21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
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Newsletter No.1

2003/03/05

contents

ニューズレター発刊にあたって

研究会代表 芦名定道

 「多元的世界における寛容性についての研究」という研究課題のもとで始まった本研究会も、全体研究会を二回開催する中で、しだいに2003年度に向けての態勢が整いつつある。ニューズレターの第一号を発行する機会に、研究会の具体的な方向性について、概略的な説明を行うことによって、研究会の紹介に代えたい。

 本研究会は、現代世界を特徴づける多元性とグローバル化が、どのような問題を引き起こしつつあるかについて、「寛容性」という視点から、実地調査や文献調査に基づく実証的な研究を行うことを目指している。研究会のメンバーは、社会学研究分野とキリスト教思想研究分野から構成されているが、これまで行われた二回の全体研究会を通して、以下の三つの研究領域が浮かび上がってきた。今後、本研究会は、三つの研究領域のそれぞれに関して進められる個人的あるいは共同の研究を基盤に、これらの全体を統合する研究プロジェクトとして進められる。

 1.宗教的多元性と宗教的寛容(信教の自由)をめぐる研究(キリスト教思想研究):

 これには、西欧近代において成立した宗教的寛容論とそれに対応する社会システムとしての政教分離の形成過程を、歴史的思想史的に明確化する研究が含まれ、宗教的寛容論が教派的多元性を特徴とする近代市民社会においていかなる意味を持っていたのか、さらに宗教的寛容論が20世紀のエキュメニズムにおいていかに具体化されてきているか、といった問題が扱われる。こうした問題点を解明することによって、西欧近代に特有の「寛容性」理念の内実と問題性が明らかになることが期待される。また、この研究領域の研究を進めるために、キリスト教思想研究に関わるメンバーを中心に、研究会内部における共同研究が計画されている。

 2.現代社会の多様な局面における社会秩序の形成過程に関わる社会学的研究:

 多様な世界観や異なったシステムを内包する多元的世界は、人種、民族、性、宗教などをめぐり、様々な対立、抑圧、暴力が顕在化する危険を常にはらんでおり、これはこうした対立を超えていかなる寛容な社会秩序を形成するのかという問いを現代人に突きつけている。この場合に問題になるのは、すでにできあがった既存の寛容理念(例えば、西欧近代の寛容理念)をそこに当てはめることではなく、むしろ社会の多様な局面・フィールドにおいて、形成され再編成されつつある社会秩序を捉えることである。本研究会では、「寛容性」というキーワードのもとで、競合するシステムやそれに基づく実践が社会秩序を再編し生成してゆくプロセスを実証的に把握することを目指している。これによって、現代の多元性とグローバル化の文脈でいかなる「寛容性」が目指しうるのか、あるいはそもそも「寛容性」という問題設定のどこに限界があるのかについて、一定の解明がなされることが期待できる。

 3.キリスト教思想研究と社会学的研究とを媒介する研究:

 以上の二つの研究領域は、本研究のメンバー構成に即したものであるが、本研究会が一つの研究プロジェクトとして成立するには、こうした二つの研究領域の接点となり、両者を媒介する研究領域が設定されねばならない。本研究会では、アフリカや東アジアといった地域に関して、世界宗教としてのキリスト教が西欧近代の文化的な諸要素を伴いながら、いかに地域に浸透して行き、そこに軋轢を生みつつも、いかなるプロセスにおいて新たな宗教文化を再構築するかを、「寛容性」という観点から実証的に捉えることが試みられる。日韓における死者儀礼と宗教間対話についての研究、在日コリアンの宗教についての研究、アフリカにおけるキリスト教の浸透に伴う諸問題についての研究などは、先の二つの研究領域を有機的に結びつけ、本研究会を一つのプロジェクトとして成り立たせる上で重要な位置を占めている。

