21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
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■第17回研究会レジュメ

《報告1》

 2006年2月4日(土)
於:京都大学文学部新館
 

キリスト教によるホームレス支援

――リベラルと保守の相克から<幸福>を考える――

 白波瀬 達也

【要旨】

1.釜ヶ崎でみられる「二種」のキリスト教

現在日本には約二万人のホームレスがいるとされるが、筆者がフィールドワークを行なっている「釜ヶ崎」は日本で最もホームレスが集住している寄せ場である。現在、釜ヶ崎を見渡すと、ホームレスの多さも然ることながら、ホームレスを支援するキリスト教グループの多さにも目を見張るものがある。

釜ヶ崎で活動するキリスト教は大きく二つの傾向に分類することができる。一つは、ホームレスに至った要因を社会構造にみるリベラルなキリスト教グループ。そしてもう一つが、ホームレスに至った要因を個人にみる保守的なキリスト教グループである。

前者はカトリックとプロテスタントの垣根を超えたエキュメニカルな運動で1970年に分野の異なる複数のグループから成る「釜ヶ崎キリスト教協友会」が結成された。以来、「釜ヶ崎キリスト教協友会」はグループ間のみならず、新左翼運動にルーツをもつ釜ヶ崎の労働運動ともゆるやかに連携している。そして最大の特徴はキリスト教グループであるにもかかわらず、布教活動を行なわないというところにある。

他方、後者はいずれもプロテスタントで、ファンダメンタルな信仰をベースにゆるやかで広範なネットワークを構成している。釜ヶ崎における保守的なプロテスタントの萌芽は既に1950年代にみられるが、近年になってその勢力を著しく伸ばしてきている。釜ヶ崎で活動する保守的なプロテスタントは「釜ヶ崎キリスト教協友会」とは異なり、布教を最も重要な活動だと捉えている。

2.相反するホームレス観とエキュメニズムの壁

釜ヶ崎キリスト教協友会はホームレスに至った要因を主に社会構造にみる。したがって解放へのアプローチは時として反体制的な様相を帯びる。他方、保守的なプロテスタントはホームレスに至った要因を個人にみる。したがって現状に対して不平をこぼすことは否定され、自身が変革することに重きが置かれる。保守的なプロテスタントでは、ホームレスが被る社会的な問題は信仰とは別次元のものと考えられるため、具体的な差別や排除の動きには関心を示さない。釜ヶ崎キリスト教協友会も保守的なプロテスタントも教会・教派を超えたエキュメニカルな運動を展開しているが、ホームレス観の決定的な差異によって両者が意思疎通することはない。ここに釜ヶ崎で活動するキリスト教の政治性が浮き彫りとなる。 

3.労働運動の衰退と保守的なキリスト教の伸張

釜ヶ崎が労働力を供給する寄せ場として機能していた時代には、労働運動が脆弱な環境におかれた日雇労働者を支える主たる担い手だった。労働運動はこれまで労働条件や賃金といった分配的側面に主眼を置いてきたが、雇用慣行の変容と高齢化によって釜ヶ崎の日雇労働者が労働市場から排除される過程で、その影響力を著しく衰退させてきた。

日雇労働者の多くが単身であり家族との関係も途絶えがちなことから、これまで「労働」は彼らの不安定な生を支えるアイデンティティとなってきた。また、新左翼運動に端を発する寄せ場の労働運動がそのアイデンティティを下支えしてきた。まさに労働運動は社会関係資本に乏しい日雇労働者の社会的紐帯として機能していた。

しかし、それが維持できたのも就労のチャンスが相対的に開かれていた高度経済成長期からバブル経済期までのことで、かつて日雇労働者と統一的に形容された人びとは今日、「辛うじて日雇労働に参与できる層」「極めて低賃金のインフォーマル労働に従事する者」「野宿をしながら炊き出しなどの支援に依存する層」「生活保護を受けて施設やアパートで生活する層」など、様々に分断されている。したがって今日の釜ヶ崎では「労働」という経済的なカテゴリーでは括りきることのできない問題が露呈するようになった。

釜ヶ崎では労働運動の衰退にともなって新しい宗教運動=保守的なプロテスタントの活動が前景化した。日雇労働者が仕事を失い、自前で生計を立てることが困難になり、ホームレス化する過程で、炊き出しを中心とするキリスト教による支援活動がこれまでになく意味をもつようになってきている。保守的なプロテスタントは教会や公園、公民館といったさまざまな場所で毎日のように伝道集会を行なっているが、それらはいずれも活況を呈している。この背景には、何より伝道集会で提供される食事の存在を指摘しなければならないが、参加者のなかには食事をとらずに帰る者や、献金をする者がいることから、伝道集会の活況を「食事目的」だけと判断することは早計だ。

