21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
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■第6回研究会レジュメ

《報告2》

 2003年12月20日(土)
於:京都大学文学部新館

多元的世界と表象のポリティクス
文化の不寛容をめぐって

野村明宏(京都大学大学院文学研究科研究員(COE))

はじめに

 ひと頃盛んに口にされていた「国際化」という言葉に入れ替わるようにして、近年「グローバル化」という言葉が頻繁に用いられてきている。おそらく、国家や国民の単位を前提とした「国際化」という言葉は、インターネットに代表されるような情報化の急速な展開のまえでは、現在の状況やその向かいつつある未来が醸し出すイメージとは幾分そぐわなくなっているのかもしれない。
 なるほどたしかに、ヒト・モノ・カネ・情報の動きが、国家によってこれまで明確に区切られてきた物理的、法制度的、経済的なさまざまな境界や障壁をやすやすと横断してネットワーク化されている状況をわれわれはよく眼にしている。あるいは、NGOのような援助組織が文字どおり、国の政府機関の単位を越えてフレキシブルに活動し、その活動資金の調達においても世界市民的な支持の広がりのなかで規模を拡大しているのも周知のとおりだろう。またその一方で、冷戦終結後の世界においては、民族問題や移民・難民問題が国家の内部や諸国家を横断するかたちで頻発していることも深刻に語られている。
 「国家の危機」ということが現在叫ばれる際には、多くの場合、こうしたグローバリゼーションが背景にあるといえるだろう。もちろん、グローバリゼーションという巨大な波に対しては、地域の経済や環境、文化の多様性を守ろうとするローカリゼーションのバックラッシュも姿をみせている。しかし、たとえば2001年のジェノヴァ・サミットでの大規模な抗議デモにみられた反グローバリゼーションを唱える活動自体が、イタリア国内のローカルな運動家たちによって担われたのではなく、世界中から集まった各種NGOによって、グローバルなかたちでなされたことは記憶に新しい。いまや反グローバリゼーションの運動それ自体も、グローバルなかたちで取り組まれなければならない課題になっているというわけだ。

 さて、こうした「国際化」から「グローバル化」への言葉の移り変わりが示すように、国家単位での連携とは異なるタイプの、文字どおり地球規模の網の目が編成されていることに首肯するとしても、しかし一方でそれは、国家という形態がその役割を終えていく過程を同時に示しているといえるのだろうか。これについては少なくとも、判断を保留しておかねばならないだろう。たとえばインターネットの普及によって、リアルタイムでの情報のやり取りをしあえる「ネット市民」が一時期もてはやされた。国家の枠を超え、地球の裏側とも繋がりあう世界市民の誕生というわけだ。しかし、そうした電子情報技術が日常生活の中に深く浸透していくにつれて、次第にネット市民のリアリティは薄らいでいく。たとえばネット上で創出されるさまざまな利権が巨大化し、違法コピーなどの著作権問題のような権利の侵害に関して、無視し得ない社会問題がとり立たされるようになったとき、あるいはコンピュータウィルスやハッカーへの対策や取締りが火急の問題となったとき、その対応のための最終的な拠り所としては、自発的な市民相互の倫理感ではなく、国家主導の法規制が前面に出てきたのだった(もちろん、情報インフラの整備のために巨額の経済的負担をおこなった理由を考えてみても、それは経済競争における「国益」を重視してのことだった)。
 あるいは民族間の軋轢や対立を例に採り上げてもよい。グローバル化の進展によるヒトやモノ、文化の往来が盛んになるにつれ、「文化帝国主義」とも呼ばれるようなアメリカナイゼーション(世界のマクドナルド化やハリウッド化etc)による世界の均質化が進む一方で、多元的な社会もまた形成されてきた。しかし他方で、それまでの伝統的とされる文化的秩序や安定したアイデンティティ、価値観、社会規範が変容を被っているとの危機感からナショナリスティックな感情が喚起され、移民排斥や異文化への不寛容が強まり、マイノリティに対するナショナルなものへの同調圧力も時に厳しさを増している。たとえばフランスにおいては、ムスリムに対する「スカーフ問題」や不法移民をめぐる「サンパピエ運動」などのように、それぞれが納得のいく理想的な解決法が見出せないままに、国民概念の再検討がなされていたりする。
 要するに、グローバル化がもたらす多様性の享受によって国家や国民への依存が低減する一方で、別の局面においては、既存の国民国家の体制や伝統的な国民文化への情緒的志向は肥大化している。こうしたアンビバレントな感情の振幅を前にして、国家をめぐるわれわれの思考には、戸惑いや苛立ちがまとわり付いている。

