21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
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国際シンポジウム2005

宗教の多元的状況と仏教


【日時】 2005年11月24日(木)

【会場】 釜山グランドホテル・韓国

【基調講演】氣多雅子(京都大学大学院文学研究科教授)

【コーディネーター】芦名定道(京都大学大学院文学研究科助教授)、金 文吉(釜山外国語大学教授)

【コメンテーター】李道業(東国大学教授) 、Alok Kumar Roy(釜山外国語大学教授) 、姜東俊(東亜大学教授)



シンポジウムの趣旨

  「多元的世界における宗教の問題」

芦名定道(京都大学大学院文学研究科)

 今回の国際セミナーのコーディネーターをつとめさせていただきます、京都大学の芦名です。このセミナーは、京都大学大学院文学研究科を拠点に行われているCOE研究会(21世紀COEプログラム「グローバル時代の多元的人文学の拠点形成」に属する研究班の一つ)と大韓仏教法然寺仏教問題研究所との共催によって、このように開催されることとなりましたが、まず、コーディネーターとして、わたくしの方から、これまでのCOE研究会においる国際シンポジウムへの取り組みと、今回の国際セミナーの趣旨に関して、ご説明したいと思います。

 2002年度から現在まで京都大学で進められているCOE研究会「多元的世界における寛容性の研究」では、現代世界のグルーバル化の進展に伴って世界の各地あるいは各階層や各集団において顕在化しつつある諸問題、とくに社会の多元化が引き起こす問題について、「寛容」という視点から共同研究を行ってきております。というのも、グローバル化は世界の均一化・画一化・一元化を押し進めると同時に、様々なレベルにおける多元化をも推進し、場合によっては、世界における対立や矛盾を誘発するものとなるからです。われわれ人類は、こうしたグローバル化・多元化の動向の中で、まさに寛容や和解がいかにして可能になるのかという問いに直面していると言うことができるでしょう。京都大学のCOE研究会は、こうした問題に対して、宗教思想研究と社会学的研究という二つの研究方法の統合を試みつつ、とくに「東アジアにおける宗教的多元性」に焦点を合わせて、共同研究を行ってきました。

 これまで当研究会では、こうした研究の成果を日本内外の研究者と共有し、さらなる研究の進展を図るために、2回の国際シンポジウムを開催してきました。今回の国際セミナーはこれらに続く、いわば3回目の国際会議となります。この国際セミナーの趣旨を説明する前に、これまでのhttps://www.bun.kyoto-u.ac.jp/archive/jp/projects/projects_completed/hmn/は、http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/tolerance/tolerance_links.htmlを参照)

 第一回目の国際シンポジウムは、2003年10月25日に日本の京都大学を会場に、「宗教間対話と平和思想の構築―現状と課題」というテーマで開催されました。このシンポジウムのテーマの意図を、やや詳しく説明すれば次のようになります。つまり、「1990年代以降、世界における紛争は、宗教や民族と様々な結びつきのうちで発生し、宗教はその際にしばしば衝突の主要な原因のひとつとして挙げられている。もし、本来宗教が平和を目指し、紛争の解決を目標とするものであるとするならば、それぞれの宗教が自らの伝統から未来の世代のためにいかなる平和思想を構築するかは、各宗教に課せられた責任と言えるであろう。また宗教的多元性を背景とした宗教間対話の意味は、平和など、社会全体が共有する諸問題に対して、積極的に寄与することにうちに、見いだすことができるように思われる」。

 シンポジウムでは、こうした問題に対して、(1)東アジア、(2)宗教的多元性と寛容との関わり、(3)平和思想と宗教間対話との関わり、という三つの観点からのアプローチがなされましたが、今回のセミナーの基調講演者である、氣多雅子先生、このセミナーを共催いただく仏教問題研究所の所長である許油先生、そしてこのセミナーの韓国側のコーディネーターである金文吉先生の三人は、この第一回目のシンポジウムの提題者であり、それぞれの立場から、宗教間対話の現状、平和思想の課題といった点について、ご発表をいただきました。

