2002年12月12日(木)
於:京都大学文学部新館
宗教的多元性と死者儀礼の問題
――日本と韓国におけるキリスト教の比較より――
金 文吉・芦名定道
【内容】
はじめに
T 死者儀礼をめぐる問題状況
U 韓国における死者儀礼
V 日韓キリスト教における死者儀礼の比較
W キリスト教から見た日韓の宗教的寛容
展望
◇はじめに(芦名定道)
T 死者儀礼をめぐる問題状況(芦名定道)
<参考文献1>
U 韓国における死者儀礼(金文吉)
冠婚葬祭の中で、祭礼は死者を尊重して安置するための儀礼であり、これは世界のどの国においても共通している。韓国では、新羅時代から高麗時代にかけて、仏教と儒教の祭儀が混合して行なわれていたが、高麗末、中国から『朱子家礼』が入り、朝鮮前期には、排仏崇儒が強化された影響で、仏教儀礼はなくなり、儒教儀礼だけが行なわれるようになった。それは、葬儀にも当てはまる。
『朱子家礼』(1)は中国の風習を記した書であるから、韓国の実情には合わないものを含んでいた。そのため、粛宗元年(1675年)に、李縡という朝廷の漢学者が『四礼便覧』(2)を発行し、新しい儀礼を制定した。新しい儀礼も儒教に従ってつくられた。『四礼便覧』の中で、葬儀は最も厳格な儀式であった。
朝鮮500年の間、儀礼は儒教の下で実行されてきたが、近代に入ってから、仏教が盛んになり、またキリスト教が受容され、新興宗教の発生によって、儀礼には多様な変更が加えられた。
本研究報告では、儒教のもとで行なわれた韓国の正統な葬儀が、他の宗教(キリスト教とカトリック)において、どのように受容されたかについて、発表したい。
1 死亡と入棺
死亡日から数えて、葬儀式は、3日葬、5日葬、7日葬、9日葬、11日葬、13日葬、15日葬、17日葬がある(1973年5月17日、大統領令6680号『家庭儀礼準則』)が、普通は3日葬で葬礼を行なう。ただ富裕な家あるいは官職、また子孫が外国にいる家庭は日時を定め、家族葬を行なう。
最近の核家族化した韓国社会では、大抵3日葬が行なわれ、葬礼では、死者の長男、長女あるいは妻が喪主になる。喪主は葬礼の主人であり、だいたい儒教式の葬礼を行なわれるが、ただ、死者が仏教信者であるか、キリスト教信者であるかの場合には、それぞれの宗教の仕方で葬儀が行なわれる。また死者がキリスト教、仏教などの信者でない場合も、喪主の意思により、たとえば、喪主が仏教徒であれば、寺の住職を招き、あるいはキリスト教徒であれば、教会の牧師を招いて、葬礼を行なう。
死亡時から24時間以降に、入棺式を行う。入棺というのは、死者を棺に入れることを意味する。儒教式の入棺は、死者の体を糸紐で結んで棺に入れる。キリスト教、仏教、カトリックの場合、糸紐で結ばず、そのまま棺に入れる。儒教的立場で死者を縛るのは、死者の霊を動かないようにするということ、あるいは死者の体が変化しないようにするということを意味している。他の諸宗教では、死者は罪人ではないという意味で糸紐で結ばないのであろうと思われる。
問題が生じるのは次の場合である。喪主が入棺式を他の宗教の儀礼で行うように決めた場合、全家族はそれに従うのが通例であるが、もし、家族の中にキリスト教徒がいる場合でも、その人が喪主でないときは、その人はたとえば儒教式で行われる入棺式に参加しなければならない。
カトリック式の入棺の場合(キリスト教も同じであるが)、全家族は入棺式に参加し、死者のために讃美歌を歌い、喪主が棺に入れられた死者の体に聖水をかけてふたをする(3)。今日では、儒教式葬儀の入棺も、カトリックの場合に似て、死者の体に香水をかけるのが通例である。入棺後、死者の棺の前には、朝夕に飲食の準備がなされ、食事の時間ごとに飲食が供せられる。それは、仏教の意味における供養であるが、儒教でも死者が食べるように食事を置く。これに対して、キリスト教とカトリックの信者は、聖書を置いて、時間ごとに讃美する。