 以上の研究領域は、それぞれに関わるメンバーの個人的あるいは共同の研究として進められることになるが、その成果は隔月の全体研究会で報告され、またニューズレターで公表され、最終的には研究プロジェクトの報告書としてまとめられる。また、2003年度の秋には、「宗教間対話と平和思想の構築」(仮題)というテーマにおいて、本研究会主催の日韓シンポジウムが予定されている。


メンバー紹介 [このページの先頭に戻る]

芦名 定道 ASHINA Sadamichi (本研究科キリスト教学:助教授)

 19世紀以降のキリスト教思想についての思想史的研究、「宗教と科学の関係性」についての研究(17世紀のニュートン主義や進化論とキリスト教思想との関わり、エコロジーの神学など)が主要な研究テーマである。COE研究プロジェクトとの関わりでは、宗教的多元性や宗教間対話に関わる理論的研究(多元性の評価や対話の基盤をめぐる議論)と東アジア(日本、韓国、中国)のキリスト教思想についての実証的研究を進めつつある。


金 文吉 KIM Moongil (国際日本文化研究センター:客員教授)

 専攻は日本近代における日韓関係史。特に『近代日本キリスト教と朝鮮――海老名弾正の思想と行動』(1998年 明石書店)と『津田仙と朝鮮――朝鮮キリスト教受容と新農業政策』(2003年 世界思想社)において上記研究をおこなってきた。最近では、朝鮮キリスト教と仏教・儒教の関わりについても研究を進めている。古代から伝来されている朝鮮仏教の土台の上に儒教が受容されている過程と儒教の土台の上にキリスト教がどのように受容されてきたかに焦点を合わせ、朝鮮キリスト教の性格について考察している。朝鮮キリスト教の特性は根本主義(元来、宣教師の宣教方法)神学から福音主義思想を掲げているが、福音主義キリスト教が朝鮮社会においてどのように展開しているかが研究課題である。


飯田 剛史 IIDA Takahumi (富山大学経済学部:教授)

・在日コリアンの宗教と社会
・北米における日・韓移民の社会と文化
・社会学理論研究(デュルケーム社会学、自己組織性論)


小原 克博 KOHARA Katsuhiro (同志社大学神学部:助教授)

 近代化・世俗化の流れの中で、一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラーム)の寛容理解がどのように変容してきたかに関心を持っている。それぞれの宗教の中には世俗主義に対し「非寛容」であることを美徳とする人々も多数存在している。原理主義的宗教の復興現象は、西欧において形成されてきた「寛容」を、一様に近未来社会のルールとすることができない困難を示唆している。宗教多元社会の今後を占うという意味で、EUの宗教政策にも関心を寄せている。また、日本の論壇で繰り返されている、多神教世界が「寛容」であるという主張に対しては、批判的な検証が必要であると考えている。
 専門は、キリスト教思想、比較宗教倫理学。 現代社会が直面する先端的課題に対し、フェミニズム、生命倫理、エコロジーなど多様な学問領域を切り口にしながら応答を試みている。


今井 尚生 IMAI Naoki (西南学院大学文学部:助教授)

 「寛容」という概念に集約される思想が、思想史的に見てどのような文脈の中で成立してきたのか、どのような構造を有しているものなのかを具体的事例に即して明らかにする。そして、今日における問題状況の中で、「寛容」の思想がどれだけの射程を有しうるのか、またこの思想が実際社会において有効性を発揮するための条件は何かを解明していきたい。


寺岡 伸悟 TERAOKA Shingo (甲南女子大学人間科学部:助教授)

専攻:エスニシティ論、地域社会学。
 民族をその文化内容から本質主義的に捉えていくのではなく、あくまでも現代的社会現象として表象次元に留意しつつ捉えていく視角でエスニシティ論を専攻してきた。その一方で、中山間地域の地域社会学の研究にも取り組んでいるが、ここでも生起する現象の表象次元に着目しつつ、そこに生きることの意味を考えるというアプローチによって研究を進めている。また、以上のようなフィールドの異なるふたつの研究領域において、共通の切り口を私に教えてくれたものとしてシカゴ社会学への学史的関心も継続してもっている。


