京都大学大学院文学研究科の21世紀COEプログラム「グローバル時代の多元的
人文学の拠点形成」が昨年秋から始まりました。そのプロジェクトの一環として、
私たち国語学国文学・中国語学中国文学の二つの研究室を中心としたメンバーは、
「極東地域における文化交流」をテーマに研究会を開くことになりました。研究会は
参加者の研究発表と討論を中心とする「乾の会」と、若手研究者を含めて会読を行う
「坤の会」の二本立てで進めています。「乾の会」では随時、学外・国外の研究者も
お招きして、最新の研究成果を御披露していただく予定です。
研究会の活動につきましては、「ニューズレター」のなかで逐一御報告してまいります。
広い範囲の方々に御参集いただき、知的刺激に満ちた場としていきたいと思って
おりますので、活発なご参加をお待ちします。 (研究会代表 川合康三)
「新体詩の一源流――漢詩和訳のもたらしたもの――」 日野龍夫
唐の張若虚の「春江花月夜」は、七言三十六句の長詩で、春の夜の花月の艶麗な風情に
誘われて、この夜をどこか遠くの空の下で過ごしているであろう漂泊の旅人と、帰りを待
つ空閨の妻に想像を馳せるという、甘美な情緒に満ちている。松浦静山の随筆『甲子夜
話』に、会津藩士某がこの詩を和歌の長歌風に和訳した作品が収められている。
日本近世には、日本語による韻文としては和歌の短歌と俳諧の発句という、極端に短い
形式しか存在しなかった。賀茂真淵が万葉調を提唱して以来、一部の歌人たちに長歌復興
の機運がやや見られたが、作られた作品は同じ歌人たちの短歌に質・量ともにはるかに及
ばない。
近代に入って、明治十五年(1882)刊の『新体詩抄』を嚆矢として、日本語による長詩
――新体詩――を作ろうとする動きが盛んになった。この動きが、『新体詩抄』所収十九
編のうち十四編が英仏の詩の翻訳であることが示すように、欧米の長詩から大きな影響を
受けていることは間違いなく、そのことは従来から指摘されている。
その一方、日本には明治以前から、和歌の長歌以外にも、七音句と五音句を組み合わせ
た端唄・俗曲などの長詩形式が存在する。新体詩の源流を、欧米の長詩だけでなく、これ
らの伝統的長詩形式にも求めなければならないという意見は、近代文学研究の世界でも出
てきているようである。
「春江花月夜」の和訳の存在を手がかりにして、その近代以前から存在した長詩の中に、
漢詩の長詩の和訳を一つのジャンルとして考えるべきことを提唱したい。「春江花月夜」
の和訳は、破格を二箇所含みはするが、一応和歌の長歌の形式で作られている。伝統的長
詩形式という場合、長歌は当然すでに含まれているから、漢詩の長詩の和訳というジャン
ルをことさらに立てる必要はない、かに思われる。
しかし、日本固有の長歌は、何か公的な重々しい素材を、それにふさわしい荘重な口調
で詠するのが普通であって、「春江花月夜」の和訳詩に見るような甘美な情緒を詠ずるこ
とは、原則としてない。形式は長歌であっても、詩情において日本固有の長歌と異質の、
漢詩の長詩の和訳だからこそあり得た日本語の長詩ということが出来る。漢詩の和訳が一
つのジャンルを形成する可能性はある。
漢詩の和訳の例は、『六朝詩選俗訓』『連珠詩格訳注』の二点の訳詩集を始め、諸種の
随筆などに作品が散見して、量的には一ジャンルを成すだけのものがある。そのほとんど
は絶句の恋愛詩であるが、似通った素材の日本固有の形式の恋愛詩と比較して、いかにも
中国詩らしい特徴を備えており、質的にも日本固有の恋愛詩とは別ジャンルというに足り
る。ただ、見出される例はすべて短詩の翻訳であり、長詩の翻訳は前記「春江花月夜」以
外の作例がいまだ管見に入らない。明治期の新体詩の一源流として漢詩の和訳というジャ
ンルを想定するからには、長詩の和訳の例を他に見出さないことには説得力がない。
私は、蕪村の俳詩「北寿老仙をいたむ」を漢詩の長詩の和訳に代わる作例として取り上
げたい。島崎藤村の『若菜集』の中に紛れ込ませても通りそうな、近代的詩情に満ちたこ
の文語体自由律詩は、潁原退蔵氏の論文「春風馬堤曲の源流」が、博捜の調査によって発
見した、時期的に先行する俳諧師の長詩数編を挙げて、蕪村はそれらの作品から影響を受
けて作ったと論じている。
しかし、先行作として潁原氏の挙げた数編と、蕪村の作とでは、詩情の質に差がありす
ぎる。私は、蕪村の作は、漢詩の悼亡詩、中でも、山に登って人生短促の悲哀を詠ずると
いう、古来から作例のあるパターンを学び、日本語を用いて漢詩のその趣向を詠じたもの
と考える。和訳ではなくて、すでに独立した長詩になっており、かつ日本固有の哀傷詩に
は見出せない詩情を湛える蕪村の詩は、漢詩の長詩の和訳以上に、私の主張にとって有
益な論拠となる。
『新体詩抄』の翌明治十六年刊の『新体詩歌』第四編には、唐の劉廷之の長詩「代悲白
頭翁吟」の和訳が収められている。『新体詩抄』の翌年に世に出たが、それ以前に作られ
ていた作品が、新体詩が続々登場するという世の気運に乗って、日の目を見たものと解さ
れる。漢詩の長詩の和訳は、伝統的長詩形式の中で一ジャンルを形成しうるほどに、作ら
れていたと思うのである。