばれてきたが、現代では、論理学、科学哲学が重視されている。それに対して善なるものの探求に携わるのが倫理学である。生命倫理、環境倫理など具体的な問題と「善とは何か」という原理的な問いとの接点を保ちながら、倫理学の営みが成り立っている。美学は美なるものを探求する。「美」には「真」という意味が含まれるのか、どうか。ポップアート以降の現代美術はいかなる意味において「芸術」なのか。異なる文化の間で芸術はどのような社会的機能を発揮しているか。美学・美術史学の領域では〈美学・芸術学〉、〈美術史学〉、〈比較芸術史学〉という三分野の有機的な連携で、研究活動が展開されている。聖なるものの探求に携わるのが宗教学、キリスト教学である。人間の生にとって宗教がどのような意味をもつのかを主に哲学的見地から考察するのが、宗教学であり、特定の教義や信仰をはなれて、純粋に学問的な見地から批判的共感をもってキリスト教思想を研究するのが、キリスト教学である。

他方、思想や美の理論的体系的な研究は思想史、美術史等の歴史的研究を不可欠の前提としている。西洋古代、中世、近世哲学史を含む西洋哲学史と日本哲学史の研究は体系的な思想史の確立に不可欠である。思想の真の創造は思想史への深い畏敬と洞察を前提とするものであり、同様に美や芸術の体系的な理論構築も美術史、比較芸術史の研究なくしては不可能である。人間存在が根源的に有している歴史性ヘの深い洞察なくして思想文化の創造はあり得ない。理論研究と歴史研究からなる哲学基礎文化学系は、現代が内包する諸問題と最も根源的かつ綜合的な観点から対決する学問分野といえよう。

哲学基礎文化学系は旧「哲学科」を母胎とするが、小講座制の枠を取り払い、学際的な教育体制を確立しようとするものである。哲学基礎文化学系への分属を希望する者は、系を構成する全専修への広い関心が期待される。個々の専修への分属は、哲学基礎文化学全体への少なくとも概観的な理解を得た後になされることが望ましい。

哲学基礎文化学系に進もうとする学生諸君に期待されることは、第一に、しっかりした語学力である。どの専修でも外国語の文献を正確・綿密に読みこなす力が必要になる。外国語を学ぶことは楽しいという気持ちを最初に知ってほしい。

第二に期待されることは、資料を扱う際の厳密さである。他人の業績を利用する際には必ず出典を明記する等の、誠実でフェアな態度が、多くの情報がインターネットから得られる状況になった今日、ますます厳しく要求されている。

第三に期待されるのは、明確な表現力である。文献や作品の検討を通して自分の魂に刻み込まれたことを再表現するときに、おざなりな定型表現、借り物の美辞麗句、こけおどしの難解語を拒否して、自分に誠実な、そして他人に理解される表現を追求することが要求される。

歴史基礎文化学系は、日本史学・東洋史学・西南アジア史学・西洋史学・考古学の5つの専修によって構成されている。各専修は、いずれも固有の研究分野と研究方法をもち、それぞれが確固とした学問的伝統を有しているが、他の4専修とは研究方法を大きく異にする考古学も含めて、全体を歴史学として一括することができる。歴史学は、人類社会の発展の諸相を時間軸によって跡づけ、考察する学問である。歴史基礎文化学系は、5つの個別分野の特性や固有の課題を尊重しながら、歴史学としての共通の課題に立脚して構成された系である。

本系においては、上に述べたような系の共通性を土台としてふまえつつ、各専修の独自の要請を加味して、カリキュラムを編成している。各専修ではそれぞれ、入門的な性格をもつ講義、より専門的な内容にふみこんだ特殊講義、演習、実習、講読などの必修科目を設定しているが、これらの科目の配当年次は専修によって異なっている。日本史学は講義・講読・基礎演習を、東洋史学と西洋史学は講義・講読を、西南アジア史学は講義・語学をそれぞれ2回生に配当しているが、考古学は講義を1回生に、講読・実習を2回生に配当している。本系への分属を希望する学生諸君は、これらの点をふまえて、3年次にいずれの専修に進むのかを十分に考えておくことが望ましい。

各専修とも、それぞれの必修科目以外に、広く歴史基礎文化学系内からの講義・特殊講義などの授業の履修を求めている。これは、上に述べたような歴史学としての共通性を考慮して、専修の枠にとらわれずに、関係する諸学問分野の知識を学び、学問の視野を広げることができるように配慮したものである。とくに2回生の諸君は、この点をよく考えて、各専修の講義を共通して履修することが望ましい。

また、いずれの専修を選ぶにしても、まず必要なのは語学などの基礎的な学力である。1・2回生のあいだに、語学をはじめとする基礎的な科目の勉強を進めて、単位を修得しておくことが必要である。各専修の専門的な教育は、こうした基礎があることを前提として行われる。

各専修は、それぞれが1つの研究室を構成している。3回生以降は、この研究室が、専門的な知識を学び、卒業論文の作成に向けて勉強する場となる。各研究室には、担当の教員のほかに、多くの大学院生が所属して研究を進めている。志望を決めるさいには、上級生や大学院生の助言を求めるのも1つの方法であろう。

行動・環境文化学系を構成するのは、心理学・言語学・社会学・地理学の4つの専修である。この4専修は、いずれも固有の研究分野と研究方法をもち、確固とした学問的伝統を有している。しかしその一方で、人間の心理・言語活動・社会活動・空間活動に対する行動科学的アプローチを共有している。行動・環境文化学系は、このような4つの個別分野の特性を保持しつつ、共通の要素を軸として1つの系を構成することになったものである。

本系においては、心理学・言語学・社会学・地理学の各分野がそれぞれ独立しており、本系に分属を希望する学生諸君は、いずれの専修に進むのかを十分に考えておくことが望ましい。とりわけ本系を構成する各専修の場合、研究を進めていくためにはもとより、授業の内容を十分に理解するためにも、基礎的な技法・技術を修得することが不可欠である。各専修は1回生または2回生から、それぞれの分野の入門的講義や演習・実習・講読の必修科目を提供している。行動・環境文化学系に分属予定の学生諸君は、これらのどの科目を履修するかを考えておくことが必要である。

いずれの専修を選ぶにしても、まず必要なのは語学などの基礎的学力であり、1・2回生のうちにこれらの勉強を進め、単位を修得しておくべきである。各専修の専門的教育はその基礎があってはじめて有効となる。

心理学・言語学・社会学・地理学はそれぞれ研究室を構成し、3回生以降における専修分属の単位となっている。それぞれの専修における教育を担当し、卒業論文の作成指導をするのはこれらの研究室である。各研究室には、担当の教員の下に多くの大学院生が所属して研究を進めている。必要があれば上級生および大学院生からの助言も得られよう。

基礎現代文化学系は、科学哲学科学史専修、メディア文化学専修、現代史学専修の3つから構成されている。

科学哲学科学史専修は、「科学とは何だろうか」という問いに、主に哲学と科学史の2つの分野の手法を用いつつ答えることを目指している。科学哲学は哲学の伝統的な問題意識を科学に当てはめたり、科学の営みの中で生じる概念的問題を考察したりすることでこの問いに迫る。科学史は科学の学説史や科学・技術をめぐる社会史などを検討することで科学の成り立ちを考える。この両者が組み合わさる学際的なアプローチが当専修の特徴である。

