9th Meeting / 第9回研究会

 

沈黙における対話の可能性

今村 純子 (宗教学OD)


はじめに

昨年9月、善/悪、我々/彼らの二元論を告発し続けたアメリカ在住のパレスチナ人、エドワード・W・サイードが急逝した。『現代思想』(青土社)11月増刊号は、「サイード特集」を組んだのであるが、このなかで、在日朝鮮人作家の徐京植のごく短い文章が、ひときわ異彩を放っている。「日本人がいったいどれだけサイードを理解できるか私は疑問である」、「共同体の自明性に安住しているマジョリティにはマイノリティの苦悩は分からない」、「日本の植民地支配の結果による在日朝鮮人が日々感じている<ぎこちなさ>を理解できずに、サイードのそれだけを理解できるわけがない」、とサイードを追悼する静謐な暖かい文章の直中で、陰うつな半ば諦めた面持ちの徐京植そのひとがふと立ち現れ、「でも、あなたに一体何が分かるのであろうか」と語りかけるように、何度も、何度も畳み掛けてくる。その瞬間、瞬間、サイードと徐京植とに一体化し、眼に涙を浮かべ、感慨に耽っている(日本人)読者は、その「共感幻想」からいきなり突き落とされてしまう。私たちは(日本の)植民地問題の結果を真剣に考えているかもしれない。民族問題に留まらない、あらゆる意味におけるマイノリティの立場を生きているかもしれない。現在なおも根深く日本社会に存続する「同化型=異種排除」の共同体の特質に徹底的に抗しているかもしれない。しかし、もしそうであるならば、「本当にそうなのか」と「そうであること」の自己欺瞞という陥穽があるのではないか、と「(あなたには)分からない」という言葉は、こだまのように重層的に私たちの心を震撼し続ける。この「分からなさ」と私たちはいかに向き合うことができるのであろうか。「分からなさ」という不可能性に、いかにして風穴をあけることができるのであろうか。

「戦争と革命」の世紀も、それに続く「証言」の時代も、絶え間ない暴力の連鎖から逃れ得なかった。暴力は物理的な暴力だけでなく、「言葉」という抽象的な暴力にまで及んでいる。そして、後者は前者以上に私たちの実存そのものを破壊する。「証言」の時代の「証言者たち」が、できれば眼を閉じてしまいたい、忘れてしまいたい、自らの地獄の体験を命がけで証言するのは、どんなにその体験が自らの実存保護のために「沈黙」を迫るものであったとても、私たちの万人の心の奥底にある、「ひとは悪ではなく善をなしてくれるに違いないと期待するなにものか」と表裏一体をなす、「ひとはなぜ私に悪をなすのか」という問いを他者に問いかけることを押さえることができないからである。もし同じ「不正義」に接すれば、必ず「なぜなのか」と問わずにはいられない、究極の「共通感覚」であるといえる、私たち万人の心のうちにあって「他者に悪ではなく善を期待するなにものか」に訴えかけようと、証言者たちは命を賭けて証言するのである。しかし、彼ら/彼女らの言葉が決してその言葉そのものとして聞き取られ、救い上げられない「二重の疎外」に直面した証言者たちは、死の淵から生還したにもかかわらず、自ら生命を絶つという死を余儀無くされる苦悩の深遠へ陥れられてしまったことは周知の通りである。彼ら/彼女らを殺したのは「戦争と革命」の世紀の「ガス室」ではない。そうではなく、「証言の時代」に生きる「私たち」が彼ら/彼女らを殺したのである。このことを忘れてはなるまい。なぜ、このようなことが起こってしまうのであろうか。それは、まず第一に、私たちの自然・本性は、「肉体が死を厭うように」、苛酷な体験に直面するのを避けるからである。もし、地獄の体験をした証言者の言葉に真に耳を傾けるのであれば、それは、彼ら/彼女らの地獄の体験の場に我が身を置くことにほかならない。そうであるならば、それは、私たち自身の実存の破壊を意味するからである。それゆえ、彼ら/彼女らの言葉は己が傷つかない範囲の安易な「想像力」に回収されるか、あるいは「権利」を前面に出すことで彼ら/彼女らの言葉が消し去られるかして、彼ら/彼女らを二重に世界から疎外するのである。他方、類稀な勇気と好機に恵まれ、「語ること」の可能性までに到達した「証言者たち」とは別に、一般に、被抑圧者の言葉は、「軽犯罪の裁判で裁判官を前にしてもごもごと口籠る被告人のように」、「沈黙を強いられる」という「不正義」の抑圧のままに発せられるのであるから、その言葉は「沈黙の言葉」として顕現するのが常である。そして、この「沈黙」を「沈黙」として放置するならば、被抑圧者の疎外は疎外を生み、疎外の連鎖は彼ら/彼女らを必然的に奈落の深遠へと突き落としてしまう。そして、このことは私たちをも奈落の深遠へと突き落とすことを意味する。なぜなら、この「沈黙の言葉」は、「真空地帯」ともいえる不可能性のなかにありながらも、あらゆる「権力意志」から解き放たれているがために、すなわち、プラトンの言葉に倣うのであれば、社会という「大きな動物」の支配から解き放たれているために、ただひとつの「真実の言葉」であり、私たちもまたこの「真実の言葉」を発するのでなければ真に自由であるとはいえないからである。私たちはどうしたら真実の言葉である「沈黙の言葉」を聞き取り、救い上げることができるのであろうか。そして、どうしたら、「沈黙の言葉」が、聞き取られ、救い上げられるような「社会」が構築されうるのであろうか。本発表においては、植民地下の朝鮮で少女時代を送り、戦後、九州の炭坑地帯に移り住み、労働運動、社会問題に傾倒する直中で詩的言語によって「言葉」を紡いできた、詩人でり、作家である、森崎和江(1927-)の主要著作のひとつである『第三の性』(1965)を取り上げることによって、上記の問いを深く掘り下げて考察してみたい。

