21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
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■第20回研究会レジュメ

《報告2》

 2006年9月9日(土)
於:京都大学文学部新館

矢内原忠雄の朝鮮観

――隣国愛の可能性をめぐる問題――
今滝 憲雄

【要旨】

はじめに−キーワードとしての「行為的直観」(西田幾多郎)
 異質な他者に対して寛容であり得るための前提条件。それはその存在のあるがままの現在の姿に、そうでしかあり得なかった過去性と、かくあり得べき未来性とを同時に洞察する「知(即愛)」の力ではないだろうか。本発表では〈寛容の知〉ともいうべき他者認識(作用)の根拠・論理を、西田哲学の「行為的直観」という概念をヒントに、具体的事例として矢内原忠雄〔1893−1961〕の朝鮮観の検討を介して究明していきたい旨を冒頭で述べた。

問題意識−なぜ、矢内原か
 今日における北東アジアの平和的公共圏の構築、その広域的公共性の阻害要因として「朝鮮」認識(及びアジア認識)の問題が横たわっているのではないだろうか。そしてそれはかつての植民地帝国日本の支配の構造の問題、及びその「異常」な植民地政策に規定された「特異」な「帝国意識」の問題と通底しているのではないか。
 歴史的・文化的先進国であった朝鮮を、そうであるがゆえに暴力(直接的及び構造的)によって支配し続けようとした帝国日本の体制内部で、その統治方針を批判した人物として矢内原忠雄を再評価したい。そして彼の学知(植民・植民政策研究)を、そのキリスト教信仰との関係から内在的に解き明かしたい。またそれは現在まで続く日本国民の認識上の「歪み」をただす契機ともなり得るのではないか。以上のような問題意識の下、研究に着手していきたい点に触れた。

検討に先立って−先行研究による「戦後50年」後の矢内原評価
 内なるナショナリズムの普遍性・純粋性に対する思念から、帝国再編のために「植民」の効用(文明化作用)論を主張したコロニアリスト。植民地統治政策における「従属主義」や「同化主義」を批判し、平和的な「自主主義」の採用を提唱した矢内原も、経済規模の拡大である文明の伝播を「人類生産力の発展」の動因と見なして疑わない植民肯定論の立場に立っていた。したがってその目的達成の手段(コロニアリズムのイデオロギー)として、彼のキリスト教信仰は働かざるを得なかったのではないか、と姜尚中氏は説いている(『オリエンタリズムの彼方へ』岩波書店)。ナショナリズムの同心円的拡大による類的世界の実現。またそれを内面から支える砦としての幻想的幸福のキリスト教伝道。このような矢内原の学知と権力性に対する批判的評価を、どう再転換し得るのか。とりわけキリスト教信仰からの自発自転的な展開、その内的必然的なプロセスとして、博愛精神に基づき隣人及び隣国としての朝鮮(人)を愛した人物として彼を位置づけ直すことができるのではないか。以上のような仮説の下、彼を再解釈したい旨を述べた。

おわりに
 「神の言葉の啓示」と聖書研究。その個即普遍の信仰的視座が、冷厳な現実認識と媒介されて国家を相対化し得る思想と行動が生じた。内村鑑三以来の無教会キリスト教内部において、とりわけ預言者的精神の伝統に連なる者として評価されている矢内原であるが、果たして彼の直観の論理構造はいかなるものか。またその妥当性は。論文ではこのような研究上の観点をもって、彼の朝鮮関連の諸論考及び1940 年の朝鮮伝道の成果「ロマ書講義」を検討したいと報告を結んだ。
(いまたき のりお・大阪電気通信大学、近畿大学、武庫川女子大学非常勤講師)

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