メディア文化学専修は、現代におけるメディアの高速化・大規模化・廉価化・大衆化・グローバル化により生み出された、国や地域を超えた新たな文化・価値観・生活様式にかかわるさまざまな問題を考察する。本専修の教育の大きな特徴は、従来の人文・社会科学の手法に基づきつつ、新しい事象を扱うためにこれまでになかった分析視点や他分野の手法なども積極的に採り入れる点にある。

現代史学専修は、旧史学科の現代史学講座として設置され、一次史料の分析に基づく歴史学の方法論をとる。一方で、様々な国や地域の間の様々な影響関係を考察することなくして現代という時代を把握することは出来ないという視点に立ち、現代史を世界史として把握することを目指している。したがって当専修では、日本を含む特定の国の歴史を分析する場合にも、世界史的な潮流への位置づけや他地域で発生している事象との相互関係を考察する研究姿勢が求められる。

各専修は、1回生から受講できる入門的な内容の系共通科目講義を提供している。また、基礎現代文化学系全体では、基礎現代文化学系ゼミナール(現代文化学系の大学院修了者によるリレー講義)を開講している。各専修の専門科目である講読・特殊講義・演習・基礎演習の中には、2回生から履修できる科目もある。1・2回生のうちにこれらを受講して、各専修の研究内容を知ってほしい。また、専修分属後に専門的な研究を進めるためには、系共通科目の講読を2回生から3回生の間に履修しておくのが望ましい。分属希望者が専修の収容人員を上回った場合には、各専修が1・2回生の時の成績等によって選考を行うことがある。

各専修からのメッセージ

東洋文化学系

本専修の授業は、4名の専任教員のほかに、人間・環境学研究科の国語学国文学関係の教員と、非常勤講師とによって行われる。非常勤講師は、本学の教員の専攻しない分野を補う。国語学と国文学と、一応二つの専門に分かれているが、伝統的に、国語学研究と国文学研究を相互に密接に結びつけることによって、それぞれ豊かな実績を挙げてきた。学生諸君も、関心の対象をあまり早くから限定せず、国語学・国文学の双方に対して幅広い関心を持つことが望ましい。

本専修では、伝統的に古典語・古典文学の研究が中心になっているが、それは京都という地理的な要因と、文学研究科図書館や附属図書館に収蔵されている、大量の貴重な古文献の存在が、古典研究に有利であるからである。原典に触れながら研究を進めてゆけるという恵まれた環境の中で、さまざまな視点から、古典語・古典文学の研究を進めてゆくことによって、自ずから質の高い研究が生まれてくる。近現代の語学・文学についても、専任の教員はいないが授業は行われており、例年、卒業論文のテーマに近代文学を選択する学生も少なくない。

国語学国文学研究室では、研究活動の一環として、月刊誌『国語国文』を編集・刊行している。当該分野の専門誌として東京大学の『国語と国文学』と並んで歴史が古く、国語学国文学研究の一拠点としての役割を長く荷い続けている。また、大学院生やODが中心となり、『京都大学国文学論叢』も発行している。国語学国文学における研究テーマや研究方法を知るために、これらの雑誌に収められた論文を読んでみてほしい。

『国語国文』『京都大学国文学論叢』以外にも、研究室では貴重な資料の学界への提供を旨として編集・出版活動を行ってきた。京都大学国語国文資料叢書五十余巻をはじめとして、『改修捷解新語』、『京都大学蔵大惣本稀書集成』、『ヴァチカン図書館蔵 葡日辞書』、『京都大学蔵 むろまちものがたり』全十二巻、『貴重連歌資料集』全六巻の他、近年では『和漢聯句作品集成』(室町前期・室町後期、中国文学研究室と共編)や『潁原文庫選集』全十巻を刊行した。

本専修の在学生と卒業生は、京都大学国文学会という会に加入する。同窓会組織であるが、その名の通り「学会」の性格が強く、毎年11月~12月頃に開かれる例会では、大学院生の研究発表や学術講演が行われる。学生諸君も積極的に聴講されたい。

国語学国文学専修ウェブサイト

本専修が対象とするのは、文字が出現してからの3000年以上たえまなくつづき、さらにヨーロッパのロマンス諸語ほどの差異のある中国語諸方言のひろがっている時空の中で、漢字を用いて伝えられてきた言語・文学の全体である。

ただし、書きことばの上では、古くから共通の規範をもとうとする求心的傾向が強く、標準的古典語と現代共通語(普通話)との学習を出発点に、ほとんどの文献は読めるようになる。古典と近代とを乖離させずに、一つの大きな流れを見通すにも、これら2種のことばの基礎力は欠くことができない。その際、いかなる時代の作品を扱うにも、正確な語感の把握のためには、会話・作文を含めた現代語の力が前提となることは強調しておくべきであろう。また、口承系の資料を研究するには、対象地域により方言の知識が必要となることがある。

はじめにのべた対象領域の広さゆえに、専任教員のみでは充分な授業をおこなうことができない分野が数多く存在する。そうした面については、人文科学研究所、人間・環境学研究科および他大学から出講いただいている講師陣の強力な応援がある(詳細は今年度の学生便覧参照)。また院生・学生独自の読書会・研究会も、それぞれの関心に応じ開かれている。意欲的な学生には、方法論的問題を考えるためにも、中国以外の言語文化圏への関心をあわせもちつづけることをすすめる。

在学者ならびに卒業生を中心に中国文学会が組織されており、年1度開催の例会では会員の研究者による発表がおこなわれる。また年2回発行の『中国文学報』は、学界において権威ある研究雑誌と認められている。

木津教授は、文明の言語としての中国語という観点から、非中国語圏との接触が活溌であった周縁地域の言語に着目し、その接触によって形成された境界的中国語の実態を明らかにすることを目指している。

緑川教授は、中国古典詩と文学理論、とりわけ「唐宋変革期」と称される中唐から北宋に至る時期を中心として、「宋調」(宋詩的なるもの)の形成と受容、詩学観念の演変といった問題について考察している。

成田准教授は、前近代中国の知識人階層における「書くこと」について、特に書や散文において「作者の個性」のようなものがどのように自覚され構築されたか、作品と言説の両面から考察している。

中国語学中国文学専修ウェブサイト

中国哲学史は、中国人の思索の歩みを研究する学問である。よく中国哲学史と呼ぶのがよいか、それとも中国思想史と称するほうがよいかが議論されることからもわかるように、中国哲学は西洋哲学とは内容をかなり異にする。形而上学や認識論が中心課題となることはそれほど多くなく、論理学もまた発達しなかった。しかしそれは、中国人が世界や人生について充分な思索を行わなかったということではない。彼らもそれらについて、究めつくせないほどの思想的業績を遺しているのである。ただそれが、西洋とは全く思考様式や発想を異にする中国独自のものであったということである。その点をまず心に留めておいてもらいたい。

平凡ながら、中国人が何をどのように考えたかを知ること、中国哲学史研究はこの一事につきる。したがって、一切の先入観を捨て、中国人の立場に立ってその思考を跡づけることがまず何よりも必要である。西洋哲学の概念や類型にあてはめて事足れりとすることは、厳に戒めなければならない。もっともそれは、中国哲学の研究に西洋哲学の知識が必要ないことを意味するのではむろんない。中国の哲学を正確に分析するためには、西洋哲学の知識はむしろ不可欠である。ただそれを機械的にあてはめてはならないと言うのである。諸君は積極的に西洋哲学を、さらには宗教学・倫理学・美学等についても勉強してほしい。またインド哲学や仏教学の素養が必要なことは言うまでもない。

