杉村 靖彦 (文学研究科 宗教学専修 助教授)
証言から歴史への道はどのようなものでありうるだろうか。ここに至っては、もはや原理的考察の名を借りた形式的な反省にうつつを抜かしている場合ではないのであって、具体的な事柄に即して道を開いていくことが肝心だと言われるかもしれない。たしかに、歴史学は言うまでもなく、文学批評、精神分析、その他旧来の枠に飽きたらない人文・社会科学のさまざまな新動向において、そして、学問に限らずそもそもわれわれの現実の生の個々の局面において、注意深く見れば、今述べた意味での「証言から歴史へ」の道がそれぞれの流儀で模索されているのを見てとることができる。とはいえ、歴史への不信を内に畳みこんだ歴史の探究は、闇雲な実践ではありえないのであって、自らがしていることを問いただしながら進んでいくという屈折した歩みをとることを余儀なくされるであろう。
例えば、ブローデル以降のアナール派の展開を見ると、歴史叙述の方法論が検討しなおされるだけでなく、歴史学とはどのようにして成立し、どのような限定を背負っているのかといったメタレヴェルの問いが浮上してきたことが注目される。その種の考察のもっともラディカルなものとして、『歴史のエクリチュール』(1975)におけるミシェル・ド=セルトーの言明を引用することができよう。
他者は歴史叙述の幻影である。歴史叙述が探究し、称揚し、埋葬する対象である。…「実際、歴史的な意味探究とはもっぱら他者の探究である」のだが、この企ては矛盾したものであって、この異他なるものの他者性を「意味」によって「理解」し隠蔽しようと努めるものとなる。あるいは、同じ事であるが、現在になおとり憑いている死者たちを鎮め、彼らに文書の墓を提供しようという企てであるとも言える。(12)
歴史学とは「死者」に関わることを根本条件とする学であるということ、この自明とも思える事実をあらためて強調しなければならないのは、それが歴史学を他の人間諸科学から分かつ「可能性の条件」でありながら、同時にその「不可能性の条件」ともなるものだからである。アナール派の創始者ブロックは、歴史学を「痕跡による認識(connaissances par traces)」として規定し、歴史的資料の存在論的地位を「痕跡」として捉えた。だが、歴史学の対象が痕跡でしかありえないのは、それを残した者が死者となってしまったからである。死者は決定的な沈黙と引きかえに痕跡を残す。それゆえ、そこに意味を読みとり死者を称揚しようとする叙述の営みは、それ自体が死者の隠蔽にならざるをえない。ちょうど、死者へと思いを向ける場としての墓が、同時に死者を土深く隠す場所になるのと同じように。こうしてセルトーの「歴史のエクリチュール」は、死者の数だけ「乗りこえ不可能な空隙」を抱えこみながら、自らの営みの抑圧性を「自己吟味」しながら進むという屈折を余儀なくされることになる。このような営みは、その自己反省的性格によって、それがどれほど形式的に見えようとも、ある種の原理的考察を必要とするであ以上のような認識の下で、私は「証言から歴史へ」の道をあくまで原理的に追究することを自らの課題にしたいと考えている。とはいえ、率直に言って、現段階では幾つかの展望があるばかりで、確固とした見解をうち出せるまでには至っていない。ここでは、私が手掛かりにしたいと考えているものの一つをごく簡単に紹介し、進むべき方向を示唆しておきたい。その手掛かりとは、『存在するのとは他の仕方で』(1974)に集約される後期レヴィナスの哲学である。
レヴィナスを読めば、その思想が「歴史不信から証言へ」というラインと親和的であることはすぐに見てとれるであろう。存在論批判から他者関係としての倫理へと向かうのが彼の思索の基本的方向であることは周知の通りであるが、さらに注意すべきであるのは、存在論を規定する「全体化(totalisation)」の運動が、しばしば「歴史」ないしは「歴史叙述」として性格づけられていることである。
全体化は、もっぱら歴史の中で、歴史叙述家たちの歴史の中で、すなわち生き残りたちのもとで遂行される。歴史家の歴史の年代史的な順序は存在自体の骨組を描きだすものであって、自然に類するものだというのが、全体化を支える主張であり、確信である。一般史の時間は存在論的規定として保持される。そこでは、特殊的な諸存在は失われ、数え上げられて、少なくともその本質を概括されてしまうのである。(13)