佐藤 哲彦 SATO Akihiko (熊本大学文学部:助教授)

専攻:犯罪社会学・医療社会学・薬物政策史研究。
研究テーマ:ドラッグ使用をめぐる寛容性の社会的組織化。
 現代社会において最も禁忌される行為の一つである「ドラッグ使用」をめぐって、それがどのような状況下において寛容性の対象となりうるのか、そこで達成される寛容性はどのように組織されるのかを、具体的で量的に有限な当の政策、その決定過程、その政策に関する議論の過程、などを事例として分析することで明らかにし、これによって寛容性という現象が社会的に組織される様相を明らかにする。


野中 亮 NONAKA Ryo (大阪樟蔭女子大学人間科学部:専任講師)

専攻:宗教社会学、理論社会学。
 理論研究と平行して、「オウム真理教と地域社会」をテーマとした実証研究をおこなっている。事件の重大性からすれば、オウム問題についての社会学的研究 は意外なほど層が薄く、しかもそのほとんどが宗教論、ユース/サブカルチャー論、逸脱論などの文脈での研究である。当研究会では、地域社会論の観点から、寛容性/非寛容性というキーワードに沿ってこの問題を考察する。


野村 明宏 NOMURA Akihiro (本研究科社会学専攻:研究会補佐員)

 グローバリゼーションや情報化の進展において変容するポストモダニティについて、文化研究やメディア研究の視座から検討をおこなうのが現在の主要な研究テーマである。本研究会では、近代主義的な主体概念に対する批判的検討を通じて、諸個人に内在する「多元性」や「触発性」に基づく日常的実践が、重層的にネットワーク化された現代社会による流動的な調整と管理との関係において、いかなる社会的意味と効果を備えているのかについて考えていきたい。なお、ケーススタディとしてボランティア活動などの公私の交錯や主客の転倒する場における暫定的な倫理や寛容性についての実証的研究も行なう予定である。


阿部 利洋 ABE Toshihiro(本研究科社会学:研修員)

専攻: アフリカ地域研究
 紛争・葛藤の現実に対して、規範という観点をつうじて、宗教と社会の関わりを考察する 。


松浦 雄介 MATSUURA Yusuke (本研究科社会学専攻:研修員)

専攻:理論社会学、文化社会学。とくに記憶の社会学的研究。自己やアイデンティティを規定するものとしての記憶が、現代社会の中でどのように変容しつつあるのかを、一方で文学、ライフ・ヒストリー、精神分析などのミクロな日常生活の領域で、他方でグローバル化やナショナリズム、多文化主義などのマクロな現代世界の領域で研究し、これら二つの領域を接合する理論的パースペクティヴについて考察する。


坂部 晶子 SAKABE Shoko (本研究科社会学専攻D3)

専攻:文化社会学、植民地社会論。
 理論的には相互作用過程における主体形成過程に関心をもつ。具体的フィールドとしては、「満洲国」期における植民者、被植民者の植民地経験の諸相について、当時についての記憶、植民地期以降の語り等をとおして、植民地の生活世界の再現していく作業を試みている。この作業から、植民地構造下における植民者、被植民者それぞれの主体形成についての分析をめざしている。


水野 英莉 MIZUNO Eri (本研究科社会学専攻:D3)

研究テーマ:ホスト・ゲスト関係でみる地域文化の寛容性―― 観光とスポーツの観光人類学的考察。
 世界資本主義化の進展において変容するコミュニティおよび地域文化について、観光人類学的視点から検討するのが主要な研究テーマである。本研究会では、血縁や地縁でつながった人々からなる旧来型のコミュニティではなく、観光やスポーツを媒介として集まるさまざまな人々からなるコミュニティがどのように形成され、人々の相互依存、回避・排除、または受容という関係性がどのように展開しているのかを実証的に研究する。事例として、サーフィン文化の中心地であるアメリカ西海岸のコミュニティへの調査を継続中である。



近藤 剛 KONDO Go (本研究科キリスト教学専攻:D2)