中国人の立場に立ってものを考えるためには、古典文献、すなわちいわゆる漢文が正確に読めることが何よりも必要である。学生にとって、漢文読解力修得が第一の肝要事である。したがって本専修では、演習、講読に最も力を注いでいる。その方法は、清朝考証学を踏まえた文献実証学であり、訓詁と典故とを重視する。一字一句をゆるがせにしない詳細な読みと出典調べが要求される。一見哲学とは無関係の、無味乾燥な作業と思うかもしれないが、どうか我慢してほしい。それが哲学研究の基礎となるのだから。教材の中心は経学関係の書である。経学は中国哲学の根幹であり、経学を全く抜きにした思想家は存在しない。道・仏教家の場合でも、経学がその素養にある。故に中国哲学を研究する者は、その専門分野のいかんにかかわらず、まず経学を学んでおかなくてはならない。経学演習は必修課目と思ってもらってよい。

しかし、経学が中国哲学の全てではない。仏教や道教はむろんのこと、最古の甲骨文から現代の新儒家や社会主義思想まで、中国哲学の稔りは豊かである。若いうちは自らを限定せず、できるだけ広く関心をもっていてほしい。従来の経学や儒教のみの哲学史はもはや過去の話となった。仏教をはじめとして多彩な分野に関わる講義が設けられているので、それらの積極的な聴講を期待する。

あと一つ注文を言えば、できるだけ早いうちに中国語を習得しておくこと。学術の国際交流の上からも欠かせない。日本人にとって、中国は文化の母とも言える。色々書いたが、中国語や漢文をこれまでとくに学習していなくとも構わない。意欲ある諸君の専修を待望する。なお卒業生と院生を中心として「京都大学中国哲学史研究会」が組織され、その機関誌として「中国思想史研究」(年刊)を刊行している。

本専修では、古典サンスクリット語に代表されるインド・アーリア系諸言語と、それらの言語で編纂された古代インド文献の研究を行っている。インド・ヨーロッパ諸語の中でも古いかたちをとどめるサンスクリットの研究は、古代インド文献のみならず、インド・ヨーロッパ諸語の歴史的研究にとっても不可欠なものである。学生諸君には学部生の間に、人類の貴重な知的遺産であるサンスクリットを学習し、そこに内包される言語的叡知に触れてみることをお勧めしたい。ただし、そ の学習はある程度根気を要することを付け加えておかなければならない。特に本専修を志す人は、三回生までにサンスクリット文法のクラスを受講しておいてほしい。また、サンスクリットの研究には200年の歴史と、その間に蓄積された膨大な研究業績がある。それらの業績の大半は、ドイツ語、フランス語、英語で書かれているので、卒業論文を仕上げるには、英語以外にドイツ語やフランス語の資料もある程度扱えることが望ましい。

本専修での教育・研究内容については、下記ページ内の「大学院受験生向けのメッセージ」を参照してください。

インド古典学専修

仏教学専修は、文献資料を主とする仏教思想史の研究と教育を行っています。対象とする地域は、伝統的にインドとチベットが中心になりますが、中国仏教については人文科学研究所の研究者の出講によってこれを補っています。

本専修を志望する学生は、2回生の段階で少なくとも初級サンスクリット語とチベット語を学習し、学部在学中にパーリ語も習得しておくことが期待されます。漢文仏教文献を扱うことができる漢文の素養も必要になることは言うまでもありません。仏教学は国際性の高い学問ですので、大学院に進学しようとする学生は、英・独・仏語のうち少なくとも一つについて作文・会話も含めて十分に習熟することが望まれます。

宮崎教授は後期インド大乗仏教を専門とし、そのチベットへの伝播にも関心を持っており、特にインド大乗仏教の展開について研究を進めています。

本専修のスタッフによる講義、特殊講義、演習のほかに、サンスクリット語、チベット語(いずれも学部共通語学)の講義が学生のために用意され、またインド古典学専修の授業のうちいくつかは本専修と共通となっています。本専修スタッフの直接の専門ではない領域についても、学内及び学外から来講する講師による授業が提供され、学生が自身の興味に従って学び研究できる体制が準備されています。

西洋文化学系

本専修ではユーラシア大陸の広大な地域に居住するスラブ諸民族の文学・言語・文化を研究しています。

ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフなどの近代ロシア文学が明治以降の日本文学に大きな影響を及ぼしてきたこともあって、ロシアの文学・言語・文化の研究を軸としつつ、近年はそれ以外のスラブ地域についても研究が本格化している事情を踏まえて、ポーランドやチェコやブルガリアの言語や文化、古教会スラブ語など、できるだけ幅広い内容の授業の開講を心がけています。学生・院生諸君のなかには、ロシアの文学・語学だけでなく、ポーランドやチェコ、あるいは映画、絵画、日本文学との比較などを勉強している人もいます。

スラブ語学スラブ文学専修の学生に期待するのは、文献を読み解くために必要な語学力を習得し、自分の関心をどんどん拡げていこうとする意欲と、ときには教員との議論も辞さない自主的で開かれた姿勢です。

本専修の詳しい情報については、専修HPもご覧ください。

スラブ語学スラブ文学専修ウェブサイト

ドイツ文学と聞いて何を思いうかべるでしょうか。今の日本でもっともよく知られているドイツの文学者といえば、グリム兄弟とミヒャエル・エンデかもしれません。

かつてグリム童話やエンデの文学に親しんだことのある人は、知らず知らずのうちにドイツ文学の森のなかへ足を踏みいれているのです。というのもグリム兄弟のメルヒェン収集は、詩と学問との統合をめざしたドイツロマン主義の精神につらなるものであり、エンデの作品に登場する不思議な少女や灰色の男たち、本のなかの本や鏡のなかの鏡といったモティーフはドイツ文学のなかにくり返しあらわれてくるものだからです。

けれどもまたドイツ文学がけっしてドイツ一国だけのものではなく、オーストリアとスイスの一部にもおよんでいることを忘れてはなりません。とりわけ19世紀末から20世紀初頭にかけてのウィーンでは、シュニッツラーやホーフマンスタールらの文学者、クリムトやシーレらの芸術家、マーラーやシェーンベルクらの音楽家、さらには哲学者ヴィトゲンシュタインや医師フロイトといった多彩な才能が独自の文化を開花させました。

文学だけにとどまらず、こうしたドイツ語圏の文化の諸相をその時代や社会とのかかわりのなかで学ぶのが本専修の特色です。

また本専修では伝統的に、他の専修や他の研究科の学生たちもまじえた研究会や読書会の活動も盛んです。

詳しい情報については専修HPもご覧ください。

ドイツ語学ドイツ文学専修ウェブサイト

本専修の講義は、3名の専任教員のほか、人間・環境学研究科および学外の教員によって行われ、英語学と英文学のほぼすべての分野を網羅するようになっている。(大多数の講義はアメリカ文学専修の講義としても認定され、また、アメリカ文学専修の講義の大多数は本専修の講義としても認定される。)英米人教員によるものを除いて、講義は日本語で行われるが、その場合にも教材は原則として英語の原典を用い、作品の正確で厳密な読解を特に重視する。

本専修では英語学と英文学に関する多くの科目を提供しており、特定の狭い分野のみに限定することなく、幅広い関心を養うのが好ましい。卒業論文は英語で書くことになっている。英語母語話者による授業も複数提供しているので、積極的に履修し、英語の運用能力も高めて欲しい。

英語学英米文学専修
英語学英米文学専修ウェブサイト

本専修の授業は、2名の専任教員のほか、人間・環境学研究科および学外の教員によって行われ、主として19世紀以降のアメリカ文学について、できるかぎり多様な領域を網羅するようになっている。また、本専修の授業の大部分が英語学英文学専修の単位として認定されるのと同じように、英語学英文学専修の授業も大部分、本専修の単位として認定される。学生は、特定の狭い分野のみに限定することなく、英語学英文学の分野や他の外国文学についても、できるだけ広く理解を深めることが望ましい。

