21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
top 趣旨 メンバー 研究会案内 関連企画 NewsletterCOE top

■第12回研究会レジュメ

《報告1》

 2005年1月29日(土)
於:京都大学文学部新館


家族と寛容

落合 恵美子

T 政治的イッシューとしての家族

 現在、家族をめぐる寛容性は、世界の政治的イッシューとなっていると言ってよい。
 先だってのアメリカ大統領選挙では、国内的には、戦争より中絶・同性結婚など家族問題のほうが大きな論点となったという。保守派の論客ブキャナンは、そうした価値観をめぐる文化戦争が、出生率低下・人口減少に結びつき、移民の増大と西洋的なアメリカの死という帰結を生むと、厳しい調子で警告している(Buchanan, 2002)。
 これは、20世紀初頭ドイツにおける、Zweikindersystem(二人っ子システム)批判と驚くほど同型的である。
 ところで、寛容性の、二つのレベルを区別しておこう。異なる社会規範への許容性を意味する「社会間の寛容性」と、一つの社会内での社会規範からの逸脱への許容性を意味する、「社会内の寛容性」である。本報告のテーマはさしあたり後者に関するものだが、前者においても家族や性関係が異文化摩擦の原因となることはしばしばある。

U 第2次人口転換と家族の変容:文化圏により異なるパターン

 近代社会の変質は、1970年代頃から指摘されるようになった。来るべき時代はまず「ポストモダン」(脱近代)と呼ばれたが、1990年代以降は「第二の近代」(Beck)、「再帰的近代」(Beck, Giddens)、「リキッド・モダニティー」(Bauman)、「市場独裁主義」(Bourdieu)、「ニューエコノミー」(Reich)など、近代の新たな局面としての見方が一般的になっている(山田, 2004)。
 家族の側から見ると、出生率低下、離婚率上昇に続き、婚外出生率も上昇し、いまや北欧では二人に一人の子どもは婚外子という状況である。人口学では、こうした変化を「第二の人口転換」と呼んでいる。これと歩調を合わせるように、女子労働力率も70年代から上昇を続けている。性別分業した夫婦が少数の子どもに愛情を注いで育てるという近代家族は、少なくともヨーロッパでは過去のものとなった。
 このように列挙できるヨーロッパの家族変動のもっとも中心的な要因は何なのかと考えると、結婚が不安定では性別分業に甘んじるにもいかない、子どもも産みにくい、というように、結婚の変容がもっとも中心的であるように思われる。ヨーロッパでは結婚という制度が崩壊したとすら言われる。生涯のいつの時期にパートナーをもつか、あるいは一生もたないか、子どもをもつかもたないかはライフスタイルの問題になった。結婚制度によらない同棲が増え、同性との生活を選ぶ人々も出てきた。
 こうした状況を後追いするように、婚姻法の改正や関連法の制定が相次いでいる。フランスでは、婚姻法とパクスの他に、当事者間で自由に共同生活契約を結ぶという形式もある。ドイツにも同性間の共同生活契約に関する法律があり、スウェーデンでは、新婚姻法制定に合わせて同棲法とホモセクシュアル同棲法が、さらにパートナー登録法が制定された(善積編 2004, 12頁)。いずれも「婚姻」よりもゆるやかな制度であり、共同生活上の利益は守られるが、解消は自由だったり、貞操義務は無かったりする。しかし、ジュディス・バトラーやマーサ・ファインマンのような論者は、これらの法は同性愛者らを結婚という制度に絡め取ろうとしているにすぎないと批判し、法的制度としての婚姻の廃止を訴える(Fineman, 1995)。
 以上は、おもに北西ヨーロッパを中心とする状況だが、文化圏により異なるパターンの違いも小さくはない(落合, 2004a)。米国では同棲の一般化はヨーロッパほどではなく、人々は結婚と離婚を繰り返す。日本では出生率の低下は甚だしいものの、結婚に関する変化が鈍いのが特徴である。同じ傾向は南欧でも見られる。日本や南欧では結婚規範に関する不寛容が目立つということだが、それはこれらの地域の伝統なのだろうか。南欧ではカトリックの伝統があるが、日本の場合を検証するために、以下では日本の結婚を歴史的に見直してみよう。

