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Newsletter No.6

2003年6月18日発行

活動報告

第6回PaSTA研究会は以下のように盛況に開催されました。

日時:6月1日(日)午後3:00−6:00
会場:京都大学文学部東館4階(北東角)COE研究室

フランス 看護の現場における倫理的問題 フランスでの研修報告
      相澤 伸依(文学研究科修士課程)

動物実験の倫理的問題
      鶴田 尚美(京都精華大学人文学部非常勤講師)

技術者倫理は多元的でありうるか?−国際倫理綱領の可能性の検討を通じて−
      杉原 桂太(南山大学社会倫理研究所非常勤研究員)

第6回PaSTA研究会報告要旨

●フランス 看護の現場における倫理的問題 フランスでの研修報告

相澤伸依(文学研究科修士課程)

 PaSTA研海外派遣プログラムにより、本年3月14日から15日にかけてリヨンにて開催されたReseau Ethique et Handicap主催の研究会(テーマ:"Soigner et protocoliser ? Quels enjeux, quelles interpretations pour les acteurs ?")に参加した。研究会では医療・看護の現場で生じる倫理的問題について様々な立場から報告があった。ここではその中から、医療の標準化、インフォームド・コンセントの問題について簡単に紹介したい。

医療の標準化
 フランスでは1970年代から様々な医療費抑制政策が取られてきた。70〜80年代には保険料の引き上げや増税による収入の増加、医療費の償還の引き下げなど、主に医療の需要側に負担を求める方法が取られてきた。政策の転換点となったのは、1993年に制定された法律「医療業と健康保険の関係に関する法律」である。この中で初めて医療費の「医学的抑制」という概念が導入された。これは、医療の質を考慮しつつ医学的な方法によって医療費を抑制しようというものである。この法律のもと、1993年に医療協約が結ばれ、「拘束力のある医療指標(RMO)」が医療現場に導入されることになった。RMOとは、「周知の科学的規範」に基づいて医療の基準を提供するもので、医学的に無駄な医療及び処方を削減することを目指している。RMOを遵守しない医師に対しては、制裁が課せられることになっており、RMOは一定の強制力をもって医療現場で機能している。しかしこの状況に対して、医療従事者側から強い批判がなされている。その主な批判は次の三つである。一つには、医師には法律上処方の自由が保障されているが、RMOはこれに抵触するのではないかということである。次に問題視されるのは、RMOによって医療の質が低下している可能性である。RMOの目的は医療の質を確保しつつ医療費を抑制することにあったが、結局医療費抑制が中心となってしまい、質の確保が軽視されているという指摘である。三つ目に、RMOに厳格に従うことにより、医療従事者の能力の低下が懸念されるということである。RMOによって、本当に患者のためになる医療が提供されるのか、「医療費の医学的抑制」という概念に疑問が呈されている。

インフォームド・コンセント
 フランスでは長らくパターナリスティックな医師・患者関係が保たれてきたが、90年代初期からインフォームド・コンセントが明確に要求されるようになってきた。その傾向は、例えば1994年に公布された「身体の尊重に関する法律」や1995年に改正された「医師の職業倫理綱領」の中に、患者への十分な説明や治療への同意の取得義務が規定されている点に見て取れる。しかし、調査によりインフォームド・コンセントが確実に実行されているとはいえない実態が明らかにされ、不十分さが指摘されてきた。このような状況下で2002年3月に、患者自身に意思表示の手段を与え患者自身の決定が尊重されるようにすることを目的として「患者の権利と医療システムの質に関する法律」が制定された。この法律には、患者自身の医療情報へのアクセス権や医療従事者の情報提供の義務、プライバシーの尊重などが明記されている。この法律が実際に医療従事者・患者関係にどのような変化をもたらすのか、注目されるところである。

 上記以外にも、電子カルテの導入が計画されるなど、フランスの医療現場にはますます大きな変化の波が押し寄せている。これら、日本とも共有される医療・看護倫理問題について、一層注目していく必要があるだろう。