英語を母語とする教員によるものを除き、授業は日本語で、英語の原典を用いて行われ、 特に作品の正確で厳密な読解が重視される。卒業論文は英語で書くことになっている。“Academic Writing”等、英語母語話者による授業も複数提供しているので、積極的に履修し、英語の運用能力も高めてほしい。また、日本文学にも関心を抱き、日本語の理解、日本語による表現能力を深めるために常日頃努力することも大切である。

英語学英米文学専修
英語学英米文学専修ウェブサイト

イタリア語学イタリア文学専修は、日本で数少ないイタリアの文学・文化を専門に学ぶことのできる場です。イタリアは、西洋の人文学の伝統のなかで重要な位置を占めています。文学、哲学、芸術、歴史、科学、音楽、あるいは映画やファッションといった分野でイタリアが果たしてきた役割とその影響の大きさは、みなさんもよくご存知だと思います。このような重要性にもかかわらず、国内でイタリア語を学ぶことができる大学は少数にとどまっています。イタリア語を使いこなせる研究者が少ないために、各分野の重要な著作が日本に紹介されないまま眠っていることも少なくありません。

イタリア語学イタリア文学専修では、このイタリア語で書かれたテクストを主に研究しています。そのなかには文学作品だけではなく、思想、芸術、歴史などにかかわる文献も含まれています。過去にはロレンツォ・デ・メディチの詩作品やガリレオの著作、レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿、あるいはオペラや映画の台本に取り組んだ方もおられます。イタリア語とイタリア文化全般が研究の対象となっています。

専修の授業をうけるにあたって必要となるイタリア語の知識について紹介すると、共通教育の初修外国語イタリア語、もしくは文学部のイタリア語4時間コースを受講されている方は、スムーズに専門科目に入ることができるでしょう。自学自習である程度イタリア語を勉強したという方も、問題なく授業に対応できるはずです。イタリア語文法を多少なりとも知っていれば、とりあえずは大丈夫です。語学はやる気があれば何とかなりますのでモチベーションが大事になります。そしてみなさんの興味関心を引きつける対象は、イタリア文化の様々な方面に多々見つかるはずです。

質問などありましたら随時対応いたしますので、教員もしくは下記の研究室ホームページまでお気軽にご相談ください。

イタリア語学イタリア文学専修ウェブサイト

哲学基礎文化学系

哲学専修は、文学部の専修の中でも、研究対象の選択の自由度が最も高い場所の一つである。なんたって、名前が「哲学」。国文学や仏文学にまじって「文学」専修があるようなもの。一段と高いはず分類項目が、より細かい項目の間に紛れている珍現象。これを哲学の業界用語では、カテゴリー・ミステイクと言う。でも、はばかりながら、これはなかなか由緒のあるミステイクなのである。

本専修は京大文学部創設以来の教室であり、その後、西洋哲学史の各講座を含め哲学系の教室が次々と設立された後でも「哲学・西洋哲学史第一講座(哲学)」にとどまり続けた。そこには言語圏や時代や分野を限定せず、広く過去の思想伝統を吸収し、その上で独自の哲学を生み出す「場」を確保しようとする、京大哲学科の意志を感じ取ることもできる。事実、「純哲」と呼ばれた本教室は、西田幾多郎・田邊元両教授を含む歴代教官・教員の下で、「京都学派」の根拠地となったのである。

というわけで、この伝統あるカテゴリー・ミステイクの産物たる本専修では、一生に一度くらいは、物事の根本についてじっくり考え抜きたいという学生諸君に大きく門戸を開いている。社会や国家の仕組みについて、科学や宗教の正体について、人生いかに生きるべきかについて。思索が、既存の個別学問の枠をはみ出し、その学問の基礎を問い直す射程と気概を持つとき、それは何であっても「哲学」と呼ばれ、本専修の守備範囲に入ることになるのである。具体的にどのような研究対象が選ばれているかについては、専修のホームページに出ている各種の情報、特に「所属院生」や、哲学専修が関わっている雑誌『哲学論叢』と『Prospectus』のページを見て頂きたい。

テキストを正確かつスピーディに読みこなすための語学力、自分で議論を展開するための論理的な力。何を対象に選ぼうとも、これらは哲学の研究にとって必須の基礎体力である。したがって、卒論演習をはじめ、本専修が提供するさまざまな講義・演習は、この基礎体力をつけるトレーニングの場という意味合いを多分に持っている。また大学院生による読書会などの自主的な研究会活動が盛んなことも本専修の特徴である。学部生も、これらに積極的に参加し、「哲学力」を身に付ける一助とされることをお勧めする。

最後に本専修の卒業生の進路について。学部卒業生の約半数が大学院進学、残りが就職・その他、というのがここしばらくの状況である。就職先としては、マスコミ・出版関係、国家・地方公務員、システムエンジニア、司書など、概して文学部の他専修と同様の傾向を示している。また修士課程修了者のこれまた約半数が博士課程に進み、残りが就職している。就職先も、マスコミ・広告・証券・製薬・司法修習生と、学部卒業生のそれと比べて広がりに遜色はない。「文系の修士課程修了者は一般就職に不利」という通念は、もはや完全に過去のものとなったのである。さらに過去15年ほどの博士課程修了者の就職傾向をならして見れば、毎年1名以上がアカデミック・ポストに就職していることになる。高等教育機関における思想系教員数の減少という全国的な傾向を考えれば、ここでも本専修修了者の健闘は光っていると言える。

哲学専修ウェブサイト

本専修は、西洋哲学史における古代、中世、近世の三つの研究分野をふくんでおり、研究上および運営上でも相互に密接な関連を保っているが、ここでは便宜上、三つの分野に分けて記述する。

古代
本研究室が目指すのは、哲学という営みが形成・確立された現場から、古代哲学の特質を理解すると同時に、哲学の基礎的な問題をその根源にまで遡って平明に考察することである。そのためにはテキストの厳密な読解が前提となるので、古代ギリシア語に精通することが必須であり、またラテン語や近代西欧諸語も習得することが望ましい。初期ギリシアから後期ローマおよびその周辺にまでわたる広範な研究領域のなかで、研究対象と方法の選択は各自の自由にゆだねられており、最近では研究テーマは多様化している。ただしプラトンとアリストテレスの哲学を基本とした思考と文献学の訓練は重要であり、他のテーマを主題とする研究にとっても基礎となるだろう。また当研究室が運営の中心となって「古代哲学会」が組織され、機関誌『古代哲学研究(メトドス)』が年1回発行されており、院生も積極的に論文を投稿し、活発な議論の場となっている。

中世
本専修がカヴァーする研究領域は、古代末期のキリスト教教父時代からスコラ学をへてルネサンスに至るまでの哲学である。研究をすすめるためには何をおいても原典テキストの綿密な読解が要請されるので、この時期の学問言語であるラテン語に習熟していることが必須の条件となる。さらには、西洋中世哲学は古代ギリシア哲学との連関をもちつつ成立しているために、古典ギリシア語についても初歩的文法の知識は必要である。また、西洋中世哲学の根底的背景としてのキリスト教についても、基本的知識が要求される。以上のような歴史的知識と哲学的思考能力を基礎として、具体的な研究対象の選択は学生本人にまかされる。西洋中世哲学史の研究室には、その出身者を中心とした京大中世哲学研究会が組織されており、そこで研鑽を積むことができるとともに、年1回発行されている機関誌『中世哲学研究(VERITAS)』に研究を発表することができる。

