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Newsletter No.7

2003年8月20日発行

活動報告

●第7 回PaSTA研究会は以下のように盛況に開催されました。

日時:6月23日(月)午後4:30−6:00
会場:京都大学文学部東館4階(北東角)COE研究室

Michael D. Gordin (Junior Fellow, Harvard University)
The Anthrax Solution: Sverdlovsk and the Resolution of a Biological Weapons Controversy, 1979-1994.

●第8 回PaSTA研究会は以下のように盛況に開催されました。

日時:7月25日(金)午後3:00−6:00
会場:京都大学文学部新館2階第3演習室

反事実文の意味論と自然法則の認識論
岸田功平(ピッツバーグ大学哲学科博士課程)

「予防原則」?
  神崎宣次(文学研究科博士課程)

第7回PaSTA研究会報告要旨

The Anthrax Solution: Sverdlovsk and the Resolution of a Biological Weapons Controversy

Michael D. Gordin (Junior Fellow, Harvard University)

From 1979 to 1994, arms control in the field of chemical and biological warfare (CBW) experienced what could be termed a “verification crisis.”  With the collapse of the SALT (Strategic Arms Limitation Treaty) regime in nuclear arms control in the late 1970s and early 1980s, precisely on the issue of how to verify compliance, the international arms control community was uniquely sensitive to issues of arms control verification.  The particular nature of CBW — the effects of which seemed to mimic natural outbreaks of disease — only intensified the suspicions of conservatives in the US government about verification and exacerbated the Cold War tensions surrounding this arena of arms control.  At this moment, two CBW-related incidents flared up and brought the verification crisis to a head, incidents which seemed to bear all the characteristics of illegal uses of biological weapons in violation of the 1972 Biological Weapons Convention (BWC):  the Sverdlovsk incident and Yellow Rain.  Although the two events dovetailed in their historical interaction during the 1980s, this paper focuses on the Sverdlovsk incident in particular for two reasons:  as an allegation of use of a bacteriological agent, this crisis emphasized the difficulties of detecting differences in CBW incidents from natural epidemics; and because it, more than Yellow Rain, can now be said to be definitively closed.

Due to a variety of changes in the East-West environment — not least of them the Soviet invasion of Afghanistan in 1979, the US boycott of the 1980 Summer Olympics in Moscow, and the Reagan victory in the 1980 US presidential election — by 1981 there was extraordinarily little faith in CBW arms control, a remarkable contrast to the great optimism six years before in the potential of the Biological Weapons Convention to usher in a new system of international relations and cap a long quest for biological arms control.  The Sverdlovsk incident was the first alleged violation to appear in the midst of this climate of distrust.  In 1979, an anthrax outbreak in the Soviet city of Sverdlovsk led many Western security officials to conclude that the Soviets had been secretly developing biological weapons in violation of the 1972 BWC.  Using a variety of tactics, the Soviets managed to demonstrate, for a time, that the outbreak could just as easily be explained by natural causes.

At the time, there was little the US State Department could do to answer the Soviet defense that the Sverdlovsk outbreak was caused by black-market distribution of contaminated meat, thus representing deaths by gastroinestinal anthrax and not by the militarily-viable inhalation anthrax.  From 1981 to 1986, much of the attention of the arms-control community focused instead on Yellow Rain.  When Sverdlovsk reappeared on the American scene as a topic of discussion, the result was an almost unanimous confirmation of the Soviet “meat defense,” as Soviet scientists, in the atmosphere of glasnost and perestroika, came to the National Academy of Sciences in Washington, DC, and displayed histological evidence that indicated a gastric origin for the anthrax deaths.  With the case apparently closed, it was reopened by Soviet reporters, and later reporters from the Wall Street Journal, who located hidden evidence and documented the extent of the Soviet government’s cover-up — including the official Soviet misrepresentation of evidence at the National Academy in 1988.  In 1994, after extensive research in the former Soviet Union and careful analysis of the recently-uncovered biological samples, survivor interviews, and local meteorological data, Harvard University professor of biochemistry Matthew Meselson, once the most prominent American advocate of the Soviet meat defense, concluded the debate by demonstrating the inhalational origins of the 1979 outbreak, which made a military accident the only possible explanation.