 本稿では、多元的世界における文化形態の変容について、国民や民族の存立システムの検討を進める中で考えていきたい。そしてこの取り組みの中で、多元的世界における寛容と不寛容を産み出す機制がどのようなものであるのかについて検討していく。

1.国民形成の基盤

 現在、世界を構成する国家形態は、「国民国家nation-state」と呼ばれるものである。いうまでもなく、この国家形態においては、「国民」が国家を構成する中心的な地位を占めており、「国民によってつくられる」ということが国家の成立要件とみなされている。だがもちろん、その前提としては、まず「国民」が存在していなければならない。
 しかし、この事態は実は少し厄介な論理構造を原理的に含んでおり、それが国民国家をめぐる問いを難しくしている。というのは、国民はその同一性の基盤として、特定の文化、言語、宗教、地理的条件、人種や民族などといった属性を共有していることを理念的に求められるが、ほとんどすべての国民形態は、以上に挙げたいずれの条件も完全に満たしていることはない。一例として言語を挙げれば、国民国家の誕生以前、複数の言語が同一の地域に混在して使用されていたり、ひとりの人間が複数の言語を扱ったりすることは特に珍しいことではなかった[1]。また、ラテン語や英語、フランス語、スペイン語のように国家の枠を超えて同一の言語が共有されてきたケースを探すことも容易である。もちろん、こうした状況は、宗教、民族など、そのほかの条件においても同様である。
 では、国民の同一性を決定する存在論的な与件を見出せないのだとすれば、国民はどのように産み出されているというのだろうか?
 歴史的プロセスを遡ってみれば、国民を成り立たせた有力な条件として、「国民を創出した」という歴史的出来事が持ち出されることが多い。もちろん、これはトートロジーである。つまり、国民の基盤や根拠が、国民を産み出したという出来事そのものに求められているというわけなのだから、論理的には転倒しているというわけだ。しかし事実として、フランス革命やナポレオン戦争、あるいは帝国主義列強の植民地支配に対して民族自決を唱えた反帝国主義運動、さらには社会主義革命による建国に至るまで、国民国家の創出に関わる歴史的事件や出来事の共有は、それ自体、国民の起源や根拠となってきた。国家創出における経験とその記憶の共有は、現実のなかで国民の同一性を実践的に産み出してきたといえよう[2]。ベンヤミンは歴史の中で経験される幸福や苦悩の出来事をめぐって、「回想は完成しなかったものを完成したものにし、完成したものを完成しなかったものに変える」と書き遺しているが[ベンヤミン、2003:208]、国民創出に関しても、その記憶を想起し続ける行為それ自体、国民の完成と未完の間を往復させながら、ねじれた円環をつくって国民を持続させていくことになるのだろう。
 したがって、国民国家の存立システムに関しては、「国家は国民によってつくられる」という客観性が国民の同一性の主観的な信憑の前提供給になっていると同時に、その国民の同一性が、国民が存続していくという客観的な信憑の前提を供給するというフィードバックのループを形づくっている。
 ナショナリズム論の先駆的な権威のひとりであるシートン-ワトソンは、「国民とは、共同体の相当数のメンバーが、自分たちは国民を形成していると考えるとき、あるいは、自分たちが国民を形成したかのように行動するとき、存在する」[Seton-Watson, 1977:5]というトートロジックな定義にならない定義を与えたのは、以上のような国民の自己言及的、自己原因的なシステムとして理解することができるだろう。