近世
近世哲学史専修は、近世から現代にかけての西洋哲学を対象範囲とし、地理的にも言語的にも時期的にもまた哲学的傾向からいっても多様な哲学者・哲学説がそこには含まれている。志望学生に求められるのはそうした中から自分が関心を持った哲学者や哲学的問いに熱意をもって取り組むことである。どの哲学者や哲学思潮を研究対象とするとしても、事柄としての哲学と哲学的テクストとの両方に誠実に取り組むことが求められる。その際には、研究対象とするテクストが書かれたオリジナルの言語で取り組むことが原則として求められる。研究室という場は、教員から指導を受ける場であると同時に学生同士が学びあい、切磋琢磨しあい、またサポートしあう場である。自らの思考と知識を、議論を通じて深化させていくのと同時に、仲間の主張には関心を開いて耳を傾け、相互の研究に貢献し合う姿勢が求められる。

西洋哲学史(古代)専修ウェブサイト
西洋哲学史(中世)専修ウェブサイト
西洋哲学史(近世)専修ウェブサイト

倫理学は道徳哲学とも呼ばれますが、本専修では、狭い意味での個人の道徳に限らず、広義の「社会哲学」の研究を主たる目的としています。本専修における研究は、「倫理学理論」と「応用倫理学」に分類されるものに大別されます。いずれを選ぶ場合でも、もう一方への目配りを欠かすことはできません。また、倫理思想史の全体を俯瞰することができるような歴史的研究も、真摯な学術研究として倫理的検討を行うための手段として重要な意味をもっています。

倫理学研究室のメンバーは、それぞれ、現代の倫理学理論の研究から、生命、環境、情報はもちろん、セックス、ドラッグ、少年犯罪などの特殊現代的問題に至るまでの幅広い研究領域に取り組んでいます。詳しくは、研究室のウェブサイトをご覧下さい。

倫理学専修ウェブサイト

「宗教」の名の下で問題になりうる現象は実にさまざまであり、それに対する学問的なアプローチにも多種多様なものがあるが、当専修は、哲学研究を軸としてそこから宗教にまつわる諸問題へと接近していくという研究姿勢を基本としている。このような姿勢の前提にあるのは、宗教とは単に例外的な経験や特殊な信条・組織の問題ではなく、人間が人間として世界の内にあることの根源、自己の存在の根源が問われる場にほかならないという洞察である。そこでは、「宗教とは何か」という問いは、哲学の根本問題とおのずから触れ合うことになる。このように宗教と哲学とが切れ結ぶ地点に立ち、そこで求められる思索の行方を追究すること、その意味での「宗教哲学」が当専修の基本的な方向性である。この方向性は、西田幾多郎、波多野精一、西谷啓治、武内義範、上田閑照、長谷正當、氣多雅子という当専修の歴代の担当者が、多くの場合京都学派の哲学の展開との密接な連関の下で発展させてきたものである。

したがって、宗教史学、宗教心理学、宗教社会学、宗教人類学等々、およびそれらの方法論を駆使した記述的・実証的宗教学については、当専修のカリキュラムでは主題的に取り扱っていない。しかし、もちろんそうした分野に関する知識が不要だということではないし、各人の関心に基づいた宗教現象・宗教思想へのアプローチを排除するものではない。

宗教哲学という学問の性格上、本専修では、各人が自分の関心に基づいて比較的自由に研究を進められるように配慮している。とはいえ、自らの問題を掘り下げてより深く展開していくためには、自分の手持ちの言葉や概念だけにしがみついているのではなく、優れた先人の洞察へと分け入り、それを丹念に学ぶことによって自己の思索を鍛え抜くことが不可欠である。それゆえ、欧米や日本の優れた哲学者・思想家の中から一人を選び、集中的に研究することから出発するのが望ましい。卒業論文は、そのような勉学の一つの到達点として位置づけられている。

ちなみに、ここ数年の卒業論文でとりあげられた思想家としては、ショーペンハウアー、ニーチェ、ベルクソン、ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、レヴィナス、デリダ、親鸞、西田、田辺、九鬼、西谷らの名を挙げることができる。この一覧からも分かるように、現在の担当教員の専門領域との関係もあって、現代の仏独哲学に関心を寄せる者が多いことが近年の当専修の特色である。

当専修を志望する学生には、何よりも研究への関心と情熱をもち、研究を深めていくために必要な訓練に耐えることが求められる。この訓練においては、必要な外国語文献を読みこなす語学力を身につけることがまずは不可欠である。文献研究自体が目的ではないが、それを抜きにして、宗教哲学の諸問題を究明していくための思考力を養うことは不可能だからである。したがって、英語、ドイツ語、フランス語のうち少なくとも二ヶ国語でテクストを読み解く力を身につけることが目標とされる。とくに大学院への進学を希望する学生の場合は、このことは必須の条件となる。そうした努力を惜しまなければ、当専修は、真の意味でラディカルに思索することを学ぼうとする者にとって、刺激的な環境となるはずである。宗教思想と哲学探究との接点、現代哲学の先鋭的な問題提起、京都学派の哲学の蓄積等、さまざまなコンテクストで学生諸君の思索の糧となるものが見出されるであろう。

授業については、専任教員による特殊講義や演習に加えて、学外からの非常勤講師によって専任教員の専門外の分野を補うように配慮している。また、大学院生を中心にして数々の読書会、研究会が運営されており、学部生も関心に応じてそうした会に参加することができる。詳しくは宗教学研究室HPを参照されたい。

宗教学専修ウェブサイト

キリスト教学専修では、古代から現代までの文献読解を手掛かりとして、キリスト教思想の研究をおこなっています。地域や時代は多岐にわたっており、学内外の研究者が担当する開講科目によって、古代地中海世界から現代アジアまでのキリスト教思想を幅広く学ぶことが可能です。

本専修では、2回生までに様々な言語を第二外国語として選択するケースがありますが、3回生以降は関連古典語(ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語)のうち一つの履修が必修となっており、また演習では英・独・仏のいずれかのテキストを読み進めていきます。特定の思想家のテキスト分析に集中する思想研究が主軸となっていますが、卒論ではキリスト教に関係する映画や文学作品、科学技術や現代の諸問題などと絡めながら、様々なジャンルの題材も扱われています。

キリスト教学専修でこれまでにどのような研究がおこなわれてきたかについては、専修のHPをご覧ください。

キリスト教学専修ウェブサイト

本専修の研究の対象は、「芸術」「アート」に関するあらゆる問題を扱っています。専修生は、「美学・芸術学」「日本・東洋美術史」「西洋美術史」の三つのゼミのうちの一つに所属し、研究を行います。芸術や美術が大好き、好きというわけではないけれど気になる、好きになれないけれど実態を知りたい、など、芸術への関心は様々なです。どのような興味関心も大歓迎ですので、是非、専修のHPをご覧ください。

美学美術史学専修ウェブサイト

歴史基礎文化学系

上島教授は、政治・社会経済・宗教文化の側面より、日本中世社会の形成を考察しており、近年は鎌倉・南北朝期へと研究対象を広げている。谷川教授は、近代日本における教育と宗教の関係史を起点として、文化・政治・思想など、明治期を中心に近代社会の形成・展開過程を多角的に検討している。三宅准教授は、日本近世の政治史について研究しており、近世大名家の政治構造や幕藩関係を軸に考察を進め、近世国家の成立過程とその特質を研究している。本庄准教授は、日本古代の制度史が専門で、近年では古代の政治・社会構造を踏まえた災害史の研究を進めている。松井助教は、都市京都と室町幕府との関係史的考察を基礎に、中世後期の政治・社会体制の展開を見通そうとしている。