●動物実験の倫理的問題――デンマーク倫理審議会の見解を一例として

鶴田尚美(京都精華大学人文学部非常勤講師)

  人間以外の動物を用いた医学研究は、被験体に何らかの危害を加えるために、しばしば道徳的な非難の対象となる。アメリカ、ヨーロッパなど諸外国では動物実験に法的規制がかけられ、実際に実験を行なう研究者達や哲学者達が動物実験の正当性を活発に議論している。本発表では、デンマーク法務省「動物に関する倫理審議会」のレポートを参照して、動物実験において倫理的に何が問題となるのかを検討した。
 動物を用いた医学実験は、(A)物質が生体に与える有効性や悪影響、(B)毒性試験、(C)新薬開発、(D)研究機関での教育、(E)基礎研究の5つのカテゴリーに分けられる。使用される動物はヒト以外の脊椎動物とされ、デンマーク国内の年間使用数30万匹のうちマウスやラット等の齧歯類が90パーセントを占める。
 動物の道徳的地位については、三種の見解がある。第一は、動物中心の見解(animal- centered view)である。この見解によれば、動物には生の主体としての固有の価値があり、人間から侵害されない権利をもつ。二番目の見解は、人間中心の見解(human-centered view)と呼ばれる。この見解をとるある論者によれば、道徳というシステムの参加者たりうるには、道徳に同意する能力を必要条件とする。また、別の論者によれば、道徳的存在者であるには、自由意志や自律など自由に道徳判断するための能力を必要とする。ゆえに、人間中心の見解によると、これらの能力を欠く動物は道徳的共同体の参加者とはなりえず、動物の権利は存在しない。
 しかし、人間中心の見解は、現代の多くの人々が、動物も人間と同じように苦しむ能力をもつという信念や、無辜の生物を苦しませるのは道徳的に不正だという信念をもつことを無視している。動物中心の見解もまた、人間の利益と動物の不利益とのトレードオフを一切容認しないという点で不合理な見解である。
 したがって、われわれが採用すべきは第三の見解すなわち動物福祉の見解(animal welfare view)であろう。この見解によれば、道徳的に非難されるべきは実験に動物を用いることや殺すことそれ自体ではなく、それによって被験体となる動物がもつ主観的経験すなわち痛みや苦しみ、フラストレーションなどの不快な経験である。さらに、動物の被る不利益が、それによって人間が得ると期待される利益よりもはるかに少ない場合、動物実験は道徳的に正当化される。
 動物福祉の見解は、既に諸外国の法律やガイドラインなどにおいて採用されている立場であるが、どのような実験を不正とするかという実質的な道徳判断は、アメリカとヨーロッパ諸国とで大きく異なっているのが実情である。今後は、福祉という概念をどのように理解し明確化していくか、そして福祉の実現策などがさらに検討されるべきであろう。

●技術者倫理は多元的でありうるか?−国際倫理綱領の可能性の検討を通じて−

杉原桂太(南山大学社会倫理研究所非常勤研究員)

 技術者倫理(Engineering Ethics)への注目が日本で高まっている。本報告では、技術者倫理とは何かと、一元性・多元性の問題が技術者倫理にどう関わっているかを検討した。日本で技術者倫理が関心を集めている背景には、技術業(Engineering)と技術者教育(Engineer -ing Education)のグローバル化がある。1999年にわが国の技術者教育の国際的同等性を保証するために設立された日本技術者教育認定機構(Japan Accreditation Broad for Engineering Education:JABEE)は、米国のABET(Accreditation Broad for Engineering and Technology)に倣って、認定基準の一つで技術者倫理を明示した。こうした国際化を通して日本に導入されているのは、専門職(Profession)としての技術業である。技術者倫理とは技術者の専門職倫理に他ならない。技術者倫理が専門職倫理であることは、米国の技術者が進めてきた技術業の専門職化を通して確認できる。米国では古くから、専門職の条件に、専門知識の水準が確保されていることや社会的責任を持っていることが数えられてきた。ABETは、専門知識についての教育が一定の水準に達していることを社会に保証するための組織として1930年代に設立された機関を源流に持つ。技術者倫理とは、科学技術の有害な影響が明らかになると同時に技術者の社会的責任が問われた1970年代に、医療倫理をモデルに学問化された分野である。当時は、各技術業協会(Engineering Societies)が、倫理綱領の重点を顧客や上司への忠誠を果たすことから公衆の福祉を最優先することに移すなど、今日の技術者倫理の原型ができあがった時期であった。

