12月4日(土)、2021年度京都大学文学研究科公開シンポジウム「ユーラシアにおける宗教遺産研究の可能性―伝播と融合―」を、本センター内のユーラシア宗教遺産部門が中心となり企画・開催しました。コロナの感染状況が落ち着いていたため、報告者は文学研究科第3講義室に集まり(一部報告者はオンライン参加)、それをZoomにて中継する形で実施しました。参加者は合計193名で、Zoomの記録では、国内に加え、オランダ、スリランカ、シンガポール、中国、ドイツ、トルコ、ベトナムからの参加もありました。
今回のシンポジウムはユーラシア宗教遺産部門の成果発信の一環として、インドから中国、そして日本へという仏教伝播の過程を踏まえながら、ユーラシアにおける諸宗教の伝播と融合の実態や、融合のあり方の差異に関して、議論を深めることを目的としました。そのため、7名の報告者・コメンテーターをたて、さまざまな地域や研究対象について事例報告をするとともに、宗教の伝播と融合をめぐって総合的な討論を行いました。
横地優子「初期ヒンドゥー教と南アジアの基層文化」では、インド・アーリア語族の宗教文化と南アジアの基層文化、さらにはヘレニズム文化などが融合するなかで、それぞれの伝統を継承しながらも、まったく新しいヒンドゥー教の宗教文化が生まれたとし、その具体例を文献とともに、ヒンドゥー美術の図像で示されました。
仏教思想と「インド的なもの」との関わりを論じたのが、宮崎泉「インド文化と仏教」です。仏教文献にもとづき不殺生・慈悲・空性などを検討すると、不殺生・慈悲は仏教の重要な教えであるにも関わらず、その理由や根拠が仏典には明記されていないことを指摘し、これらは黄金律とも称されるインドで当たり前の思想文化に根ざしたものだと述べられました。
敦煌美術を扱う檜山智美「敦煌壁画に見られる中国とインドの世界観の習合」では、北魏時代の敦煌においては仏教・儒教・道教が混淆し、その様子が美術作品にも反映しており、壁画の図像には見る者によって受け取る意味が異なるダブルイメージの技法が用いられ、信仰を異にする人々を取り込んだとします。そして、仏教的な須弥山と中国的な崑崙山、龍の造形表現などから、ダブルイメージの技法を具体的に説明されました。
古松崇志「契丹(遼)の王権と信仰―ユーラシア東方遊牧王朝の基層信仰と仏教―」では、10~12世紀に中国北方を支配した契丹(遼)の即位儀礼・天地祭祀・葬送儀礼などを取りあげ、契丹王権における基層信仰と仏教の機能について考察をしました。即位儀礼や天地祭祀は中央ユーラシア狩猟遊牧民に共通するシャマニズムに根ざした儀礼で、そこには仏教的要素は見られないのに対して、葬送儀礼には遊牧民の基層信仰の強固な基盤の上に仏教が重層的に受容されており、両者が混淆することはなく、それが日本との差異だと指摘されました。
上島享「日本中世の神仏習合」では、10世紀中葉以降、古代とは異なる新たな神仏習合が進展することを、神社境内における仏塔や神宮寺の建立、諸国の国鎮守社での法会の実施などから示しました。そして、本地垂迹思想が浸透していき、思想的には日本の神々は仏界に取り込まれるものの、神々は仏菩薩が果たすことのできない人々と密着した存在として、独自の役割を持つことになったと述べました。
マニ教絵画を検討した吉田豊「日本に存在する江南マニ教絵画の研究から―セグメンタは何を表すのか?―」では、マニ教が中国へ伝播することで「融合」ではなく「迎合」が起こり、マニ教の中国化が進むと指摘しました。そして、マニ教絵画においてセグメンタを付けているのはマニであり、王の改宗の姿を示すという従来の説を否定されました。
これらの報告を踏まえて、全体的なコメントを述べた小倉智史「「諸宗教の伝播と融合」のとらえ方」では、南アジアの例をあげ、多層的な伝播の過程を指摘した上で、諸宗教の融合に関しては、「純粋」対「融合」という二項対立的理解の問題点や、外部からの観察と当事者の信仰との差異を考慮すべきことなどを述べられました。
各報告の具体例の紹介や小倉コメントをうけて、全体討論ではユーラシアにおける宗教遺産研究の可能性をめぐって総合的な討論を行いました。各地域・時代の個性を踏まえて、いかに概念化していくのかなど、今後の課題が明確になりました。
なお、後日、シンポジウムの成果と課題に関して、高橋早紀子、赤松明彦両氏からご意見を伺い、ユーラシア宗教遺産部門の今後の研究の方向性についても議論をしました。