1.対話のダイナミズム ――『第三の性』の構造

森崎和江の『第三の性』は、「はるかなるエロス」という副題をもち、1964年に執筆され、1965年に出版されたものである。その記述の内容から、森崎が谷川雁らと炭坑労働者の自立共同体「サークル村」を立ち上げた時期(1958)の前後が時代的背景をなしていると想定される(森崎と想定される登場人物:「沙枝」の記述は、森崎が別のエッセイ、対談で述べる経験とかなり正確に一致している)。ボーヴォワールの『第二の性』を想起させる題名をもつこの書は、一般に女性論の書と看做されている。森崎が女性の解放に賭けてこの書を書いたのはいうまでもない。だが、1964年当時、「女がわが性をあるがままに男性世界と向き合わせようとすることは死を意味しており」、「性には死の匂いがして」おり、「針の穴を抜けるように苦しかった通路がこの書である」と彼女は1992年の改訂版後書きで述べている。このことは、当時の女性の抑圧状態が現在からは想像もつかないほどひどいものであったことを意味している。「己れの闇は己れの闇。被差別部落民の、在日朝鮮人の、百姓の闇を、あたしたちは共有できない」(1972)(1),と自己批判の陥穽を指摘したリブ運動を経て、フェミニズムはひとつの運動を形成するに到った。そして、そのなかから、「アイデンティティポリティックスの陥穽」が指摘されているのが2004年現在の女性論の現状であるといえる。そうであるならば、「百姓の生まれではないから百姓の閉鎖は分からんとか、娼婦となれなかったから娼婦の苦痛にどう手だしもできんとか放言しあうだけではなんにも出てこない」(17:131)、と断言する森崎のテキストは、2004年現在の私たちにとって、1964年当時とは別様の意味作用をもつと思われる。すなわち、この書は、狭義の女性論に留まらない、あらゆる対話の不可能性にどう向き合うのか、という問いに光を投げかける、稀有な「マイナー文学」をなしていると看做すことができるのであろう。

『第三の性』は、森崎らしき人物である「沙枝」と、『無名通信』の仲間である森崎の親しい友人がモデルであるという「律子」との31回(奇数=沙枝/偶数=律子)に亘る交換ノートという「対話」形式をとっている。そして、病身で寝たり起きたりの自宅療養しながらも、二人の子供に恵まれ、結婚生活を営む(のちに離婚し、谷川雁らしき人物と暮らす)沙枝/森崎とは対照的に、律子は、10年来の病のために女性ばかりの自宅でほとんど寝たきりの療養生活をしている。こうした律子にとって、この交換ノートは、沙枝との、つまり、近親者以外の「他者」との唯一の日常的な「対話」を構築する手段となっている。

