21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
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Newsletter No.14

2005/8/8

contents


■活動状況

 第15回研究会

日 時:2005年10月1日(土)

《報告1》

「宗教的多元性」の観点から見た現代韓国ウェルビーイング・ブームの分析

佐々 充昭

【要旨】

はじめに

 韓国統計庁の調査によると、二〇〇三年度における韓国の宗教人口は五三・九%(非宗教人口は四六・一%)に達する。その内訳は、仏教二五・四%、キリスト教プロテスタント一九・八%、カトリック七・四%、儒教〇・四%、円仏教〇・二%、その他〇・七%である。このように韓国では、特定の宗教を信じている人々が全国民の過半数を超え、かつ、様々な宗教が単一社会の中で混在する「多宗教の混淆的共存状況」にある。しかし、その内実を見てみると、韓国宗教界は主に、キリスト教陣営(プロテスタント・カトリック)と非キリスト教陣営(仏教・新宗教など)によって両分されており、決して諸宗教が寛容の精神によって平和的に共存しているわけではない。本報告では、近年韓国で大流行しているウェルビーイング・ブームをめぐる韓国宗教界の動向について分析しながら、グローバル化によって現出される世俗的公共圏の中で宗教的多元性はどのように保持されるかという問題について論じてみたい。



一、現代韓国社会におけるウェルビーイング・ブーム

(一) 欧米におけるウェルビーイング(Well-being)とロハス(LOHAS)消費者層
近年、アメリカをはじめとする欧米社会では、‘Well-being’や‘Wellness’に対する関心が高まっている。これと関連して、アメリカでは、新しいライフスタイルを追求する消費者層としてロハス(LOHAS:Lifestyle of Health And Sustainability)なる概念が提唱されている。この用語は、アメリカの社会学者ポール・レイと心理学者のシェリー・アンダーソンらの研究をもとに、Natural Marketing Instituteなどの研究機関がマーケティングの観点から命名したものである。ロハスとは、「健康や環境、社会正義、自己実現やサステナブル(持続可能)な暮らしを重視する消費者」のことであり、それには次の五つのマーケットがあるとされる。@持続可能なエネルギー(Sustainable Economy:省エネ商品、代替エネルギー、グリーン都市計画等)、A健康な生活(Health Living:オーガニック、自然食品、サプリメント等)、B代替療法(Alternative Healthcare:自然治療、はり治療等)、C自己発展(Personal Development:ヨガ、フィットネス、能力開発等)、Dエコロジカルなライフスタイル(Ecological Lifestyles:環境配慮住宅、リフォーム、家庭用品等)である。ロハス層はすでに、アメリカで六八〇〇万人(全成人人口の約一/三)、ヨーロッパで八〇〇〇万人以上に達すると言われ、その市場も二〇〇〇年には二三〇〇億ドル規模に達し、その額は毎年増加傾向にあるとされる。

(二)現代韓国におけるウェルビーイング・ブームの展開
 韓国でも今、ウェルビーイングが大流行している。韓国の街では、「ウェルビーイング・フード」「ウェルビーイング化粧品」「ウェルビーイング洗濯機」「ウェルビーイング住宅」「ウェルビーイング旅行」等の単語が氾濫し、今や健康・美容・建築・食飲料・家電産業・レジャー文化等、韓国のあらゆる産業界全般にウェルビーイングが浸透している。しかし、このように韓国社会全体を席捲しているウェルビーイングも、もともとは欧米の文化トレンドとして入ってきたものである。韓国では、二〇〇一年頃から外国ライセンス系の女性雑誌がアメリカで流行する新しいライフスタイルとしてウェルビーイングの紹介を行い始めた。これが契機となって健康・美容界を中心にウェルビーイングなる用語が広まり始め、二〇〇三年後半期には韓国社会全般に定着するようになった。その背景には、飽食ぎみの食生活による肥満や成人病の増加、週休二日制や核家族化に伴うライフスタイルの根本的変化、狂牛病・鳥インフルエンザなどのグローバル疾患に対する予防など、韓国が先進国並の社会問題を抱えるようになった事実が存在する。こうして韓国においても、現代社会の諸問題を克服する新しい精神的価値観やホリスティックな健康観が追求されるようになり、その文化コードとしてウェルビーイングが大きな脚光を浴びるようになったのである。

