21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
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■第17回研究会レジュメ

《報告2》

 2006年2月4日(土)
於:京都大学文学部新館

イスラエルのキブツと協同組合村に見られる公共性

――経済的観点を主として――

堀川 敏寛

【要旨】

1.はじめに シオニズムと共同体建設
 

19世紀の終わりから20世紀にかけて、パレスチナの地におけるユダヤ人国家建設運動シオニズムはますます盛んになってきた。それは近代化が遅れた東欧、ユダヤ人虐殺が起こったロシア、ナチス政権化の地域を中心に、大量の移民がパレスチナへと流入する事態を引き起こした。それ故に、この地において、この移民を受け入れる為の共同体建設が緊急に必要となった。

特に入植したユダヤ人は、学生や知識人階層が主で、農業経験者はほとんどいなかった。それにも関わらず入植者達は、新たな地における農業労働を重んじた。特にロシアから主としてやってきた第二波移民は、思想的に社会主義的シオニズムの傾向を帯びており、彼らは「土に帰れ」というモットーを掲げ、一種の農業労働至上主義の考えを持っていた。また文化シオニストであるマルティン・ブーバーは、今まで知的職業のみを尊しと考えてきたユダヤ人の悪しき風潮を反省する為にも、土地と取り組む第一次生産活動に従事することの大切さを説いた。

現在においてもイスラエルの農業基盤となっているは、モシャヴとキブツの運動で、これらだけで全農業生産の90%を占めている(1989年時点)。モシャヴは「協同組合」を作って必需品を購入したり、製品を作ったりして利益を得る小自作農の組織である。また「キブツ」は社会主義的な「共同体」で、労働シオニズムと一体化している。現代イスラエル国家の政治体制も、入植者たちが主体的に育て上げてきた協同組合や労働組合を大きく内部に含んでいる。また全奥的な組合統合体としてのイスラエル労働総同盟を通じて、入植者たち自身がイスラエル資本主義を動かす大きな主体となっている。

2.協同組合(Genossenschaft)

キブツと協同組合の形成には、オーエンなどの先駆者を経て、特にランダウァーにおいて結実した「ユートピア社会主義」の思想が大きく影響していた。この思想において、真の社会は、共同的生活を基盤とする小社会と、これら小社会の連合体から構成され、しかもこれら小社会の成員相互の関係や小社会と連合体との間の関係も可能な限り内面的な結びつきをもたらす社会的原理によって規定されねばならない、と考えられた。このようにユートピア社会主義は、地域社会主義とも言い換えうる。それは生産と消費との結合の上に共同生活が建設される村落共同体であり、農業をベースとして工業および手工業との有機的結合が求められた。そしてこの連合の基で形成される社会は、本質的に孤立した個人から成り立つのではなく、地域的、職能的な共同体単位とその連合とから構成される。それは隣人組合(Nachbarschaft)、現実の職業組合(Werkgild)のような形態をとるものだ。

従って協同組合は自己目的的であってはならない。それは社会全体を法律や制度によって外から強制的に変革するのではなく、社会の構成員の自発的な参加を基礎にして、内部から部分的、段階的に変革して行くものである。その組合には三類型があり、それは1.消費協同組合、2.生産協同組合、3.完全な協同組合である。三番目の組合は、生産と消費の協同組合が完全に合致することによって成立する。また生産者としての人間は消費者としての人間よりも、よりいっそう積極的に仲間と共同的であるゆえに、消費過多に傾きがちの生活は改めねばならない。

3.キブツ(ヘブライ語で「集団」)

そして「キブツ」が完全協同組合によって成り立つイスラエルのユダヤ人村落共同体である。その人口はイスラエルの約4%にあたる。ここでは国家と個人の間に各人の自由意志に基づいて小さな共同体を造り、これを通して社会構成員相互の関係を内実から改革・変革し、新しい共同体を造った。これはパレスチナにおけるユダヤ人の移住、定着、更に建国という民族的過程の中で建設されたように、地域的現実の要求に基いて生まれた共同体である。そして入植者は相互扶助と協力の原理に基づき、調和的な同胞関係を理想とするユダヤ人の協同集団農場を設立した。彼らの目的はただ単に一つの新しい国家を作るということではなく、むしろ従来の社会的矛盾から解放された新たな社会を創ることにあった。

集団農場としてはソ連のコルホーズ、メキシコのエヒド、中国の人民公社らが国家の政策によって作られたのに対し、イスラエルにおけるキブツ(初期の名称はクヴツァ)は政治的原理とは異なる「分離的団結」によって完成する協同村である。よってそれは中央集権化された国家ではなく、共同生活し共同生産する農村や都市労働者とその代表団を社会単位とする。ここの成員は、絶えず互いに関係し合うのではなく、同志として互いに開かれ合いその用意ができた人間によって構成される。それと同時に、家計・生活秩序・子供の教育らに、ある程度の個人的な独立性を保持する半個人主義形態をもとっている。