2.文化的同一性の形成プロセス

 さて、こうした国民国家の自己原因的な創出のあり方は、国民の「文化」が形成されるプロセスにおいても同様である。つまり、国民とは、自らの文化を創出する担い手であるが、その一方で、一定の秩序や傾向性を備えた担い手を創出することができるのは、そもそも国民の文化が先行して存在しているからであるという論理的整合性が、後付け的に与えられることになる。ただし、確認しておくべきことは、文化が国民に対して先行しているのか、あるいは逆に、国民が文化に先行しているのか、ということは問題の焦点ではなく、以上のようなメビウスの輪をなしているシステムそのものが、国民−文化を成り立たせているということである。
 当然のことながら、国民国家には、ある特定の文化がつねに存在していること――あるいは、すでに存在していたこと――が含意されることになる。「国民的」とみなされる「文化」をまったくもたない国民国家を想定することは困難だろう。もちろん、すでに触れているように、その国民文化がすべての成員に現実に共有され、同一性の根拠になっているのか否かは問うところではないにしても、国民文化は理念として想像される。そして、文化が再帰的に形成され、歴史的に持続していくプロセスの中でその自明性は高められていくことになる。
 したがって、国民国家の出現以降、国民の同一性の基軸になりうるものとして「文化」には過剰な価値が付与され、それぞれの文化は、他者や異民族との乗り越えられない障壁として現れることになるのも必然的な結果だった。そして文化間の違いこそが、国民やエスニシティ、マイノリティの相互の軋轢や不寛容を生み出す基盤になっている。
 ところで、諸文化が乗り越えられない障壁になって世界を分割するこのような状況は、帝国主義の時代において、先天的な決定要素とみなされてきた人種や民族概念に依拠する人種差別主義の支配の論理とは異なるということを示している。では、生物学的で本質主義的な人種区分にもとづかれる旧来の差別の論理と、現代社会の文化をめぐる「対立」や「不寛容」を生み出すあり方とはどのように異なるのか。
 次節では、その点に焦点を当てることにしたい。そしてさらには、その検討を踏まえることで、国民を形成するもうひとつの局面としての市民概念について触れることになるだろう。

3.人種の本質主義と構築主義

 帝国主義を正当化させる支配の論理から文化的差異にもとづかれる分離や隔離の論理への移行は、人種差別主義(racism)の形態の移り変わりと密接に関係している。確かにわれわれが一般的にイメージする伝統的な人種差別主義は、1960年代のアメリカの公民権運動やアフリカ諸国の植民地からの独立などを経て、さらには南アフリカのアパルトヘイト法の廃止(1993年)が象徴的に示したように、その時代の終焉がしばしば語られてきた。しかしながら、多くの論者が述べるように、国民国家群によって編成されている現代の世界においても人種差別主義は、新たな形態に変化させながら、その強度を増して広がっているということができる[Taguieff, 1990], [Balibar & Warllerstein, 1990=1995], [Hardt & Negri, 2000=2003]。
 近代における帝国主義の人種差別主義や、それに付随する人種隔離政策に支配的なパラダイムは、本質主義的な生物学的差異に集約されるものである。ハートとネグリのいうように、血や遺伝子こそが、皮膚の色の違いの背後で、操作不可能な人種的差異の真の実態をかたちづくっていたというわけだ[Hardt & Negri, ibid: 191=248]。つまりこの人種主義は、存在論的な差異にもとづいているため、それぞれの人種の個別性は、固定的で永続的なかたちをとり、決して乗り越えることのできない優劣を備えているということを暗黙のうちに意味する傾向をもつ。西洋の「文明」概念が掲げる普遍主義と、進化論的な理論的立場に立脚されることで、人種間の階層構造が決定され、植民地支配が正当化されることになる。
 一方、そうした理論的立場に異議を唱える反人種主義の言説は、自らの立場を生物学的な決定論に反論するものとして位置づけ、「人種」的差異は、社会的・文化的に構築されていることを主張することになる。この考えによれば、人種的差異には本質主義的な決定要素はアプリオリに存在せず、諸々の差異は、それぞれの社会的実践や文化的傾向性によって産出されているものとみなされる。したがって、人間は原理上すべて平等であり、本質的な優劣はないということが唱えられることにもなる。
 そして、諸民族が形成している文化には、それぞれ固有で独自の価値があり、優劣を下すことはできないとする相対主義とともに反帝国主義への流れが打ち出されていくわけである。20世紀の植民地解放と国民国家の樹立されていくプロセスでは、こうした文化相対主義が理論的支柱になったということは、よく知られているとおりだ。

