Newsletter vol.14 (2005.5)


  1. 第15回研究会報告
  2. 第16回研究会報告
  3. 今後の予定・お知らせ

第15回研究会報告

2005年 1月 22日(土)13:30 〜 17:00 COE研究室にて
川端 伸典(大阪市立大学非常勤講師) 「内村鑑三の「他力」信仰 ――内村と仏教――
内山 勝利(西洋哲学史教授) 「プラトンの「対話」について」



「内村鑑三の「他力」信仰 ――内村と仏教――

川端 伸典(大阪市立大学非常勤講師)

はじめに

今日では、国際的な宗教対話が盛んに行われ、宗教者、哲学、宗教学など、様々な立場から意見が交流されている。本稿では、そのような「対話」が成立する以前―明治初年―に、一人の日本人が伝統的宗教と異国の宗教の間でどのような思索を重ねたのかを振り返り、日本人にとっての国際的な宗教対話の原点を確かめてみたい。

本稿では、内村鑑三を取り上げるが、彼が日本にも、精神文明的には、物質文明を誇る西欧と比肩し得る要素があり、場合によっては、より優れた要素がある、と認識した段階での、内村による日本(アジア)の宗教と西欧のキリスト教との比較を検討する。比較とはいえ、精緻な文献考証的な比較論ではなく、近代日本の将来を見据え、且つ、自己の良心を基準とした実践的な比較をするところに内村鑑三のユニークさがある。以下に、「他力」という信仰態度に視点に、内村の内面で行われた、日本の宗教とキリスト教との比較、あるいは「対話」を検証する。

1. 加藤智見による内村鑑三の「他力」

本稿のタイトル「内村鑑三の「他力」」には違和感をもつ。内村の信仰はキリスト教であり、「他力」は浄土系仏教の概念であるから当然だが、加藤智見も内村の信仰を「絶対他力のキリスト教」 という言い方をする。では、「絶対他力のキリスト教」とはどのような信仰形態をいうのか。加藤は、次のように記す。

「自己の義」を排していることに関心の核があることに注意したい。つまり人間の自我の思い上がりでなく、自己の義を排し自己を徹底して否定していく法然や親鸞の姿にひかれているのである。特に親鸞が人間の「はからい」による「善」を否定している姿をルターの「信仰のみ」の姿に共通するものとして高く評価する。親鸞においてもルターにおいても徹底的な自己否定があったことが共通点とされている。

また、具体的には、内村が「信仰を「たまわる」もの」としていることと、次の引用、「彼等(法然や親鸞)が弥陀に頼りし心は、以て基督者がキリストに頼るべき心の模範となすことが出来る、彼等は絶対的他力を信じた」という、内村の言葉を、加藤は証左とする。

そこで、以下に内村の「他力」をもう少し内在的に検証する。

2. 内村鑑三自身による「他力」

まず、自力・他力に関する内村の説明を以下に略記する。

人には意志がある。故に自から計つて自から為さんと欲する。彼は道義の念に駆られ、其命に服(したが)ひて己が職責を完うせんとする。…(後略)
然し乍ら人は人であつて神ではない。彼は努力だけで己が職責を充たす事が出来ない。彼は己が衷に根絶す事の出来ない罪を発見する。又己が外に打勝つ事の出来ざる種々雑多の勢力に逢着する。歩むべきの道は知るも之を行ふの力が欠乏する。茲に於てか彼は己れ以上の力に倚らんとする。…(中略)…神の祭壇に隠れてのみ彼等は安全なるを得るのである。茲に信頼の必要がある。何人も真剣に人生に面して此信頼が起こらざるを得ない。

この文章が書かれたのは1925(大正14)年だが、その内容は、約四〇年前に内村が「贖罪信仰」へ至るまでに自身が"自力"でたどった道程を簡略化して描いているようにも思える。上記、加藤論文から引用した箇所でいえば、内村が「自己の義を排し自己を徹底して否定していく」過程である。

「自己否定」の状態にあり、「「畏れ戦(おのの)きて己が救を全ふせよ」(パウロ)とは自力を勧むる言である。之に次いで「神は御意を成さんために汝等の衷に働き、汝等をして志を立て、業を為さしめ給へば也」(パウロ)とは他力を示す言である」。

ここで言われる自力-他力の関係を内村は次のようにも説明する。

然れども他力とは云へ、自己の外に働く他力でない。「汝等のうち衷に働き」といひて、衷に働く他力である。即ち自力と成りて働く他力である。…。我等をして志を立て業を為さしむる力である。…。人に聖き強き意志を与ふる事、是れが最善の賜物であつて最大の援助である。

