21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
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■第20回研究会レジュメ

《報告5》

 2006年9月9日(土)
於:京都大学文学部新館

スポーツと寛容性

――サーフィン共同体におけるグローバリズム、ローカリズム――
水野 英莉

【要旨】

 地縁・血縁とは異なり、スポーツという共通の関心を持つ人々からなる共同体が、どのように互いの異なる価値・文化を競合させながら秩序を形成していくのか。その社会的プロセス・条件とはどういったものだろうか。ここでは具体的な事例としてサーフィンというスポーツを通じてサーファーたちが作り上げたローカリズムというルールをとりあげた。動く波という特殊な資源、しかもひとつのうねりに一人しか乗ることができないという極端に限られた資源をめぐって起きる「寛容性/非寛容性」の諸相を、サーファーたちが織り成すミクロな相互作用に注目しながら考えてみた。

 寛容性について考える場合、まずサーフィンとそれ以外のスポーツの歴史的・文化的背景の差異について確認しておかなければならない。階級的支配を再生産する文化的装置としての役割を与えられた野球やサッカーなどのナショナル・スポーツと、アメリカ大衆文化の産業化のなかに位置づけられた大衆消費としてのスポーツであるサーフィンとでは、誰と誰の間で何に対する寛容/非寛容が争われているのかが全く異なるからである。波に乗るという行為自体にはかなり古い歴史があるといわれているが、現在のようなサーフィンのありよう(近代サーフィン)として意味づけられるようになったのは20 世紀初頭で、若者の対抗文化などと結びついてグローバル化したのは1960 年代に入ってからである。現在、経済的・文化的覇権を握るのは、米国(カリフォルニア州およびハワイ州)と豪州であり、白人中産階級の若く健康な成人男性を頂点としたヒエラルキーが形成されている。

 1960 年代のグローバル化を契機に、サーフィン共同体では次第にさまざまなトラブルが発生するようになった。サーフィン産業の巨大化、メディアの発達がサーフ人口を加速度的に増加させたことによって、海での事故やいさかいが問題として浮上した。90 年代に入ると問題は深刻化する。95 年ごろまでは、ごく一部の人間だけに共有されていたサーフ・ポイント(サーフィンをする海岸)の情報が雑誌やインターネットに広く公開されていたが、ポイントをホームとするローカルサーファーたちからの反対にあい、その後ポイント情報はあいまいにしか公開されなくなった。ルール・マナーに関する記事が急増し、盛んにその秩序が議論されるようになったが、トラブルは収まらず深刻化の一途をたどっている。2000 年には豪州のプロサーファー、ナット・ヤングが近隣に住む知り合いのサーファーによって海でのトラブルから暴行され2 週間も意識不明の状態であったことが大々的に報道された。被害者のヤングはトラブルが頻発する荒れた状況を「Surf Rage」と名づけて問題定義した。

 Surf Rage を考えるにあたって、ローカリズムというサーファー独自のルールについて知る必要がある。ローカリズムとは、ある特定のポイントに通い続けるサーファーによって作り出されるルール・秩序・リズムであり、ひとつの波をめぐる優先権がローカルであるかどうかによって、意識的・無意識的に配分される状況を指す。ローカルとしては、毎日海に通い、知ったもの同士の生活がある、そのポイントでのサーフィンをするために多くの投資(移住、転職など)をしている、自分たちがいなければポイントの秩序が保たれない、サーフィンをしない地元住民からの偏見や不満の矢面に立ちサーフィンができる環境を作り上げている、などの主張がなされている。確かにサーフィンの実力も備えた彼らの存在があるからこそ、外から訪れた多様な価値を持ったビジターにマナーを守る行動を引き出すことに成功している側面がある。すばらしいパフォーマンスでそのポイントの質を高め、地元発信の文化の形成・発展に大いに寄与していることだろう。しかしながら、本当に彼らがいなければ秩序は保たれないのか。スポーツという実力の差が非常に明確に表示される場では、毎日サーフィンをするローカルサーファーのローカリズムには強い力があり、支持するかどうかに関わらず受け入れざるを得ない状況であるのを考えると、一概にローカルの主張するローカリズムが正当かどうかはいえないのである。ローカリズムは偏狭な地域主義と結びついてはいないだろうか。
 こういった現状のなかで、ナット・ヤング「Surf Rage」を問題化したことには大きな意味がある。ローカルサーファー自身によるローカリズムの批判は、これまであまり見かけなかったし、このような深刻な問題を顕在化させ、仲間とともに率直な意見を表明したからである。彼はThe Spirit of Surfing という団体に寄付し、サーフィンのルール・マナーを広める教育活動に貢献するようになった。
 カリフォルニアが発信する非常にポピュラーな波情報サイトでも、いかなるときも自分の「有利な点」を利用して他のサーファーに嫌がらせをしてはいけないと説かれている。有利な点とは、身体の大きさ、サーフィンの上手さ、長い板、権力がある、生まれつきの乱暴さを持っている、などである。また、ローカルであることは、良い波を得られる報酬と同様、波を分かち合う雰囲気を作り出す責任があることなのだと書かれている。一見当たり前のことのように思えるが、「実力主義」が肯定されるスポーツの世界では、強い者がより多くの報酬を得、権利を主張することが正当性を持つように感じられるので、反体制的な背景を持って生まれたサーフィンも、近代化の波にさらわれてかなり競争志向が支配するようになっている。しかしこれを何の批判もなく放置すれば、サーフィンはあまり楽しくないものになるし、広く浸透したサーフ・カルチャーを自ら滅ぼすことにもなるだろう。

 ローカリズムは、限りある資源に対して増加し続ける人数という困難な状況で、サーファー自らの手で自然発生的に作り上げてきたルールである。現状では、ローカリズムは「問題の答え」でもありまた「問題そのもの」でもある。暴行というネガティブな経験を告白し、ローカリズムによっては問題が解決しないと投げかけたナット・ヤングの行為をもう一度良く考える必要がある。個人の理性と責任に多くを任された海のなかで、より公平で創造的な新しい秩序の生成を考えることが、私たちに手渡された課題である。
(みずの えり・岐阜医療科学大学専任講師)

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