共鳴、拮抗が繰り返されるこの15回の性を巡る「対話」の直中で、さらに、過去の「対話」を想起し、熟考する直中で、「沙枝」と「律子」の二人の心のうちのなにかがそれと知られずに徐々に変容していく。対話は、当初は相手を気づかう(裏面からみるのならば自己欺瞞の)、婉曲的な表現や比喩が多用される。そして、お互いを「問いつめる」、「断罪する」あるいは「懇願する」ことを通して、お互いが己のうちなるなにものかを自らの手で着実に掴み、詩的言語を用いつつも、てらいのない直接的かつ真実の重みのある言葉によって対話がなされるようになる。彼女たちの対話の内容は、いうまでもなく、自然的・歴史的、男/女の「分断」に収斂されてゆく。その一方で、対話者である二人の女性たちの間に、産める女性/産めない女性というもう一つの分断が横たわっている。こうして、「分断」が二重構造を呈することによって、どこまでも差異の落差が残る私たち人間同士の間の「分断」の連鎖が暗示されているといえるであろう。さらに、31回目の沙枝のノートは永遠に律子からは戻ってこない。つまり、この二人の女性の対話は、有限の生である「律子の死」へ向う時間の流れのなかでなされているのである。したがって、二人の対話の狭間になされる彼女らの心の変容は、この「律子の死の接近」と無縁ではないのである。そして、14回目のノートにおいて、律子は「沙枝さんにはわからない」と連呼し、「分断」の深淵が極限に極まる。その深淵から、新たにゼロから再生するように、22回目の律子のノートには明らかに超越といえる転回が見られる。この22回目のノートを境に、律子は自らの死と自らの性とどう向き合うのかについて確信を深めていく。他方、死が今だ限定されず、生を享受できる沙枝は、律子の死の接近をノートの記述から察しながらも、渾身の力を振絞って「他者」に向き合おうとしながらも、そこから脱落していってしまう。こうして、生を限定されているもの/生を限定されていないもの、というさらなる「分断」が最後まで厳然として横たわっているのである。このように、対話は「分断」の重奏曲の形態をとり、「分からなさ」を絶望的に前面に押し出すことを通して、そこから一体何が見えてくるのかを探ろうとしているといえる。つまり、この「分断」の重奏曲が、「騒音」になるのか、共鳴を意味する「沈黙」になるのかの一点にこの書は賭けられているのである。こうして、「この現実からのがれられぬことを歎くなかれ。われわれは神じゃない」(19:136)、という『第三の性』の「対話のダイナミズム」は、二人の対話者が「手と手を取り合える一点を探ろうと」、二重の極限の現実(女性の生きる現実/産めない性であり死に向かい合う律子の現実)に共に徹底的に向かい合おうとするなかで、「くりかえした対話の果てに観念がかちと音をたてて変革をみたとき、あるいはなにげない一片のことばが未開領域への暗示を発したとき」(21:152)第三の道程、つまり、超越の道程が、自ずから召喚されるという形において、提示されているといいうるであろう(2)

2.「対話」の陥穽

沙枝と律子という二人の女性の「対話」は、自分の病をもてあます沙枝が、「じぶんの指で自分の心身をこねることがどうしても不可能なとき、似た情況にいる人々へ心が動くのは自然でしょう?」(1:10)と、同じ眼線にある律子と「遊びたい」と思う気持ちから、「交換ノート」をもちかけることから始められる。しかし、「あなたはどうしているだろうなあ、あなたと何か手仕事ができないかなあ、と思ったのです」(1:10)という沙枝の言葉には、律子の生の状況に、悲劇を見る観客のカタルシスへの欲求が現れているのを否めない。病という共通の苦悩に共に突き落とされているために、沙枝は律子の苦悩を分かち合える稀少な存在である。だが、同時に沙枝は無意識のうちに相対的弱者である律子を自らの救いの手段として扱ってしまっているのである。それゆえ、「病気もこう十年にもなってくると、沙枝さんのように神経質にはなれない」(2:12)、と自らの病に途方に暮れる沙枝を律子は一瞥し、律子の病の重さが沙枝の比較にならないものであることを強調したあとで、「でも、遊びたいと思います。子供のように全部を投げ入れて、ひとつの色になりたい」(2:13)、と動けぬ身体の重さを振り払うように、律子は沙枝の提案に同意する。