さらに、ルカ伝を参照し、この働きを「聖霊」だとする。「聖霊は人の霊を同化して、彼の霊と成りて働く」と定義し、これを仏教の言葉になおして「他力が自力となりて働く」とする。もちろん、内村はこれが神学的には「説明」になっていないという自覚が十分にある――「以上は説明であつて説明でない、基督教者の実験である」。

以上をふまえて、先の「基督教は自力他力郭れである乎」という問いに対しては、「他力にして他力に非ず、自力にして自力にあらず、自力他力の両勢力を以つて己が救を全うする道」、「基督教は自力教に非ず又他力教に非ず、聖霊教である」と回答する。

このようにみると、加藤智見が内村の信仰を「絶対他力のキリスト教」としたことが、少なくとも全面的には支持することができなくなった。しかし、同時に「彼等(法然や親鸞)が弥陀に頼りし心は、以て基督者がキリストに頼るべき心の模範」と言った内村の真意はどこにあるのか、新たな疑問が生ずる。

また、なぜ、内村はこのような「愚かな質問」に説明にならない説明をしてまで回答したのか。

一つには、実践を通し、また自身の良心に照らした「信仰」であるため、彼の信仰そのものに、精緻に理論化された「説明」を拒むという性格があるとも言えよう。次章では、内村と仏教の関係を瞥見する。

3. 内村鑑三と仏教

内村は、「贖罪信仰」を獲得した米国留学から帰国後すぐ(1888(明治21)年)に、キリスト教教育を行う北越学館に教頭として赴任する。ここで、聖書を教える一方で、日蓮宗の僧侶による講演を企画するが、その企図は内村の「二度目の回心(贖罪信仰)」の内容と「二つのJ」の関係とに深くかかわる。この点に関しては、拙論「内村鑑三の回心をめぐって―『二つのJ』の意味したもの」に記したので詳細は省くが、そこに記した内村の思想と信仰の枠組みから、内村と仏教についても説明できるだろう。そこで、仏教の宗教性がその枠組みの中でどのように捉えられたのか、という点に焦点をあて、「枠組み」を補強することが今後の課題となる。

内村の入信や回心という結果はことごとく、自ら選んだ道とは反していた。そのことを仏教的に振り返ると、「他力にして他力に非ず、自力にして自力にあらず、自力他力の両勢力を以つて己が救を全うする道」であり、キリスト教的には回心への全過程が「摂理」の中にあった、ということ。それが内村の実感であり、信仰の原型となった。この大枠においては、内村の中で仏教とキリスト教に区別はないが、次章で述べる点に相違を見出し、それにより、内村は仏教ではなくキリスト教を選んだ、とも言えるだろう。

4. 『羅馬書の研究』に見られる贖罪信仰

罪人を神はどのようにして赦すのか、が内村の最大の関心事であった。内村は『羅馬書の研究』(1921(大正10)年)の中で神の赦しと人間の罪をおおよそ次のように述べる。

まず、神が、もし罪人を無条件に赦すと、神の威厳は失せ、神の公義の権威は落ち、宇宙の秩序が破れ、神は神ならぬものとなる。

したがって、「罰」はなくてはならない。公義は厳として立ち、神といえども公義を宇宙の外に排除できず、公義は神をさえ束縛する。

この公義がある以上、神はただ罪を赦すことはできず、罰が当然ともなう。つまり、神は義を以って人の罪を赦すしかない。それだけでなく、軽々に罪が赦されることは、罪人にとっても不幸である。

義のためには罰しなければならず、一方、愛のためには赦したいと思う。滅ぼすべきか生かすべきか、の二者択一を迫られる。

この問題に対して神は、「その生み給える一人子」を世に遣わし、その子を十字架につけ、彼にありて 人類のすべての罪を永久に処分し、人の罪が赦される道が開き、彼を信じる者は彼にありて罪を罰せられ、彼にありて義とせられ、彼にありて復活しえるに至ったのである。

『余は如何にして』の段階から内村が、キリスト教にあって異教にないものとして、「贖罪信仰」と「善の悪からの完全な分離」をあげる。これは、「…仏教に基督教に似たる多くの点がある。浄土門の如き基督教の仏教化したる者である乎の観がある」 として「他力」に関して類似性を認めながらも、「愛」に関して、「弥陀の慈悲が慈悲の為の慈悲であるに対して、キリストの愛は義に基づける愛である」 として、「義」の有無を、両者の相違点として最晩年の1929(昭和4年)に指摘していることとも整合する。

そして、「同情」(隣人愛)についても「愛の泉源は神なり、我神に接して後、愛我を充たし而后又我より流れ出る」のであり、自らの力に依るのではない、とする。

今後の課題内村は日本の国力を高めることと同時に、その日本が世界に果たすべき「日本の天職」を生涯、考察し続けた。晩年には、「贖罪信仰」を知らず堕落してゆく欧米のキリスト教徒よりも、ひたすら弥陀の本願にすがる仏教徒に親しみを感じ、日本においてこそ「純信仰の復興」ができると主張した。このことは、内村の初期の「殆ど総ての著書をむさぼるように読」み、「東京独立雑誌」にひきつづき「聖書の研究」も購読し、「宗門の革新と信心の相続に心を砕いて」いた暁烏敏らとの対話と交流が内村を刺激したものと思われる。