入棺後、家族がそろった時点で、出葬式を行う。出葬とは、死者を墓地に埋葬する日の朝に行われるが、喪主と死者の子孫は喪服を着る。喪服は喪主と次男、三男などの兄弟(死者の子孫)で皆、服装が異なる(写真1)。また、キリスト教、仏教、カトリックの場合でも、喪服は異なる(写真2)。核家族化社会においては、儒教式の儀礼でも、他の諸宗教の影響によって、他宗教の喪服を着ることが多い。
普通の儒教式の出葬式では、飲食をこしらえて(祭物)、おじぎ(韓国語で「チョル」)を式順に従って数回繰り返した後、死者の棺は喪輿(日本の御輿)に乗せて墓地へ行く(写真3)。
2 位牌
位牌とは、死者が誰であるか喪問客に知らせるために書かれる死者の人籍であるが、死者が土に埋葬されるまでは(写真4)、たとえば「書記官安東金公之棺」と書かれる。地方によって書き方が異なるが、最後に「棺」という字が使われる。埋葬後の位牌は、史料写真5のように、祖父、祖母、父、母などそれぞれ異なっている。これは儒教式の葬儀であるが、今日の韓国における葬儀規則となっている。
キリスト教葬儀の場合は、死者の肖像画を掲げるのが原則であるが、核家族化の進行に伴って、正統的な風習を保持するのが困難になり、簡素化が行われ、一般にも死者の肖像画を使用することが多くなった。
位牌の書き方は氏族によって異なり、また死者の生存時の職業によっても書かれる文言が違うなど、複雑なため、位牌を書くのはだいたいが漢学者の仕事である。
3 墓地
墓地は死者の永遠の家である。人々は死者の子孫として、だれでも墓を良い所に壮麗に作るという気持ちを持っている。朝鮮には、古代より、死者を土の中に埋葬する風習があり、規則となっている。例外的には、風葬や水葬もあった。風葬というのは、南海地方の島の風習であるが、死者の体を風がよく通る所に安置して、草や藁をかぶせておく。20〜30年経過して骨だけになったら、その骨を壺に入れて土の中に入れる。今日では、こうした葬儀の仕方はなくなったが、記念物として残っている。
次に、水葬であるが、これは古代の文献に散見される。たとえば、新羅30代文武王(661-681)は、自分が死んだら東海(今日 尉山の海)の海底に埋めるように遺言したため、火葬して骨を海底に埋めた、と書かれている。
こうした例をのぞき、朝鮮ではほとんどが土葬である。古代から死者を土に埋めるために、子孫たちはいわゆる「明堂」(写真6)を求めることに努力した。朝鮮には、「風水地理説」を信じる風習があり、「明堂」に墓を作る思想は儒教に由来する。『礼記』(4)に「萬物本乎天、人本乎祖」という言葉があるが、これは、「萬物の根源は天にあり、人の根源は先祖にある」ということである。墓を大事にするのは先祖を大事にする孝の一つであると信じ、墓を管理するのである。「明堂」とは墓を造るのにふさわしい名勝地のことである。
韓国では、古代から現代に至るまで土葬を続けてきた結果、土地問題や環境問題が生じ、政府と国民の間で論争が起こっている。政府は火葬を奨励するが、国民の間では賛否が分かている(史料7、8)。火葬に対する反対は、父母を尊敬とは死後墓を大事にすることであるという儒教の教理に基づいている。
4 供養
死者が墓地に葬られた後の儀式は仏教と儒教で異なるが、儒教式のものが一番複雑である。しかし、簡単に言えば、墓地に埋葬した翌日から毎日朝夕に、死者の位牌の前に祭床をつくり、食事の準備をする。これは死者との食事を意味する。また毎日、夜9時になると(地方によって差がある)、問安をする。そのとき声を出し、また涙を流しながら慟哭をする。それが三年間続く中で、1年、2年、3年ごとに、大祭を行い、地域の人々を招いて、供養を行う。死者がキリスト教徒あるいはカトリック信者であれば、3年の儀式を省略し、一年で脱床する。脱床とは、葬儀の儀式の完全な終了を意味する。