This paper examines the history of this “Sverdlovsk incident,” and how its peculiar nature impacted on the reformulation of a verification philosophy both for the Biological Weapons Convention and for the nascent Chemical Weapons Convention (CWC).  The net result of this reformulation was the entrenchment of independent scientists as a means for establishing the “truth” of CBW violations.  Both before and after a consensus was reached, it was evident to what a strong degree the standards of evidence and evaluation were created by the political climate.  Both the US State Department and its opponents clamored for some form of objective resolution without recognizing the impossibility of this goal in such a tense political area.  The solution embedded in the CWC, and as demonstrated by the political fractiousness of recent chemical-weapons inspections in Iraq, still hinges on communal definitions of standards of evidence.

第8回PaSTA研究会報告要旨

●反事実文の意味論と自然法則の認識論

岸田功平(ピッツバーグ大学哲学科博士課程)

 自然法則とは何かを説明する数多くの分析のうちでも、Ramseyの考えを改良してDavid Lewisが提唱した最善体系説は最も有力な立場の1つである。この説で自然法則とは、経験的な現象を記述する演繹体系のうち、単純さと強さをバランスよく兼ね備えた(という意味で最善の)演繹体系の公理のことだとされる。David Lewisの定式化自体は、自然法則が特定の言語に依存することになるという理由でvan Fraassenらの意味論的立場によって批判されている。それでも、単純さと強さを兼ね備えた理論を作ることが科学の重要な側面であることに変わりはなく、モデルの理論的定義といった意味論的立場の道具立てを用いても、最善体系説と平行した説明を与えることができる。こうした最善体系説、およびそれを意味論的立場で焼き直した説の利点は、自然法則を経験的な基礎だけによって、だが同時に、我々の経験に相対的ではない客観的なものとして説明できることだ。
 しかし、自然法則の特徴とされるもののうち、以上のような客観的分析でうまく説明できないものに必然性がある。具体的には特に、法則的な一般化が反事実文を支持する一方で、偶然的な一般化は支持しないとされる。つまり自然法則は現実と異なる可能的場合にもあてはまる点で偶然的真理と区別される。この側面を可能な未来という場合にあてはめて言えば、我々が行為を決定する際などに自然法則に則って予測を立てることはあっても、過去の偶然的一般化が未来にも通用することはない。Lewisは可能世界に、意味論的立場はモデルの複数性にそれぞれ訴えることで必然性に関する言葉使いを説明しているが、両者とも必然性の上の側面をうまく捉えられていない。
 自然法則による反事実文の支持を説明するためにUrbachは、反事実条件文「AだったならばBだったであろう」を実質含意「AならばB」と条件つき確率P(B|A)=1の連言と解釈する。ここで確率は主観確率である。Bayes主義的な主観確率によって反事実文を解釈することで、反事実文を支持する自然法則の必然性を経験的な基礎から説明できる、というのがUrbach説の主眼だが、この分析は主に2つの点で失敗している。第1に、反事実文が様々な文脈において登場しうるという点を捉えていない。とりわけ技術的には、よく確証された事実に反する前件を持つ条件文が扱えない。第2に、よく確証された自然法則とよく確証された、しかし偶然的な一般化とを依然区別できていない。
 複数の可能世界間の類似性を用いて反事実文を分析する際Lewisが正しく指摘しているように、反事実文が登場する文脈は固定されておらず、科学的探求においてすら多様である。従ってUrbachのように、固定された確率分布の上で反事実文を扱うことは適切でない。主観確率に基づいて反事実文を扱うのであれば、RamseyやStalnakerが主張したように、我々の背景知識に反事実条件文の前件を加えたうえで相応の修正を施すことが必要となる。
 しかしそもそも、反事実文の文脈には確率による扱いを拒むものもあり、主観確率によってあらゆる反事実文に一元的に意味論を与えることには望みがない。それでも、ある程度文脈を固定してやることで、主観確率による扱いに満足な意味を持たせうる。過去に関する一般化が将来のテストをパスするか否かは、その一般化が法則的か偶然的かを決める鍵になるが、このテストにはBayes的な表現を与えることができる。同様にして、現実に関する一般化(最善体系説が訴えるような、現実の現象すべてを拾い尽くした上での一般化でもよい)が法則的か偶然的かを決めるために反事実的なテストに訴えることができる点に着目する。一般化が反事実文を支持するとは、その文が表す反事実的テストをその一般化がパスするということであり、この文脈でならば、確証テストのBayes的表現と、上の主観確率による解釈の組み合わせで反事実文をうまく表現できる。
 ここから、自然法則が偶然的一般化と違って必然性を持ち予測に用いられるのは、前者を確証する経験的証拠が、後者を確証するものと違い我々の背景知識で大きな地位を占めるからだ、という分析が帰結する。これを最善体系説が訴えるような理想的科学にあてはめると、この分析が自然法則とするものと、最善体系説が自然法則とするものとはおおよそ一致する。従って以上の分析は、最善体系説の自然法則が必然性を持ち予測に用いられることを導く分析として働く。自然法則の必然性を最善体系説などの客観的分析による定義から直接導くことはできなくとも、自然法則と定義されるものの認識論的地位から導くことは可能なのだから、自然法則の概念に一枚岩の説明を与えねばならないという目標にこだわらなければ、既存の分析の弱点を認識論的説明によって補い、よりよい分析を提供することができる。

