第七回研究会

大野晃嗣

発表要旨

前近代中国官僚制の特質を、世界史上でどのように位置づけ、またどのような言葉で表現するかについては、マックス・ウェーバーによる中国官僚制論(『支配の社会学』T、『支配の諸類型』)が、その著名なものの一つである。

彼は、自身の社会類型の概念を適用して、前近代中国を、まず「支配の(正当的)類型」(合法的支配(日常・非人格)、伝統的支配(日常・人格)、カリスマ的支配(非日常・人格)の三類型)の内、「伝統的支配」のカテゴリーに分類した。そして更に、多様な「伝統的支配」の中でも、命令者に対する献身が、子の親に対する服従に極めて明瞭にあらわれる「家長制的支配」であり、「家長制」の中でも、首長が主人ないし領主(ヘルHerr)として存在し、その支配権が巨大な私権であり、私的権益(「家産」)を管理する人的構造(「家産官僚」)を有する中央集権国家と位置づけた。つまり、彼によれば、前近代中国は伝統的支配下での中央集権的官僚制的家産国家の典型例となる。

ウェーバーにとって人類史とは形式合理性(行為過程の計算可能性、手続きの整合性(より機械的に))に基づく合理化の過程であったから、合法的支配分類下の近代国家における「理念型としての」官僚制とは、形式合理性が支配的な社会を指す。従って、「形式合理性」が具体的な組織上にどのように現れるかに着目すれば、「近代官僚制は具体的にはどのような指標(組織原理)を持つか」、より平たく言えば「近代官僚制としての組織要件は何か」という分析視角が得られる。彼にとってそれは、@官職階層制、審級制A文書処理、役所(公邸と私邸の別)B専門的訓練と分業C技術学の習得という諸要件であった。これらの組織要件は、本来的に「合法的支配」とは異なる「伝統的支配」類型下の前近代中国官僚制には、当てはまらないはずであるが、しかし実際には少なくとも@とAに関しては、充分高度の発展を遂げた。その一方でBに関しては、分業が為された場合もあるが、専門的訓練を伴うほどのものではなくCにいたってはその存在は認められない(胥吏の業務処理術のようなものを除いて)。この結果は、結局ウェーバーの言う「形式合理性」に着目して、その存在・不存在によって、前近代中国官僚制を特徴づけることはそもそも的はずれな(何か足りない)のではないか、ウエーバーの「合理性」では、前近代中国官僚制の特質を把握しきれないのではないかとの疑惑を直ちに惹起する(このようなウエーバー流の考え方が、中国官僚制に対する「停滞」した「対処療法的手段」の支配的ないささか遅れたものという固定観念に結びついているのではないかとすら思われる)。

そもそも、彼のいう形式合理性の存在を、ある枠組み(行政・司法・人事等)の中で、「機械的」な行為を行う(またはそれがおこなえるような)組織・仕組みを持つと解釈した場合、例えば明清時代の人事制度の中にも多くの機械的な行政実態を見いだすことができる。進士の観政衙門振り分けもその一つである。「観政」という制度は、進士合格者を一定期間、中央省庁(六部・都察院・通政司・大理寺)に見習い(兼事務手伝い)として派遣する制度で、洪武年間に創設され、明代を通して行われた。一甲合格者(翰林院組)と庶吉士に回される以外の進士がその対象である。この際、平均して250名以上の進士を、どのようにして諸司に振り分けするかといえば、基本的に合格順に「吏・戸・礼・兵・刑・工・都察院・通政司・大理寺」の順番で、それぞれ六部各部・都察院には二名づつ、通政司・大理寺には一名づつ振り分けるのであった(実際は吏部観政が若干多い)。そこに二甲合格者と三甲合格者との垣根は無い。極めて単純で機械的だが、想像以上に公平な方法(文句の出ない方法)が採用されているのである。また、観政衙門によって、初任官はほとんど左右されない(これも吏部観政進士に行人司行人任命者が多い程度)。

もし仮に、ウエーバーの概念を援用することを前提にした場合に、上記のような事実を見ると、ウエーバーのいう形式合理性の基準によって、中国官僚制の特質を十分に把握できない理由の一つは、彼が近代(西欧)社会でイメージする「機械的」な組織・行政と、近代中国が実際に維持していた「機械的な」組織・行政とは、もともと違う基準を追求していたからではないか、つまり異なる「合理性」がそれぞれの社会に存在していたからではないかと思われる。西欧近代官僚制は「機械的」な行為によって利潤率(効率性)の最大化を追求した。これに対して前近代中国官僚制は成員の欲望充足(公平性)の最大化を追求した。それは西欧近代官僚制などよりもはるかに多数の構成員を、それぞれに納得させて競争的に仕事をさせ、官僚機構内部の柔軟性を維持する上で、必然的な帰結であったかもしれない。

討論内容