Newsletter vol.2 (2003.3)

 

  1. 第2回研究会報告
  2. 第3回研究会報告
  3. 今後の予定

第2回研究会報告

2003年 1月 21日(火) 15:00 〜 18:00 COE研究室にて
発表:氣多雅子 「ロックの『寛容書簡』をめぐって」

宗教的寛容の問題は、十七世紀のヨーロッパ社会において切迫した政治的社会的論争の主題であった。ロックの『寛容についての書簡』(1689年)の思想は、十七世紀ヨーロッパにおいて宗教が多元化し激しい争闘が引き起こされた現実の状況に対する、真摯な思想的応答であり、具体的な処方箋であった。

『書簡』を貫く基本的立場は、国政の領域と宗教の領域とをはっきりと区別すべきだということである。「寛容」は第一義的には、為政者が個人の信仰と礼拝に干渉しないことを意味すると解される。ロック以後の政教分離原則の展開を考慮すると、ロックの規定は、国家の国民に対する強制力を限定されたものとして提示した点、それから、国政の領域を宗教中性的なものとして囲い込んだことで信仰と精神的活動に一層の自由を確保した点において、近代市民国家の形成に重要な意味を持っていたと評価される。

「寛容」はしかし、為政者だけに求められるのではない。教会、私人、聖職者にも義務であると主張される。そのロックの論述の最終的論拠となるのは、すべての人の魂の配慮はその人自身に属し、その人自身に委ねられるべきだということである。だが私見によれば、救いがあくまで自己の問題であるということと、自分の救いは自分ひとりにしか関わらないということとは、宗教の事柄の理解として区別されなければならない。ロックの主張は後者に強く傾いているように思われる。そこに、ロックの宗教理解の一つの限界が見て取れる。

ところで、「寛容」は一つの徳目である。寛容であることはofficium(職務、義務)であるという言い方がされるが、ロックは「自然権」としての「信教(宗教)の自由」乃至「良心(信仰)の自由」までは主張していないと理解される。『書簡』では、寛容は何よりもまずキリスト教徒の道徳的義務としてのofficiumなのである。ロックにおいて、道徳の領域とは「自然法」の支配する領域であり、自然法とは神の意志の一つの表現である。彼の自然法思想で特徴的であるのは、自然法が確かに存在するとしながらも、それが人間社会に内在的に与えられてはいないと考える点である。自然法は、神によって人間社会に対して超越的に与えられるのである。ロックの寛容の思想は、自由権としての信教の自由という概念よりも世俗化しにくいものだと言えよう。信教の自由および政教分離原則は、近代市民国家という制度と自由主義的民主主義というイデオロギーとが普遍的な政治原理として伝播してゆくのに重要な役割を果たした。つまり、それらは世界の政治体制と経済制度を標準化し、人間の社会的関係に関する人々の価値観を一元化するのに貢献したのである。信教の自由がまさに宗教的多元化を促すはずのものであったとしても、それは一元性の中に囲い込まれた多元性でしかなかった。それに対して、宗教的寛容という概念にはそのような一元化を促す要素は稀薄であるように思われる。

寛容という概念が直ちに指し示すのは、宗教者が宗教上の意見を異にする者に対してどういう態度を取るかという問題である。この態度は、それぞれの宗教思想の固有性を侵すことなく、宗教者に課せられ得る。だが、寛容をこのように宗教者の他者への態度と限定したとき、tolerantia(寛容、忍耐)という態度の問題性が見えてくる。tolerantiaというのは、自分の世界はまったく安全なままにして、相手が相手自身の世界をもつことを許容する態度であろう。したがって、この態度を、自宗教と他宗教が互いに相手の宗教的世界を侵さないという相互不可侵として理解することが可能であろう。だが、自宗教を優位において、その優位性に基づいて他宗教の存立を我慢することとして理解することも可能であろう。

ロックの寛容の論述は、明らかに異教に対するキリスト教の絶対的な優位性に立っている。そこには確かに時代的な制約があることを否定できないが、それを越えてここには、或る宗教が成立するということのなかに本質的に含まれている問題が見て取れる。即ち、或る教えを唯一真なるものとして受け取るということは、それと異なる教えを排するということと表裏の関係にある。教えへの帰依とは、いわばここに真理があるという揺るぎない確信であると解されるが、この帰依がどのような仕方で熟成されてゆくかによって、異教の排斥のあり方も変わってくるはずである。この帰依がドグマへの帰順という形を取るとき、異教の排斥はおそらく他のドグマに帰順する者への迫害や暴力という形を最も尖鋭的に取るであろう。寛容とは、異教徒を迫害するという形での異教の排斥を自らの信仰において否定することである。だが、寛容の限界は、その否定を自らの信仰の優位性を維持するために遂行するところにある。異教の排斥だけを否定するという仕方で、信仰の深まりを追求するということは、いびつな帰依のあり方になる。かといって、寛容を宗教的世界の相互不可侵として理解することは、信仰が異教の排斥をその裏側にもつということに気づかないか、或いはそれに目を塞いでいるか、そのどちらかでしかない。そのような単純な相互不可侵は、いわば信仰の牙を抜くことによって可能になるのである。ロックは理論的には理神論を否定するが、寛容の思想のなかには理神論と共振する傾向が認められるように思われる。

そして、先に、tolerantiaとは、自分の世界は安全なままにして、相手が相手自身の世界を持つことを許容する態度であると述べたが、そもそも相手が相手自身の世界を持つことを許容する権利など誰にあるのか。この概念には、宗教的な優位性だけに止まらない自己中心性が潜んでいる。