北西欧 南欧 日本 米国
出生率低下
離婚の増加 △→○
同棲の増加
婚外出生の増加 ×


V 歴史的に見た日本の結婚

 まず、徳川日本社会において結婚とはいかなるものであったのか、歴史人口学の方法を用いて明らかにしておこう。史料として用いるのは、科学研究費創成的基礎研究プロジェクト「ユーラシア社会における人口・家族構造比較史研究」(研究代表者速水融、1995〜2000年。略称ユーラシアプロジェクトあるいはEAP)が全国の宗門改帳や人別改帳を収集しデータベース化した「徳川日本家族人口データベース」である。
 ユーラシアプロジェクトでは科研費プロジェクトが一応の終結を見た2000年までに、全国37ヶ国864ヶ村の史料を収集しており、そのうち史料残存期間が200年の村が1ヶ村、100年以上の村が13ヶ村、50年以上の村が28ヶ村、同時期の多数の村の史料が得られる地域が9地域に及んでいる。このうち100年以上にわたる時系列的分析が可能な村がすでに数ヶ村入力されており、そのような村が複数存在する地域だけで、すでに3地域がデータベース化されている。3地域とは、東北、濃尾、西九州であり、幸いなことに日本国内の多様性を反映するのに比較的ふさわしい配置にある。
 本報告ではこれら3地域から4ヶ村を選び、各地域の結婚についての比較対照と、それを通じて「日本の結婚」全般についての考察を示した。各村の特徴と史料の残存期間は以下のとおりである。

東北 陸奥国安達郡仁井田村 1720〜1870年 阿武隈川沿いの農村
陸奥国安積郡下守屋村 1716〜1869年 郡山盆地西端の農村
濃尾 美濃国安八郡西条村 1773〜1869年 輪中地帯の農村
西九州 肥前国彼杵郡野母村 1766〜1871年 東シナ海に面する漁村

 詳細については省略するが、徳川時代の日本の結婚を、国際比較の文脈で見てみると、以下の3点の特徴が浮かび上がってきた。

@地域的多様性の大きさ

  • 初婚年齢は、東北は女子10代、男子も20歳そこそこという早婚だが、濃尾では男子は現代日本並み、西九州では男子は現代以上、女子も1980年代並みの晩婚である。
  • 初婚年齢分布も地域によって違い、東北では男女とも鋭いピーク、すなわち厳密な「適齢期」があり、西九州もそれに近いが、濃尾では分散が大きい。
  • 婚前の性関係について見ると、野母村の女性の平均初婚年齢(25.8歳)は、第1子の平均出産年齢(24.8歳)よりも若干高い(津谷, 2002, 192頁)。子供が生まれてから結婚するのが通例だったのである。これに対し、西条村では婚外子は存在するが稀であり、東北2ヶ村ではほとんど見当たらない。
  • 地域的多様性は単にそれぞれの指標について見いだせるばかりではなく、性・労働・相続と結婚との関係や婚姻圏の広さ、離婚と再婚のあり方等がセットになった、システムとしての違いと言ったほうがよい。

A頻繁な離婚と再婚による流動性の高さ

  • 離別の割合は東北がもっとも高く全結婚の3分の1は離婚しているのに対し、他の2地域は約1割にすぎない(Kurosu et al, 1999)。徳川時代の離婚率は、東高西低であった。ただし離婚は、結婚後の比較的短い期間に起こるというパターンは全地域に共通している。
  • 国際比較の観点から見ると、離婚が多かったことは、同時代のヨーロッパや中国と比べた場合の徳川日本家族の際だった特性であった。キリスト教社会のように離婚はタブーではなく、また処女尊重もないため、離婚は後の人生にとってのハンディキャップになることもなかった。
  • 結婚の流動性と処女性への無関心の帰結として、徳川日本社会では再婚が頻繁に行われた。離死別を合わせた場合、再婚する女性は東北70%、西九州55%、濃尾25%であった(Kurosu et al, 1999)。離別の方が死別より低年齢で起こるので、その後の再婚率も高い。

