21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
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Newsletter No.5

2004/01/30

contents

■活動状況

 第6回研究会

日 時:2003年12月20日(土)

《報告1》

寛容と不寛容
西ケニアにおけるキリスト教布教をめぐって

松 田 素 二(本研究科教授/社会学)

【要旨】

 問題の設定

 キリスト教やイスラム教といった「世界宗教」が、「世界宗教」たるゆえんは、ローカルな社会と接触しそこで暮らす人々を「教化」しつづけた結果であることは間違いない。こうしたローカルな社会には、当然のことながら、土着の宗教や信仰の体系が存在した。「世界宗教」は、これら土着の体系と競合・包摂し、ときには暴力的に破壊・征服することで、その土地に基盤を形成することになる。この過程を、20世紀初頭の西ケニアにおけるキリスト教布教を題材にして、文化社会学的に考察することが本報告の目的である。
 それを通して、キリスト教布教が、どのような文化的技法と政治経済的背景のもとで成し遂げられたかを明らかにするとともに、この外来の「世界宗教」に包摂された西ケニアの人々の文化的主体性がどのようにして現象するのかについて検討してみたい。

 西ケニアとキリスト教

 調査対象地域となった西ケニア・マラゴリ地方は、ケニアのなかでも、もっともキリスト教化が早期に進行した地域として知られる。
 現在南マラゴリ郡のビグル郷五ヶ村だけで、40近い教会が活動している。日曜の礼拝だけではなく、平日の午後、賛美歌を歌いながら信者の家々を巡回し、病気や失業、飢えや悩みを解決するために集団で祈祷をする光景は、村の日常となっている。人口5千人足らずの狭いビグル地域に、異常な数の教会が林立しているのには、歴史的な背景がある。
 圧倒的な武力の行使によって「イギリスによる平和」が確立した20世紀初頭の西ケニアは、モンバサ、ナイロビやカンパラで待機していた多くのキリスト教宣教団にとっては布教のための新天地であった。もっとも早く来訪したのは、クエーカー教団の宣教団で1902年には西ケニアに姿を見せた。クエーカーのフレンズ・アフリカ伝道団はその年に、マラゴリの東隣りのカイモシに伝道拠点を築いた。その後1905年には南マラゴリ地方の西に10キロほど離れたマセノに聖公会の教会伝道協会(CMS)の活動拠点が進出してきた。
 宣教師たちは、植民地政府による数十回にわたる出兵によって、白人支配の受容を強要された村々に入り込み、恐る恐る伝道を開始した。「もっとも未開で後進的だが、勤勉で気性が穏やかな」西ケニアの民は、彼らにとって理想の布教対象となり、短期間で多くの改宗者を生み出すことになった。

 植民地支配以前の信仰実践

 キリスト教侵入以前、西ケニアの人々は、祖霊(オムサンブヮ)を媒介として最高神の存在を信じ崇拝していた。家長の小屋のそばには、三つの石を置き真ん中にオルォヴォの木の枝を立てた簡単な祠が建てられていた。キリスト教が西ケニアに入ってきたとき、宣教師がまずおこなったのは、この祠を破壊することであった。一族の祝福と災厄を司る祖霊は、白人の神の邪魔者として抹殺されたのである。さらに聖書のマラゴリ語訳の過程で、偶像という言葉に、祖霊を意味するオムサンブヮという単語をむりやりあてた。そのため祖霊を崇拝することは、そのまま反キリスト教的意味を直截に帯びることになった。こうした大技(武力行使)小技(神学上の小細工)を駆使して、伝統的信仰世界を破壊して、新しい白い神の世界を植え付けたのである。

 フレンズ伝道団とマラゴリ社会

 西ケニアをめぐる伝道合戦のなかで、マラゴリに関して勝ち組となったのは、フレンズ派の伝道団であった。フレンズ派の伝道は、聖公会のやり方とは対照的であった。聖公会が、学校を建設して白人の価値観を内面化した現地人エリートを育てようとしたのに対して、フレンズ派は、建築職人や被服職人などの実業教育に尽力した。また水車を利用した水汲みや製粉作業を女たちに教え込んだ。導入したのも、フレンズ教会であった 。ピューリタンらしい厳しい教えとともに、こうした生活改善に直結した便利さを携えて彼らは布教を続けた。フレンズの宣教師たちの教えをうけたマラゴリの人々のなかには、白人世界の「優越性」を素直に認め、伝統的な慣習を「遅れたもの」として斥けるようになったものも出現した。
 フレンズの伝道団がもたらしたもう一つの重要な意識革命は、白人のために賃労働することを文明の名の下に推奨したことである。そのためにフレンズの影響が強い地域からは、20世紀の早い時期から賃労働出稼ぎが常態化するようになった。そのなかでも南マラゴリ地方はフレンズ教会の金城湯池であった。下の表は、西ケニア各地の主要フレンズ教会の活動状況を表わしたものだが、全体の改宗者および改宗予定者の実に6割以上が、南マラゴリのビヒガ集会に集中している。1925年、フレンズ伝道団は、いち早く聖書のマラゴリ語版を完成させ、多くのマラゴリ人青年を宣教助手にして、その聖書とともに西ケニア各地に派遣した。こうしてフレンズ派はマラゴリ人のキリスト教になったのである。