他方、律子は、10回目のノートのなかで、もし発病していなければ、自分はきっと、「女とは何かを一度も本気で考えたこともないくせに」(6:31)、「私たち婦人どもは」(10:64)と、男/女の分断を「階級対立」と看做し、女性の「量」を「権力」に変えていこうとしていたに違いない、と述懐する。そして、沙枝/森崎が、「まっくら」な炭坑に降り、原点から男女の共生の場を探ろうとしているのを見てきた律子は、「からゆきさん」についてのドラマづくりがしたい、という。律子が、とりわけ「からゆきさん」へと心情が傾くのは、「性をいためつけられたぎりぎりの所からみたい。知りたい」(10:65)と思うからである。つまり、病のために、性意識を抑圧され、卑屈になっている自分の救いが、「<性>を売る道を押しつけられた「からゆきさん」だからこそ、マイナス価値をくつがえす出発点を、握りしめていたのではないかと」(10:65)、「からゆきさん」のうちに逆転の論理を見出せるのではないかと思うからである。  このように、共苦の構造には、被抑圧者同士の間に、さらなる強者/弱者の落差が必然的に生み出されてしまう。そして、相対的弱者は、必然的に「二重の疎外」を蒙ることになる。だが、それにもかかわらず、同苦しようと働きかける相対的強者は、相対的弱者が自らのうちなる、「存在のくらさ、浮動性、拡散性、・・非生産性」(14:106)といった「虚無」を吐き出し、それらを「言葉」として形象化して投げかけることができる、また、「虚無」の意味を、共に問い直すことができる、貴重な人物である。そして、相対的弱者の「虚無」が形象化し尽くされた彼方において、つまるところ、「分断」が極限にまで極まる彼方において、逆説的に、「第三の」超越の道程の可能性が見い出されるといえる。そして、この道程が見い出されるとき、相対的強者/弱者の落差が縮小するというもう一つの超越がみられるのである。森崎の願いは、まさに、この一点に賭けられているといえるであろう。このように、『第三の性』は、性愛を出発点とした他者間の「対関係」を構築することによる真の他者との出逢いの可能性へと向けられていくのであるが、ここでは、まず、この拓けを阻むいくつかの「陥穽」を概観しておきたい。

女性ばかりの家で暮らす律子は、しばしば、その「女の園」のいびつさについて言及している。そして、沙枝はこの「女の園」の陥穽を指摘するのであるが、それは、別の位相にある、沙枝の家族が内包する陥穽を敷衍するという形においてである。すなわち、沙枝/森崎は、徹底した家父長制批判のリベラリストの両親に育てられたのであるが、彼女の両親は、共同体と拮抗し、疎外される反動として、夫婦間の対立感を意識的に排除する方向性を生み出していたのである。そして、そのことが、沙枝/森崎や自殺した沙枝/森崎の弟の存在を弱めてしまう、というマイナス要因として働いたことを沙枝/森崎は述懐している。このことと同様に、当時の女性の抑圧状態を考慮するならば、「女の園」への疎外、それに卑屈になるまいとする抵抗が、人間の「量」にもかかわらず、個々の存在、つまり、個々の自立性を弱めるものとして働いてしまうのである。「女の園は、そのまま現代の女べや的なまた縁切り寺的な女の集団につづいています。疎外からのまた疎外として。現実への抵抗がつよければつよいほどそうした現象が起こってしまう」(15:118-119)。このことは、フェミニズムが男性権力に拮抗する形で醸成される際に常に伴う陥穽であるが、この現象は女性の集団にのみ見られるものではない。異性間の「対関係」においても、近親性は、「異質なものへの渇き」を弱めてしまい、「相対性より並列性」、「立体感より平面感」(11:71)が強くなり、非交換的な同一性が存在をなぐさめてしまうために、他者間の「対関係」のダイナミズムが失われてしまうのである。このように、「量」を「力」へと変容させることは、結局体制の論理の模倣にほかならず、さらに不幸なことに、その「量」のために、自律が弱められ、他律の集団となることにより、現実性が薄められてしまうのである。