現代では他宗教への関係については「寛容」ではなく「対話」という言い方がよく使われるが、それはこのような寛容という態度の限界が自覚されてのことではなかろうか。したがってこの場合の「対話」とは、異教の排斥を、その排斥を貼り付かせている自らの信仰ともども否定することを意味するであろう。或る教えを唯一の真理として受け取るところで、異教の立場を認めることがどうやって成り立つか、そこで「唯一の真理」そのものが受け取り直される。「対話的探究の論理」をもし宗教という場で考察しようとするならば、そのような自己の問い方が問題となるであろう。

*全文は第2回研究会の報告をご覧下さい。

第3回研究会報告

2003年 2月 18日(火) 15:00 〜 18:00 文学部新館第2演習室にて
発表:杉村靖彦 「証言から歴史へ − 対話の臨界に立って」

本研究会の課題は「新たな対話的探求の論理の構築」であるが、「新たな対話的論理」が問われるということは、これまでの「対話」概念自体が根本的に問題を孕んでいるということである。それを浮きぼりにするものとして、他者の絶対的な他者性を強調する現代哲学の動向に目を留めることができよう。このラディカルな他者論は、他者と私が対話を可能にする共通の場に立っていることを前提とする通常の対話概念に対して鋭い批判を突きつけるのである。

しかし、絶対的な他者性をもちだす議論は、それが切迫した仕方で現われでる現場から切り離されるやいなや、「他者性そのもの」を独断的に振りまわす最悪の議論に変質してしまいかねない。他者を新たな「最高存在者」と化すような思弁に陥ってはならない。他者はむしろ「現象以下」(レヴィナス)の弱いものとして私に関わってくるのであり、そこでは私が存在することによって彼(女)に対して我知らず行使してしまう力までが問いただされるのである。この「対話の臨界」から、従来対話の名の下でなされてきた思索と実践を批判的検討にかけ、それらが構造的に排除してきたものを露わにしなければならない。この解体作業を自らの構成要素とするような対話の概念―それをなお「対話」と呼べるとしての話だが―のみが、われわれが「構築」すべきものとなるであろう。

このような探究のための重要な手がかりとして、本発表では「歴史(叙述)」という問題をとりあげた。というのも、歴史が形作られ語られていくということはとりもなおさず「死者」に対する「生者」の関係であり、今述べた意味での他者との非対称関係は、そこでこそ切実な問題になってくると思われたからである。

この観点からすれば、まず第一に、歴史の「連続性」を自明視し、個々の歴史的出来事を歴史の「全体」から意味づけられることを疑わないような歴史概念が批判されるべきである。そのような批判のもっとも先鋭的なものとして、ベンヤミンの『歴史哲学テーゼ』をとりあげた。ベンヤミンは、アナール派の歴史学や解釈学的哲学の歴史論のように、歴史を「過去との対話」として捉えなおすだけで事が済むとは考えない。歴史の展開を「勝者の凱旋行進」として敗者を踏みにじりなかったことにする力と見なすベンヤミンは、歴史を叙述すること自体がこの力への加担となると考える。そして、「歴史を逆撫でする」ことのよってその不連続面を浮かび上がらせようとするのである。

このような「歴史叙述への不信」は、単にベンヤミン個人の悲劇的な歴史観によるものではない。現代の思想状況においてそれに対応するものとして、本発表では「証言」の問題をとりあげた。そこで問われるのは、叙述し説明されることにどこまでも抵抗するが、にもかかわらず表現され伝えられることを求める何かである。そのような意味での証言としての過去との関わりが、歴史叙述に対する不信と表裏を成すのである。この証言概念を整理し明確化するための手立てとして、リクールが『記憶・歴史・忘却』で提示した「証言の本質的分析」をデリダの最近の証言論と交差させて論じた。この議論によって浮きぼりになるのは、証言とは「証拠」ではなく、「私はそこにいた」という証人の自己指示によってのみ支えられるのだということ、そして、証人自身にとってさえ「秘密」であるこの自己指示は、他者への「信の呼びかけ」と化し、他者が「証人の証人」となることを求めるということである。

だが、リクールとデリダの議論は、単に歴史叙述を断念して証言に耳を傾ければよいというのではないことを示している。彼らは、証言が証言であるためには他の証言に突きあわされねばならないこと、それゆえ「証人の証人」になる者もそのような突きあわせの場に出なければならないことを強調している。そこから展望される「証言から歴史へ」の戻り道を、本発表の最後で探ってみた。その際に手掛かりとなるのは後期レヴィナスの思索、とりわけ「第三者」の概念である。ある他者に対する無限責任は、根源的(根源―以前的)にその「他者の他者」でもある「もう一人の他者」への無限責任との矛盾的関係を免れることはできない。二者間の関係をそこから排除された第三者へと絶えず逸らせていくこの「弱さ」の回路こそが、証言から歴史へと導く通路となるのではなかろうか。

*全文は第3回研究会の報告をご覧下さい。

今後の予定

第4回研究会の予定

日時:2003年 3月 18日(火) 15:00 〜 18:00
会場:COE研究室(文学部東館4階北東角)
発表:Bret Davis(本学共同研究者・日本哲学史) 「退歩と邂逅 − 東西の哲学的対話に向けて」

来年度4月以降も月1回の研究会を予定しております。多くの方のご参加をお待ちしております。

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