13th Meeting / 第13回研究会

 

赦し、ほとんど狂気のように ――デリダの宗教哲学への一寄与――

川口 茂雄


1999年のデリダの小著作『Le siècle et le pardon世紀[世俗]と赦し』(Paris, Seuil社)のうちに、"どのようにして赦すか/赦されるか"などといった話題を期待していた読者は、直ちに落胆させられることになるだろう。"赦しとは何か"という問いを立てることすらそこではいまだ自明のものとはなっていないからである。どう問われるべきか、どう問われうるか、"誰にとって"問われるのか、あるいは"何について"問われるのかすらも全く定かならないという事態こそが、この論述にとっての唯一与えられた場であるかのようである。そもそも、なぜことさらにいま"赦し"などということが問われる必要あるいは要求が生じてきているわけなのか。

「赦しpardon」は刑法の次元での事柄なのではない。それは、実際上はどう捉えられているにせよ、「恩赦」等と混同されるものではない。赦しは近年、とりわけこの十数年来、世界の至る所で、しかも様々な集団・単位において、しばしばそれらの代表者の名において、「請われ」ているように見える。その意味では赦しは「普遍化の途上にある」。しかしながら他方、そうした「赦しの劇場」の内実を担うものである言語活動(ランガージュ)は、「アブラハム的言語活動」として、「特定の宗教的伝統」の記憶を、ただし既に「法律の、政治の、経済の、あるいは外交のイディオムと化した」仕方において、再上演するものである。その意味では赦しは明確に特定の伝統に由来する特殊的な(言語)活動でしかない。「赦しの劇場」のこの捻れた根本事態は、例えば無論「アブラハムないしイブラヒム的記憶」、「一神教的伝統」には属さないとみられる「JaponあるいはCoréeの場合においてもそうなのである」。

なぜこのようなことが問題になるのか。それは、デリダの考えるところでは、「赦されえぬものl'impardonnable」がある、ということと、「mondialisation(グローバル化)」ということとは、無関係ではないからである。

赦しとはすべからく「不可能な赦し」でしかありえない、とデリダは言う。そして、それゆえに、「赦しはただ赦されえぬもののみを赦すLe pardon pardonne seulement l'impardonnable」のである。しかしこのような発言、自己破綻的命題は、一体どのような場から発せられているのか。それは、「赦されえぬものと共に始まったひとつの歴史」という場所においてである。この歴史が厳密にいつ自らをそのようなものとして示したのかということは明確に言われることはおそらくできないだろうが、しかしひとはそれを"現代"という時――第二次大戦をそのひとつの指標としてもよい――においてだとみなすことができようし、実は常に既にそうみなしているのかもしれない。それはいわば"ヨーロッパ"の歴史が、キリスト教=ヨーロッパ文化・文明の歴史そのものが、ヨーロッパの"外部"に対して、そしてまさにヨーロッパ自身にとって、「赦されえぬもの」として露呈したことだと言わなければならないのかもしれない。

赦しという語彙ないし概念に注意を馳せる事によって分節化されてくるこうした"歴史認識"は、近年の"デリダの倫理的転回"と呼ばれるものの一表出であり、またそれに尽きるということになるだろうか。あるいは、一例としては1995年のシラク大統領の発言によって初めて公の形でナチス占領下のユダヤ人迫害についてフランス国家がその罪を認めたことに見られるように、それは"フランス"が自らの過去(とりわけ植民地政策時代)の夥しい負債へと反省を深めていったという一般的な身振りの思想的一表出であり、またそうであるに尽きるのだろうか。おそらく、当面の文脈において、必ずしもそのように事柄を限定する必要はないと私には思われる。むしろ、1962年の最初の公刊著作『「幾何学の起源」序説』において、「ヨーロッパ的理性」の「危機」をめぐる後期フッサールの仕事についての批判的読解の試みを通じて、ヨーロッパ文化・文明の歴史、危機、その行き先に関するところのデリダの哲学的‐哲学史的思索は、既に口火を切られていたのであるから。

ハイデガー存在史という極めて重要かつ問題的なひとつの"ヨーロッパ観"を真正面から批判し、しかし或る意味では最も積極的にそれを継承する思想傾向のひとつでもあるデリダの哲学的試みは、よく知られているように、おそらくはレヴィ=ストロースやフーコーが捉えていたよりも一層、「西洋中心主義」の重さと逃れ難さをわきまえるものでもあった。そうした意味において"ヨーロッパの歴史"とその運命は、デリダの多種多彩な――時に過剰に饒舌な――テクスト群の各々において何らかの形で見出されうるひとつの要素的モティーフであると言わざるをえないだろう。そして、『Le siècle et le pardon』のデリダは、進行しつつある「赦し」の普遍化と特殊性との混合・浸透・拡大・希薄化の世界規模的運動のことを、その混合性をそのままに表現する語彙鋳造でもって、「mondialatinisation(グローバルラテン化)」として書き記す。換言すれば、それは「もはやキリスト教教会を必要としないキリスト教化の過程」(この表現は翌年のリクールの大著『記憶、歴史、忘却La mémoire, l'histoire, l'oubli』(Paris, Seuil社, 2000年)の中でも引用されることになる)に他ならない。

1992年の『死を与えるDonner la mort』以来際立ってきたデリダ哲学のこうした一つの深まりを、デリダの宗教哲学、あるいはデリダの宗教哲学と呼ぶことも可能であろう。21世紀という時代にあってその賭金の重さは推して余りある。本発表は、到底デリダ哲学全般についての網羅的考察とも、また当該の現実的な事柄に関する十全的な取組みともたりえないが、その意図するところは、さしあたってこの稀に見る哲学的深まりが描き出すところのひとつの輪郭を、つまり、いわば論理的思惟にとっても実践的思惟にとってもおそらくは昏がりと抵抗としてしか現出してこないような、「赦されえぬもの」をめぐる極めて困難で不確かな場の輪郭を、少しでも明瞭に捉え出してみるということにある。そしてまた、「mondialatinisation」と「不可能な赦し」との関わりをめぐってデリダが考えようとしている、ほとんど「夢」か「狂気folie」にすぎないような、しかし人間達が要請しないではいられないのかもしれないそうした或る次元をめぐって、何らかの(不‐)可能な方向性というものを少なくとも模索をしてみたいと思う。(無論、まさに「もはやキリスト教教会を必要としないキリスト教化の過程」が一見希薄にしかし確実に進行してきたところの日本列島、日本語文化圏において、そのような試みが何を意味しうるのかは決して自明ではないのだけれども。)


追記 : 本発表の約三週間後、ジャック・デリダの訃報が日本にも伝えられた。74歳。フランス現代思想の気概と水準を現在に伝える最後の人物達の一人として、その存在の大きさは失われてなお一層大きなものであったと感じられてくる。しかしエクリチュールの人たる彼ならばむしろそうした「現前の形而上学」を一笑に付すであろうか。哀悼の意を表するばかりである。

京都大学文学研究科21世紀COEプログラム 「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」
「新たな対話的探求の論理の構築」研究会 / 連絡先: dialog-hmn@bun.kyoto-u.ac.jp