9th Meeting / 第9回研究会

 

宗教間対話の歴史的な背景 ――仏教と基督教に関して

マルティン・レップ (NCC宗教研究所研究員 キリスト教学講師)


はじめに

「宗教間対話」という概念が最近流行って来ております。9.11以来、政治家でさえ「宗教間対話」という言葉を使い、そしてまた、一般的な新聞にもよく使われるようになっております。ところが、以前は、ほとんど宗教者しか使っていなかったのです。1960年代にVatican II と世界基督教協議会(WCC)のポリシーの影響で「宗教間対話」の発想が基督教の世界に広がったのでした。「対話」(dialogos)の由来はギリシャ又はイタリアの哲学ですが、近代ではMartin BuberとFerdinand EbnerがDialogの概念を形成しました。したがって「宗教間対話」は新しい言葉ですが、新しい事柄又は現象ではありません。なぜかといえば、仏教では「宗論」、基督教では論争・討論(disputatio)が存在したからです。

1.日本仏教に於ける宗論

宗論とは「古来佛教と外道、或は佛教内の一宗派と他の宗派、又は一宗派内に於いて所見を異にするものの間に行はれたること」(望月:佛教大辞典)です。

日本仏教史上の一宗派と他の宗派との間では天台宗と法相との宗論は有名です。例えば、弘仁8年に天台の最澄と法相の徳一は三・一乗、又は仏性について論争しました。この論争の根本的な話題は全ての人が解脱できるのか(天台)、或はある人だけのか(法相)、というものでした。天台と法相の間にはこの宗論がつづきました。例えば、応和3年に天台の良源と法相の法蔵は同じテーマについて討論しました(応和宗論)。ここの場合では、(基督教の神学の概念を借りると)救済論の重要な問題を取り上げられています。

宗論の現象を分析すると二つの原理が出て来ます:(1)討論で真理を合理、理性・弁証法的に探究する事です。(2)結果の決め方は勝ち・負けのパターン。

他の宗派の間にも宗論があります。例えば浄土宗と日蓮宗とのあいだ。しかし、元和7年以来、徳川幕府は宗論を三回禁止しました。禁止の理由は「説法談義に於ける自讃毀他」でした(望月:佛教大辞典)。この政治的な禁止は宗論の善用・悪用の問題を指摘しています。この結果(仮説として)現代日本の既成宗教間同士は無関心といえるのではないでしょうか。この態度は、日本新興宗教との大分違います。

2.基督教に於ける論争・討論(disputatio)

中世期ヨーロパの修道院、又は大学ではdisputatioが教会と神学の発達に大きな役割を果たしておりました。それは教義の問題を解決するための手段だったのです。若い修道士、又は神学生は論争の訓練を受けました。教会史の有名な論争はマルテイン・ルターとヨハン・エックとの間で行われております。実際の討論以外には書物(フィクション)としての大切な討論もあります。こうした本には基督教、ユダヤ教とイスラム教の信徒達の間の会話が書かれております。例えば:
Jehuda ha Levi (ca. 1075-1141): Kitab al Chasari.
Abaelard (1079-1142): Dialogus inter Philosophum, Judaeum et Christianum.
Raymundus Lullus (1232/33-ca.1316): Libre del gentil e dels tres savis. Nicolaus Cusanus (1401-64): De pace fidei.

これらの本では、宗教の真理が会話の形で、或いは真理を合理的・理性的・弁証法的に探究されております。Abaelard 以来著者達は勝ち−負けのパターン・構想を乗り越えました。最終的な答えをあたえないず、相違をまもりながら共生の可能性を探っているのです。

1453年ムスリムがコンスタテイノーブル (Constantinopolis) を征服した後すぐにCusanusは(反応として)De pace fidei という本を書きました。Cusanusによれば、宗教対立が起こると、戦う(宗教戦争)か対話をするか二つの方法しかありません。 Cusanus は著作の中で宗教間対話によって相互理解の必然性を説いております。

3.日本に於ける仏教と基督教との出会い

基督教が16/17世紀に日本に来た時に宣教師と仏教の僧侶との間に度々討論が起りました。両者とも論争、宗論の古い伝統があったので、この出会いの中で共通の基盤が明らかになりました。彼らは宗教真理を理性的、または対話の形に探究できました。しかし、同時にそこには勝ち・負けの原理(或いは目的)があり、本来の宗教間対話が成り立たなかったのです。

4.結論(命題)

4.1 日本に於ける宗論・対話

(1) 前提:討論で宗教の真理を合理的・理性的・弁証法的に探究する。
(2) 参加者:宗教・宗派の中、あるいは諸宗教の間。
(3) 目的:勝ち・負けの原理か、あるいは相互理解・尊敬。後者の結果は、宗教平和・協力。
(4) 悪用の結果は、対立を深める。政治的な禁止の結果は、無関心を招く。
(5) 宗教間対話には訓練が必要。

4.2 現代宗教間対話の理論

(1) 主体と主体の関連・関係:即の原理(勝ち・負けの原理。一元論にもとづく。主体を対象化する。)
(2) 宗教間対話の始まりは聞くこと。
(3) 相互理解・学ぶ・誤解を訂正・誠実な態度。
(4) 理性的な方法(常識的に)、事実にもとづき客観的に考える。
(5) 色々なレベルで:日常生活から学問的レベルまで(幅広くて、様々な形で)。
(6) 誠実な会話は信頼を作る、信頼の上にいろいろ社会的な協力が可能になる。
(7) 他者との対話によって、自分の宗教的なアイデンテイテイを発見し、深めることができる。同時に他者への尊敬を深める。
(8) 宗教間対話を学ぶ為には訓練が必要。宗教団体は、特に若い人の為にプログラムを設立することがのぞましい。

京都大学文学研究科21世紀COEプログラム 「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」
「新たな対話的探求の論理の構築」研究会 / 連絡先: dialog-hmn@bun.kyoto-u.ac.jp