●予防原則?

神崎宣次(文学研究科博士課程)

 環境問題に関する議論で近年重要となってきている考え方に、予防という概念、あるいは予防原則 precautionary principleがある。1980年代の中頃以降、多くの環境に関する政策や法律、あるいは国際条約等に、この考え方は取り入られている。にもかかわらず、この概念は別段新しいものではないという議論もある。たとえば、診断について疑いがある場合には「後悔するよりも安全をとるべき」とされてきた医学や公衆衛生の分野では、しばしば未然防止の方策がとられてきた。環境政策においても、「予防原則」という用語が使われるようになる以前から、その考え方自体は国際的文書で明らかに用いられており、既に多年に渡って環境政策の一部となっている、と主張する論者がいる。また予防原則は、リスクアセスメントの拡張にすぎないといわれることもある。このような主張を見ていくと、各論者が「予防原則」と言う場合に、それぞれどのような内容を指して言っているのかについて疑問が生じてくる。単一の「予防原則」など存在せず、複数の、異なったものが、一つの名前で呼ばれているのではないだろうか。
 確かに、科学的不確実性下における意思決定という意味では、予防原則は目新しいものではない。したがって、予防の考え方が環境問題に対して適用された「最初」はいつかという話は重要ではない。重要なのは、予防の考え方が環境政策や立法を通じて制度化されるようになってきたということである。一般に、その最初の例は1970年代のドイツの環境政策とされる。1971年に西ドイツ(当時)のブラント政権が、包括的な社会改革計画の一環として打ち出した環境政策の五つの基本原理の一つに、Vorsorgeprinzipと呼ばれるものがあった。Vorsorgeは普通「配慮」などと訳される単語であり、単に将来を予測するだけでなく、それに備え、行動することをも意味に含んでいる。これは、政策立案者が確実とはいえない証拠に基づいて、社会への介入行動をとることを許可する原理だった。1980年代初めに、このVorsorgeprinzipが、precautionary principleと英訳されることになる。ここで注目しなければならないのは、他にも四つの基本原理があり、五つの原理は互いに制約しあう関係にあるとされていたことである。たとえば費用対効果を考慮することも基本原理の一つであり、Vorsorgeprinzipに基づいて介入が認められたとしても、費用対効果の面から実際には介入が行われないかもしれない。Vorsorgeprinzipは、他の全ての考慮に優越する原理ではなかったが、それ自体は、後悔するよりも今行動することを常に指示する原理だったのである。
 その後、予防原則はさまざまな環境政策等に取り入れられるようになっていったが、現在のように国際法における基本原則として広い支持を集めるようになったのは、1992年の国連環境開発会議によるリオ宣言以降であるといわれる。その第15原則では、「環境を保護するために、各国は可能な範囲で予防的アプローチを広く適用しなければならない。深刻な、あるいは取り返しのつかないダメージを与える恐れある場合には、科学的な確実性が十分でないということを、環境破壊を防ぐための費用対効果のある措置を遅らせる理由にしてはならない」と述べられている。ここから明らかなようにリオ宣言では、Vorsorgeprinzipの場合とは異なり、予防原則は、費用対効果の考慮をその内部に含んだものとして考えられている。このタイプの予防原則は、それ自身の評価として、費用対効果の面から介入行動をとらないよう指示することがある。この違いは大きなものである。なぜならその場合、その介入行動は、そもそも正当化されない選択肢とみなされることになるからである。それに対して、Vorsorgeprinzipならば、費用対効果の面から実行が難しいとしても、その選択肢自体は正当な、あるいは選ぶべきものであると認めるかもしれない。最終的な行動は同じになるとしても、この二つの評価は、大きく異なった価値観を反映しているのではないだろうか。
 またそれとは別に、予防原則とリスクアセスメントが両立するとみなす立場と、両立しないとする立場を区別することもできるだろう。たとえばEUは前者の立場をとっており、いくつかの環境団体や環境主義者などが後者の立場を表明している。後者では、「健全な科学」を装いながら、御都合主義的に利用されてきたリスクアセスメントへの批判、あるいはその代替物として予防原則が捉えられている場合もある。この対立の根本には、「受け入れ可能なリスク」という考え方を認めるかどうかという違いがあると思われる。