(三)韓国ウェルビーイング・ブームの特色
 韓国ウェルビーイングの内容は、「スローライフ、エコロジー、癒し(治癒)、インナービューティー」などをキーワードにしているように、アメリカのロハス層が提唱する新しいライフスタイルと完全に一致する。そのために、韓国のウェルビーイング・ブームは、欧米と同様の特徴を持っている。すなわち、それは、心と身体が調和したホリスティックな健康と地球環境を重視するエコロジカルな価値観を追求する一方で、個人の商品購買傾向を規定する一種の消費運動として展開されるという点である。アメリカのロハスは「エコ(エコロジー)」と「エゴ(エゴイズム)」を同時に内包するものであるが、この相反したアンビバレントな二面性は、韓国のウェルビーイング・ブームにも顕著に見られる。韓国のウェルビーイング消費者たちは、ヨガやフィットネスを楽しみながら高い有機農食品を好むというように、精神的な側面よりはむしろ物質的な豊かさを追求する傾向がある。韓国のウェルビーイングは、健康やエコロジーを重視する一方で、生活の高級化・差別化を志向する利己的で個人主義的な消費運動の側面を同時にもっているのである。



二、現代韓国ウェルビーイング・ブームと宗教的多元性

(一)韓国宗教界におけるウェルビーイングの受容
 ウェルビーイングは、今や韓国社会を席捲する一大流行トレンドとなっている。そのために、韓国宗教界もこの流行に敏感に反応し、それに便乗しようとする傾向が見られる。韓国の宗教界は、キリスト教陣営と非キリスト教陣営に大きく二分されるが、この両陣営とも世俗的な消費運動であるはずのウェルビーイング・ブームに肯定的な反応を示しているのである。まず、仏教界(既成仏教教団や仏教系新宗教)は、ウェルビーイングの中に「瞑想」「心の平和」などの要素が含まれることから、このブームに積極的に同調する態度を見せている。また、最近登場し始めている各種のニューエイジ系団体や気・ヨガ修練団体も、「物質文明から霊的文化の時代へ」というスローガンのもとにこの用語を積極的に利用する傾向が見られる(例えば、韓国の代表的なニューエイジ団体である精神世界院では、二〇〇四年一月から機関誌名を『月刊精神世界』から『月刊ウェルビーイング・ライフ』と改名した)。一方、キリスト教陣営も、ウェルビーイング・ブームに肯定的な反応を示している。例えば、チェインゴル『本当のウェルビーング−聖書的な全人健康の話−』(二〇〇四年)など、ウェルビーイングを冠した各種キリスト教書が数多く刊行されている。このように韓国宗教界は、みなウェルビーイング・ブームに肯定的な反応を見せるばかりではなく、むしろその流行トレンドに積極的に便乗しようとする姿勢を見せている。

(二)宗教的寛容とウェルビーイング・ブーム
 このような韓国宗教界におけるウェルビーイング・ブームの浸透は、一見すると韓国宗教界の融和と対話を促進しているように見える。例えば、教理上の差異から対立的な関係にあった仏教とキリスト教が、ウェルビーイングという新しいライフスタイルの提案に対して共通した反応を見せている。このように、これまで単なる多宗教の雑多な混淆的共存状態にすぎなかった韓国宗教界が、ウェルビーイングという共通の時代要請のもとで宗教多元主義を現出し、その共通の土台の上で宗教間対話や協力が行われているように見られる。
 しかし、これはあくまでも表面的な印象に過ぎない。韓国のウェルビーイング・ブームの中では、他宗教への理解と共存を目指す真の寛容精神にもとづいた宗教間対話は行われ得ないというのが実情である。仏教界がウェルビーイングに共感を示すのは、瞑想や自然との調和という仏教的な教理を現代的に宣伝するための戦略としてである。また、キリスト教の指導者たちが著したウェルビーイング本を見てみると、その内容は従来の福音主義的な保守主義神学の繰り返しであり、むしろ最新の流行語を取り入れることによって人々の関心を惹き、宣伝効果をあげようとしているだけのように思われる。それらは、ウェルビーイングという流行タームの単なる争奪戦であり、宗教的寛容性の創出とは全く無関係のものであると言えよう。
 韓国におけるウェルビーイング・ブームの隆盛は、アメリカを中心とするグローバル化の影響を受けたものである。このようなウェルビーイングの世界的な拡散は、グローバル化による公共圏の登場を促す。この公共圏の中に、多宗教の混淆的共存という韓国社会の特殊性が反映され、一種の宗教的多元性が状況的に現出されるように見える。しかし、それは、グローバル化によって創出された新たな公共空間の争奪を目指すものであり、多元主義的な寛容の精神にもとづくものではない。ウェルビーイング・ブームは基本的に経済的合理化・高度情報化によって進展する世俗的なグローバル空間の中で展開される消費トレンドであり、そのような世俗的な公共空間の争奪戦からは宗教的な寛容は生まれてこないのである。
                                                      