4.人種の生物学主義から文化主義へ

 しかしながら、そうした反人種差別主義の立脚する社会構築主義の理論は、現代の国民国家体制の展開の中では、新たな人種差別や国民相互の軋轢や対立、憎悪の形態に流用されていくことも可能だった。結局のところ、旧来の人種主義理論と同様に、それぞれの文化や伝統は乗り越えられないものとして、捉えられていくのである。実際、この新しい人種差別主義(neoracism)では、国民や民族といった社会集団のそれぞれの差異が、生物学的な必然をもたず、血や遺伝子などの先天的要因によって分離することも不可能であることに了解している。諸々の差異(諸個人の能力や適性、価値観、行動)は、さまざまな歴史的プロセスが生み出した文化に対する人々の帰属がもたらした偶然の結果にしか過ぎない。たとえば、アメリカ合州国における能力適性検査などでは、アフリカ系生徒とアジア系生徒の間に大きな成績の差がみられる場合でも、それぞれの文化的な生活様式や価値体系の差異に規定された結果として理解されることになるだろう。諸個人の能力や適性の違いは、人種的差異に基づかれているわけではないので、人類は原理上、すべて平等、同等であるとみなされることとなるが、そこには乗り越えがたい文化間の亀裂が諸個人を分断していることになる。
 こうして人種差別主義から生物学は放逐されたものの、今度は「文化」こそが、血や遺伝子に入れ代わって、「人種なき人種差別主義」(バリバール)をつくり、異質なものの排除や隔離を促す効果を付与され始めたのである。
 たしかに、それぞれの文化は独自の掛け替えのない存在であり、互いの優劣はなく、価値や真理は相対的なものにすぎないことは、ここでも同意されている。帝国主義の「文明−野蛮」の二項図式に対抗するロジックを導いたのは、そうした相対主義的な思考だったのも周知のとおりである。しかしながら、それぞれの文化を尊重し合うことが、翻って文化間で異質なものの排除を肯定する言説にも転用されていくのである。
 たとえば、フランスでの移民排斥における現代的なレトリックは、つぎのようなものといえるだろう。

「我々があなたたちにフランスから出て行ってもらいたいと望んでいるのは、あなたの文化を蔑んでいるからではありません。あなた方の文化の独自性が、フランスの中で失われないよう尊重しているからなのです。そしてまた、我々にとってかけがえのないフランス文化もあなた方に尊重してもらいたいのです」。

 こうした多元的価値を認める文化主義の言説が見えにくくしている状況は、これが帝国主義に抗する反人種主義言説と論理を同じくしているため、排除や分離という実際的な効力をもつにも関わらず、それが人種差別主義としては受け取られにくいということである。異文化の尊重という表面的な寛容は、結果的にみれば排除と無理解という不寛容を正当化することに結びついている。

5.文化形成の偶然と必然

 ところでしかし、さらに重要なこととして理解すべきなのは、こうした新しい人種差別主義は、古い人種差別主義よりも強力に作動するということである。
 その理由は、文化が形成されるプロセスの偶然性にある。つまり、文化的差異が創出されるのは、生物学的な必然ではなく、原理的には偶然の結果であるということが、ここでのポイントである。したがって、文化の同一性に必然性があるとすれば、その文化に帰属する担い手の実践に帰せられることにもなる。これはどういうことかというと、文化を基盤におくこの人種差別の理論は、諸個人の差異が生物学的な決定論にもとづかないこと、血や遺伝子がもたらした必然的な結果ではないことをよく知っており、文化の同一性は原理的には偶発的なものであるとみなしている。しかし、それは同時に、文化の同一性は、その文化にもとづき行動することに同意した諸個人の能動的な実践によって創出されると考えられているため、諸個人の能力や適性などに文化的偏りがみられる場合、行為者の自己責任や自助努力にも訴求されうるということを示している。血や遺伝などの属性は諸個人に操作不可能なものだが、文化は必ずしも固定的なものではなく、歴史的・社会的諸力や、その担い手次第によって、可塑的に変容しうるものだという(能力主義的な)考えにわれわれは慣れ親しんでいる。そのため、文化実践を自発的に選択する自由な主体が想定されることになるのである(ここでの「主体」をより正確に述べれば、主体化以前の主体であり、デリダのいう「法−前の主体」である)。
 たしかに人間は文化によって規定されている存在かもしれないが、文化の同一性は、さまざまな社会的な歴史のプロセスの中での偶発的な効果とされているからこそ、文化にはそれを編み出す人間の能動的な実践や主体的意志による必然性が想定される余地をもたせることになる。2節で述べたように、文化と個人相互が再帰的に「作り−作られる」自己言及的循環のなかで、文化形態の偶然性と必然性は往復する。

