21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
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■第9回研究会レジュメ

《報告1》

 2004年6月26日(土)
於:京都大学文学部新館


宗教多元主義について
― 多元的多元主義を目指して ―

金 承哲(金城学院大学教授/キリスト教学)

T.宗教多元主義の現状

1)E・トレルチ、「諸世界宗教におけるキリスト教の位置」

「神の生命はわれわれ地上の人間の経験のなかでは「一つのもの」ではなく、「多くもの」なのです。そして、「多くのもの」のなかにひそむ「一つのもの」を予感すること、これが愛というものの本質なのであります。」

2)J・ヒックとP・ニッター、キリスト教と他宗教の関係=「一と多」の関係

「神中心的多元主義」(Theocentric Pluralism)
「実在中心的多元主義」(Reality-centered Pluralism)
「統一的多元主義」(unitive pluralism)
「偉大な世界宗教は、一つの神的実在に対して、互いに異なる歴史的・文化的環境の中で形成された異なる自覚を具体化したものである」(John Hick, God has Many Names)
「多が一になるように要請されている。しかし、その一は、多を呑み込むような一ではない。多は厳密に多として残るまま一となる。多に属しているそれぞれが他者に対して独特な寄与をし、したがって全体に独特な形で貢献する時「一」が生じるのである。これは、多が互いの中に、そしてより大いなる全体の中で等しくしみ込み一に集中することを目標とする過程である。」(Paul Knitter, No Other Name?)
「世界の諸宗教は、すべての人類において働いている普遍的啓示の具体的な、多様な、また独立した顕現である。」(ibid.)

3)問題提起:
  1. 「統一的多元主義」と他宗教の他者性の問題。
    キリスト教と他宗教を「一」と「多」の関係の中で位置づけようとする試みは、「一」への独善的占有を主張してきた今までのキリスト教の立場の延長ではないか。
  2. アジアのキリスト教者において、他宗教はキリスト教と並列的に位置づけられるものではなく、いわゆる「内なる他者」である。

U.「統一的多元主義」における「一」への執着

1)他宗教に対するキリスト教の態度:「排他主義」、「包括主義」「多元主義」と分類しているが、こうした三つの立場を貫く一つの共通点は、それらが「一」をめぐる考え方だという点である。こうした意味で「統一的多元主義」は、他者を排除することによって自分の同一性=正体性を確保しようとする試みの変容された形にすぎない。

  1. 排他主義:「一」を独占するあまり他宗教を排除する。
  2. 包括主義:「一」を独占しながらも他宗教をその「一」の範囲の中に入れる。
  3. 多元主義:すべての宗教現象を「一」へ至る多様な通路として把握する。

「教会の外には救いがない」 → 「キリスト以外には救いはいない」 → 「キリスト教以外には救いがない」

「教会中心主義」 → 「キリスト中心主義」 → 「キリスト教中心主義」

もし、ラーナーの「匿名のキリスト教」=「キリスト論的帝国主義」という批判が妥当であれば、「統一的多元主義」は「神論的帝国主義=存在論的帝国主義」と批判されるのか。(ex.「神学的エスペラント語」Leonard Swidler)

2)John Hick, The Rainbow of Faith. Critical Dialogue on Religious Pluralism. (『宗教がつくる虹』)

哲学者=フィルと神学者=ジョンの間の対話:宗教多元主義に対するポストモダニストからの批判

  1. 宗教多元主義は「ポスト啓蒙主義的合理主義の産物」なのか。「諸々の世界信仰は同一の究極のリアリティに対して異なる応答を示したもの」
  2. 宗教多元主義は「一つの世界」という「現代思想におけるグローバル志向の産物」(Hick)
  3. 宗教多元主義を一つの「政治的コスモロジー」に根ざしたイデオロギーとみる見解。つまり「西側諸国の文化帝国主義」ではないか、という批判。「宗教多元主義がグローバルな資本主義のイデオロギー」との「複合した共犯関係」を疑う立場。

Kenneth Surin:

(宗教多元主義は)真の「他者」を構成する根本的で歴史的な特殊性を、効果的に分解したり隠蔽したりすることに役立つ。非キリスト教徒である「他者」を排除したり征服したりすることを正当化するために、キリスト教的野蛮性がその「優越性」を仮定するような場合に、この独善的な「宗教多元主義」は穏やかに、しかし平然と「世界エキュメニズム」の名の下に、「他者」を――如何なる「他者」をも――飼いならし、同化するのである。

John Hick:

宗教が異なった問いを持つのは当然のことですね。しかしこれらの問いは、種的には異なっていても、類的には同じであると、私は言いたいのです。それらはすべての現在の深い欠乏と、そして根本的により良い未来の可能性とを前提としています。そして、それらはすべて、どうすれば、前者(現在の深い欠乏)から後者(根本的により良い未来)へと移り行くことができるかという問いに対する答えなのです。

(課題)「グローバリゼーション」という全世界的現象の中で宗教とは何か。

※ヒックやニッターの宗教多元主義が「一」に執着しているという批判は、ポスト多元主義のことを探し求めるためであり、多元主義以前のものに戻るために行われるものではない。

V.「多元的多元主義」(plural pluralism)への提案

1)「一」から「他者」へ

宗教多元主義の神学においても依然として残っている「一」への執着
脱構築主義神学(Mark C. Taylor)
「ロゴス中心主義」(logocentrsim)の克服と「他者」の復権
「他者への集中、他者の発見」としてのポストモダニズム(David Tracy)

Cf. E・サイード、『オリエンタリズム』; 彌永信美、『幻想の東洋:オリエンタリズムの系譜』

2) 自分の中の「他者」の発見やその「他者」との真剣な出会いとしての宗教

  1. 他者としての神
  2. 他者としての死
  3. 他者としての他人

「神を愛し、隣人を愛しなさい」というイエスの呼びかけは、結局、「他者」との真剣な出会いへの呼びかけであろう。

「目に見えない」絶対他者としての神と死を所有しようとする試み → 不可能性の自覚 → 「目に見える」現実的な他者としての他人を所有することによって自分の永世不滅を保障しようとする。(=「支配の心理学」 Mark C. Taylor)

こうした意味で、内なる他者として他宗教との出会いによって形成される「他宗教の神学」は、ただアジア的キリスト教神学の形成という枠組みを超えて、宗教の本質そのものに当たる宗教的行為であるのではないか。

「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。」(ヘブライ人への手紙13・2)

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