(さっさ みつあき・立命館大学文学部助教授/キリスト教学)

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《報告2》

街・うわさ・友達

ーリテラシーマシンとしての携帯ー

寺岡 伸悟

【要旨】

1.はじめに
 

 身のまわりに次々と新しいメディアが登場してくる。携帯電話は、子どもから高齢者までが所持する、文字通り国民のパーソナルメディアとなってきた。またそれは、携帯端末と呼ばれることからもわかるように、声による従来型の電話コミュニケーションメディアとしてだけでなく、メール機能や、web検索、ゲーム、さらにはGPSによる位置確認機能といったように、たしかにこれまで私たちが持ち得なかったようなメディア、身体拡張機能を持っているといえる。
 そしてこうしたモバイル・メディア(ここではMMと略記)が、社会や人間に決してよい影響を及ぼさないのではないか、という懸念もときに目にするところである。たとえば、その一つマサチューセッツ工科大学教授のタークルは、以下のような点を挙げている(Turkle2005)。
・かつて多様な人々との出会いとコミュニケーションの場であったカフェなどの公共空間が、MMの普及により個別の作業を行う空間となり、かつてのような役割を果たさなくなった。
・つねにMMによって誰かとつながっているという感覚は、利点でもある反面、青少年の成長期において必要なある種の孤独感、「一人経験」を持つ機会を奪ってしまい、人間形成においてマイナスの影響が懸念される。
・MMによるテキストメッセージは短文であり、かつて対面的コミュニケーションや長電話が果たしていたような、相手の反応や状況を慮りつつコミュニケーションを紡ぎだしていく機会を大幅に減らしている。こうしたことは人間性の涵養にとってマイナスであると考えられる。
 このように、タークルの指摘は、彼女自身はその言葉を用いていないとはいえ、MMという新しいメディアがもたらしたマイナス面を、多様な人間とコミュニケートできる人間の「幅」、相手の感情や状況を慮って自らの対応を変化させていける柔軟さ、さらに豊かな人間形成、といった、人間の「寛容性」を減損させる点にその懸念の根拠を求めているといえる。
たしかに私たちが日常見聞する事柄を参照するとき、これらの指摘は一定程度首肯したくなるものである。しかしそれは、言うまでもなく個人間で行われるパーソナル、プライベートなメディアであるMMの生態をたしかに踏まえた指摘なのか。こと人間性に及ぶテーマであるだけに、実証的で地道な検証活動が必要であろう。
ところで筆者たちは、かつてあるシステムを用いた実験を含む、MMコミュニケーションの生態を捉える調査を行いデータを得た(竹内亨ほか2002)。ここではそれらを用いてタークルらの懸念への検証を試論的に行いたい。

2.調査・実験方法

 調査の対象とした神戸市東灘区の岡本地区である。「大学街」として知られる。口コミ情報やその流れを捉えるために、携帯電話とサーバーを用いたシステム、P-net(竹内亨・大阪大学基礎工学部らが開発)を用いた。これは、ユーザーがあらかじめ友達を登録しておき、流れてきた情報を「友達に伝えたい」と思えば、携帯電話での操作によって、自動的にその友達に情報が送信され、それが記録される仕組みである。
上述の両駅を最寄り駅とする大学の同一学科の女子学生35人に協力を依頼した。彼女たちに、このシステムの説明を行ったうえ、実験協力者の中から友達を登録してもらった(最大5人まで)。彼女たちに、携帯電話のメールを使って岡本の街の話題を中心に自由に情報を流してもらうよう依頼した。以下では、約2週間にわたって行った実験を通して明らかになった事柄の一部を、順に紹介し考察していきたい。