研究・教育の内容
専門分野についての特殊研究が講義されるほか、スタッフのカバーできない分野については人間・環境学研究科、人文科学研究所、総合博物館など学内各部局、あるいは学外からの講師による講義が行われる。学部学生には、歴史学の基礎になる文字史料の正確な読解力を身につけることが要請されるので、演習のかなりの部分はそれにあてられる。古文書は、古代・中世・近世・近代それぞれに固有の性格と研究上の問題点をもっているので、演習以外にも実地調査や特別研修などに自発的に参加し、体得することが望ましい。とくに、京大日本史の特色は実物史料による教育にあり、総合博物館・古文書室に蒐集された古文書・古記録や影写本と早くから日常的に親しむのがよい。4回生になると、卒業論文のための演習が必修で、自分でテーマをえらび、発表しながら、論文をまとめていく。みずから問題を発見する力を養うことが肝要である。

どんな人を望んでいるか
歴史学は地球上に継起した人類社会の展開の諸相を時間軸にそって位置づけ、そこに示された事実が現在のわれわれにとってもつ意味を認識しようとする学問である。日本史学は歴史学の一分野として、日本列島における住民の歴史を研究し、その固有の特質を人類史の普遍的性質とともに把握しようとする。したがって、広く国際的な視野から日本史をとらえる姿勢が必要で、歴史学はもとより、国文学・考古学・地理学・人類学・社会諸科学など、隣接科学とその成果に関心の深いことが望ましい。歴史に対する問いは現代の生活の中から発せられるのであるから、現実の人間生活のあらゆる側面に興味をもち、それをとりまく社会や政治・文化の動向にもたしかな眼をもちたい。世に「歴史好き」は多いが、その多くは研究成果の消費者にとどまっている。研究を進め、創造する苦しみをいとわない人をもとめている。歴史の史料は多様であるが、中心は文字史料である。木簡から文書・記録・編纂物まで、質を異にする諸種の史料を読みこなす力が最低限要請される。

日本史学専修ウェブサイト

東洋史学専修の対象とする分野は、中国史および東アジア諸民族史(モンゴル、マンチュリア、朝鮮、東トルキスタン、チベット、東南アジアなどの諸民族・諸国家の歴史)です。

歴史学は史料にもとづく学問ですから、正確な史料読解力が先ず要求されます。東洋史では、とくに漢文史籍の演習、講読に力を入れています。中国史だけではなく、朝鮮史や内陸アジア史さらには東南アジア史を勉強したいと考えている人にも、漢文の修得は必要です。漢文入門的な「講読」(主として2回生対象、通年、必修)から「演習」(大学院生と一緒にテキストを読む、選択必修)へと進むのがよいでしょう。

また、現代中国語は中国の論文を読むためだけでなく、古典文を理解するためにも必須ですから、機会を見つけて学習しておいてください。朝鮮語、満洲語、チベット語などの授業も学部で開講されることがあります。

京都大学は、東洋史を学ぶのに最も恵まれた環境にあります。文学研究科図書館を始め、文学研究科附属文化遺産学・人文知連携センター(羽田記念館)や人文科学研究所内に設置された東アジア人文情報学研究センターなどが、全国にもまれな東洋史関係文献の一大宝庫を形作っています。京都にいると、ともすればその「ありがたみ」がわからないのですが。

また、文学部の教員に加え、総合人間学部や人文科学研究所の教員によるヴァラエティに富んだ授業(特殊講義)が行われていることもメリットです。系共通科目の東洋史学講義(主として2回生対象、通年、必修)を受講して東洋史・中国史の輪郭をつかんだうえで、これら特殊講義を受けるのがよいでしょう。その気になれば、非常勤講師も含めた講師陣から授業以外でもサポートを受けることができるでしょう。

卒業論文はもちろん自分の力で書き上げるものですが、そのためには史料や先行研究の扱い方を学ぶ必要があります。3回生対象の「実習」の授業でそれらを学ぶことになっていて、一年の最後の授業で卒論の構想らしきものを語ってもらいます。4回生向けの卒論ゼミのような授業はありませんが、何か壁にぶつかれば、個々の教員はもちろんのこと、研究室の院生たちに助言を求めてください。

専修に進む皆さんに強く希望したいのは、はじめから研究対象をせまく限定せず、様々な書物を読み、いろいろな体験を積むことです。歴史学は現在人がどのように生き、かつてどのように生きてきたかを問うことからはじまります。卒業論文には、対象を絞り込み、その中で一定の着地点を見出すことが求められますが、それが終着点ではありません。むしろ、大きな問いに対する答えを見出してゆくうえでの一つのステップと考えてください。

ギリシア・ローマに始まり、今日に至るヨーロッパ文明は、近世以降世界の諸文明に多大の影響を与えてきた。明治以降の日本の歴史もまた、絶大な影響を受けてきたことは言うまでもない。ヨーロッパや西洋文明世界の歴史を深く理解し、いかに解釈するかは、日本人にとって不可避の課題である。この課題を歴史学の立場から正しく果たすためには、一方では西洋人自身による豊富な研究成果を吸収する必要があり、他方では日本人の立場から、更にはグローバルな視野に立って、ヨーロッパや西洋文明世界の歴史の意味を明らかにすることが望まれる。

西洋史学専修は、4人の専任教員が一体となって研究と教育に当たっている。小山教授は、ポーランド近世の政治文化を専攻している。金澤教授は、イギリス近代の政治と社会を専門分野としている。藤井准教授は、ヘレニズム期とローマ帝政期の政治、社会、宗教を専門としている。安平講師は、オランダ近世の宗教社会史を専攻領域にしている。学生・大学院生の専攻テーマは、こうした専任教員の専攻分野に縛られることなく、自由に選択されており、実に多様である。

次に西洋史関係の授業(講義・特殊講義・演習・実習・講読)について説明する。まず「講義」は「西洋史学序説」と題され、主に西洋における歴史学の発達や歴史意識の変遷、あるいは西洋史研究の実際の進め方などについて講じる。必須科目であり、2回生で履修することが望ましい。「特殊講義」は各教員がそれぞれ専攻領域についての研究の結果をかみくだいて話すものである。専任4教員がこれを担当するほか、京都大学人文科学研究所や人間環境学研究科のスタッフおよび他大学からの非常勤講師によって、毎年ヴァラエティに富む講義が行われている。これらの特殊講義を数多く受講することによって、学生は西洋史上の重要な研究テーマについての高度の知識を習得するとともに、現在の学界における論争点や具体的な研究の方法などについて学ぶことができる。

「演習」は欧語文献をテキストとして用い、その読解、学生による報告と討論を行う。3回生はまず各自の関心にしたがって「古代史」、「中世史」、「近世史」、「近代史」のいずれかの時代別演習に出席する。この演習には大学院生も専攻に分かれて出席し、報告と討論に参加する。3回生はまた、「実習」に出席して西洋史学の研究方法を具体的に技術的なレヴェルから習得する。次いで、4回生は全員「卒論演習」に出席し、卒業論文の中間発表を行う。それゆえ、3回生の間に特殊講義や演習に出席しながら自分の関心の在りかを見定め、卒業論文のテーマをある程度しぼっておく必要がある。最後に、「講読」は「演習」とともに卒業論文の作成に必要な欧語文献の読解力を養うことを目的とするが、卒業要件としては、英・独・仏・露・伊の各国語のうちから少なくとも2つを(ただし、そのうち一つは英・独・仏・露書のいずれかを)履修しなければならない。また「講読」のうちの1科目を、学部共通科目のギリシア語、ラテン語、スペイン語(中級)のいずれかで履修することもできる。