近年、社会生活が忙しくなる中で、儒教儀礼がしだいに簡略化されるのは、キリスト教式あるいはカトリック式であると信じている人が多い。また、死者の子孫の中にキリスト教徒がいる場合、正統儒教式とキリスト教式を融合させ、簡単に供養を行う家が多い。こうした中で、韓国の正統儀礼は少なくなりつつある。
5 おわりに
火葬による埋葬についての論争にも関連しているが、宗教的多元性の下にあるに韓国社会では、キリスト教(カトリックを含めて)の儀礼が正統儒教の中に融合し、キリスト教の儀式として発展してきている。このことは、キリスト教儀式の発展と社会の変化とが相関していることを示している。
しかし、一方では、正統文化を守る地域にゆけば、昔の儒教儀式がそのまま守られているが、他方、仏教、キリスト教、カトリック、新興宗教が、国家行事あるいは国家儀式について、団体を組織し、民族的次元で、凡宗教的な形式で行うように要求することもある。
<註>
(1)『朱子家礼』は朱子学によって制定された家礼のこと。
(2)『四礼便覧』は冠婚葬祭の規定を記した礼記書。これは、朝鮮礼記の貴重な史料である。
(3)これは、マタイ26章12節による。ここでは、十字架に先だって、ベタニヤの女(マリヤ)がキリストの頭・体に香油を注いだ出来事を、イエスの葬りの準備として説明している。
(4)『礼記』は、朝鮮では道徳に関する書物として読まれた。
<参考文献2>
V 日韓キリスト教における死者儀礼の比較
(芦名定道)
1.日韓キリスト教における伝統的な宗教文化への対応の仕方にはきわだった相違がある
・日本では、伝統的な宗教文化への否定的関わりが強い(教派間の相違はあるが)
葬儀や記念会の形態は西欧的(?)
年中行事や七五三などの儀礼を受容することは少ない
日本の民族的もの全般への距離
・韓国では、伝統的な宗教文化をキリスト教へ統合する傾向が顕著
民族的伝統とキリスト教的伝統との相互影響
民族的なキリスト教
2.現在におけるキリスト教の受容度の相違と関係するか?
3.こうした相違は、いかなる歴史的プロセスで形成されたのか、そこから日韓の宗教的伝統の共通性と相違がいかに浮かび上がってくるのか
4.儒教的伝統といった場合の日韓における相違
日本の宗教文化にとって儒教とは何であったのか
加地伸行 『沈黙の宗教−儒教』筑摩書房 1994年
池田秀三 『自然宗教の力 儒教を中心に』岩波書店
宗教としての儒教と政治哲学・道徳としての儒教
(金文吉)
W キリスト教から見た日韓の宗教的寛容
(芦名定道)
・マイノリティーとしてのキリスト教に対して、明治から昭和にかけての日本社会は決して寛容ではなかった。第二次世界大戦後も、一見、クリスマス、バレンタインデーなどキリスト教的習俗は広く受け入れられているかに見えるが、宗教儀礼の中心である葬儀や墓の問題になると、決して寛容とは言えない実態がある。近年、死や葬儀に関する日本人の意識も変化しつつあると言われるが、それは宗教的な寛容にとっていかなる意味を持つのか、日本の家族制度は、この死や葬儀の問題にいかに向き合おうとしているのか、それに対して、キリスト教はいかにコミットとしてゆくのか。
・近代日本におけるキリスト教(キリスト教から見た近代日本)
欧米の圧力の下での上からの近代化とキリスト教への不寛容・抑圧
(金文吉)
◇展望(芦名定道)
今後の研究の展望
21世紀COEプログラム
京都大学大学院文学研究科
「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」
「多元的世界における寛容性についての研究」研究会
tolerance-hmn@bun.kyoto-u.ac.jp