8回目のノートのなかで、律子は、自分より三つ年上の友人の女性が、「地下水道」という二人の男女が死を見つめ、絶望的な脱出を図る映画をみて、「死にせまられたって二人じゃないか。握りあった手があるじゃないか。わたしは一人だ、たった一人だ」(8:48)と公衆の面前でぶっ倒れて泣いたというエピソードを話す。そして、その友人は、医者から結婚したら元気になる、といわれるのであるが、「わたし元気になりたいんです。ねえ、わたしと結婚してくださいなって、誰にいうの誰にいえばいいのよ」(8:48)と彼女は律子に語るのだという。この律子の友人が述べる「握りあった手」こそが、第三の「対話」の道程をきりひらく鍵であるといえる。だが、この「握りあった手」がどのような握られ方をするかで、その意味作用は、プラスにもマイナスにも働くのである。この律子の友人である女性については、12回目のノートで再び取り上げられる。律子は、「いっていいじゃないの。かまやしない。誰彼なしに、わたしは元気に生きていくために男がいるんです。誰かいませんか。あなたどうですかって、なぜいわないの」(12:78)、とこの友人に対する怒りを沙枝に吐露する。そして、もしこの友人がぶっ倒れた場に居合わせたのなら、自分はこの友人の立場を全面的にかばうであろうという。しかし、その反面、この友人を「醜い」と思う自分を見い出してしまう。つまり、被抑圧者である女性であり、かつ、性意識を抑圧されている「二重の疎外」に直面している律子自身が、その友人を侮辱する「体制論理」の側の心情をもつ自分を見い出してしまうのである。そうであるから、「[男を]買っていいんだと思うんですよ、そういう時代じゃありませんか、今は」(12:79)、と男性と同じような「権利」を回復することにひとつの鍵を見い出そうとする。それに対し、沙枝は、「男のイデエをえがきながら男を買うというのは、もう一般的ですね、ほんとうに」(13:82)というのであるが、このイデエとオブジェの分離こそが、「愛らしい茶碗をならべる」(13:90)ことによって、真の他者経験を拒絶し、「個」が摩滅してしまう、「同化型=異種排除」の共同体の原基となることを、沙枝/森崎は暗示している。日本において結婚生活を営む感覚を、沙枝/森崎は「海洋のうえでハモニカをふいているように、なんとしても血がながれださぬという感じなんです」(13:88)と述懐する。「男を買う」という(当時の)男性同様の権利奪取を女性が図ったとしても、「卑屈さ」、「醜さ」から個人は根源的には解き放たれ得ない。すなわち、真の「対関係」が構築されないままに、「愛らしい茶碗をならべる」(13:90)という「共同幻想」のみが一人歩きすることになり、結局のところ、現実ではなく空想のなかを生きることになるのである。

他方、「ほかの男どもはまっくろけのカラスだけど、あなただけは人間よ、ということでどんなエロスが爆発するのやら、わたしにはわからない」(25:180)というように、たとえ「対関係」が構築されたとしても、「わたしは一対の男女が生み出す感覚や意識が、一対外の世界ではまるで無用な質であるかのように社会ができあがっていることが、不安でした」(9:54)と沙枝/森崎が危惧するように、「対関係」が、体制社会から閉ざされた孤立した状態に置かれることや、「もし、わたしが彼から、日本にうろちょろしている女はみんな石ころだが君だけが女なり、なんぞといわれたとするなら、火に投げ入れられた金魚みたいにとびあがるでしょう」(25:180)というように、被抑圧者である女性が抑圧者である男性の側に「成り上がりもの」的に上昇することは、結局のところ、「対関係」が逆転的に自己愛に回収されてしまう空想の他者経験にほかならないのである。では、真の他者経験はどのようにして可能になるのであろうか。