資本から無用化されたホームレスは、伝道集会で語られるメッセージに「労働」にとって変わるオルタナティブな価値を見いだしているのかもしれない。それというのも労働からの排除は、所得と産出の機会を奪うだけではなく、存在の承認をも不安定なものにするからである。どのような者であっても全人格的に受け入れようとする保守的なプロテスタントは、社会的排除の状況にあるホームレスにとっては、安心して関係を構築できる数少ない存在であるかもしれない。このように労働運動が分配的側面に主眼を置くのに対し、保守的なプロテスタントはもっぱら関係的側面に主眼を置いたアプローチを展開する 。

「労働運動の衰退と保守的なキリスト教の伸張」という見取り図は釜ヶ崎における労働環境の著しい変化と密接に関連しており、今日の釜ヶ崎をシンボリックに言い表しはするものの、インテンシブに見ていくと、事はそう単純ではないことがわかる。というのも伝道集会の活況とは裏腹に、特定の教会に深いコミットメントをもっているホームレスは多くないからである。

4.表層面における受容と深層面における逡巡

ホームレスの多くが、伝道集会で示される「ホームレスに至った要因の説明」「人格的なまじわり」「存在の承認」などを肯定するものの、反世俗的で場合によっては排他的ともいえる信仰を内面化することには一定の否定的態度をみせる。「表層面における受容と深層面における逡巡」はホームレスの保守的なキリスト教グループとの関わりからみえてくる一つの特徴である。

男性:ワシは今生活保護もろて暮らしてますけどな、アオカンしてるときは教会に随分世話になりました。そら、あん時は食べるもんもおまへんやろ。だからまぁ言うたら炊き出し目当てですわな。

筆者:今、伝道集会に行ってるのは炊き出しのためじゃないでしょ?なんで行ってはるの?

男性:牧師とね、握手するためですわな。伝道集会に行ったら、牧師が「おっさん、元気にしとったか?」って握手してくれるんやね。それが嬉しいてね。昔は随分世話になったしね、顔見せに行ってるんですわ。

筆者:信仰はもってはるの?

男性:いやぁそれが難しいんやな。ワシ、一応仏教やしなあ。

筆者:ずっと伝道集会に行ってたら信仰もつように言われるでしょ?

男性:そうなんや。いつも「信仰もたなアカンで」って言われるんですわ。この間は「信仰もたな握手せえへんで」って言われてね、困りましたわ。

これは定期的に伝道集会に参加している元ホームレスとの会話だが、彼は食事目的で伝道集会に行っているわけではない。「牧師と握手するため」という語りからもわかるように、彼が求めているのは信頼できる相手との親密な関係の構築である。しかしながら信仰をもつように促されることには躊躇がみられる。何より彼らを逡巡させているのは入信と裏表の関係にある「過去の清算」にあるのではないだろうか。というのも保守的なプロテスタントの論理を全面的に受容するということはこれまでの生を否定することを意味するからである。とりわけラディカルな労働運動の論理を内面化してきた者にとっては保守的なプロテスタントの論理を全面的に受け入れることは容易でないだろう。

5.幸福はどこにあるのか

構造的な問題に目を向けない保守的なプロテスタントによるホームレス化の説明原理では、ホームレス自身に対する苦難の意味づけを可能にしても、ホームレス化をとどめることはできない。他方、釜ヶ崎キリスト教協友会のような労働運動的アプローチでは、ホームレスを取り巻く状況を科学的・客観的に説明できても、その説明原理は労働市場から排除されたホームレスの現実感覚から程遠く、彼らの主観的な意味世界へ鋭く切り込むことができない。労働運動が問題を社会構造に見出すこととは裏腹に多くのホームレスが自己責任をある程度内面化している。

「労働運動の衰退と保守的なキリスト教の伸張」が示唆しているように、「労働者の街」から「福祉の街」へと変貌していく過程で、釜ヶ崎に生きる日雇労働者/ホームレスの関心もマテリアルなものから実存的なものへと変わりつつあるのかもしれない。とはいえ前述したとおり、保守的なプロテスタントの伸張は信者の増大を意味するわけではない。

相克しあう二つの価値の狭間でホームレスの多くはどちらにも収斂されない生を営む。多くの場合、ホームレスが現実の生活のなかで感じる「しあわせ」は、保守的なプロテスタントが提示する幸福観とも、労働運動が提示するそれとも異なる。「表層面における受容と深層面における逡巡」から示唆されるのは、特定の宗教やイデオロギーに統合されないかたちでなされる「存在そのものの承認」への希求ではないだろうか。しかし現実にはある種のラディカリズムによってでしか承認されえない。このことは「自業自得」「自己責任」という表象に典型的なホームレスに対する負の眼差しが堅固であることを逆説的に言い表しているのかもしれない。

(しらはせ たつや・関西学院大学社会学研究科博士後期課程/社会学)

               

                                                    


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