 受容のなかの主体性

 欧米からのキリスト教伝道団各派が、西ケニアの席巻したのは20世紀初頭だったが、南マラゴリ地方の場合、1930年代までには村々に教会が林立し、全域のキリスト教化が完了した。当初、白人宣教師だけが布教を担当していたが、徐々にアフリカ人宣教助手が一人前の牧師となり、教会下部組織のアフリカ人化が進んだ。だがこの時期、一方では、白人文化としてのキリスト教に反発して白人主導の教会組織から抜け出し、アフリカ人によるアフリカ人のためのキリスト教会を標榜する、小規模でインフォーマルな教会が雨後の竹の子のように多数誕生した。これらを総称してアフリカ独立教会と言う。
 フレンズ伝道団のように、プロテスタント諸派のなかでもとくに禁欲的な教会が支配的だったマラゴリ地方では、憑依と陶酔、激しい太鼓と踊り、派手な原色のコスチュームは御法度だった。それゆえに、逆にこれらの価値を過度に強調し伝統社会の慣習を積極的に取り入れ再創造することによって、キリスト教の換骨奪胎をはかる動きが活発になった。彼らは、母教会であるフレンズ教会から分裂し、マラゴリ人をメシアとする「聖霊教会」などの独立教会をうちたてていった。1930年代には、こうした独立教会は、旧約聖書を独自に解釈した神学のもとで多くのマラゴリ人信者を獲得し、イギリス植民地政府の潜在的脅威となった。

 キリスト教はたしかに普遍的基準と神学をもつ、「世界宗教」だが、その浸透と発展の過程で、ローカル文化と折衝し妥協しながら、多様な宗教実践の併存をつくりあげていったという点において、土着の文化にも開かれていったのである。


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《報告2》 

多元的世界と表象のポリティクス
文化の不寛容をめぐって

野 村 明 宏(本学文学部非常勤講師/社会学)

【要旨】

 問題の所在

ひところ盛んに口にされていた「国際化」という言葉に入れ替わるようにして、近年「グローバル化」という言葉を頻繁に耳にするようになっている。おそらく、国家や国民という単位を前提とした国際化という言葉は、現在の情報化の進展やその向かいつつある未来が醸し出す社会のイメージとは幾分そぐわなくなっているのかもしれない。
 たしかにヒト・モノ・カネ・情報の動きは、これまで国家によって明確に区切られてきた物理的、法制度的、経済的なさまざまな境界や障壁をやすやすと横断しネットワーク化されている状況を我々はよく眼にしている。だがその一方、グローバル化にともなう移民や難民問題が国家の内部や諸国家を横断するかたちで頻発していることが「国家の危機」としてナショナリスティックに語られ、国家像の再構築や再検討を促してもいる。国家と人々との間には、こうしたふたつの過剰――国家の過大視と過小視――が存在し、「適度な関係」というものが成り立ちにくい。
 グローバル化がもたらす多様性の享受によって、国家や国民の依存度が低減し、乗り越え可能なものとみなされる一方で、別の局面においては、既存の国民国家の体制や伝統的な国民文化への情緒的志向は肥大化し、ときに激しい民族紛争や対立を喚起している。こうしたアンビバレントな感情の振幅を前にして、国家をめぐるわれわれの思考には、戸惑いや苛立ちがまとわり付いている。

 本報告では、こうした「過剰」が国家の存立させる機制に原理的に備わっていることについて、理論的な考察をおこなう。そして、この作業を踏まえることにより、文化をめぐる現代の不寛容性がどのようなかたちをとりながら現出しているかについて考えていきたい。