 専門領域は組織神学・宗教哲学で、特に現代プロテスタント神学を代表するパウル・ティリッヒの神学思想を研究している。そうした理論的研究を踏まえて、宗教間対話にも実践的に取り組んでいる。本プロジェクトでは「宗教的寛容性」の成立と発展に関して、思想史的な観点から(近代ヨーロッパを中心に)考察を進めたい。詳細に関してはhttp://www.bun.kyoto-u.ac.jp/christ/kondou.htmlを参照されたい。


岩城 聰 IWAKI Akira(本研究科キリスト教学専攻:D1)

COE研究テーマ:在日コリアンにおける宗教間対話の状況
 修士過程入学時提出論文では、ティリッヒを中心に諸宗教の神学(宗教間対話)の可能性を論じたが、修士論文では前期〜中期ティリッヒの宗教社会主義論を取り上げた。現在は,ティリッヒに軸足を置きつつ、同時に19〜20世紀の英米神学とその社会思想に視野を広げている。
 冒頭のテーマを取り上げるのは次の理由からである。私自身の活動領域が次第に具体的な宣教や社会活動との接点を広げているため、現代における宣教のあり方、多元社会における共生、人権問題、児童虐待や教育問題など、取り組まなければならない課題が広がってきている。中でも、日本聖公会生野センターの活動にも関与していることから、在日コリアンの人権問題や日本人社会との共生という問題は、中心的な関心に上りつつある。今回の研究においては、在日コリアンの宗教的状況から調査研究を開始し、その中での宗教間対話、特にキリスト教と諸宗教の関係を探っていきたい。また、韓国との相違点はどこから生まれているのかも重大な関心事となっている。



活動状況 [このページの先頭に戻る]

 第一回研究会

日 時:2002年12月12日(木)
報告者:金 文吉(国際日本文化研究センター客員教授)
     芦名定道(京都大学大学院文学研究科キリスト教学助教授)
題 目:宗教的多元性と死者儀礼の問題――日本と韓国におけるキリスト教の比較より
内 容:T 死者儀礼をめぐる問題状況
     U 韓国における死者儀礼
     V 日韓キリスト教における死者儀礼の比較
     W キリスト教から見た日韓の宗教的寛容

【要旨】

T 死者儀礼をめぐる問題状況(芦名)

 この研究発表で扱う問題は次の二つである。

@近代のキリスト教思想の文脈で、「寛容」と言えば、まず、信教の自由(宗教的寛容)の問題が挙げられるが、宗教的多元性の状況下にある現代の日本社会において、この信教の自由はいかなる仕方で存在しているのであろうか。たとえば、葬儀や墓という問題との連関において、状況はどのように見えるであろうか。

A日韓における宗教状況の類似性(伝統的な宗教文化と伝来したキリスト教の福音主義的という特徴とにおける類似性)にも関わらず、現在の日韓のキリスト教には大きな相違が見られる(人口に対するキリスト教徒の比率はもちろん)。この相違は、死者儀礼などにおいて、どのように確認できるであろうか。

 日本のキリスト教については、これらの問題に関して、次の点が指摘できる。

 @について。信教の自由は基本的人権として認められているものの、個人の信仰に基づく選択が葬儀や墓には必ずしも反映されていない。しばしば、死んだ個人の信仰よりも、「家の宗教」が優先される状況がある。これは、1970年代の教会墓地の必要性の意識の高まりにも反映している。

 Aについて。日本のキリスト教においては、教派間の相違はあるものの、記念会や供養は、一般にかなり簡略化される傾向にある。いわゆる死者儀礼は、たとえば永眠者記念礼拝という形で行われ、家単位の記念会はそれほど一般化していない。

U 韓国における死者儀礼 (金)

 韓国では、新羅時代から高麗時代にかけて、仏教と儒教の祭儀が混合して行なわれていたが、朝鮮前期には、儒教儀礼だけが行なわれるようになった。しかし、近代に入ってから、仏教が盛んになり、さらにキリスト教の受容や新興宗教の発生によって、儀礼には多様な変更が加えられた。儒教のもとで行なわれた韓国の正統な葬儀が、キリスト教において、どのように受容されたかについて、考えてみたい。