さらに、1~2回生の間にぜひ勉強しておいて欲しいことを記しておく。まず外国語の習得。西洋史の授業では欧語文献の読解が大きな比重を占める。英語以外に少なくとも1か国語を習得すること。古代史を専攻しようとする者は古典語、中世史の場合もラテン語が専門研究者になるためには習得が必要であり、近世以降のヨーロッパ諸国の研究を希望する場合も、その国の言語を学ばねばならない。余力があれば、これらも2回生、3回生の間に始めておくことが望ましい。

なお、本専修専任教員が編集した書物『人文学への接近法西洋史を学ぶ』(京都大学学術出版会)は、西洋史学を学ぶ意義や具体的な方法から留学や就職、参考文献まで説明しており、『論点・西洋史学』(ミネルヴァ書房)は西洋史学上の数多くの重要論点を簡便に網羅しているので、ぜひ参照されたい。また、本専修の活動については、下記の専修ウェブサイトで紹介している。

西洋史学専修ウェブサイト

考古学は、過去の人間が作り、使用した「物」を材料に、過去の人間の行動を研究する学問である。材料となる「物」は、主に発掘調査によって獲得する。したがって、考古学の研究を志す者は、「物」から過去の人間の「行動」を復原する手法や知識、発掘調査によって必要な情報を獲得する手法や知識などを身につけなければならない。また、製作者・使用者の直接の証言を得られない考古資料を解釈する上で、歴史学・地理学・民俗学・民族学・文化人類学・社会学など、他の人文・社会科学分野の知識も学ぶ必要がある。さらに研究の幅を広めるためには、生物学・化学・物理学・地質学・土壌学など、自然科学分野の分析技術やその最新成果にも深い関心を払わねばならない。

日本以外の地域を研究対象とする場合には、当然、その地域の言語を修得する必要がある。しかし、日本考古学を専攻する場合でも、ヨーロッパの言語、少なくとも英語力を鍛えることが大切である。外国の研究者の来日も頻繁となり、国際学会に参加して共同研究を進める機会も増えてくるからである。

考古学専修を希望する学生は、以下の点にも留意されたい。

  1. 考古学は「物」を資料とする科学だから、「物」に親しみを持たねばならない。「物」についての観察や知識を広め、未知の「物」に対面した時にも、その材質や作り方、使い方を豊かに想像できるように訓練する必要がある。
  2. 発掘は研究の基礎資料を獲得する場であるだけでなく、仮説検証の場、新たな問題を掘り起こす場でもある。発掘は遺跡の破壊だと言われるように、繰り返しのきかない実験でもある。当然、実施には細心の気配りが必要で、鋭い注意力を養う必要がある。また、発掘は知的な共同作業なので、体力だけでなく、バランスのとれた協調性や統率力も必要である。
  3. 研究者の「眼」を養うには、「体」で覚えるのが早道である。まとまった休暇期間には、できる限り発掘に参加するのがよい。必ずしも条件のよくない合宿生活に耐える精神力を身につけるためにも、日頃から生活のリズムを整える努力をされたい。
  4. 「物」を観察し、必要なデータをとる基礎訓練は考古学実習で身につける。三回生で自分の研究対象を見つけ、四回生で卒業論文を提出するためには、考古学実習を二回生のうちに履修するのが望ましい。

行動・環境文化学系

心に関する広範な問題を扱う心理学のうち、文学部心理学専修では、心のはたらきの基礎について実証的に研究する実験心理学を対象としています。知覚心理学、比較認知科学、発達科学という3分野を軸に、大学院では認知神経科学分野が加わります。これらの分野は相互に密接な関連をもち,一体となって心理学の研究・教育に当たる方針を貫いています。臨床心理学、精神分析学などは対象外ですが、本専修は京都大学「こころの科学ユニット」に参加しており、教育学部、総合人間学部で開講されている多くの科目が相互に履修可能です。

本専修では読書と思索のみに耽る、いわゆる「安楽椅子の心理学」の志向は歓迎できません。卒業論文には、実際に実験データを得て解析し、事実の背後にひそむ力動的な機制を描き出す洞察が期待されます。そのためには本をよく読み、よく考え、さらによく観察する態度が必須のものとなります。学部学生の指導には演習にかなりの重点がおかれ、各自が問題の所在を原典によって探究することが要求されます。専修分属に先立ち,英語文献の読解力をたかめ、さらに柔軟な思考力を涵養しておくことが要請されます。また、二回生で履修できる授業、特に講義I(実験心理学概論)、実習IIA・B(心理学基礎実験)、実習IIA・B(統計基礎実習)を履修しておくことが強く望まれます。

本専修では,他学部との連携により公認心理師受験に必要な科目を修得できるようにしています。詳しくは京都大学公認心理師情報ページ(心理学専修ホームページにリンクがあります)をご参照ください。なお、文学研究科では大学院修士課程レベルの科目は提供されません。

心理学専修ウェブサイト

言語学専修は、1908年に京都大学文学部に言語学の講座が設置されたことに遡る。初代の教授は『広辞苑』の編者として知られる新村出であった。開設以来、本専修では個々の言語を調査・分析し記述する研究や、文献を読み解き、言語の変化や文献以前の言語について推定する研究において多くの貢献をしてきている。またそこで得られる知見を一般化した、一般言語学の分野でも重要な役割を果たしてきた。それに加えて昨今では、人間の言語が機能する仕組みについての理論的な研究の面でも多くの人材を輩出している。

本専修では、創設以来文献言語学と歴史言語学の分野において着実な研究成果を上げてきている。希少な文献を読み解き内容を明らかにすることは、人類の歴史の解明につながることはもとより、言語の変化を知るうえでも重要な作業である。昨今は正規の発掘だけでなく、世界で盛んに行われる開発工事の結果として新しい文字資料が発見されてきており、このような新出資料の解明もまた言語学に携わる者の重要な仕事となっている。また情報化・国際化の波により世界が大きく変貎する中にあって、本専修に対する一般社会や学界の期待は、ますます増大しつつある。地球上で話されている数千の言語のうちのかなりのものが、国際化の中で話者の数が減り死語となる危機に瀕している。それらを体系的に記述する作業は緊急の課題である。それはまた、地上で失われつつある「種」の保存にも比較できる、現在に生きる我々の使命であるが、言語学の訓練を受けた研究者だけが十全に行い得る仕事である。さらに、人間が言葉を生成しコミュニケーションを行う仕組みを解明する研究は、情報工学や大脳生理学などの分野を巻き込んだ真に学際的な研究分野になっており、言語の本質についての研究の蓄積と言語分析のノウハウを有する言語学者の果たす役割は非常に大きい。

このように言語学が扱う領域は極めて広いが、カリキュラムの編成にあたっては専任の教員および非常勤の教員を適切に配して、音声学、記述言語学、理論言語学、歴史・比較言語学、社会言語学など現代言語学のほとんどの領域をカバー出来るように配慮している。また卒業に必要な科目として、東洋西洋諸語16単位を課しているが、これは、将来どの言語を専門にするにしても、多くの言語の特徴を理解したうえで言語研究を進めていくことが必要であるからである。そうして得られた知識を背景にして卒業論文を準備することになる。