6.文化の多元性と国民/市民の二重体

 さらにもう一点、付け加えておけば、それぞれの文化の同一性をめぐる差異が必然性を帯びることになるのは、文化が複数存在するということも重要な要件になっている。このことは、非常に単純で当たり前の事実であると思われるかもしれないが、新しい人種主義の駆動にとって大きな意味と効果を備えている。というのも、この多元的な文化の並存によって、任意の文化を諸個人に選択させるという契機を原理的に与えるからだ。つまり、もしそうでなければ――文化というものがたったひとつしか存在しないのだとすると――、諸個人はその文化の外部に逃れられず完全に包摂され、文化によって決定づけられていることになってしまう。これでは古い人種主義理論の本質主義的決定論と実質上、変わらないことになる。新しい人種主義には、原理的に「自律的な判断による自由な主体的行為」に基づく文化の創出と選択という側面が持ち込まれている。つまり、ある種のリベラリズムが(文化的な)コミュニタリアニズムの中に組み込まれているということだ[3]。もちろん、現実には、ほとんどの諸個人にとって、文化間を自由に行き来し、コートを気軽に着替えるようにして文化的価値観や生活様式を融通無碍に選択することは困難だとしても、それが必ずしも不可能ではないということは含意されている。たとえば、移民が受入国の文化へ同化圧力を加えられる場合には、文化に対する諸個人の主体的態度が可能であると前提されているからこそ、主流文化への同化が要求されるのだ。付言すれば、たとえある個人が文化の選択をおこなわないとしても、「選択をしないという選択」をした結果として、自由意志が遡及されることによって、彼/彼女は主体的な行為者として「法−前」に立たされているのである。
 したがって、新しい人種主義の体制では、文化間の差異は解消できず乗り越えられないものとして現われていると同時に、諸個人による文化変容の可能性と個人単位の文化の乗換え可能性を具えていることが措定されているために、対立や軋轢が生じる場合、個人の主体性や内面の中にまで不寛容が覆い被さり、文化間の差異化の競争のなかで一元的に包摂されて、人種主義が強力に駆動することになる。
 ところで、すでに触れてきたように文化を実践する担い手が、「文化に規定された社会的存在」であると同時に、「自律的な判断を下す自由な主体」であると想定されるということは、一見して不可思議なキメラである。しかし、この新しい人種主義とは、諸個人それ自体は存在論的に予め決定されておらず、原理上すべての人間は平等であり同等であるということだったので、見方を変えれば、ここには普遍的人権を備えた「市民」(自律的判断が可能な主体)がモデル化されていることに近似する。つまり、新しい人種主義は、存在論的には、ある種の普遍性を備えた人間観(人権や市民権)が確保されることによって外部から支えられ、その内部では複数の文化の多元性をプラグマティックに確保しているということになる。
 これは、佐藤俊樹が明晰に分析している国民国家のシステム、すなわち単一の「市民社会の秩序空間」と「個々の国民国家の秩序空間」とが、「多重的な秩序空間」を成り立たせ「国民/市民の二重体」を存立させているあり方――「複数の法とその外部にある単数の『法』からなる秩序空間」――とほぼ同じ構造を指している[佐藤、1999:14−5]。

むすびにかえて

 <はじめに>でふれたように、グローバル化のなかでの国民国家をめぐる思考は、この政体の存在を過小とみなすか――ネット社会の出現のように国家を横断可能として捉える――、ナショナリスティックに国家の役割やその情緒的喚起力を過大視するかの両極のあいだを振幅していた。
 しかし、人種差別主義の理論の移行を検討するなかで確認されたように、新たな人種差別主義が依拠する文化主義的な形態では、文化という集団的な同一性に関わる行為者には市民的な性格が備わっていることが明らかになった。つまり国民国家を形成する担い手は、国民文化によって規定されているとともに(ナショナリスティックな欲望を生み出す)、国民を創出する自由な主体性を備えた市民的な存在であるという国民/市民の二重体をなしていたのだった。つまり、国民や文化の存在それ自体が、国民国家のシステムの中で、国家を過大なものとみなしたり(国民=民族として)、乗り越え可能な過小な存在とみなしたり(市民の存在として)することのできる二面性をもっていたのである。
 「伝統の創造論」(ホブズボウム&レインジャー)や「想像の共同体論」(B・アンダーソン)に代表されるように、文化や国民の虚構性についての議論が一時期、耳目を集めて論じられてきた。しかしそこで不問にされていた問題は、国民や文化が近代の人為的な捏造物であり虚構であるのは確かだとしても、にも関わらず、依然としてその国民国家にわれわれがなぜ抵抗なく住み続けているのかということだった。あるいは、文化や国民の同一性が、虚構であるにも関わらず、なぜ人々はそこに強い情緒的絆を感じ、異文化や異民族に対する不寛容な行動にでてしまうのかということだったと思う。
 しかし、文化が虚構であっても、それが持続されていくことになったのは、そもそも自らが国民や文化を創出し、それを操作する主体的視点を内在させていたからなのだ。文化の虚構性を、われわれがなかば「公然の秘密」のように第三者的に捉えられる視点を、このシステムは原理的に用意していたのである。つまり、それは文化の内部にいながら、同時に外部にも存在するという、自律的に判断し、自由意志をもって文化実践に関わることの可能な「市民」的な位置である[4]
 国家がわれわれにとってつねに過小であり、かつ過大であるということは、こうした事態として理解することができる[5]