 国民形成の基盤

 現在、世界の構成する国家形態は「国民国家」と呼ばれるものである。いうまでもなく、この国家形態においては、「国民」が国家を構成する中心的な地位を占めており、「国民によってつくられる」ということが国家の成立要件とみなされている。だがもちろん、その前提としては、まず「国民」が存在していなければならない。
 国民はその同一性の基盤として、特定の文化や言語、宗教、地理的条件、民族などの属性を共有していることが、理念的には求められているが、ほとんどのすべての国民はこのような条件を完全に満たしていることはない。それは歴史家のみならず、ナショナリストでさえも認めるところだろう。ただ、歴史家の言説とは異なり、ナショナリズムの場合には、「ナショナルなもの」をめぐって過去にとおく想いを馳せ、それが「失われたもの」と考えることによって、はじめて創造されるというような論理構造を備えている。あるいは、現在あるはずの「われわれ国民」が歴史のプロセスの中で「死産」してしまったとみなすことによって想像し、それを現在に回復させようと唱えることもある。つまり、「ふるさとは遠くにありて思うもの」であるのと同じく、「喪失した」と考えることによって、はじめて産み出されるのが、ナショナリズムであり、国民である。
 文化や言語のような条件があくまでも理念上のものであり、国民の同一性を決定する存在論的な与件は見出せないものだとすれば、国民は現実においてどのように形成されてきたというのだろうか。歴史的なプロセスを振り返れば、国民を成立させる有力な条件として、「国民国家を創出した」という歴史的出来事が持ち出されてきた。もちろん、これはトートロジックな転倒であるが、現実には有効なあり方だった。事実、フランス革命から、反帝国主義運動や社会主義革命による建国に至るまで、国民国家創出の経験とその記憶の共有こそが、国民の起源や根拠となり、国民の同一性を実践的に形づくってきたのである。
 こうした点から捉えるならば、国民国家は自己創出的、自己原因的なシステム論的循環のなかで存立していることとなる。つまり、「国家は国民によってつくられる」という客観性が国民の同一性の主観的な信憑の前提供給になっていると同時に、その国民の同一性が、国民が存続していくという客観的な信憑の前提を供給するというフィードバックのループを形づくっているのである。

 文化と新しい人種主義

 「国民的」とみなされる文化をまったく備えていない国民国家は存在しない。しかし、文化もまた国民形成と同じく、再帰的に形成され、歴史的に持続していくことによってその自明性が高められていく。ナショナルカルチャーは、「現在」に存在しているというよりはむしろ、過去にあったものであり、かつ未来において獲得するものとしてみなされながら、国民の同一性の基盤となりうるものとして過剰な意味を付与されることになる。それゆえ、国民国家の出現以降、それぞれの「文化」が、他者や異民族との乗り越えられない障壁として現われることともなる。
 こうした「文化」への過剰性は、国民やエスニシティの相互の軋轢や不寛容を生み出す基盤となっているが、それは新たな人種概念の形成とも密接に関わっている。
 一般にイメージされる人種差別主義は、帝国主義支配を正当化する西欧中心主義に対する異議申し立てを経て、最終的にアパルトヘイト法の廃止(1993年)が象徴しているように、その時代の終焉がしばしば語られてきた。しかし、多くの論者が述べるように、現代においても人種差別主義は新たな形態に変化させながらその強度を増して広がっている。
 そして、その作用には「文化」概念が持ち込まれているのである。

 人種の本質主義と構築主義

 近代の帝国主義の人種差別主義に支配的なロジックは、生物学的差異に集約されるものだった。血や遺伝子こそが皮膚の色の違いの背後で、操作不可能な人種的な優劣を決定しているとみなしてきたのである。いうまでもなく、こうした立場に意義を唱える反人種主義的言説は、「人種」的差異が社会的・文化的に構築されていることを主張することで、帝国主義の支配と差別の論理に対抗してきた。それぞれの「人種」には本質的な決定要素がアプリオリに存在せず、人間は原理上すべて平等であり、優劣は存在しないというわけである。
 だがしかし、こうした反人種主義の立脚する社会構築主義的な立場は、別のかたちでの対立や憎悪に流用されていくことにもなる。というのも、それまでの人種主義と同様、それぞれの文化や伝統は、相互に乗り越えられないものと考えられていくからである。人種差別主義から生物学は放逐されたものの、今度は「文化」こそが、血や遺伝子に入れ代わって、「人種なき人種差別主義」をつくり、異質なものの排除や隔離を促す効果を付与される。それぞれの文化は独自でかけがえのないものとして尊重しあうことが、翻って文化間での異質なものの排除を肯定する言説に転用されていくのだった。
 こうした新しい人種主義(neo racism)が問題を見えづらくしている状況は、これが帝国主義に抗する反人種差別主義と論理を同じくしているため、排除や分離を作り出す実際的な効力をもつにも関わらず、人種差別主義としてみなされにくいということである。しかし、相対主義的な異文化尊重や多文化の共生という表面的な寛容は、事態の深部では相互の排除と不寛容を正当化する論理と容易に結びつく。