卒業論文のテーマは日本語を対象にした理論的研究をはじめとして、歴史言語学、音声学、フィールド言語学など言語学の多様な分野に及んでいる。現在話されているか否かを問わず、希少な個別言語の分析がテーマとして選ばれることが比較的多いことも本学の言語学専修の伝統であろう。

研究室の雰囲気は大変明るく、学部学生も自由に出入りして院生たちと交流している。院生の指導による学部学生のための研究会や読書会も盛んに行われている。年3回行われる言語学懇話会では、各方面で活躍する卒業生や院生の研究成果に親しく接することができ、その後で行われる懇親会も含めて学部学生も積極的に参加している。研究室は研究面での交流を進めるとともに、人間的な友好を深める場でもあるよう努めている。

言語学専修ウェブサイト

社会学とはいったいどのような学問でしょうか。自分の心の懊悩から国際的な紛争まで、あるいは、人間が共同生活を送るにあたっての秩序の始原から現代世界のポピュラーカルチャーや流行まで、私たちの目の前や頭のなかで展開するすべての現象を、個々人の意識や存在に外在する「社会」という視点で理解し説明しようとする挑戦的な学問です。

京都大学の社会学教室は、2007年には創設100周年を迎えましたが、その特徴は、社会の生成と展開について徹底した思索を行う理論的方向性と、社会調査に基づいて現実を多面的に解析する実証的方向性を両立させる社会学にあります。とくに現実の社会に対して関与し働きかける新しいスタイルの社会学・社会調査を実践・実験することによって、この特徴をさらに発展させようとしています。 2008年からは、全大学の社会学分野のなかで二か所選抜された教育・研究拠点(GCOE)として、大学院教育における国際化を推進し、欧米・アジアの33のパートナー拠点とのあいだでグローバルネットワークが構築できました。この成果を軸に世界を視野に入れた授業が展開されています。京都大学アジア研究教育ユニット(KUASU)との連携による外国人教員による英語の授業、台湾とソウル大学との共同授業、ベトナムや中国、韓国など海外の大学で受講した授業の単位化を実施しています。

理論、方法論などの基礎科目に加え、学内外の多数の社会学研究者がそれぞれ取り組んでいるホットなテーマを講じる多様な特殊講義を用意しているのも京大社会学の特徴です。

社会学専修ウェブサイト

地球上の人間と環境に関わるさまざまな現象が地理学の研究対象です。古代の条里地割、大航海時代の地図に表現された情報、昨今の移民の増加やグローバリゼーション、子供特有の距離感覚なども、地理学の対象です。キーワードは地域・環境・景観・空間・場所ですが、アプローチの仕方は多様です。取り上げる対象やアプローチによって、現地調査、聞き取り、古文書や古地図の解読、GIS(地理情報システム)を用いた地図化やコンピュータを駆使した計量分析など、手法を効果的に用いる必要があります。

そのため地理学専修では、2回生から履修できる科目として、地理学講義のほかに、地理学実習と英書講読を地理学の必修科目としています。地理学実習では、皆で調査地を選び、各自のテーマに沿った現地調査を行い、共同して報告書をまとめる経験も積みます。

地理学専修の伝統は、自由で独創的な発想や現場で問題発見する鋭い観察力、新しい研究分野を開拓する柔軟な思考力を尊重する教育と研究です。個性の際だつ地理学者だけでなく、文化人類学、地域研究、地域政策学などの隣接諸科学で活躍する研究者も輩出してきましたし、大勢の先輩方が教育、行政、報道、建設、運輸など各界で活躍されています。後に続く皆さんにも、既成の枠にとらわれない活動を期待しています。

下記の地理学専修ウェブサイトに、より詳しい情報を掲載していますので、ぜひご参照ください。

地理学専修ウェブサイト

基礎現代文化学系

わたしたちの研究室でやっていることは、もっとも大まかにいえば、「科学とは何だろうか、仮説はいかにして知識となるか、科学はどのように発展してきたか」といった問いを掘り下げることです。もう少し堅苦しくいえば、現代文化の不可欠な一部である科学について、哲学と歴史学の視点からアプローチし、科学の認識論、学説史、そして科学と社会の関わりについても考察をめぐらす、ということになるでしょう。

近代科学が成立してすでに4世紀近くになりますが、その間科学はいろいろな分野で目覚ましい進展を遂げ、現代文化の重要な一分野を形成しています。わたしたしたちの研究室では「科学とは何だろうか」という基本的な問いをテーマとしますが、科学的営みの実際の姿を歴史をたどって明らかにするのが科学史の課題であり、科学的知識の成り立ちとあるべき姿を探るのは科学哲学の課題です。進化論や相対性理論といった具体的な科学理論においても、基本的なところにさかのぼっていけば哲学的な問題が隠れています。歴史的に有名な科学者たちの思考法も、現代の教科書に書かれていることとはずいぶん違っています。こういったことを調べていくことによって、科学についてのわたしたちの理解は一段と深まるでしょう。また、科学と技術との区別と関係、科学および技術と社会との関わりを論じることも重要な研究課題の一つとなります。理科系の知識と人文系の訓練とがともに必要であり、おもしろい課題がゴロゴロと転がっているこの分野にチャレンジしてみようという方はいませんか?

専修についてより詳しくは専修ウェブサイトを参照ください。

科学哲学科学史専修ウェブサイト

また、過去の卒論については以下のリンク先を参照してください。

卒業論文 – 科学哲学科学史専修ウェブサイト

専修の概要、過去の卒業論文などについては、下記リンク先の専修ウェブサイトをご覧ください。

本専修への分属を希望される方は、2回生の分属志望の時期までに、メディア文化学の系共通科目(講義A)と系共通科目(講義B)の少なくとも片方を履修しておくことが望ましいです。詳しいことは、系分属ガイダンス(1回生向け)や専修分属ガイダンス(2回生向け)で説明します。本専修への分属希望者は、できるだけガイダンスに出席してください。

メディア文化学専修ウェブサイト

現代史学専修では、人類の歴史が「ひとつの世界」の世界史として展開するようになった時代を「現代」と捉え、この「現代」に生起する様々な歴史的事象を考察します。

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、交通・通信技術の発展と普及、そして主権国家体制・植民地支配の拡大によって、地球上のすべての地域が相互に結びつけられ、人・モノ・カネ・情報などが、以前とは比べものにならない速度と規模で、日常的に往来するようになりました。このような「ひとつの世界」の出現によって、逆説的に、国家・民族・階級・ジェンダー間のあらたな分断・対立や、国家権力による人的・物的資源の大規模な動員もみられるようになりました。これが、21世紀の今日まで続いている「現代」なのです。

現代史学専修では、歴史学の他の分野と同様に、分析対象の当事者や同時代の観察者が残した史料(「一次史料」とよばれます)の批判的読解に立脚して過去を考察します。同時に、本専修の特徴は、史料から得られた知見を、可能な限り世界史的な文脈に位置づけて捉えようとする点にあります。そのためのアプローチは、無限にあるといえます。国際関係史や比較史のアプローチ、あるいはトランスナショナルな視点が有効なこともあるし、ナショナリズム、ポストコロニアル、ジェンダーなど、さまざまな理論が、複雑に絡まりあう事象を解きほぐすのに役立つこともあるでしょう。

本専修では、いずれの分野あるいは特定の国・地域を自らの研究テーマとして選んでもかまいませんが、史料の読解に必要とされる言語を含む、複数言語の修得が必要となります。また、研究対象の一次史料を入手できることが研究テーマを定めるための条件となります。これらを踏まえ、現代世界に対する広い関心を持って、意欲的なテーマに取り組んでほしいと考えています。

現代史学専修ウェブサイト