 1 死亡と入棺

 葬儀式には、死亡日から数えて、3日葬、5日葬、7日葬、9日葬、11日葬、13日葬、15日葬、17日葬があるが、普通は3日葬で葬礼が行われる。葬礼では、死者の長男、長女あるいは妻が喪主になる。喪主は葬礼の主人であり、多くの場合儒教式の葬礼が行なわれるが、死者が仏教信者やキリスト教信者である場合、それぞれの宗教の形式で葬儀が行なわれる。また死者がキリスト教や仏教などの信者でない場合も、喪主の意思により、たとえば、喪主が仏教徒であれば、寺の住職を招き、あるいはキリスト教徒であれば、教会の牧師を招いて、葬礼を行なうことがある。喪主が入棺式を他の宗教の儀礼で行うように決めた場合、全家族はそれに従うのが通例であり、家族の中にキリスト教徒(喪主でない)がいる場合でも、その人はたとえば儒教式の儀式に参加しなければならない。

 死亡時から24時間以降に、入棺式を行う。儒教式の入棺は、死者の体を糸紐で結んで棺に入れる。キリスト教、仏教、カトリックの場合は、糸紐で結ばず、そのまま棺に入れる。カトリック式の入棺の場合(キリスト教も同じであるが)、全家族は入棺式に参加し、死者のために讃美歌を歌い、喪主が棺に入れられた死者の体に聖水をかけてふたをする。入棺後、キリスト教とカトリックの信者は、聖書を置いて、時間ごとに讃美する。

 2 位牌

 位牌とは、死者が誰であるか喪問客に知らせるために書かれる死者の人籍であるが、 キリスト教葬儀の場合は、死者の肖像画を掲げるのが原則である。しかし、核家族化の進行に伴って、正統的な風習を保持するのが困難になり、一般にも死者の肖像画を使用することが多くなった。

 3 墓地

 朝鮮では、例外はあるが、朝鮮では古代よりほとんどが土葬であり、宗教の相違を超えて受け入れられている。現在、政府は火葬を奨励しているが、国民の間では賛否が分かれている。火葬に対する反対は、父母を尊敬とは死後墓を大事にすることであるとの儒教教理に基づいている。

 4 供養

 死者が墓地に葬られた後の儀式は宗教によって異なるが、儒教式が一番複雑である。しかし、死者がキリスト教徒あるいはカトリック信者であれば、三年の儀式を省略し、一年で脱床(=葬儀の儀式の完全な終了)する。また、死者の子孫の中にキリスト教徒がいる場合、正統儒教式とキリスト教式を融合させ、簡単に供養を行う家が多い。こうした中で、韓国の正統儀礼は少なくなりつつある。

 5 おわりに

 火葬論争にも関連しているが、宗教的多元性の下にある韓国社会では、キリスト教(カトリックを含めて)の儀礼が正統儒教の中に融合し、キリスト教の儀式として発展してきている。これは、キリスト教儀式の発展と社会の変化とが相関していることを示している。

V 日韓キリスト教における死者儀礼の比較 (芦名)

 Uの議論を受け、日韓キリスト教の比較を行いたい(本格的研究のための予備的考察)。

 日韓キリスト教における伝統的な宗教文化への対応の仕方にはきわだった相違が見られる。日本では、伝統的な宗教文化への否定的関わりが強い。葬儀や記念会の形態は日本的というよりもむしろ西欧的であり、しかも簡素化の傾向が見られる。この姿勢は、年中行事や七五三などの伝統的儀礼への対応にも見られ、日本キリスト教では、日本的民族性全般に対して、意識的に距離がとられている。これに対して、韓国では、伝統的な宗教文化(儒教的伝統)をキリスト教へ統合する傾向が顕著であり、民族的伝統とキリスト教的伝統との相互影響が見られる(民族的なキリスト教)。