4.問題点

どのキブツにおいても、新たな土地に入植する際につきものの諸問題が、肉体労働の苦しさと伴って起こった。それは入植者が今までとは全く異なった生活の原則に従い、互いに知らない者同士が寄り合い、中には全然肉体労働の経験のない者たちを上手にまとめねばならない所以である。また1948年のイスラエル建国後、70万人を越える入植者が流入し、それの受け入れ問題が起こった。特にこれらの人々の大多数は中東諸国、北アフリカのような発展途上の国からの者であり、ヨーロッパからは10年に及ぶ人格喪失と肉体衰弱で疲弊し切っていた。他にもプライヴァシーの欠如、個人的自由の拘束、集団的体制への反発(ex. 私的欲求(利己主義・獲得欲・権力欲)の抑制)、特殊な人間関係からくる不満や緊張の問題(ex.不満のはけ口が無い)などの問題が現存する。

これら問題の原因として、あるキブツ=デカニアの成員は、20世紀初頭における国土建設の士気が衰え、次第に消費生活を求める生活形式が蔓延した所以である、と振り返る。生産と消費が結びつくことに意義があった協同組合も、都会の生活に惹かれてしまえば、底なしの消費がかさんで来る。その為には生産部門の拡大による増収しか解決策はない。そうせぬ限り、村落共同体としてのキブツを去る若者が絶えないであろう。またキブツにおける消費過多の現象は、何も贅沢という精神的なものに限らず、生産を維持する為に年々増大する新規設備投資にもよる。というのも経営規模の拡大と生産力向上に努めねば、キブツはイスラエル経済の発展について行くことができないであろう。イスラエル社会全体の消費水準が上がれば上がるほど、建前の上では資本家的経営体の原則である最大利潤の追求と拡大再生産を目的としないキブツも、必要な収入維持の為に生産力を高めて行かねばならないのである。

事実キブツ=デカニヤなどでは赤字経営が問題となっている。伝統的な農業中心主義では経営が不安定な点から、50年代から工業経営へ転換したのだが、その資産は大きく外部資金に依存している。イスラエル農業銀行など政府や組合の金融機関からの借入金が増大し、自己資金率は増加を示していない。そしてもう一つの困難が労働力不足である。1950年代初期までは絶えず流入する新移民が労働力となったが、その後は移民が止まり、不足分を補うために、自己労働のスローガンを捨て、キブツへ通勤する外部の雇用労働者を受け入れるようになった。

5.終わりに キブツや協同組合に見る公共性

真の共同体には、「親密さ」は問題ではない。問題は「開放性(Aufgeschlossenheit)」にある、とマルティン・ブーバーは述べている。キブツは村落共同体内の労働を通して、一人一人が主体的に開かれ合い、用意ができたもの同士が互いに結びつき合うことによって形成されるものである。それは脱出不可能な牢獄ではなく、メンバーの出入りが可能な共同体であることから、そこには開放性がある。キブツにはこのような公共性の一要素を持ちながらも、ユダヤ民族の拠り所であるユダヤ宗教性を核にして、民を結びつけようと試みる共同性も見られる。すなわちキブツは、ユートピア的社会主義の実現を目指して建設されたものであると同時に、その源流をユダヤ人の宗教的伝統と聖書の教訓とメシア的ビジョンに発している。つまりキブツはユダヤ人が共に生きていく為の共同体であり、それを結束する為の同一性をも目指している。よってここで見られる公共性はユダヤ民族間のものであり、それは外部から見る限り、集団的共同体主義の形をとっているようにも思えるだろう。アーレントの議論に即して議論するならば、キブツ内の生活は、万人によって見られ、開かれている「現われ」によって形成されている公共空間である。だが同時にこの公共空間はユダヤ民族とその宗教性を軸とした集合的アイデンティティを示すことで結束している共同体であり、ここに差異と複数性が見られるかは疑問である。だが差異性と複数性は、様々な価値の流入と同時に、消費欲求を更に促す情報が流入することでもある。そうすれば生産と消費のバランスを保っていた完全協同組合の理念は崩れるであろう。協同組合は、グローバリゼーションによって進行するであろう貿易の自由化とそれに伴う価格競争に太刀打ちできるものではない。つまり、シオニズムの中で望まれていた共同体キブツとは、人間の直接的連帯生活の有する古い有機的連合体であって、家族、職業組合、村落・都市自治体などがこの形式に属する。よって現代イスラエル国家の自由主義経済の中においても、未だ農業生産面でその主軸を担い、現在でも強く残っているキブツや協同組合は、資本主義経済状況とどのように並存していくべきなのか、今後注目に値すると言えるだろう。


(ほりかわ としひろ・京都大学大学院文学研究科博士後期課程/キリスト教学)


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