Newsletter vol.1 (2003.2)

 

  1. ニューズレター発刊にあたって
  2. 研究会の主旨
  3. 研究会メンバー
  4. 第1回研究会報告
  5. これまでに開催された研究会
  6. 今後の予定

ニューズレター発刊にあたって

京都大学大学院文学研究科が21世紀COEプログラムに申請したプロジェクト「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」がこのたび採用となり、様々な研究会が作られています。その一つとして「新たな対話的探求の論理の構築」という野心的なテーマの研究会を発足させました。生き生きとした“対話”の中で、実り豊かな研究会にしてゆきたいと思っております。多くの方々の御参加、御協力をよろしくお願いいたします。

研究会代表 片柳榮一

研究会の趣旨

現代の科学技術の発達は、世界的規模の文化的経済的交流を促進させ、異なる文化、異なる世界の発見、出会いを可能にし、また不可避にしている。グローバルな広がりを持った多元的な世界が我々の前に開かれつつあるが、この世界の多元性はまた、激しい抗争と対立の危機をも孕んでいる。

また最近の科学技術の発展は急速なものがあり、それがもたらす成果は(殊に生命科学、情報科学の領域で)我々の期待を越えたものがあり、我々の常識を覆すのに十分なものである。世界は我々のこれまでの尺度と常識を越えた多様な豊かさをもった、未知を含んだ多元的なものとして現れている。そしてここでも、人間の生きられた自然と、科学の切り開く自然との埋めがたい溝が多くの問題を引き起こしている。我々は世界の認識においても、生の倫理的問いにおいても、また文化・制度に関わる営みにおいても、根本的な再点検を迫られている。

グローバルな統一の可能性を秘めつつ、危機をも孕んだ多元的な現代世界に生きる我々には、この多様で複数の中心を持った「他なるもの」からなる世界に対応しうる柔軟且つ強靭な探求の論理が、新たに求められている。それはすでに確定した真理の拡大をもっぱらこととするのでなく、また傍観者として真理の相対性を説くのでもなく、他者と対話しつつ、真理を探求する者の論理である。かつてプラトンが実在世界を探求する思考法を対話的思考法(ディアレクティケー)と名づけたのに倣うなら、新たな対話的思考法、新たな対話的探求の論理が求められる。

この研究会においては主として三つのテーマが問題にされよう。一つはこれまでの歴史の中で、多様なる世界との出会いの経験の中から生まれた探究的思想を現代の視点から読み解く作業である。(例えばプラトンの対話的思考法、古代イスラエル預言者の宗教思想、クザーヌスの「知ある無知」の探究法、ヘーゲルの弁証法等々)。

第二は、「他者論」「多元主義」を中心とした現代思想の焦点となる問題をめぐる議論である。西欧思想を規定した同一性へ還元できない「他なるもの」に対面する在り方を探る「他者論」の試みや、排他的絶対主義や傍観者的相対主義に堕さない「多元主義」の求めは、この研究会の基本的主題である。

第三は、日本近代の哲学思想の中で追求された「対話的探究の論理」の見直しの作業である。ここでは西田、田辺、波多野などの京都学派の哲学思想の再吟味が主として為されることになろう。

この研究会は、若い研究者(オーバードクター、大学院博士課程の学生)の積極的な参加を予定している。また発表の機会もなるべく多く設けたい。そうすることによって、それぞれの専門研究の彫琢、完成が早められることを願うからである。

研究会メンバー

片柳榮一(キリスト教学教授)、藤田正勝(日本哲学史教授)、氣多雅子(宗教学教授)、杉村靖彦(宗教学助教授)

安酸敏眞(聖学院大学)、松井吉康(京都大学非常勤講師)、大利裕子(京都大学非常勤講師)、Jacynthe Tremblay(広島日仏学院教師)、Martin Repp(NCC宗教研究所研究員)、Christoph Schwöbel(ハイデルベルク大学教授、本学客員教授)、Thomas Hentrich(マクギル大学講師、本学外国人研究者)、Bret Davis(本学外国人共同研究者)、水野友晴(日本哲学史OD)、宮野美子(京都教育大学非常勤講師)、大石祐一(キリスト教学OD)、小倉和一(キリスト教学OD)、伊原木大祐(宗教学D2)、松原詩乃(宗教学D3)、佐藤啓介(キリスト教学D2)、津田謙治(キリスト教学D1)、大月栄子(キリスト教学D2)