【注】

[1] たとえば、フランスでは大革命後の国民公会文部委員会でのグレゴワールによる報告(1793年)で知られるように、当時2300万人と推定されているフランス人口のうち、600万人はフランス語をまったく理解できず、さらに600万人は流暢に話せない状態だったといわれている[田中、1981:101-103]。こうした状態からフランス語使用の一元化を強力に押し進めていくのは、中央集権型の近代の教育制度によるものであり、その過程では他言語の抑圧と禁止をともなっていたことはいうまでもない。なお、国民形成はフーコーの論じる規律訓練型の権力作用とも密接に関係するが、産業化によって要請されるリテラシーの大衆化や出版市場の発達による国家語の成立に焦点を当てることで国民形成とナショナリズムを分析したものとして代表的なものは、[Gellner,1983],[Anderson,1983]がある。

[2] エルネスト・ルナンは、普仏戦争の敗戦による国民的失意のさなか、「国民とはなにか」(1882)という有名な講演をおこなう。このテクストは、フランスでの国籍法が検討される際にしばしば参照されてきたものであるが、この中でルナンは、次のように述べる。

「いま私は、「共に苦しみ」と申しました。そうです、共通の苦悩は歓喜以上に人々を結びつけます。国民的追憶に関しては、哀悼は勝利以上に価値あるものです。というのも、哀悼は義務を課し、共通の努力を命ずるのですから」

 その後に続けてルナンは、国民の存在とは「日々の人民投票」であるという比喩を用いて国民とは何かという問いに答えている。いうまでもなく彼がここで示そうとしたことは、国民が共有することになった悲劇や苦難の出来事を記憶しながらも、国民の所属意志を持ちつづけ生きていくことが、国民の同一性を築くことになるということである。

[3] 文化がその担い手によって実践され、変容され得るという側面に関する、寛容/不寛容がさまざまな形態で現われる一例を挙げておく。
 ヒンドゥー教の牛食タブーは、イギリス統治以前にはバラモン階級に限られた戒律として存在していたに過ぎなかった。しかし、牛の殺生をしないということでインド文化がイギリス文化に対する道徳的優越感を得ることができたために、このタブーが「伝統の創造」として、現在のように汎階級的に広がっていったといわれている[小谷、1993]。
 こうした観点からすれば、たとえ自らの信念と背くことを他者がおこないながら、それを咎めず容認しているとしても、この行為や態度は、いうまでもなく他者に対する寛容な態度を直ちに示すわけではないということになるだろう。ここで挙げたヒンドゥーのケースでは、むしろ不寛容に非常に近い性格を帯びていることが示される。

[4] システム論的な見地では、いまこうしてわれわれが国家について考えをめぐらしていること自体もまた、国民国家のシステムから派生されているものだといえる。国民国家を捉えようとすることが困難であるのは、対象認識自体がその批判的認識も含めて、対象を成り立たせる体制に組み込まれているということに起因している。

