京都大学大学院文学研究科21世紀COE 「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」

王権とモニュメント


NEWS LETTER Vol. 1

update:2003年2月28日

  1. ニューズ・レター発刊にあたって
  2. これまでの調査報告
  3. 第1回研究会報告
  4. 今後の予定

 2002年10月、京都大学大学院文学研究科による21世紀COEプログラム『グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成』の一環として、第14研究会「王権とモニュメント」が発足しました。本研究会の趣旨およびメンバーは、ホームページの各項目を御参照ください。本会の趣旨に御理解と御支援をお願いいたします。なお、ニューズレターでは、趣旨に沿った研究会活動の内容について、おもにご報告いたしますが、それ以外に、正式の報告書や資料集にまとまる以前の段階でも、遺跡の測量調査や京都大学所蔵資料等の調査途中で判明した新事実やエピソードを、随時、掲載していきたいと思います。ご期待ください。

研究会代表・上原真人

本研究会では、これまで以下のような活動を行ってきた。

1.安祥寺上寺の踏査
2002年11月29日に、本研究会の主要な課題となっている安祥寺上寺付近の踏査を行った。良好な状態で残っている基壇を確認するとともに、未発見の礎石位置を探索した。また、測量調査に必要な人数、機材、日程など、具体的な調査計画を現地の様子を視察しながら練ることができた。
2.安祥寺上寺調査のための事前研究会
2002年12月11日に、測量調査のための事前研究会を行った。調査に参加する予定の京都大学・花園大学・京都府立大学・京都女子大学の教官、学生が参加し、50人ほどの規模であった。京都市埋蔵文化財調査センターの梶川敏夫氏が安祥寺の概略について発表し、同時に測量調査の予定・方法などを全員で確認した。
3.安祥寺上寺の測量調査
2002年12月20日〜24日(第1回)、2003年1月11日〜19日(第2回)の2度に渡り、安祥寺上寺の測量調査を実施した。上記の各大学から合わせて44人の学生が参加した大規模な調査で、寺域のほぼ全域をカバーする25cm等高線の測量図を作成した。この調査の詳細については、次の第1回研究会報告を参照していただきたい。
4.『京都大学所蔵古瓦図録 I 』の作成
京都大学が所蔵する資料を公開していくプロジェクトの一環として、山野道三氏旧蔵の瓦コレクションを実測・拓本・製図し、年度内に刊行する予定である。

目次に戻る

第1回研究会が、以下の要領で行われた。

日時:2003年2月18日、午後1時30分〜

場所:京都大学旧陳列館会議室

発表:梶川敏夫氏「安祥寺上寺測量調査の成果について」


※以下は安祥寺上寺跡測量図を適宜参照しながらお読みください

発表要旨

安祥寺上寺測量調査の成果について

梶川敏夫

今回の調査では、上寺跡のほぼ全域の雑木等の伐採と整理により、伽藍全体の残存状況を再確認することができ、地形からも様々な情報が明らかとなった。

1. 礼仏堂跡

基壇跡規模は、現状で東西21m・南北15m前後あり、基壇外側の化粧等は不明である。基壇上面には東西約10m・南北約7mのやや高まった部分があって、その周辺に沿って自然石が散在している。これは須弥壇の痕跡ではないかと考えられる。

基壇上では礎石・根石などが確認できず、建物の平面規模は不明であるが、北方の五大堂の柱間寸法(10尺又は9尺)を参考に、仮に桁・梁を10尺等間で復元すると、最大で東西7間・南北4間又は5間程度の建物と考えられる。

2. 礼仏堂跡西側雨落溝跡

長さ南北約10mを確認した。幅は0.6〜0.7m、深さ15〜20cm程度とみられ、地表観察から溝内に石が転落しているのが確認できる。なお、北及び東側の雨落溝は明確には石が確認できず、位置確定はできなかった。南辺は雨落溝の存在そのものが不明である。

3. 東僧房跡と軒廊

基壇は南に段差がある以外は確認できないが、僧房跡の南端と北端の礎石を確認したことから、東西2間・南北6間の建物と判明した。軒廊は、南面の礎石1カ所を確認したが、礼仏堂の基壇南端にみられる翼状の張り出しとは位置があわない。

4. 西僧房跡と軒廊

南・西・北の一部で基壇の高まりを残し、南北中央列以外は大半の礎石を確認した。建物規模は東西2間・南北6間で、東僧房と同じ構造の建物と判明した。軒廊の礎石も確認されたが、東僧房と同様に、礼仏堂の基壇南側張り出しとは位置があわない。

5. 五大堂跡

元位置で礎石を8カ所確認し、建物規模は東西5間・南北4間とみられる。現在、基壇の東側が土で埋もれている状態であるが、これは、伽藍の背後から東へ落ちる谷筋から豪雨などによって土砂があふれて堆積したものと考えられる。この谷筋は、当初境内へ侵入する雨水や土砂を防ぐ水切り溝であったのが、時間の経過とともに浸食が進み、五大堂基壇の東北隅まで浸食したものであろう。

6. 方形堂跡

五大堂跡から西北西約11mのところにある建物跡で、今回の調査によって新たに発見された。
この建物跡の明確な基壇は地表からは確認できないが、礎石のボーリング調査などによって方三間の建物であることが判明した。背後の山腹斜面がずり落ちて、北西から南東にかけての半分以上が埋没している。建物の性格は不明であるが、塔・宝蔵・多宝塔・法華堂・常行堂などのほか、『資財帳』に記載されている「大宜所」?などが考えられる。

7. 東側山腹平坦地

繁茂した笹などを伐採した結果、主要伽藍から東へ10m下がった場所に、南北に細長い平坦地が存在することが明らかとなった。現在は西側が埋まり東側(谷側)が削られた東下がりの地形になっており、幅5〜7m、南北75mほどの規模である。中央やや南方で石を一個発見したが、元位置を動いているとみられる。他に建物跡を示す礎石らしきものを発見できなかったことから、この石は上方の主要伽藍の礎石が転落したものである可能性がある。

平坦地南端は通路状に狭くなり、そこから南東へ一段下がったところに小規模な平坦地(8×3m程度)がある。また、この小規模平坦地の西側(主要伽藍東僧房跡の南南東)には、山腹平坦地と主要伽藍を結ぶ通路と考えられるスロープ状の地形を確認した。

これらの成果を踏まえ、今後は表採遺物や写真の整理などを行っていく予定である。

目次に戻る

第2回研究会を、以下の要領で実施予定。

日時
2003年4月19日
内容
安祥寺下寺の見学