3.「真空地帯」が満ちるとき

「性が挫折しているその地点から歩きだしてみよう」(13:95)とする沙枝/森崎は、前述したように、分断を極限まで押し進め、そこから見えてくるものに超越の道程を探ろうとしているといえる。14回目のノートにおいて、律子は、「沙枝さんには分からない」、「あなたには分からない」、「産んだあなたには分からない」、と沙枝と律子の間に厳然として横断する「分断」を激しく強調する。沙枝と律子の「対話のダイナミズム」は、律子に、彼女の「ぼおっとした優しい気質」が何を意味するのかを知らしめ、彼女は虚無の深淵へと陥ってしまうところまで徹底される。第4回目のノートで、沙枝が夫がパックを買ってくれたといった他愛もない「のろけ」に対して、律子は「同じ年頃をあなたが踏みわたっていてくれることは心がおちつく」(4:22)といっていた。その律子の「ぼおっとした優しい気質」は、「こんな風に、ノートに向かうときに見えてきだした自分の芯が、どんなに苦痛なものなのかが分かることの不安」(14:106)を覆い隠すヴェールの役割を果たし、「存在欲がどんなに底知れないふかさであるか、また女のそれがこの世でどんなに閉ざされているものであるか、に思いいたるのがこわかったんだ」(14:106)、とはっきりと自覚することになる。ここにおいて、「同じ年頃をあなたが踏みわたっていてくれることは心がおちつく」(4:22)という先の言葉は、律子の「沈黙の言葉」であり、この沈黙に耳をすますとき、「あなたには一体何が分かるのか」という怒りを伴う「真実の声」が聞こえてくるのである。「・・そんな物神をもつことなく、性をにぎりしめることはできないのか。これは、強姦すればいいでしょう、買えばいいでしょう、という気持ちの真向うにあるんです。このさからいは、あなたには分からない。実感として分からない。その心身の苦痛が、ということではなくて、存在のくらさ、浮動性、拡散性、両裸形を自分自身の肉体でこねあわす非生産性、それからくるぽかっとしたあかるさ、つまるところ精神のありようの弾力のなさに対する苦痛は分からない」(14:106)。さらに、16回目のノートでは、「あなたの話に対するわたしの抵抗はね、沙枝さんは「産んだのだ」という事実にある気がする。「産まない女」「産んでいない女」の劣等感と疎外感は、おそらく、産んだ女であるあなたには(また言ってしまうけど)分からない。そしてこれは具体物として目の前にあることを指すんだから、もう私にはどうしようもない」(16:122)、と「分断」の強調を激しく畳みかける。このように、二人の対話が回を重ねるごとに、ひとつひとつ虚偽のヴェールを剥ぎ取られ、沙枝と律子は、「分からなさ」という「真空地帯」の両岸において対峙することになる。「奥歯にもののはさまっている感じ」(8:46)の言葉から、「真実の言葉」が発せられる位相に移行し、「真空地帯」に直面することなしに、抑圧の在り処とそこからの脱却の方向性を探ることはできない。そうであるから、あらあらしく迫ってくる律子に対し、沙枝は、「あなたからそのことが話されるのを待っていました」(17:127)というのである。律子が自らの卑屈さ、絶望、疎外といった毒を沙枝に向かって吐くことができるのは、「わたしはこのノートを遺書を書くように書いているの」(16:125)と述べているように、沙枝との絶対的な信頼関係のためである。そして、相対的上位に位置する沙枝そのひとが、律子から断罪されることによって、沙枝は、自分が、共苦しようとしていた律子を苦しめる体制論理の一員であることをはっきりと自覚するのである。そして、この加害の自覚を経て、「真空地帯」を挟み両岸に対峙しながら、「手と手を取り合える一点」を探ろうとするならば、自らの加害の自覚が、体制論理の構図そのものを掴み、転覆させる契機になりうる、と沙枝/森崎は考えるのである。「律子さんへ頼みたい。わたしは自分の条件が、あまさとしてなおのこっているのを知っています。あなたこそは、非人間的存在としてレッテルを貼った母族殿堂へ、員数外非女群をひっかかえて、その内側からまっすぐたたかいを開始できる。その内実を原理化して反権力へむかわせることができる。石女礼讃論をぶって、この世の紳士淑女からひんしゅくされるものを打ち立ててくださらないかしら。また、それでわたしのあまさを打撃してください。そのときには、きっとこの真空地帯は威力を弱めていきます。わたしも非力をつくします」(17:131)。

4.「はるかなるエロス」が意味するもの

「女はなにを望みに生きるのか」と男性から問われる経験を、沙枝と律子は共にしており、沙枝が、「わたしはね、女とは何かを知らせようとおもって生きているの」と答え、一方、律子は、「女に生まれたからには一人の男を愛しぬきたい。それがのぞみだ」と答える。そして、この二つの答えは、説明のないまま、「一枚の紙の両面」(21:159)であると沙枝はいう。このことはいったいいかなることを意味しているのであろうか。