第1回研究会報告

12月12日(木) 16:30〜18:00 COE研究室にて
発表:片柳榮一「同一性と差異性の新たな理解を求めて − コリングウッドの歴史理解を通して」

イギリスの歴史哲学者コリングウッドR.G.Collingwood(1889-1943)は歴史的相対主義の問題に苦闘した思想家であるが、この問題は現代が直面する多元主義の問題に通じるところがあると思う。彼の思惟の苦闘を顧みることによって、我々の目指すべき方向と課題に示唆が与えられるであろう。

彼が生涯の課題としたのは、歴史認識の本性の解明である。歴史認識を得るとは単に過去の事実を認識するということではなく、人間の状況human situationを支配する能力を得ることである。彼が経験した第一次世界大戦は、まさに人間がこの能力を欠いていることを暴露したのである。彼は歴史認識の相対性を深く自覚している。各々の現在からしか歴史は見られないのである。しかしこれは単なる主観主義ではない。歴史的思惟が目指すのは、我々が現在知覚しうるこの現在の過去であり、理想的には、知覚しうる現在の全てを証拠evidenceとして用いて過去を再構成することである。このことは突き詰めると「歴史家自身、彼に近づきうる証拠の総体を形成する今?ここ共々、自らが研究している過程の一部であり、その過程のうちに自らの場を持つということ、そして現在の瞬間にそのうちに彼が場を占める立場からだけしか、この過程を見ることができないということの発見」(The Idea of History, Oxford 1946, p.248)に導かれる。歴史家は己の現在という中心からものを見るのである。こうして歴史家は己の世界が、自らのうちに中心を持つモナドの世界であることに気づく。「しかし自らの思惟について反省する、つまり哲学することによって、歴史家は、自らがモナドであることに気づく。そして自らが自己中心的境位のうちにあることを自覚することは、それを超出することである。・・・それ故歴史的思惟について哲学することは、歴史的思惟のモナド主義を超出することであり、モナド主義を後にしてモナドロジーに向かうことである」(The Nature and Aims of a Philosophy of History, in: Essays in the Philosophy of History ,Oxford 1965, p.55)自らの現在の歴史的相対性を透明に自覚することは、この相対性に閉じこもることではなく、自らを超出した場に開かれることである。歴史はその根底においてmindとしての同一性に貫かれた世界である。各々は自らのうちに中心を持ち、そのperspectiveから世界全体を映し出し、個別多様に歴史を映し出しているモナドである。そしてこの孤立したモナドは、自らのうちで他のモナドの世界を再遂行する時、モナドを超出する。超出するといっても、自らは自らに留まりながら、つまりあくまで自らの思想thoughtでありながら、他者の世界を繰り返し、この批判的再遂行のうちで、これまでimplicitであったmindの本質をexplicitにしてゆくのである。こうしたコリングウッドの歴史の同一性と差異性への洞察は、対話的探究の場の開示を求める我々に貴重な示唆を与えてくれるであろう。

*全文は第1回研究会の報告をご覧下さい。

これまでに開催された研究会

第1回研究会:12月12日(木) 16:30〜18:00 COE研究室にて
片柳榮一氏「同一性と差異性の新たな理解を求めて―コリングウッドの歴史理解を通して」

第2回研究会:1月21日(火) 15:00〜18:00 COE研究室にて
氣多雅子氏「ロックの寛容書簡をめぐって」

第3回研究会:2月18日(火 15:00〜18:00 文学部新館第2演習室にて
杉村靖彦氏「証言から歴史へ−対話の臨界に立って」

今後の予定

第2回、第3回の研究会報告は次回のニューズレターに掲載する予定です。

第4回研究会(3月)はBret Davis氏(本学外国人共同研究者)の研究発表を予定しております。

今後も月1回の研究会の開催とニューズレターの発刊を予定しております。

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