神の前で罪を痛感し、同時に、神の愛を感受できる内村鑑三と、煩悩に塗れひたすら弥陀の本願にすがる暁烏敏らとの間には、宗門の違いを超えた連帯意識があるように思われる。罪と煩悩に対する人間の無力感を互いに交換可能な状態で共有する新しい共同体の萌芽をそこに見ることができないだろうか。その共同体形成に内村鑑三の信仰に対する峻厳さと寛容を見ることができないだろうか。その点の考察は今後の課題としたい。

参考文献
加藤智見「内村鑑三と清沢満之」、藤田正勝・安富信哉編『清沢満之―その人と思想―』法蔵館、所収、2002.
加藤智見『いかにして「信」を得るか : 内村鑑三と清沢満之』法蔵館、1990.
「自力と他力」『内村鑑三全集』第29巻、岩波書店、1983、所収。
鈴木俊郎訳『余は如何にして基督教信徒となりし乎』岩波文庫、1938。
鈴木範久『内村鑑三』岩波新書、1984。
『求安録』、『内村鑑三全集』第2巻、所収。
「仏教対基督教」(1929(昭和4)年)、『内村鑑三全集』第32巻、所収。
『内村鑑三選集 別巻』岩波書店、1990。




プラトンの「対話」について

内山 勝利(西洋哲学史教授)

1. プラトンの対話篇の特異性

本発表では、近著『対話という思想―プラトンの方法叙説』(岩波書店、2004)に基づき、プラトンにおける「対話」の特質が考察される。林達夫は「『タイス』の饗宴」の中で、後代の多くの対話体をとった哲学書が「仮想的な形而上学的亡霊ないし思想的ロボットの無味乾燥な、退屈な、果てしのない概念的対話の連続」になってしまっているのに対して、プラトンの対話篇は「血の通った、肉のある人間による思想争闘劇」であると高く評価する。プラトンがこのように、プラトン以降ほとんど現れることのなかった独特の対話体をもってその思想表明をおこなったということは、プラトンにとって必然的なことであった。対話篇という形式は、プラトンの思考法の実質をなす。それは、彼の知識論であり、また、そのまま彼の哲学そのものである。プラトンの思想が、対話篇というスタイルを必然的に要請したのである。

対話篇のもつアスペクトは、文学性/伝達(教育)性/哲学(思想)性という三つのアスペクトに分解することができる。一般に、これらのいずれかのアスペクトから対話篇を捉えようとする試みがなされてきたのだが、本発表では、哲学性において三つが一体化した形で結びついていると考える。

2. 想起説と対話篇

プラトンの代表的な教説である想起説は、対話篇という構造と密接な連関をもっている。『メノン』は、初期対話篇の構造を要約した上で中期思想への展開の基盤を開いた、プラトンの「方法序説」とも言うべき著作である。そこでプラトンは、幾何学を学んだことのない召使の少年が、ソクラテスとの対話を通して幾何学の公式を自ら発見するプロセスを描き、それをもって想起説の証明としている。召使の少年は、正方形の面積を二倍にするためには一辺の長さをどれだけにすればよいかという問題の答えを、ソクラテスとの問答に導かれながら、自分自身で見出す。これは、少年が、幾何学を学んだことがないにもかかわらず、すでに幾何学を知っていたことを示すものである。

少年の答えが、ソクラテスの誘導尋問によって得られたものであったことは、まぎれもない。少年は質問に対してイエスかノーかを答えたのみである。しかし、その答えはソクラテスによって押し付けられたものではない。少年は、イエスかノーかを自発的な判断を発揮して答えたのであり、その意味で確かに自分で問題を解いたともいえる。ここには、対話篇の理想モデルが見られる。それは、どこがわからないか、ということを対話のうちで積み重ねることによって正しい答えに至る、という共同探求の方法である。この方法をとるならば、知らないもの同士の対話でも知への道が可能となるであろう。

3. 知の内発性

想起説は、知のあり方の根本的な態度変更を迫るものである。想起説は、しばしば誤解されるような知的オプティミズムではない。それは、内発的な知的努力により自分自身の力で考え抜くことを要求するものである。学びとは、教え込むことではなく想起させることでなければならない。問いかけによって触発された思考の力が、自分自身の内側から判断をおこなうとき、はじめて学びは成立するのである。