これまでみてきたように、「青空のもとでの交情のように自分をひらいていき」(9:56)、「わたしは感動のあまり雪へうつふして泣きました。何かが浸透し、わたしと交換しあうのを感じながら。雪が、わたしの綿入れのちゃんちゃんこの形にくぼんだ」(7:36)ように、「あなた好きーって雪の上にうつぶせ」(3)するように、対関係を閉鎖させる「所有」ではない、全存在的な他者肯定に基づいて二人の対話はなされている。そして、22回目の律子のノートにおいて、律子のうちに、ついに、それまで何度も沙枝との「対話」を繰り返しながらも、しつこく残存しつづけた沙枝の言葉への「抵抗感」が消失するのである。「わたしは今日、はっとしたんです。何か視覚が刃もので切り裂かれたのを感じた」(22:161)。そして、「満ちるということは湧かすことなんだと」(22:161)確信する。「あなたが押しつけてくる主義くさいものが何であるかが、分かった。それはどうにもならなぬ人間のあぶらなんだ。人間そのものが現実におしまげられずに生きるためににじみ出させる分泌物なんだ。思想とはそんなものなのだ。空中にあんなに輝かしそうにとんでいるあれらは。わたしは抵抗していた。どれもわたしを満たさないから。偉そうにとんでいる・・。」(22:161-162)。

5回目のノートのなかで、沙枝は炭坑労働者の年輩女性たちと一日行楽にいった折り、「カマトト」と「本質的未成熟」との断絶を直視しえない彼女らが「歌」を歌おうとしても「歌がなかった」ことについて言及している。「18歳的成熟への郷愁。それへの抵抗。空漠をはらむこの未成熟な存在の直観的把握。直観したよろこびを表現したくとも媒介のみあたらぬかなしみが、いろいろな唄となってあらわれてきました。・・どれもちがうんです。しんと唄の間に沈黙がくる。わたしはこの沈黙の質を大切にしました」(5:25)。この沙枝の回想を、律子は再び回想し、「この世に女の歌はなかったんだ。満ちるはずがない」(22:163)という。「主義、主張、エンゲルス」、どれもこれも満ちない、空中に浮かんでいる綿毛のようなもの。「歌はいくつあるの?」と子供が問う。ぜんぶ覚えなければ、知らなければこの世に生きられないという感じ。「あの感覚がもっとも深い疎外だ」(22:163)と律子はいう。

この22回目のノートを境に、律子の死の予感が強まってくる。「傾斜十度のベッド。頭をひくく傾斜させて寝ているわけです。人間と逆さになりつつあるわけですよ。この傾斜はすこしずつ高くしていくの。だからといって全く人間じゃなくなるというわけでもなかろうという気持ちです」(24:171)。この状態において、律子は、「あなたの所有欲はどうなの。どうなっているの。ほかの女を意識されてもいいんですか。どうなっているの」(24:172)と、沙枝に積極的に言葉を投げかけることを通して、性について考え続けるのを抑え切れない。他方、沙枝は、22回目のノートを経て、律子の死の予感を予感せざるをいないのであるが、この死の予感が辛く、律子の死を彼女と共に見つめることを投げ出しそうになってしまう。「せめてそこに去来するもののぜんぶを刻みたかろう、しるしたかろう、とこの文字をみるんです。こんな雄渾な文字が、おふとんのくぼみのなかにいることが、わたしにつらい。ゆるしてください。こんな弱音を吐いてゆるしてください。肉筆の文字はせつない。律子さん、書かなくっていい、生きていてください、分かってください」(29:199)。ここにおける沙枝の苦悩は、律子の生が確実に有限であるのに、そこに生の無限を見ようとしてしまう自分自身との葛藤による。「なにしろ、6日の夜からはじまった今度の事件は、わたしにはあまりに貴重で、興味ある体験だったため、こだしに話すのがおしい」(30:203)という「呼吸困難による危篤状態」を意味する、30回目のノートの律子の言葉を、沙枝は、律子が「彼と出逢ったんだ」と思ってしまう。こうして、「死をみつめることのできぬものの傲慢」(31:205)による生/死の分断は最後まで続く。「・・・息するの、もう、やめようかな。いやまだだな。しんぱいしなくていもいい、生きてみせるよ。・・・息するの、もう、やめていい?いいでしょう?さようなら」(31:205)。「沙枝さんには分からない」と繰り返す律子に、「律子さん、あなたは逃げていらっしゃる。永い病床にいらして身動きできないあなたへ、苛酷そのものですけれど、あなたは体がつかえないだけではありませんか」(15:118)と叱咤し、激励する沙枝を、律子は「息たえる瞬間までなぐさめ役はげまし役を買ってくていた」(31:205)のである。