 第二回目の国際シンポジウムは、昨年10月22日に釜山外国語大学を会場に、「東アジアにおける宗教間対話の意義―日韓キリスト教の役割」というテーマで開催されました。この第二回目のシンポジウムでは、東アジアと宗教間対話という観点に関して言えば、第一回目のシンポジウムと同様の問題意識に立ちながらも、日韓のキリスト教における取り組みに焦点をしぼって、議論が進められました。昨年のシンポジウムでキリスト教に注目した理由は、キリスト教思想においては、宗教間対話をめぐる問題が、「宗教の神学」というテーマのもとで、世界的に広範かつ集中的に取り組まれているという点に、また、東アジア、とくの日本と韓国のキリスト教は、こうした世界的な議論に対してかなりの独自な貢献が期待できるという点にありました。シンポジウムのパネラーは、日本の金城学院大学の金承哲先生と、高神大学神学部の李象奎先生、そしてわたくし芦名定道の三人がつとめましたが、東アジアにおける宗教間対話について考えるときに、従来の「宗教の神学」の議論が一定の有効性を持ちながらも、様々な問題点を抱えていることが明らかになりました。また、キリスト教思想における宗教間対話の議論をさらに推進する上で、東アジアという視点が重要な意味をもっていることが、このシンポジウムを通して改めて確認されたと思います。

 こうした二回にわたる国際シンポジウムの成果は、全体として、以下のようにまとめることができます。

1.現代が宗教的に多元的な状況にあることの確認。

 宗教的多元性(一つの地域あるいは階層や集団内部に複数の宗教が存在するという事態)は、この東アジアの地域においては、近代以前からいわば一つの伝統を形成してきた。その意味で、東アジアの宗教的伝統の特徴として、宗教的多元性を挙げることができる。したがって、たとえば、日本では、現代のキリスト教神学において「宗教の神学」が論じられるに先立って、早い時期から宗教間対話について理論的また実践的な取り組みが行われてきたのであり、ここに、東アジアの視点からの議論が世界のキリスト教思想に貢献できる可能性を見いだすことができる。また、現代のグローバル化の進展によって、東アジアの宗教的状況は、よりいっそうの多元化をむかえつつあり、今日、東アジアにおける宗教の積極的な存在意味を論じようとする場合、この宗教の多元的状況を無視することはできない。

2.宗教間対話の内実をめぐって。

 宗教的多元性は、しばしば国際的あるいは地域的な対立や紛争の要因(促進要因)ともなるが、まさにこうした状況認識から、これまで宗教間対話の様々な取り組みがなされてきた。しかし、東アジアにおける宗教間対話に限定しても、その少なからぬ歴史的展開の中に、対話の内実をめぐる変化が確認できる。比較的初期の宗教間対話においては、諸宗教をその教義や思想内容といったレベルで比較することや、比較を通した相互理解が模索され、一定の成果が挙げられてきた。しかし、こうした思想内容レベルの比較は、必ずしも対話の深まりを生み出すものではなく、対話自体のルーティン化(儀礼化)という事態に陥ることにもなった。こうした対話の閉塞状況の中で、より最近の宗教間対話は、諸宗教が共有し、さらには世俗社会とも共有する緊急の諸問題(環境、平和、男女の平等、人権、貧困、教育や家庭など)をめぐる対話が目立つようになってきている。第一回目のシンポジウムで、平和思想の構築というテーマが立てられたのは、こうした宗教間対話の流れに位置付けることも可能である。しかし、緊急の課題をめぐる対話にも問題点がないわけではない。緊急の課題に終始する中、それぞれの宗教にとって他宗教と対話することにそもそもいかなる本質的な意味があるのかという基本問題が問われないままに残されることになりかねないからである。第二回目のシンポジウムは、この問題に対して、キリスト教の側からの議論を深めることを目指した。

3.従来の議論の枠組みの不十分さ。

 キリスト教における宗教的多元性への取り組みは、たとえば、「宗教の神学」というタイトルのもとで行われ、その際には、排他主義(キリスト教のみが救いに至る唯一の道である)、包括主義(諸宗教はそれぞれ救済の真理性を有しているが、こうした真理はすべてキリスト教の中に包括的に見出される)、多元主義(救いの道は複数存在し、それぞれ独自のものである)という類型がしばしば用いられてきた。もちろん、こうした類型論は問題状況を整理する上で、つまり議論の出発点としては一定の有効性を持つものの、東アジアの具体的な問題状況を分析するには様々な欠陥を抱えていることがわかる。排他主義、包括主義、多元主義といった類型の意味内容が曖昧なだけでなく、そもそも、バルト=排他主義、ラーナー=包括主義、ヒック=多元主義といった図式化は、個々の思想家を誤解することになりかねないからである。したがって、東アジアにおける宗教的多元性を理解するには、それに相応しい理論構築が今後の課題となる。