歴史(叙述)とは、まさしく個々の存在者をその同一性から引きぬいて中立的な存在へと奉仕させるという存在論のあり方を体現するものである。したがって、歴史(叙述)は存在論と同じ資格で徹頭徹尾「不正」なるものとして告発されねばならない。それは、たまたま歴史が歪めて叙述されたからでもなければ、逆に、そもそも歴史が個々人の力を超えた運命だからでもない。重要なのは、「生き残り(survivant)」が死者を語るという歴史叙述の構造自体である。この構造のゆえに、どれほど合理的に叙述されても、歴史は根本的に「死んだ意志たちを生き残りたちが我が物とする仕方」、「勝利者である生き残りたちが遂行した横奪」であらざるをえない。こうしてレヴィナスは、歴史叙述を存在論が実現される様態と見なすことによって、彼の存在論批判を歴史叙述への不信と一体化するのである。
それに対して、「顔(visage)」として術語化される他者との倫理的関係は、存在論の全体性、歴史の連続性の「切断(rupture)」として特徴づけられる。「真に他者へと接近する時、人は歴史から引きぬかれる」(14)のである。もちろんこれは、他者を超越的で無時間的な存在者として歴史の外に置くことを意味するのではない。ハイデガーの徹底的な「存在―神―論(Onto-theo-logie)」批判の後ではもはやそのような「形而上学的」主張は不可能であることを、レヴィナスは誰よりもよく知っている。他者の顔が私に向けられるその有りようを「公現(épiphanie)」、「原理(principe)」、「現存(presence)」などと表現する『全体性と無限』(1961)の語り口には、たしかに旧来の形而上学の復活を思わせかねないものがある。だが、『存在するのとは他の仕方で』へと至るその後の展開を見れば、レヴィナスが目指す方向がそのようなものでないことは明らかである。他者の顔が倫理性を帯びるのは、それが卓越した存在者だからではなく、一切の形態を奪われて「過ぎさる(passage)」ことを止めないもの、その意味で「あまりにも弱い」ものだからである。顔の「現存」とは「自己自身の痕跡(trace de soi-même)」以外のなにものでもないのである。
顔とはまさしく現象性が離脱(解体)することである。顔が現出させられないのは、あまりに暴虐だからではなく、ある意味であまりに弱いからである。顔は現象「以下」だから現象しないのである。顔は裸性として露わになる。形をとらないもの、自己を捨て、老い、死んでいくもの。裸性よりもさらに裸であるもの。貧しさ、皺が刻まれた皮膚。自己自身の痕跡としての皺くちゃの皮膚。それはすでに自己自身の過去であるような現存であり、私が反応してもそれを捉えることはできない。(15)
それゆえ、他者との「対面」が「全体化」として形成される歴史の連続性を切断するのは、それが超時間的な事態だからではなく、むしろ、つねに生き残りの視点から編まれる歴史よりもさらに根源的な意味で時間的な事態、すなわち、時間が過ぎさり人が死にゆくということそのものが突きつけられる事態だからである。そこで初めて、われわれの生の隅々にまで浸透している「歴史的」な意味づけが、実は「生き残り」の視点へと我知らず同化することによって受けいれられていることが自覚される。倫理や無限責任といったレヴィナス哲学の中心概念の重みは、ひとえにこの転回に掛かっているといえよう。この転回の賭け金となっているのは、顔に面するこの私が、「顔が死すべき者であることが私の責任であり、私は生き残るという罪を犯しているかのように」(16)感受するということである。
だが、歴史叙述の成立根拠を問いただすがゆえにある全体の中に位置づけるという仕方で叙述することのできないこの出来事は、一体どのようにして接近されうるのであろうか。レヴィナスは、一方でそれがどこまでも「主題化(thématisation)」不可能であることを強調しながら、「外傷」、「人質」、「身代わり」といった過激な誇張表現(レヴィナスはこれらを「倫理的言語」と呼ぶ)によって、この出来事の核となる転回へと強引にわれわれを導こうとする。しかし、このような用語の特異性は、レヴィナス哲学に強く引きつけられる人々を生む一方で、この哲学に例外的で異常な思想という外観を与えることによって、それが関わる問題の広がりを見えなくする恐れもあると思われる。そのような観点から注目すべきであるのは、このレヴィナス哲学の核心的出来事が伝えられる仕方が、『存在するのとは他の仕方で』以降「証言」と呼ばれるようになったという事実である。
