21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
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■第4回研究会レジュメ

《報告2》

 2003年6月28日(土)

於:京都大学文学部新館

宗教的寛容の源流と流露

――宗教的寛容の神学的基礎付け・哲学的概念化・合法的制度化――

近藤 剛(本研究科博士後期課程キリスト教学専修)


内容:ヨーロッパ近代における「宗教的寛容」概念の形成過程に関する思想史的考察

キーワード:宗教的寛容、宗教的多元性、信教の自由、政教分離、民主主義

論点:@「宗教的寛容」概念を構成する歴史的基盤と思想的基盤を考察する、A「宗教的」寛容を「キリスト教的」寛容として特定する、Bターニングポイントとしての宗教改革、革命戦争、啓蒙主義、世俗化との関係を時系列的に辿る、C宗教的寛容の神学的基礎付け(信仰に由来する寛容)→哲学的概念化(自由、自律、合理性に関係する寛容)→合法的制度化(近代法システムに組み込まれる信教の自由)の発展を明確化する、D今日における「宗教的寛容」概念の乱用を反省する、E今後の宗教的寛容の展開可能性を模索する

序論 錯綜する「寛容」概念

(1) 寛容の一般的な定義:「寛容とは、広義には、自己の信条とは異なる他人の思想・信条や行動を許容し、また自己の思想や信条を外的な力を用いて強制しないことを意味する」(山折哲雄監修『世界宗教大事典』、平凡社 1991年、431頁)、「特定の宗教的信仰や政治的権威にそぐわなくとも、理性や良心または他宗教に基づく判断と実践の自由を認めること」(大貫隆・名取四郎・宮本久雄・百瀬文晃編集『岩波 キリスト教辞典』、岩波書店 2002年、253頁)

(2) 寛容(tolerance)の原意:忍耐(tolerantia)、「神から与えられる苦痛に耐える」の意

(3) 寛容の種類:宗教的寛容、人種的寛容、性的寛容など

(4) メンダスによる「寛容」概念の構造分析@「寛容の環境」:寛容の前提となるのは、否認、嫌悪、憎悪と結びついた多様性であり、さらに、寛容の主体the toleratorが寛容の客体the toleratedの行為に干渉し影響を与える立場にあることである。A「寛容の有効範囲」:寛容の対象が道徳的判断に関わるものなのか、あるいは単に傾向性、趣味ないし嗜好の判断に関わるものなのか、その区別を明確化した上で寛容の有効範囲を設定する必要がある→寛容の消極的解釈(他人に干渉しないという意味での寛容)と積極的解釈(他人を援助するという意味での寛容)へ分岐する。B「寛容のパラドックス」:寛容は個人における徳であると同時に、社会における善である。一方で、寛容は必然的に、また概念的に、道徳的にいかがわしい、あるいは悪であると信じられているものを許容する。この相反する含意が、寛容のパラドックスである。

【文献案内】

1.宗教的寛容の射程

(1) 宗教的寛容の射程:同一宗教内での寛容は形式的な認容か、消極的な宗教的承認かであり、不寛容は異端視、迫害、異端審問として歴史的に現象する→いずれにせよ射程は狭い!

(2) キリスト教的「不寛容」の伝統:「キリスト教には当初から、宗教的な自己意識にもとづく非寛容の傾向がある」(エルンスト・ベンツ著、南原和子訳『キリスト教 その本質とあらわれ』、平凡社 1997年、223頁)、「キリスト教の宣教は異教の排除、つまり異教の組織、神殿、伝承、生活秩序すべての排除を目的としていた。キリスト教が勝利をおさめ外的な権力手段を手に入れてからは、ローマ帝国全土の異教はキリスト教によって根絶され廃墟だけが残った」(前掲書、224頁)、「不当にも武力を行使して非寛容を実践したことの跳ね返りはキリスト教徒自身の身にも及び、キリスト教ははじめてことの重大さに気づいた。一連の歴史的破局はキリスト教に自省を強い、そこから寛容の理念が生まれた」(前掲書、225頁)