以上からの次の二つの問題が浮かび上がってくる。@この相違は、日韓における現在キリスト教の受容度の相違と関係しているであろうか。民族的な要素との結合度の相違は、文化内在化の度合いの相違と言えるか。Aこうした相違は、いかなる歴史的プロセスで形成されたのか。また、これは、伝統的な宗教文化に対するキリスト教側の寛容度の相違と、あるいは逆に、伝統的な宗教文化のキリスト教(あるいは宗教的マイノリティ)に対する寛容度の相違と、相関関係が確認できるだろうか。

 こうした問題を考える上でのポイントの一つは、日韓における儒教伝統の相違である。日本における儒教は、政治哲学・道徳としての儒教であり、韓国の場合のような、宗教としての儒教という理解は希薄である。

W キリスト教から見た日韓の宗教的寛容 (芦名)

 マイノリティーとしてのキリスト教に対して、明治以降の日本社会は決して寛容ではなかった。第二次世界大戦後も、クリスマスやバレンタインデーなどキリスト教的習俗は広く受け入れられているかに見えるが、宗教儀礼の中心である葬儀や墓の問題になると、決して寛容とは言えない実態がある。近年、死や葬儀に関する日本人の意識も変化しつつあると言われるが、今問われているのは、この意識の変化は宗教的寛容にとっていかなる意味を持つのか、日本社会は、この死や葬儀についての意識の変化といかに向き合おうとしているのか、それに対して、キリスト教はいかに関与してゆくのか、という点であろう。

◇展望(芦名)

 今後の研究の展望として、次の点が確認された。  

1 日韓比較を、文献資料のレベルだけでなく、実地調査に基づいて行うこと。とくに、日韓キリスト教における死者儀礼の比較は、詳細な聞き取り調査が必要である。

 2 日韓キリスト教を一つの歴史的連関において統一的に捉え、厳密な歴史研究から、思想形成の分析へと研究を展開すること。



第二回研究会

日 時:2003年1月30日(木)
報告者:佐藤哲彦(熊本大学文学部助教授)akis@gpo.kumamoto-u.ac.jp
題 目:ドラッグ使用をめぐる寛容性の社会的組織化:序説

【要旨】

 今回の発表では、「ドラッグ使用をめぐる寛容性」について、特に「ドラッグ政策における寛容性」という観点から既存の研究を整理し、その記述の範囲内で考えられる寛容性の条件について考察した。今回の発表は「ドラッグ使用をめぐる寛容性の社会的組織化」というテーマ設定による研究全体の前半部をなすものである。

 「寛容なドラッグ政策」という観点から考えられる第一の政策は、「ドラッグの合法化政策」である。この場合「合法化」とは、ドラッグ使用を合法化している政策、あるいはドラッグ使用の非犯罪化を法制化している政策と考えることができる。ここではオランダのカンナビス非犯罪化の法制化政策を例に取り上げた。そこでまずはじめに、オランダを中心的に叙述しながら、19世紀以降のドラッグ貿易とドラッグ統制の国際的な流れ、さらには欧州におけるドラッグの伝統的な医療的使用法などについて言及したのち、特に1960年代から70年代にかけてのオランダの政策変化について概観した。それによれば、アメリカ合衆国を中心として作り上げられた国際的なドラッグ統制秩序の中にあって、オランダにおいては歴史的にドラッグ関連政策を担ってきた司法省、厚生省、さらには新しく設置された文化省(以上、省名は略記)の三省が、ドラッグ使用者の増加と状況に対処するために、それぞれ独自のドラッグ政策を、さまざまな形で議論したこと、さらにそれらが省庁間の協議における妥協に結びつき、今日のオランダの政策の骨格が策定されたことなどが明らかにされた。