私は頼るものもなく剥ぎだしである他者の顔から逃れることはできない。見捨てられた者の裸性が、人物の仮面の割れ目の間から、あるいは皮膚の皺の間から輝きだす。この「頼りなさ」を、声を出すことも主題化することもないが、すでに神へと発せられた叫びとして聞かねばならない。(17)
この「聞くこと」こそが「証言」である(これは前節のリクールやデリダの議論では「証言の証言」に相応する事柄であろう)。そこでは、証言されたものはけっして主題化されることがなく、主題化されたものの明証性とは無縁である。証言されるものは、証言に先立って存在するのではなく、もっぱら証言を通して自己を響かせて「存在するのとは他の仕方で」意味するのだということ、それがレヴィナスの証言概念の要諦であり、この文脈で証言という術語がもちだされる理由である。もっともレヴィナスの場合、「証言されるもの」はいつも無限であり、神であることを無視するわけにはいかないが、ここではその問題には立ち入らないでおこう。レヴィナスがこのような形で証言という語をもちだしていることからして、彼の思索の歩みを本論考が描いてきた「歴史への不信から証言へ」という展開と重ねあわせることは十分可能になると思われるからである。リクールがいうように、レヴィナスは優れた意味で「証言の思想家」であって(18)、彼の哲学は、現代において証言の問題が浮上してこざるをえない深い必然性を証言しているのである。
だが、私の問題関心と直接関係するのはさらにその先である。はたして、「歴史への不信から証言へ」と展開してきたレヴィナスの思索は、さらに「証言から歴史へ」の帰り道を描きえているであろうか。少なくともその糸口は示されていると私は考える。その鍵となるのは「第三者(le tiers)」という概念である。最後にその点について論及しよう。
第三者という概念は、『存在するのとは他の仕方で』の論述が「哲学以前」から「哲学」へと移行するところで登場する。他者に対する無限責任とその証言は、主題化する言説としてのロゴスの手前で生起する出来事である以上、いわば「哲学以前」の事柄、すなわち全ての始原である哲学よりも根源的という意味で「始原以前(pré-originel)」の事柄である。だが、それで話が済むわけではない。というのも、この事柄を語るレヴィナスの哲学的言説自身、どのような工夫をしようとも主題化というあり方を免れえないからである。それゆえ、何とかして「哲学以前」と「哲学」との通路をつけなければならない。問題は、存在論批判という形で従来の哲学全体の「不正」を告発して「哲学以前」へと分け入ったレヴィナスが、彼が批判したはずの哲学を単に反復するのとは別の仕方で哲学へと復帰できるかどうかである。そこでもちだされるのが「第三者」に他ならない。
第三者とは隣人とは別の(他の)者であるが、もう一人の(他なる)隣人でもある。しかし、他なるもの〔である隣人〕の隣人であって、単にその同類ではない。…「言うこと」の意味作用はそれまで単一の方向に進んできたが、第三者によってそこに矛盾が導入される。そうして自ずから責任が制限され、問いが生まれることになる。私は正義とどのように付きあうべきか、という問いである。意識=良心の問いである。(19)
第三者を中立の立場から二者関係につきまとう偏りを破るものとして位置づけ、そこに普遍性の始まりを見るような議論は珍しくない。だがその場合、二者関係の特異性は、第三者が導入する高次の立場によって乗りこえられるものにしかならないであろう。それではレヴィナスが批判する全体性の哲学の繰り返しでしかない。レヴィナスの議論のユニークな点は、第三者もまた中立者ではなく「他者」だということである。したがって、第三者とはある他者への無限責任という例外的な関係を平準化するものではない。たしかに、第三者の登場によって「責任が制限される」と言われている。だが、この「制限」の真相は、私にとって「もう一人の他者」であると同時に「他者の他者」でもあるという第三者のあり方によって導入される「矛盾(contradiction)」の内にある。すなわち、理想は無限責任だが現実には第三者がいるので責任は制限されざるをえないということではなく、第三者もまた「もう一人の他者」である以上、ある他者への倫理的関係は、根源的(むしろ根源-以前的)に別の他者への倫理的関係との矛盾に曝されざるをえないのである。言うまでもなく、第三者としての他者への倫理的関係についても同じことが当てはまるのであって、究極的には「他者の近さにおいて、その他者とは別の者である全ての他者が私を強迫する」(20)と言わねばならない。そこから「比較不可能なものどうしの比較」としての「正義」が要請される。ここにレヴィナスは、「知」「意識」「共時性」「普遍性」としての哲学、すなわち全体化の運動としての哲学の原点を見るのである。