(3) ローマ帝国におけるキリスト教の国教化(392年):当時の教会法学者の見解によれば、寛容とは国教会が異教徒を忍耐しながら許容することを意味した→カトリシズムの不寛容へ。ボシュエの『プロテスタントへの警告』(1691年)における不寛容の擁護(例えば、エリザベト・ラブルース著、森田安一訳「宗教的寛容」、『西洋思想大事典』第2巻、平凡社 1990年、449-457頁を参照)

(4) 近代ヨーロッパにおける宗教的寛容の変遷:ルネサンス・ヒューマニズム、合理主義、懐疑主義、不可知論+ピューリタニズムの宗教的主張(他宗教の存在に対する寛容)、内なる光、良心の自由(プロテスタントの根本思想)→「信教の自由」の政治的要求(自然権思想に基づく政治的自由、平等の要求)→思想、学問、言論、出版の自由(市民的自由)→近代民主主義への移行(基本的人権の整備)

【文献案内】

2.宗教的寛容の源流

(1) 1517年 ルターの宗教改革開始:キリスト教内部の教派的多元性(欧州全土へ波及)

(2) 1524-25年 ドイツ農民戦争、ミュンツァー処刑(ドイツ)

(3) 1527年 再洗礼派(アナバプティスト)マンツの処刑(スイス)

(4) 1531年 フィリップ方伯へのルターの勧告:帝国異端法に従って再洗礼派を処刑せよ!

(5) 1536年 ジュネーブ宗教改革:カルヴァン、「異端は魂の殺害者」とのスコラ学的見解

(6) 1551年 シャトーブリアン勅令:プロテスタント禁止(フランス)

(7) 1553年 ヴィエンヌ宗教裁判:ミカエル・セルヴェトゥスの焚殺(スイス)

(8) 1554年 セバスティアン・カステリョ(1515-63)の寛容論:「ベリウス主義」、『異端は迫害さるべきか』→@「中間時」の倫理(暫定倫理、究極的判断の留保)に基づく自己相対化。A「根本信仰内容」(fundamenta)と「どちらでも良いもの」(indifferentiae)の区別。B俗権による強制の無益さ(良心の自由)→理性への訴え

(9) 1555年 アウグスブルク宗教和議:帝国自由都市内におけるカトリックとプロテスタントとの共存。教派属地権(領土内の宗教を選定する領主の宗教決定権)。異端(再洗礼派、スピリチュアリスト、ソッツィーニ主義)に対する断罪と迫害の合法化(ドイツ)

(10) 1562年 ユグノー戦争(フランス)

(11) 1572年 サン・バルテルミの虐殺(フランス)

(12) 1598年 ナントの勅令:フランス王アンリ4世によって発布。新旧両教会に対して権利と譲歩を明示。プロテスタント迫害の中止→1685年 ルイ14世によって廃止(フランス)

(13) 1618-48年 三十年戦争:ハプスブルク家の弾圧に対するプロテスタントの反乱(ドイツ)

(14) 1634年 ゲオルグ・カリクストゥス(1586-1656)の寛容論:『ルター派と改革派との間に行われている神学論争および基本的教理における一致を基礎として両派が互いに兄弟愛と寛容の精神とを持つべきことについての意見』

(15) 1648年 ウェストファリア条約:三十年戦争の収拾。皇帝権力の失墜。カトリック、ルター派、改革派の平等権(セクトに対する不寛容は徹底される)。領邦教会制度の確立。

(16) 1864年 ピウス9世の回勅「謬説表」:寛容は邪教的で、宗教の自由は狂気であると断罪

【文献案内】

3.宗教的寛容の流露

(1) 1559年 エリザベス1世 首長令・国教統一令

(2) 1642年 ピューリタン革命:国教会VSピューリタン→ピューリタンの内部闘争へ

(3) 1660年 王政復古、クラレンドン法典施行(非国教会徒の追放。中産階級、とりわけ貿易業者と独立生産者に対する打撃。寛容令の正反対。基本的人権の抑圧)

(4) 1688年 名誉革命:カトリック主義政策のジェイムズ2世を廃位。

(5) 1689年 信教自由令(Toleration Act):ウィリアム3世とメアリ1世の治世第1年に発令。しかしカトリック、ユニテリアン、ユダヤ教は適用から除外される。