 次に「寛容なドラッグ政策」として考えられるものとして、「ドラッグの非犯罪化政策」を取り上げた。この場合「非犯罪化」とは、「合法化」と実質的にはそれほど代わりはないが、法制化ではなく、政策レベルでドラッグの分類を位置づけなおすことによって、所持や使用を犯罪とはしない政策のことである。ここでは2001年秋に行われた連合王国のカンナビス非犯罪化政策への転換を例に、それを簡単に概観した。それによれば、連合王国の場合、カンナビスの使用者の増加に伴い、各地の警察署などが財政的な側面からこれを実質的に非犯罪化しつつあったこと、さらには、マスメディアを中心としてドラッグの合法化をめぐって、さまざまな議論が行われていたことなどが明らかにされた。

 さらに「寛容なドラッグ政策」として考えられる政策として、「ドラッグ裁判」を取り上げた。「ドラッグ裁判」とはアメリカ合衆国において近年発達しつつある、ドラッグ犯罪者に特化した裁判であり、禁錮などの代わりにリハビリテーションへの強制参加などによって継続的非使用を求める裁判である。ここではその裁判システムについての議論を簡単に述べ、そこでは通常の刑事裁判との比較においてコスト・ベネフィットが優れていることなどがその正当化の根拠として利用されていることが明らかにされた。

 最後に「不寛容なドラッグ政策」として考えられる政策として、「ドラッグの犯罪化」を取り上げた。ここではアメリカ合衆国において、ドラッグ統制の成立が移民の統制という側面を持つということを取り上げ、さらに日本の覚せい剤取締法もまた、在日外国人の統制という側面を持つということを取り上げた。

 以上のことから、「ドラッグ政策における寛容性」の条件として、政策決定過程において、ドラッグに関して多種多様な議論が可能であったという状況が示唆された。この場合多種多様な議論とは、状況の定義をめぐって、どのようなフレームを設定するか、ということにかかわっている。つまり、それぞれの協議の場において繰り出される論拠、それは多くの場合、科学的知識の形や統計的データの形、あるいは情緒的物語の形をとることもあるが、そういった論拠は、それらをリソースとして、協議において自らの定義する状況を正当化するために用いられる。それらのリソースを基に正当化を主張されるのは、それぞれの状況の定義であり、それがさまざまなドラッグの意味を見えるようにするのである。

 「寛容な政策」決定の過程においては、そこで持ち出されるこのようなリソースが、多種多様であることに特徴がある。例えば、オランダの政策決定過程は、ポリシーの一貫性といった観点からすれば「ご都合主義」としてネガティブに評されるような状況であったものの、「寛容な政策」の成立という観点からすればむしろ、そのような状況の定義の混在あるいは競合こそが、「寛容な政策」決定に対して貢献するポジティブな状況にあったと考えられるのである。

 しかしながら、ではどのようにして、そのような多種多様なリソースの使用可能性、選択可能性が保証されたのか。一方、「不寛容なドラッグ政策」決定過程においては、なぜそれが保証されなかったのか。それはドラッグをめぐる議論を、極めて具体的に、ディスコース分析などを用いて分析することで今後引き続き明らかにしていくことになるだろう。




次回研究会の予定 

 第三回研究会

日 時:2003年4月26日(土)1時30分〜
場 所:京都大学文学部新館5階社会学共同研究室
報告者:飯田剛史(富山大学経済学部教授)
題 目:在日コリアン文化の公共化――宗教領域を中心に(仮題)



編集後記

 メンバーの紹介欄をご覧いただいてもお分かりのとおり、本研究会は宗教学と社会学が共同で研究プロジェクトに取り組んでいます。もちろん、こうした学際的な研究活動はいまや目新しい試みというわけではありませんが、その一方で、わたしの専攻する社会学分野のように、既存のひとつのディシプリンが、多岐にわたるテーマや方法論を展開しながら細分化をすすめている状況も目にしています。本研究会での学際的取り組みは、多様化や細分化の向こう側で、これまでと異なる領域と横断的に繋がる場を開き、双方の思いがけないかたちでの稔り豊かな新しい成果を生み出す契機を備えているのかもしれません。このNewsletterの刊行を通じて、そうした創造の現場をお伝えできればと考えています。[N]

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