18th Meeting / 第18回研究会

 

総括4 近代日本の哲学思想と対話的探求の論理

杉本 耕一 (日本哲学史OD) / 藤田 正勝(日本哲学史教授)

* 以下に要約を記載する「日本哲学」分野の総括は、本分野を担当される藤田正勝先生の依頼により杉本が執筆したものである。発表の段階で先生の閲覧を経ておらず、発表者の私見による提案以上の意味をもつものではない。本発表に対しては、発表後の議論において、研究会の方針としての修正や、なお議論を要すると考えられる点等の指摘を受けた。中でも、今後の活動方針と直接に関係する点については、最後に註として記載した。

0.関連する発表とその分類

  1. 受容史的研究
  2. 比較思想的研究
  3. 原理的・方法論的研究

1. 全体テーマ「新たな対話的探求の論理の構築」の中での本分野の位置

本分野の今後の研究方針を定めるためには、本研究会の中の他の分野との関連において、本分野で焦点を当てるテーマを絞り込むことが必要であるように思われる。「近代日本の哲学思想」において中心的なテーマとなっており、かつ他の分野の枠内では主題的に論ぜられることのない課題としては、<歴史的・文化的背景を異にする思想の間の対話>ということが挙げられるのではないか。言い古されたことであるが、「近代日本の哲学思想」は、「東洋」思想と「西洋」思想という、歴史的・文化的背景を異にする思想の「対話」の産物であったと考えられるからである。

2. 受容史あるいは比較思想から「新たな対話的探求」へ

<歴史的・文化的背景を異にする思想の間の対話>に関する研究は、従来、主に「受容史」あるいは「比較思想」という領域においてなされてきた。本分野の発表も大部分はそれらに属する。しかし、<新たな>対話的論理を標榜する以上は、従来通りの「受容史」あるいは「比較思想」にとどまらない、新しい視点を提起する必要がある。従来の「受容史」・「比較思想」の多くは、<中立的>な立場に立って<傍観的>に対象となる思想を考察するという傾向をもっていた。しかし、「新たな対話的探求の論理」としての本分野の向かうべき方向としては、それらの研究と共通の題材を扱いながらも、単に傍観的に外から「対話」を眺めるのではなく、実際に自ら「対話」をおこない、その中で自らの思索を深めてゆく、という視点が要求されるのではないだろうか(デービス発表参照)。

3. 文化間の絶対的な異質性という方法的出発点

<歴史的・文化的背景を異にする思想の間の対話>を現代に生きる我々自身の問題として論ずるためには、我々はその出発点として、<文化間の絶対的な異質性>ということを十分に自覚しておく必要がある。しかもそれを、単に一つの見方としてだけではなく、より深い意味において、すなわち、現代という時代が我々に要請する、異文化に向き合う際の不可避的な出発点という意味において理解すべきである。現代の我々は、二つの文化を統一する「普遍」的なものを考えることの危険性(「(止揚された)西洋中心主義」、あるいはその対極としての「東洋(日本)中心主義」)を既に知っているからである。

「近代日本の哲学思想」という題材を振り返って見ると、そこでは率直に言って、<文化間の絶対的な異質性>ということが必ずしも十分明確に自覚されていなかったと言わなければならない。従って、近代日本の思想家による他の思想との「対話」をそのまま祖述するのみでは、「新たな対話的探求の論理」としてなお不十分である。そこで提案したいのが、異文化間の絶対的な異質性を一つの<方法>としてあえて立て、そこから近代日本の思想における「対話」を見直すという視点である。現代の我々の問題として<文化間の絶対的な異質性>という視点を導入し、そこからその「対話」を眺めたならば、当の思想家自身には見えていなかった新しい問題が見えてくるかもしれない。(ただし、<文化間の絶対的な異質性>の強調は、ともすれば<一つの文化の内部での同質性>の強調と結びつく危険性がある。<文化間の絶対的な異質性>がどこまでも<方法>的な視座であり、一つの文化を実体化・固定化するものではないことには十分な注意が払われるべきである。)

4. 地平の拡張という展望

「対話」という問題を現代の我々の問題として見てゆくとき、最終的に我々が期待するのは、その「対話」の中から何か新しい、積極的な可能性が開かれることである。そのような可能性としては、「対話」によってもたらされる<地平の拡張>ということを挙げることができる(藤田発表参照)。人はそれぞれ、歴史的・文化的背景によって制約された「地平」の上に立ち、無意識の内にそれに支配されている。しかし、互に異質的な思想の間の「対話」においては、異質的な他者との出会い(摩擦や軋轢を含んだ)を通して、従来の自己の「地平」そのものの変容、あるいは拡張がもたらされる可能性がある。この<地平の拡張>は、「対話」する両者を隔てる異質性が深ければ深いほど大きな意義をもつものとなる。近代日本の思想家における<歴史的・文化的背景を異にする思想の間の対話>を、方法的にあえて<文化間の絶対的な異質性>から出発して眺めるという上に提起した視点は、彼らがその「対話」を通してどのような<地平の拡張>を経験したのか(それは彼ら自身においては明瞭に意識されていなかったものであるかもしれない)を解明する手がかりともなるであろう。

* 本発表では、今後の活動方針を定めるためにテーマを絞り込むという問題意識から、あえて<歴史的・文化的背景を異にする思想の間の対話>というテーマを提案したが、これに関して、このような形でテーマを設定することは研究会の扱う問題の範囲を狭めることになるのではないかという指摘が、研究会の共通見解として出された。また、「近代日本の哲学思想」分野の課題は、本発表で提示したような思想史的あるいは文化論的な領域にだけでなく、(狭い意味での)「哲学」の範囲内にも十分見出せるのではないかという指摘も、研究会の中でほぼ共有された。(その例としては、近代日本哲学の独特の成果として、西田や西谷らによる「地平」を越えた「根源」への探究に注目し、そこから「異文化間対話」ということをとらえ直すことの意味を考えること、等が挙げられた。)今後の方針としては、<歴史的・文化的背景を異にする思想の間の対話>というテーマに必ずしも限定せず、「哲学」の範囲内での議論を中心に、各人の関心に従って発表を募ることとなるであろう。

京都大学文学研究科21世紀COEプログラム 「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」
「新たな対話的探求の論理の構築」研究会 / 連絡先: dialog-hmn@bun.kyoto-u.ac.jp