[5]  以上、本稿で検討されてきたように、国民国家群のシステムは、国民と市民の存在を相互補完的に同時に成り立たせているというわけだが、それは言い換えると、国民と市民のいずれもが、もう一方の形態を無効にすることは原理的にできないことを意味するだろう。つまり、市民的連帯をナショナリスティックな運動や民族問題を解決するための拠り所として立ち上げようとしても、国民の創設自体がすでに市民的な意志を先取りして準備されていたわけであるから、十分な対抗軸とはなりにくいのではないかという問いが生じる。少なくとも、そこで想定されることになる「市民」とは、これまでの市民概念とは異なるものである[佐藤、ibid:20]。たとえ今後、現在の国民国家が解消され、「世界市民」というものが編成されることがあるとしても、それは「世界国家の国民」であって、ある種の全体主義的な形態になっていると考えられる。国民国家の場合には、抑圧を加えられたマイノリティは、けっして最善の対応策ではないとしても、外国に亡命することが採りうる選択肢として最低限残されていた。この選択の可能性自体が、先に触れた文化形態のもつ必然性と同様に、国民国家を成立させる条件でもあるからである。一方、この世界市民の体制では、すべては全体に包摂されているため、そこから逃れる制度的な外部は存在しない。おそらく現在のグローバル化の進展の中で上昇する問題は、外部の消失によってひとびとが全体の中に包摂されるという、これまで経験されてこなかった未見の状況であり、そのなかで、いかなる共同性を構築することができるのかということであろう。グローバル化によって包摂される人間の存在にとって、国民や民族という集団的な同一性による相互の対立と不寛容を乗り越えていくことが、ますますアクチュアルな課題になっていくのだとすれば、文化や人種、民族などの「同一性」に基づく共同性のオルタナティヴとして、(語義矛盾のようにみえるが)「共同性なき共同体」や「同一性なき連帯」の可能性を探っていかねばならないように思われる。こうした課題に関する先駆的な研究としては、[Agamben,1993],[Nancy, 1999], [Hardt & Negri, 2000=2003]などが挙げられる。なお拙稿[2001]は、現代の管理社会と主体との新たな関係性のあり方を検討するなかで、これらの問題構成について別の角度からアプローチしている。

【文献】

Georgio Agamben, 1993, The Coming Community, Michael Hardt(trans), University of Minnesota Press.
Benedict Anderson, 1983/1991, Imagined Communities: Reflections on the Origin and Spread of Nationalism, Verso(=白石さや、白石隆訳、『想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』、NTT出版、1997年)。
Etienne Balibar & Immanuel Warllerstein, 1990, Race, Nation, Classe: Les Identites Ambigues, La Decouverte(=若森章孝[他]訳、『人種・国民・階級――揺らぐアイデンティティ』大村書店、1995年)。
Zygmunt Bauman, 1998, Globalization: The Human Consequences, Columbia University Press.
ヴァルター・ベンヤミン、『パサージュ論』第3巻、今村仁司・三島憲一[他]訳、岩波書店、2003年。
Alain Finkielkraut, 1987, La Defaite de la Pansee, Gallimard(=西谷修訳、『思考の敗北 あるいは文化のパラドックス』、河出書房新社、1988年)。
Ernest Gellner, 1983, Nations and Nationalism, Blackwell(=加藤節監訳、『民族とナショナリズム』、岩波書店、2000年)。
Michael Hardt & Antonio Negri, 2000, Empire, Harvard University Press(=水嶋一憲[他]訳、『<帝国>――グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』、以文社、2003年)。
小谷汪之、『ラーム神話と牝牛――ヒンドゥー復古主義とイスラム』、平凡社、1993年。
Jean-Luc Nancy, 1999, La communaute deseuvree, Christian Bourgois(=西谷修・安原伸一朗訳、『無為の共同体――哲学を問い直す分有の思考』、以文社、2001年)。
野村明宏、「<社会的なもの>と<個人的なもの>における非決定性の関係論――規律社会から管理社会への移行をめぐって」、『哲学研究』571号、2001年。
佐藤俊樹、「国民国家というシステム――『国民』と『市民』の二重体」、井上達夫・嶋津格・松浦好春[編]『法の臨界U 秩序像の転換』東京大学出版会、1999年。
Huge Seton-Watson, 1977, Nations and States: An Inquiry into the Origins of Nations and the Politics of Nationalism, Westview Press.
Pierre-Andre Taguieff, 1990, La Force du Prejudge, Gallimard.
田中克彦、『ことばと国家』、岩波新書、1981年。
エルネスト・ルナン、「国民とは何か」鵜飼哲訳、『国民とはなにか』、インスクリプト、1997年。
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