「握りあう手」はどちらか一方が強く、どちらか一方が弱ければ、後者にとってその「握りあう手」は痛みにほかならない。だが、両者が同じ強度で握りあうとき、その強度がたとえ痛みを伴うものであったとしても、その痛みは快さへと転換し、第三の道程を切り開く原動力となるのである。そして、被抑圧者同士である当時の女性の「握りあう手」が、男女の「握りあう手」への架け橋になり、さらに、自立した個人個人の「対関係」を基底にした社会の構築の架け橋へとなりうる可能性を、森崎は「はるかなるエロス」に飛翔させたといえるであろう。

結びにかえて

『第三の性』を考察することを通して、「沈黙における対話の可能性」を探究してきた私たちは、同苦の可能性を探究しようとするものが、自らの加害の意識による罪悪感を明確に自覚することによって、相対的弱者/強者の「分断」を際立たせ、「真空地帯」に直面することを通して、そこにおいて、なおも「手と手を取り合う」対関係が築かれることの可能性、そこからの社会の変革の可能性を探究するという森崎の独自性を見てきた。この第三の道程は、彼女の植民地下の経験がその源泉になっているといえる。「朝鮮について語ることは重たい。こころを押してゆけそうにない」で始まる『ふたつのことば・ふたつのこころ』と題するエッセイのなかで森崎は、「たかが子供の時代ではないか、自分ですきこのんであそこで生きたわけでもなし、と思ったとて無駄である。選択せずに、その地のすべてを吸収して自己を形成したことが、救いのないつらさを起こさせる」(4)というように、植民地政策の罪を個人の罪として捉えざるをえないことを述懐している。そして、「書き出せばただ涙が流れる。そういえばいつぞや在日朝鮮人と話をしていた折に、ふと涙がこぼれて侮辱された。「問題はナニワ節の次元ではありません」といわれた」(5)と述懐するように、上記の加害の罪意識を源泉にして築く「対関係」が、いわゆる「ナニワ節」の感傷性に終始するのであれば、社会と自己との分断を平面化してしまうことにほかならず、他律の集団とを構築することになってしまう。誰かの借り物ではなく、また、「われわれ」による合唱ではなく、また、誰かが誰かを「代表する/表象する」のでもなく、ひとりひとりが自分自身が「真実の言葉」で自分の歌を歌うことから、つまり、一切の権力意志から解き放たれた、加害の意識と責任を含めた自立した状態において、たったひとつのそのひと自身の言葉を発することから、「沈黙」に声を聞きとる忍耐力と感受性をもつ可能性が拓かれ、そこに、「沈黙の言葉」が聞き取られ、救い上げられる鍵が見い出されるのである。

 

☆ 森崎和江『第三の性』(河出文庫、1992年)からの引用は、ノートの回数番号とページ数を記した。
☆ 引用文中の強調は、発表者のものである。

  1. 田中美津『いのちの女たちへ――取り乱しウーマン・リヴ論』、田畑書店、1972年、256頁。
  2. 実際、森崎は、1976年に、『からゆきさん』(朝日新聞社)を著し、そこで、「からゆきさん」であった「おキミ」とおキミとの養女である「綾さん」との「分断」を描いている。
  3. 上野千鶴子との対談「見果てぬ夢――対幻想をめぐって――」『ニュー・フェミニストレヴュー1』、学陽書房、1990年、52頁。
  4. 「二つのことば・二つのこころ」『二つのことば・二つのこころ』、筑摩書房、1995年、192頁。
  5. 同、193頁。

京都大学文学研究科21世紀COEプログラム 「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」
「新たな対話的探求の論理の構築」研究会 / 連絡先: dialog-hmn@bun.kyoto-u.ac.jp