 本報告が技術者倫理を一元性・多元性の問題の中に位置づけるのは、世界共通の技術者倫理が今日提案されていることへの着目を通してである。米国で技術者倫理の教鞭を取るとともに日本への紹介に重要な役割を果たしている哲学者のルーゲンビールは、技術業が世界各国にグローバル化していることを指摘している(H. Luegenbiehl, 2002, “Issues in the Internalization of EngineeringEthics”, 『科学技術社会論学会 第1回年次大会 予稿集』pp69-72)。そして、各国で技術者がおかれる文化背景の違いに配慮しながら、世界中の技術者の指針となる国際倫理綱領の制定を提唱している。彼は、日本と米国の技術者倫理の間に次のような差異があることを、つまり多元性があることを指摘する。米国の技術者倫理は、その専門職像に則って、個人主義的で独立型である。すなわち、倫理的責任の担い手は個々人の技術者であり、技術者には所属する企業の上司から独立した立場で倫理的判断が求められる。これに対して、これまで専門職としての技術者が余り強調されてこなかった日本では、独自の技術者倫理が発展する可能性がある。こうした検討を経てルーゲンビールは、世界各国の技術者の指針となる国際倫理綱領を、すなわち一元的な技術者倫理を提案する。この内、公衆の福祉に関わる条項は次のように提唱されている。「自分達が製造したものと他の技術者達によるものの双方について、技術発展の産物によって影響を受ける人々の安全を最優先する」。たしかにこの条項は、国境や文化の違いを越えすべての技術者に求められる一元的な内容だといえるだろう。しかし、ルーゲンビールがそうしているように、国際倫理綱領を通した一元的な技術者倫理の構築は、あくまでそれぞれの国の間ある多元的な技術者倫理の存在を認めた上で行われるものなのである。それぞれの国の状況に則していなければ、実効性を持った技術者倫理とはならない。

 ただ、ルーゲンビールの指摘するところの日本の技術者倫理には注意しておくべき点がある。これまでの代表的な日本の技術者像を念頭に置いている余りに、技術者倫理の専門職倫理としての特徴が見えにくくなっていることだ。米国における成立過程から確認できるとおり、技術者倫理はあくまで専門職業倫理である。従来の日本の技術者像を踏まえつつも、専門職倫理としての技術者倫理を組み立てる必要がある。ここで参考になるのが、欧州倫理ネットワークが近年行った技術倫理(Ethics of Technology)構築プロジェクトである(Goujon P. and B. H.Dubreuil ed, 2001, Technology and Ethics: A European Quest for Respon -sible Engineering. Peeters)。これは、米国で発展した技術者倫理を1980年代のいわゆる経験的転回を経た技術哲学を統合して技術倫理を成立させようとする試みである。この技術倫理は、専門職としての個人の技術者だけでなく上司や企業、市場という文脈に技術が位置づけられていることに着目している。そして、技術の倫理問題は、技術者の視点だけでなくこのコンテクストの中において考察される。こうした技術倫理は、専門職倫理としての特徴を保持しながら、日本の技術者に即しているといえる。

今後の予定

●第7回PaSTA研究会

日時:6月23日(月)午後4:30−6:30
会場:京都大学文学部東館4階(北東角)COE研究室

Michael D. Gordin (Junior Fellow, Harvard University)

The Anthrax Solution: Sverdlovsk and the Resolution of a Biological Weapons Controversy, 1979-1994.

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