(6) 1689年 ロック(1632-1704)の『宗教的寛容に関する書簡』(『寛容書簡』):政策的理論(国益、国富中心)としての宗教的寛容、その合法的制度化(市民社会の保全に不可欠な道徳的秩序を遵守して、公益や国益に反しない限りという留保条件の付いた信教の自由。従って、他の国家と結託し祖国イギリスに背信するカトリックや道徳を覆す無神論は寛容の適用範囲外)。「商売は商売、信心は信心」→国王・国教会の体制とクロムウェル的な革命派の中間で社会的秩序の安定を目指す試み→広教会主義者(latitudinarians)の広がり

(7) 『寛容書簡』のポプルの英訳からジェファソンの思想へ→1776年 ヴァジニアの権利章典における信教自由条項「(十六)宗教、あるいは創造主に対する礼拝およびその様式は、武力や暴力によってではなく、ただ理性と信念によってのみ指示されえるものである。それ故、すべて人は良心の命ずるところにしたがって、自由に宗教を信仰する平等の権利を有する。お互いに、他に対してはキリスト教的忍耐、愛情および慈悲をはたすことはすべての人の義務である。」(斎藤真訳「ヴァジニアの権利章典」、高木八尺・末延三次・宮沢俊義編『人権宣言集』、岩波書店 1957年、112頁)→1786年 ヴァジニア信教自由法

(8) 1763年 ヴォルテール(1694-1778)の寛容論→フランス革命(1789年)におけるキリスト教の否定、人間中心主義に基づく宗教的寛容(人間が宗教的確信を差配する?!)、啓蒙主義の寛容→宗教の合理化→世俗化(俗物化、世俗主義)→価値相対主義→ニヒリズム(→宗教的ファンダメンタリズムへの回帰は必定!)

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4.宗教的寛容の流失

(1) 宗教的寛容の実践形態としての宗教間対話:「寛容から対話へ、対話から協調へ」(クリストフ・シュヴェーベル)の路線。WCRPやIARFの事例→批判@:山折哲雄「「宗教間対話」の虚妄性―「宗教的共存」との対比において」(南山大学宗教研究所編『宗教と文化 諸宗教の対話』、人文書院 1994年に所収)の議論によれば、宗教間対話はキリスト教の宣教論的戦略であり、最悪の場合はキリスト教の在り方を他の宗教に押し付ける試みになり得るという批判/批判A:多元性の内容の変質、17世紀の教派的多元性(聖書という同一の共通基盤)と20世紀の宗教的多元性(仏教、イスラーム、民族宗教)および社会的多元性(「社会的な神々」を奉じる擬似宗教)といった問題状況の根本的な相違!

(2) 宗教的寛容の限界を露呈する宗教的テロリズム:宗教的狂信主義(アーサー・シュレシンジャー)の脅威の前に寛容でいられるのか?→「道徳をくつがえすような教義をもつ宗派があらわれると、良識が公明正大な態度をもって善悪を見分け、邦政府に厄介をかけるほどのこともなく、新宗派は嘲笑によって社会からしめ出されるのである」(ジェファソン著、中屋健一訳『ヴァジニア覚え書』、岩波書店 1972年、289-290頁)→現代において<良識>は機能するのか?

(3) 「宗教的寛容」概念の論理的破綻:宗教的寛容の精神が、宗教の絶対性を相対化した結果としてのみ規定されるのであれば、真理要求を主張する宗教性そのものを捨象することになり、現実的な有効性を喪失してしまうのではないか(一般的な寛容概念との質的相違)?

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結論 正当な宗教的寛容の涵養

(1) 社会における寛容の過剰は放縦になり、寛容の不足は抑圧になる。寛容の態度は、習律(歴史的良心に由来する慣習的規律)に基づいた自律的自由によって涵養されるべきである。

(2) 歴史的経験則と論理的合理性が合流するところに「宗教的寛容」概念の成立基盤を見出すべきである。両者の平衡を断念するのであれば、寛容は単なる無関心となる。

(3) 再考すべきカリクストゥスの標語:「不可欠なものにおいては統一、不可欠でないものにおいては多様、全体においては愛」


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「多元的世界における寛容性についての研究」研究会

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