B複数の継起的イベントからなる「過程」としての結婚

  • 安定した性関係の開始、同居の開始、婚姻の社会的承認、婚姻の宗門人別改帳への登録といった、定義によっては婚姻成立とみなせる時期がそれぞれ異なる場合は少なくない。
  • その間に嫁(婿)の成員権移行、労働力移転も時間をかけて行われた。嫁は実家の成員権を生涯保持し続けるという、嫁の両属性を主張する論者もいる。明治初期までの夫婦別姓の伝統や実家の檀那寺を持ち込む半檀家制などもその証拠と見ることができる。
  • 頻繁な離婚・再婚などの試行錯誤もその過程で行われ、過程が一応終了するとあまり起こらなかった。これが離婚が初期の短期間に集中する理由である。

W 近代と家族をめぐる寛容性

 では現代という地点から振り返ってみると、徳川時代の結婚は現代の結婚とどのような関係にあるのだろうか。流動性の高さや、過程としての結婚という側面は、現代的な特徴に通じるところがあるように思われる。というより離婚率などはごく近年になって徳川時代の水準に戻ったところであり、同棲や婚外子は徳川時代の方が多く、むしろ現代のヨーロッパに比すべき水準のようだ。現代日本における結婚に対する相対的に保守的な態度は、伝統の影響だとは全く言えない。
 とはいえ、頻繁な離婚は現代と共通の現象だが、「家」という枠組みがあるからこそその部品(労働力)としての個人は交換可能であったので、現代の離婚とは性質が異なるだろう。徳川時代と現代の間には近代という時代が挟まっており、そのときに流動性は抑えられ、試行錯誤の過程も制限された。地域的多様性は薄められた。近代は大きな断絶なのである。
 第1次人口転換と近代家族の成立がライフコースの画一性を高め(落合, 2004a)、家族をめぐる非寛容を増大させたということの重要性を、本報告では確認することができた。

* なお、口頭発表では、九州地方の婚前・婚外の奔放な性関係について、100歳の女性のオーラルヒストリーを紹介したが、本稿では紙数の制限があるので省略する。その内容については落合(2004c)を参照していただきたい。

* 「徳川日本家族人口データベース」は研究目的のための利用に限って公開している。問い合わせは落合(emikoo2@aol.com)まで。


【参考文献】

  • Buchanan, Patrick J., 2002, The Death of the West: How dying populations and immigrant invasions imperil our country and civilization, St. Martins Press. 宮崎哲弥監訳『病むアメリカ滅びゆく西洋』成甲書房
  • Fineman, Martha Albertson, 1995, The Neutered Mother, The Sexual Family, New York : Routledge. 上野千鶴子監訳 二〇〇三 『家族、積みすぎた箱船』 学陽書房
  • Kurosu, Satomi, Noriko O. Tsuya and Kiyoshi Hamano, 1999 “Regional differences in the patterns of first marriage in the latter half of Tokugawa Japan,” Keio Economic Studies, XXXVI-1: 13-38.
  • 落合恵美子2004a『21世紀家族へ(第3版)』 有斐閣
  • 落合恵美子2004b「歴史的に見た日本の婚姻――原型か異文化か」『家族社会学研究』15-2: 39-51
  • 落合恵美子2004c「100歳女性のライフヒストリー――九州海村の恋と生活」『京都社会学年報』12: 17-55
  • 津谷典子, 2002「近世後期漁村における人口増加と出生力の分析」速水融編 『近代移行期の人口と歴史』ミネルヴァ書房
  • 山田昌弘 2004 「家族の個人化」『社会学評論』54−4、341−54頁
  • 善積京子編 2004 『スウェーデンの家族とパートナー関係』 青木書店

(おちあい えみこ・京都大学大学院文学研究科教授/社会学)


[このページの先頭に戻る]


top 趣旨 メンバー 研究会案内 関連企画 NewsletterCOE TOP

21世紀COEプログラム
京都大学大学院文学研究科
「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」
「多元的世界における寛容性についての研究」研究会

tolerance-hmn@bun.kyoto-u.ac.jp