今後の予定

●第9回PaSTA研究会 科学哲学科学史研究室創立10周年記念シンポジウム

力学と数学―歴史的視点から―
 現代科学における一元性の基盤ともなっている数学による自然現象の記述について歴史的視点から考察する.近代西洋科学のモデルとなった古典力学の発展は数学とりわけ微分積分学の発展と密接な関係にあったが,両者の関係は時代によって異なる様相を呈しており,物理理論が数学理論の発展を促す一方,数学的表現が物理理論や物理概念を規定することもみられた.本シンポジウムでは,17世紀の古典力学の誕生から,古典力学の解析化,解析力学の形成,量子力学の誕生までを辿りつつ,力学と数学の関係を歴史的な文脈に即して検討する.

日時:2003年9月3日(水)午後1時30分─5時30分
場所:京都大学文学部新館2階第7講義室

報告
1:落下法則ー古典力学の誕生と数学
   伊藤和行(京都大学文学研究科助教授,科学史)
2:古典力学の解析化について
   中田良一(金蘭短期大学教授,物理学史)
3:解析力学の形成における数学
   中根美知代(成城大学・立教大学講師,数学史)
4:量子力学と数学(仮題)
   仲滋文(日本大学理工学部教授,物理学)

研究会終了後,6時よりカンフォーラ(京大正門横)にて懇親会を開きますので,ご参加ください(会費5000円の予定).なお準備の都合上,懇親会に出席される方は研究会まで,8月25日までにメールでお知らせください.(e-mail: pasta-hmn@bun.kyoto-u.ac.jp)

●Michael Luntley教授講演会

日時:9月5日(金)午後4:00−6:00
会場:京都大学文学部東館4階COE研究室

Michael Luntley (Warwick大学)
Externalism: a simple model of Normativity

Contemporary Philosophy of Thought (1999) などで知られるMichael Luntley教授の講演会が上記の要領で開催されます。

■PaSTA研究会事務局
〒606-8501 京都市左京区吉田本町 京都大学大学院文学研究科
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E-mail: pasta-hmn@bun.kyoto-u.ac.jp
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