3.MMのなかの「街」 

35人の学生の間を2週間に81のうわさが流れた。実際に流れたメールは以下のようなものである。

・『APRI』っていう美容院知ってる?岡本の郵便局のすぐ近くのビルの3階にあるみたいだよ☆友達がよく行くみたいなんだけど、10時までやってるから、学校帰りなんかにもオススメだよ!!気さくなスタッフばかりみたいだし…。あたしもまだ行ったことないんだけど今度行ってみよっかな(^O^)他にも岡本にはオススメ美容院がいっぱいあるみたいだよ☆
・ミルキーあるやん?あれを包んでる紙にペコちゃんが載ってるのは誰でも知ってるやんな?あれ大半は9個やねん。でも10個あるやつを見つけたら幸せになるねんて!!眉毛のあるコアラのマーチ見つけたら幸せになるって前あったやん?別にあれがホンマがどうかは別にして見つけた時ちょっとホクホクした気分になるよなぁ★

 タークルはMMメッセージの短文性に懸念を示したが、このようにMMは、パソコンメールとかわらない長文で情緒性もあるメッセージを運んでいることがわかる。

4.MMと対話性
 

 一つのメッセージはその反応を呼び起こし、話題は進展していく。以下、35人の女子大生の間を流れた『ワン切り』についての一連のうわさを事例にして、その過程をみてみよう。
 
・今、携帯での悪質電話が急増してるねんて!手口は、携帯にワンコしてきてそれで誰かなって思ってかけちゃうやん?そしたらかけただけで、携帯の通話料とは別に10万円ぐらい請求がくるねんて!だから、知らない番号からかかってきたら、ソッコーで履歴消した方がいいよ!(略)
・知らんとこからワンコあってかけたら10万の請求がくるやつ、あたいにかかってきました(>_<)うちは06で始まるのから朝の5時30分にかかってきててん!(略)
・10万請求されるっていう、迷惑デンワ。非通知でかけると大丈夫らしいよ!!だから、知らない番号から不在着信あったら、非通知でかけること!
・このP-NETでも話題になった10万円請求されてしまう事件あったよね?その特に気を付けよう!とゆう番号が分かったよ!以下の文は実際にメールで回ってきたものです。一部編集はしてあります。ドコモで働いてる友達からのお知らせです。(中略/具体的な番号が記載)

このように、MMによっても話題は一方的短絡的に終わるのではなく、変容進展していくのであり、MM以外の従来の口コミなどと差異は見出しにくい。

5.MMは「街」をどのように変えたか ―メンタルマップのなかの「街」―

 MMはリアルな場所感や学生の行動にどのような影響を与えるのか。一人一人の主観的な場所である「街」を可視化して捉えるために、メンタルマップの手法を用いた(中村ほか1993)。具体的には、メンバー全員に、口コミ開始前と終了後の計2回、予告なしに白紙を与え「岡本の地図を描いてください」と依頼してデータ収集した。
白紙にメンバーたちが描く範囲によって、彼女たち一人一人にとっての「岡本」の範囲が明らかになる。岡本の範囲の捉え方が、阪急岡本駅を基点に山手幹線より北側を岡本の街と捉える人々と、JR摂津本山駅を基点に、山手幹線より南側を岡本の街ととらえる人々の大きく2つのタイプに分かれることが明らかとなった。

@ 街認識の変化
2週間のMM経験を経て、35人のメンタルマップを比較すると、地図に描かれる場所(店など)の数が増加し、範囲も広がっていることがわかる。街の範囲は、阪急派はJR方面に、JR派は阪急方面に拡大している。MMは、参加者である大学生の街認識を拡大させているといえる。

A 街に「分け入る」
もう一つの変化は、実験後の地図は細い道や路地の描きこみが増えるという傾向である。これは、MMによって岡本の口コミ情報を得ることによって、いままで通り過ぎていた横道や建物に「分け入る」ように実際に行動したからだと考えられる。