『パイドン』では、感覚・経験と知との想起説的関係が語られる。目で見、耳で聞くということは、それ自体では知識とはいえない。それに対して応答し、それを内側から捉えなおすとき、はじめて知的な活動となる。そのプロセスは、想起という構造をもっている。外から与えられるものをすべて自分への問いかけとして受け止め、各自の内からの言葉で応答するとき、すなわち想起によって、はじめて知が成立するのである。

思いなし(ドクサ)とは、判断を鵜呑みにし、当て推量でものを考えることである。当て推量は、社会的な成功者において見られるように、当たり続けることもある。しかし、プラトンはこれを知とは認めない。知として成立するためには、内側における判断根拠、裏づけがなければならない。これがいわゆる原因の思考であり、ここに知と思いなしとの決定的な違いがある。知において重要なのは、外側に目を向けるよりも、その刺激から内面に向かうことである。

有名な洞窟の比喩も、同じことを表したものにほかならない。それは、知が外からもたらされるものではないことを示している。われわれは、視力ははじめからもっている。ただ、視力を向ける向きがちがっているから真実を見ることができないのである。重要なのは、視力を向ける向きをかえることである。教育とは、向け変えの技術、すなわち、魂の目を外にではなく内に向けるよう促すことにほかならない。

4. むすび

対話とは、自己自身の見解を明確化する場である。話し合えば分かるという前提のもとで、合意を目指すものでは必ずしもない。話し合いの場にさらされ、相手の言葉を自分自らのうちに取り返しなおし、そのやり取りを通じて自己の見解を明確化すること、これが対話である。知は、人から注ぎ込んでもらうものではない。われわれは、外からの刺激を受けて自らの知を呼び覚ますほかない。情報を内発的に問いかけとして受け止め返すのでなければ知にはならない。プラトンの思想が対話篇という構造を要求するのはそのためである。



第16回研究会報告

2005年 4月 16日(土)13:30 〜 17:00 COE研究室にて
「これまでの研究会をふりかえる」
研究班でのこれまでの研究発表を総括しながら、研究班としての今後の活動方針を議論しました。



今後の予定・お知らせ

◇第17回研究会のお知らせ(予定)

2005年6月30日(木)13:30 〜 17:00 COE研究室(京大文学部東館4階北東角)
杉村 靖彦(宗教学専修助教授) 「研究会総括1 「他者論」「多元主義」を中心とした現代思想の問題に直接関わる考察(仮)」
氣多 雅子(宗教学専修教授) 「研究会総括2 宗教間対話および対話のプラクシス(仮)」

◇第18回研究会のお知らせ(予定)

7月28日(木)13:30 〜 17:00 :COE研究室(京大文学部東館4階北東角)
片柳 榮一(キリスト教学専修教授) 「研究会総括3 これまでの対話的探求の思想の現代の視点からの解釈(仮)」
藤田 正勝(日本哲学史専修教授) 「研究会総括4 日本近代の哲学思想における対話的探求の論理の見直し(仮)」

◇研究班サブグループ発足のお知らせ

2005年度は、これまでの研究班としての活動(研究会の開催など)に加えて、新たに研究班内部にサブグループを組織し、各グループがそれぞれ「新たな対話的探求の論理」に関するテーマを集中的に研究し、それを研究会全体へとフィードバックさせるという活動形態をとることになりました。この結果、より活発かつ有機的な活動を展開できることが期待されます。

なお、現在既に組織されているサブグループは、以下のとおりです。
1. J. ハーバマス『コミュニケイション的行為の理論』読書会 (組織者:竹内綱史 宗教学専修OD)
2. 研究班「思想/研究の《方法》としての対話――京都学派を素材として」 (組織者:佐藤啓介 キリスト教学専修非常勤講師)

◇メンバーの異動

2005年度、以下のメンバーを新たに研究班に迎えました。(敬称略)
 末永絵里子(宗教学専修博士課程)、濱崎雅孝(キリスト教学専修博士課程)
 守津隆(日本哲学史専修博士課程)、竹花洋佑(日本哲学史専修博士課程)
上記メンバー以外にも、所属の変更があった方もおられます。詳細は、webサイト上にてご確認ください。

◇補佐員の交代、連絡先の変更

年度の変更に伴い、研究会補佐員が変更になりました。
  杉本耕一(日本哲学史専修OD) → 佐藤啓介(キリスト教学専修非常勤講師)
また、補佐員の交代に伴い、4月から事務局が変更になりました。お問い合わせなどは下記までお願いします。

606-8501 京都市左京区吉田本町京都大学文学部
キリスト教学研究室 Tel:(075)753−2757(担当:佐藤)

京都大学文学研究科21世紀COEプログラム 「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」
「新たな対話的探求の論理の構築」研究会 / 連絡先: dialog-hmn@bun.kyoto-u.ac.jp