「哲学以前」から「哲学」を導出するこの議論があまりにも性急であるのは、誰の眼にも明らかである。私が一人の他者だけでなく、その他者の他者でもあるようなもう一人の他者にも無限責任を負わされるという「矛盾」は、「比較」という形で両者を共通の尺度の下に置くことの不可能性を示しているのであって、そこから直ちに「知」「意識」「共時性」「普遍性」としての哲学が出てくるとは思えない。むしろこの議論で重要な点は、比較不可能なものどうしをそれにもかかわらず突きあわさねばならないこと、しかもそれが一人の他者への関係にすでに含まれている必然性だということである。この突きあわせは、「比較」のような外観をとりながらも、比較とは全く別の仕方で行われねばならないであろう。それゆえ、そこから「哲学」が引きだされるとすれば、「知」「意識」「共時性」「普遍性」という外観をとりながらも、それとは別の道を切り開くものでなければなるまい。レヴィナスは「理性と懐疑論」と題された短い節でそのような哲学のあり方を素描しているが、その後この素描をさらに展開することはなかった。
しかし、「証言から歴史へ」の道を探るという本論考の問題関心に照らしてみれば、この議論には汲みとるべき数々の貴重な洞察が含まれている。何よりもまず、ここでは「証言」を聞きとることに纏わる困難がそれに固有の姿で正確に描きとられている。他の証言と突きあわせられる場に進みでなければならないというのが証言の根本性格の一つであることは、リクールとデリダを手掛かりにした前節の証言論ですでに指摘したことである。だが、それが本当の意味で証言を証言たらしめる根本性格であること、いいかえれば、いったん成立した証言が自らを保持しつづけるために被る外的試練というのではなく、証言の始原(以前)に刻まれた命運に他ならないことを、このレヴィナスの議論は浮きぼりにしている。このことの重要性はいくら強調してもしすぎではあるまい。なぜなら、それによって、証言を聞きとるというのは、単に勝者の歴史の延長としての歴史叙述に加担することを止めて歴史の「切断」に面するというだけでは済まない事柄であることが露わになるからである。それは単に勝者の歴史の連続性に抗して非連続を選ぶことを意味するのではない。一つの証言を聞きとる者は、それと矛盾する別の証言に対して耳を塞ぐことができないのであって、それゆえ、ある切断と他の切断を連続性の回復とは別の仕方で関係づけることが課せられるのである。
このことは、別の角度からいえば、勝者の歴史から排除され抑圧された者の「復権」が問題なのではないということである。復権を求める復讐の叫びとして証言を受けとめ、それに応答しようとする者は、勝者を敗者と入れかえただけで、依然としてベンヤミンの言う歴史の「強風」に乗託しているといわざるをえない。だが、一つの証言が、死の脅威に押しつぶされようとしている剥ぎだしの他者の呼びかけとして、全き弱さを伝えるものとして生起することがありうるとすれば、それは自らの弱さを占有するのではなく、それを受けとる者を他の証言へも差しむけるはずである。さらにそれによって、証言を受けとる者も「証人の証人」であることに安住することはできず、たえず自己を問いただされ、諸々の証言が突きあわされる場へと自らを曝さねばならなくなるであろう。ここに証言から歴史へと導く通路がある。それは「正義」の問いを浮上させる道であるが、ただしそれは、正義が自らにあるということにおののき震える弱い正義である。『存在するのとは他の仕方で』の最終頁に記された印象的な一節を引いておこう。
戦争に対する正義の戦争にあっても、まさしくこの正義のゆえに、絶え間なくおののき、さらには震えるということ。そのような弱さが必要である。…これこそが、一切の受動性よりもさらに受動的な受動性に関して本書で繰り返されたさまざまな言い回しが示唆していたことにちがいない。(21)
証言から歴史への道がありうるとすれば、おそらくそれは、二者間の関係をそこから排除された第三者へたえず逸らせるこの「弱さ」の回路によってであろう。この「一切の歴史叙述以前の歴史(Histoire d'avant toute historiographie)」(22)を描くためには、どのような書法(poétique)が求められるのであろうか。そしてそれは、「新たな対話的探求の論理」とどう関わるのであろうか。しばらくそのような問題を考えていきたい。