このようにMMコミュニケーションは、利用者の現実世界での行動においても、一つの契機となり、彼女たちの新たな場所発見に貢献していることがわかる。

6.まとめ

 いわゆるMMが引き起こした社会的変化について、大別して二つの捉え方があるとされる。まず、90年代にはいってインターネットが日常生活に浸透し、様々な分野のグローバル化が推進されるなかで、情報伝達における空間的距離の影響が克服され、現在の時空間(感覚)が解体されるという考え方である。これは、携帯電話に代表されるモバイル・メディアの普及が、「世界中の情報環境の均質化」「場所性の喪失」をもたらしている点に注目する。タークルの懸念は主にこの側面に着目したものだろう。しかし一方で、ケータイ文化のもつ「スピーディ性」「モビリティ」「ヴァイタリティ」「パーソナリティ」に注目し、むしろそこから新たな「場所の創造」、「時空のパーソナル化」、「情報感性による場所の魅力化」が生じることに期待を寄せる論者もいる(藤本2003)。そして本事例は、こうした側面の存在をたしかに示唆する。
振り返れば、技術と社会をめぐる議論において、新しい技術が登場したとき、それはしばしば否定的に取り上げられ、その根拠はこうした人間性(寛容性はその重要な要素とみなされる)の減損に求められてきた。しかし新しい技術の普及は不可避であったし、人間社会はそれらとの共存関係を探ることを求められてきたのである。MMという新しいメディアとの関係づくりにおいても、より実証的に研究をすすめ、寛容性の議論が、MMへの一時的な拒否反応の道具として用いられないよう、我々は十分慎重であらねばならないように思われる。

(注)本研究は、大阪大学と甲南女子大学、神戸商船大学(現神戸大学)の7名のスタッフによる共同研究(通称岡本プロジェクト)の成果である。本論考は(竹内・鎌原・佐伯・寺岡・原田・下條・宮原 2002)に、未発表の分析を大幅に加えて寺岡が再構成したものである。
 [文献]
竹内亨・ 鎌原淳三・佐伯勇・寺岡伸悟・原田隆司・下條真司・宮原秀夫(2002)「携帯
  端末を用いた情報伝播モデルによる実験に基づいた情報伝達力の評価」第13回データ
  工学ワークショップ(DEWS2002),C2-11 pp.1-8.
中村豊ほか(1993)『メンタルマップ入門』古今書院
藤本憲一(2003)「『居場所機械(テリトリー・マシン)』としてのケータイと人類―アン
  チ・ユビキタス宣言!」現代風俗研究会編『現代風俗2003 テリトリー・マシン』所
  収、pp.6-15.
Turkle, Sherry (2005)「技術を本来の役割に(インタビュー)」(前編)『Mobile Society Review』vol.05-1、モバイル社会研究所、pp.6-17.

(てらおか しんご・奈良女子大学文学部助教授/社会学)

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■次回研究会の予定

◇第16回研究会

【日時】
  2005年12月3日(土)13:30−16:30

【場所】
  京都大学文学部新館5階社会学共同研究室

【報告1】
  報告者:徐 亦孟氏(関西学院大学大学院神学研究科博士課程)
  題 目:「中国におけるキリスト教」

【報告2】
  報告者:川田 牧人氏(中京大学社会学部教授)
  題 目:「フィリピン社会と宗教−−比喩形象と公共性−−」

国際セミナー

◇多文化社会における寛容性に関する日中若手ワークショップ

【日程】2005年11月4日(金)〜5日(土)

【会場】上海第二工業大学外国語学院

【コーディネーター】楊聡(上海第二工業大学外国語学院助教授)

【パネラー】松田素二(京都大学大学院文学研究科教授)ほか

【報告・コメンテーター】野村明宏(四国学院大学社会学部助教授)、

    鍋倉聰(滋賀大学経済学部講師)、坂部晶子(日本学術振興会特別研究員・京都大学)、

    ライカイ・ティボール(京都大学文学研究科博士課程)、古村学(大阪大学人間科学研究科博士後期課程)

    黄子育(京都大学文学研究科博士課程)

◇宗教の多元的状況と仏教

【日程】2005年11月24日(木)

【会場】釜山グランドホテル

【基調講演者】氣多雅子(京都大学大学院文学研究科教授)

【コーディネーター】芦名定道(京都大学大学院文学研究科教授)、金文吉(釜山外国語大学教授)

【コメンテーター】李道業(東国大学教授)、Alok Kumar Roy(釜山外国語大学教授)、

   姜東俊(東亜大学教授)



編集後記

 Newsletter No.14をお届けします。ご多忙中の折にも関わらず、第15回研究会への多数のご出席、および本紙へのご寄稿をいただきまして、ありがとうございます。

 今秋は、社会学から上海において若手ワークショップが開催され、キリスト教学より釜山において国際フォーラムが計画されています。詳細につきましては、webサイトでまた改めてご報告できることと思います。

また年末には、2005年度の活動を報告する第四回報告書の作成も控えております。今後とも引き続きメンバーの皆様からのご協力を賜りますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。

(水野 記)


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京都大学大学院文学研究科
「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」
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