 文化形成の偶然と必然

 生物学的な決定論とは異なり、文化に基づく新しい人種差別主義は、「人種的」差異が社会的、歴史的プロセスがもたらした偶然の産物であることを認める一方で、文化がその担い手によって形成され、維持されてきた帰結であるとも考えている。しかし、これによって新たな人種差別主義が強力に駆動するのである。文化は国民形成と同様、自己原因的であり、その文化に基づき行動する諸個人の能動的な実践によって創出されるとみなされる。つまりこの場合、当事者にとっては、必然的な結果に映ることになる。そのため、諸個人の能力や適性などに文化的偏りがみられる場合、行為者の自己責任や自助努力にも訴求されうる。生物学的な決定とは異なり、文化は流動的で可塑的に変容するものであるという近代の主体概念に基づかれた考えにわれわれは慣れ親しんでいるが、それゆえ、諸個人の意志や自発性にまで、新たな人種差別主義の作用が浸透していくことになる。移民労働者がホスト国の文化的価値や生活様式への同化圧力が強められる場合には、文化に対する諸個人の主体的態度が可能であると前提されるために、主流文化への同化が要求される。あるいはまた、グローバル化の進展の中では、資本主義経済の普遍的な基準のなかに組み込まれながら、文化に基づかれた排除や分離が進められるのである。
 したがって、新しい人種主義の体制では、文化間の差異は解消できず乗り越えられないものとして現われていると同時に、諸個人による文化変容の可能性と個人単位の文化の乗換え可能性を具えていることが措定されているために、対立や軋轢が生じる場合、個人の主体性や内面の中にまで不寛容が覆い被さり、文化間の差異化競争のなかで一元的に包摂されて、人種主義が強力に駆動することになる。

 むすびにかえて

 冒頭でふれたように、国家にはある種の過剰が存在する。国家への過大視と過小視という二極間でひとびとの国家への態度は往復している。グローバル化や情報化の中での世界市民の到来のように、国家を乗り越え可能とみなすか、あるいは、激しい民族対立を倦むことなく産み出す源泉として過大にみなすかの両極を往復するわけである。
 しかし、文化に基づく新しい人種主義の形態に関する検討によって明らかになったのは、文化をめぐる対立や不寛容は、国民国家の存立の機制から必然的に派生しているのだが、それが、たんに諸個人の国家への深い没入や愛着のゆえにではなく、国家を自らによって作り出し、文化を自発的に創出する自由で市民的な存在が、前提とみなされているからだった。国民が文化によって規定されている存在であると同時に、それ自体を自らの主体的行為や自由意志を措定しながら産み出しているという自己原因的で行為遂行的な存在であることも、文化の不寛容には無関係ではない。
 国家が我々にとって過大であり、かつ過小でもあるという振幅の運動にこそ、問われるべき多くの課題が残されているということになるだろう。

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■次回研究会の予定 

◇第7回研究会

【日時】

3月6日(土)1時30分〜4時30分

【場所】

京都大学文学部新館5階社会学共同研究室

【報告】

報告者:岩城 聰(本研究科博士後期課程)

題 目:日韓キリスト教関係史の一断面――両国クリスチャンの接点を求めて

■お願い

 本研究科COEプログラム全体からの連絡事項として、研究会メンバーの方々が個別に発表される研究論文には、可能な限り以下の断り書きを末尾に付していただくよう依頼を受けました。ご配慮いただけますと幸いです(文章は本プログラム全体で統一しておく必要があります)。

【邦文】

本研究の一部は、21世紀COEプログラム「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」によるものである。

【英文】

This paper is supported in part by the Center for Excellence for Research and Education in Humanities in the Age of Globalization (COE program of the Graduate School of Letters, Kyoto University, Japan).


編集後記

 今年度の研究会も残すところあと一回となりました。研究報告の討議の後には、来年度の研究方針についての打ち合わせがおこなわれる予定です。すでに昨年末の研究会におきまして芦名先生からのアナウンスがありましたように、来年度は「宗教」と「公共性」のテーマに焦点を絞りながら、寛容性をめぐる研究をさらに進めていくという大枠の方針がたてられております。次回研究会の際には、そうしたテーマを取り組むにあたってのご教示やご意見が伺えますと幸いです。
 なお、本研究科のCOEプログラムが二年を経過したことにあたり、中間報告として第二回報告書が3月末に刊行される予定です。ご寄稿いただきました先生方には、ご尽力を賜り誠にありがとうございました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

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