21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
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■第20回研究会レジュメ

《報告1》

 2006年9月9日(土)
於:京都大学文学部新館

「満洲」移民をめぐる寛容さの記憶

――黒龍江省方正県の日本人公墓建立をとおして――
坂部 晶子

【要旨】

 日本と中国とのあいだの戦争や植民地の歴史をめぐって、中華人民共和国政府では日本の一部軍部指導者と広範な人民とを区別するという趣旨の一種の寛容な政策がとられてきたといわれている。たしかに日本人戦犯捕虜などのとりあつかいをみても、このような政策、指導が行き届いていたと考えられる。しかし、ある中国の文学研究者が、日本にたいする中国人の戦争をめぐっての認識にかんして「謝罪と寛恕という図式」ができあがってしまっており、その図式の背後にある相互の社会についての理解にまでたどりつくことが難しくなっている現状を指摘しているように、歴史的な寛容さというのがはらむ困難さというのがあるように思われる。

 1980 年代以降、日本から中国への渡航が容易になると、日本人戦友会などによる遺骨収集、慰霊、墓参等の中国旅行が行われ、かつての植民者と被植民者、加害者と被害者が再会する機会が生じている。ここで問題となるのは、地元住民を刺激するような慰霊行為が中国の地方政府によってしばしば禁止されてきたことである。「雲南□西地区における戦争の記憶」を記した伊香俊哉は、このような場面での日本側の態度を、「戦争の是非はともかくとして」慰霊や遺骨収集を行いたいとするものであると指摘しているが、たしかに日本人の遺骨集団や慰霊団の多くが、中国の在地住民の被害状況にたいしての想像力や理解が届いていない現状が存在する(都留文科大学比較文化学科編、2003、『記憶の比較文化論――戦争・紛争と国民・ジェンダー・エスニシティ』、柏書房)。

 中国東北地区は、日本が「満洲国」というかたちでの広範囲での植民地支配を行った現場であるが、そこでも同様の事態が散見される。しかし、黒龍江省の一地方都市である方正県には、中国の地方政府によって建てられた日本人開拓民の犠牲者の墓が存在し、そこでは、若干の制限はありつつも、現在でも日本人開拓団のなかで生き残った人びとや、日本へ帰国した人々による慰霊祭が行われている。この「方正県日本人公墓」の特徴は、中国に残された残留日本人婦人の陳情により、当該地の地方政府が建設したものであり、東北各地にある歴史記念館や慰霊碑等とは性格を異にしている。そして、このような、公墓の存在にたいして、先述の慰霊団などとは違って、日本人関係者のあいだで、中国社会の「寛容さ」にたいする語りが形成されてきた。

 現在方正県では、このような日本人公墓の存在を、「植民地の遺産」の一つとして、とくに日本人の来訪者にたいして積極的に活用してきており、周囲の観光地化などともあわせて、開発が進んでいる。しかし、とくに注目されるのは、このような「寛容さの語り」が形成されてきたのが、2000名といわれる方正県に残された「日本人残留孤児・残留婦人」の存在であり、彼らは、数十年間の中国社会における生活と、日本人開拓民としての経験との双方を併せもっている。このような生活経験の共有に基づいた日本社会と中国社会との交渉のプロセスが、当地のような慰霊の場を生み出しているのである。


(□はさんずいに眞)
(さかべ しょうこ・島根県立大学総合政策学部助手)

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