21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
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■第19回研究会レジュメ

《報告4》

 2006年7月22日(土)
於:京都大学文学部新館

M.ブーバーの公共性論

堀川 敏寛

【要旨】

 今年度の報告書では、ブーバーが「社会」について論じた諸論文を取り扱う。その中で彼が重きを置く「中間的なもの」に、彼の公共性論の核があることが分かるであろう。

 著作『我と汝』において、ブーバーは「社会的なもの」には、関わりによって築かれる「共同体」と、関わりを欠いた単位としての人間によって築かれる「集合体」があることを述べ、前者を人格的呼応的な関わりによって形成される「汝の世界」と、後者を独白的な対象化によって形成される「それの世界」と呼んだ。共同体は構成員が生きた中心に向かうことで、構成員同士の相互関係も生きたものになるという特徴をもつ。そしてここに人間の「公共的な生」があるとブーバーは考える。また共同体は、社会において外的な制度によって支配される集合体と内的な感情によって支配される個人の中間に位置するものである。次に著作『単独者への問い』において、ブーバーはこのような共同体を、人間の公共的生が発揮される場として「公的なもの」と言う。ここに生きる人間は、互いに全く異なっていながらも束縛することなく、結合し合っている。それは公的なものと共に生きる人間が、他との違いを前提としながらも、その他性を認めた上で、他者と共に生きるためである。よって公的な場は異なる者同士が互いに向き合う中で、共同的な関わりを形成する場であるといえる。

 ブーバーは『人間の問題』では、個人主義と集団主義を、共に孤立した存在者によって構成される「それの世界」のものと特徴付ける。そして社会思想は、このような二者択一ではなく、汝の世界によって構成される「間の領域」呼ぶ第三の立場によって考えようとした。この「間」の領域は、『人間の間柄の諸要素』において、「多数性」に対置される「人間の間柄」の領域であり、『共同的なものに従うこと』における「集合」や「集団」と対置される「われわれ」である。真の「われわれ」とは人格と人格の間の、つまり我と汝の間の本質的な関わりが存続することによって知ることができる状態である。

 以上のように、ブーバーの公共性論は一貫している。それは「個人(私)」と「全体(公)」を媒介する「間」の場にて起こる事態である。よって制度や感情に代表される集合体、大衆化、個人主義や集団主義、資本主義や共産主義に還元されるような社会のあり方、また人間のあり方をブーバーは最も批判する。ブーバーが望むことは、それらを脱し、我と汝が生き生きとした関わりを持つ事にある。そのためには自分自身や集団からの束縛を離れ、互いがユニークで異なる者同士であることを認め合うことが求められる。そしてそれを前提として、異なる者が同じ目標に対して向かい合う時、中心に対する生きた関わりを通して、互いの関わりも生きてくる。これが成り立つ場が、「真の共同体」であり、「公的なもの」であり、「間の領域」であり、「われわれ」である。そしてこれらが我と汝の「間」を場として生成するものである。

 ブーバーは人間学と社会学は、それらが人間を基軸とする限り、「人間と共にある人間」に基づいて、そして我と汝の関わりの考察から出発せねばならないと考える。
(ほりかわとしひろ・京都大学大学院文学研究科博士後期課程/キリスト教学専攻)

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