 今回のセミナーの趣旨は、以上の2回のシンポジウム、とくに第二回目のシンポジウムと同様の問題をめぐって、仏教における基本的な考え方あるいは現在の取り組みの現状と今後の展望に関して、議論を深めるという点にあります。日本と韓国の仏教思想の立場から、宗教的多元性はどのように理解され、また宗教間対話はどのように評価できるのか。宗教間対話を仏教的立場から深めることは可能か。こういった問題に対して、日韓の仏教研究者に意見交換を行っていただき、東アジアの宗教的多元性あるいは寛容についての新たなアプローチの道を探りたいというのが、今回のセミナーの趣旨であります。なお、今回、シンポジウムではなくセミナーという形式を選んだのは、公開講演会やシンポジウムという形式の場合、どうしても十分な討論の時間を取ることができないという反省に基づき、同じ問題意識を有する数十名程度の研究者の間で意見交換を十分に行いたいと考えたからです。ご出席の方々には、ぜひこうした趣旨をご理解いただきまして、積極的に討論に参加いただきたいと思います。討論の方向付けを行うために、これから、まず「宗教の多元的状況と仏教」という題で、京都大学大学院文学研究科教授である氣多雅子先生より基調講演をいただき、続いて、韓国の側から、仏教とインド思想という立場からのコメントをいただきたいと思います。そして、その後に、参加者を交えた、活発な議論を行いたいと考えております。今回のセミナーが日韓の仏教研究者また宗教研究者の交流の場となり、今後の共同研究の基盤となることを期待しております。

 最後になりましたが、こうした有意義なセミナーの機会をご提供いただいた、大韓仏教法然寺 仏教問題研究所の所長であります、許油先生にこの場をお借りして、心よりお礼申し上げたいと思います。また、韓国側のコーディネーターである釜山外国語大学の金文吉教授にも、様々なご配慮をいただいたことについて感謝申し上げます。

 ありがとうございました。


基調講演

宗教の多元的状況と仏教

                            

                                  氣多雅子(京都大学大学院文学研究科)

1)はじめに


 宗教の多元的状況ということが、一つの社会や文化圏の内に複数の宗教が並存している状況を意味するならば、歴史的に見て、東アジアの国々においてはそれはむしろ恒常的な事態だと言っていいでありましょう。宗教の多元性が日本の宗教者・宗教学者の間で盛んに議論されるようになった発端は、やはりキリスト者たちによって神学の現代的な課題として取り上げられ、キリスト教から他宗教に対して宗教間対話がもちかけられるようになったことにあります。しかし、それだけであったら宗教の多元性は仏教の問題にはならないと思われます。実際これまで、宗教の多元性ということは仏教において、キリスト教神学において問題になったような仕方で問題になったことはありませんでした。キリスト教以外の宗教において宗教的多元性が際立った仕方で問題になるのは、一つには、1990年代から顕著に進行した情報と経済のグローバル化と結びついて、宗教の多元的状況がある種の危機感を感じさせるほど徹底化する予感があるからだと思われます。そして、もう一つの背景となる事象は、1979年のイランにおけるイスラーム革命を典型とするようないわゆる宗教的ナショナリズムの世界的な台頭です。仏教は従来は一般に武力的行動とは結びつかないと思われていましたが、スリランカのシンハラ仏教僧の活動は、仏教もまた宗教的ナショナリズムの除外例ではないことを明らかにしました。宗教的多元性は、このような問題連関のなかで考察する必要があるでしょう。
 さしあたって、そのことを念頭に置きながら、仏教において宗教の多元的状況がどのように受けとめられているかということから話を始めていきたいと思います。ただし、ここでお話します仏教は、日本の思想伝統のなかで受けとめられてきた仏教、日本の精神的土壌に根を下ろした仏教を指します。

2)日本人の宗教的態度

 さきほど、仏教において宗教の多元性が、キリスト教神学におけるような仕方で問題になったことはないと申しました。現在でも日本仏教における教学・宗学の課題として、仏教教団の公的な議論のなかで、宗教の多元性が主題的に論じられるということはないと思います。方法的に調査をしたわけではありませんが、私の周囲の仏教者・仏教研究者に尋ねたところ、そのような例があるという返事はどこからも得られませんでした。教団の中にそういう問題に関心をもっている人たちはいますが、教学・宗学の立場から意見を提示したり、教団として態度を取るということはしていません。一部の仏教者・仏教研究者の個人的な活動として、他宗教との対話や宗教的多元性についての研究がなされているというのが、どうやら日本の現状のようです。
 このように宗教的多元性が仏教の課題となりにくいことの理由の一つは、日本人の宗教意識にあると思われます。
 今年の八月に読売新聞が日本で行なった宗教意識調査によれば、「何か宗教を信じているか?」という質問に対して、75%の人が「信じていない」、23%の人が「信じている」と答えたとあります(1)。この調査結果は近年の多く世論調査結果と大差はなく、過去の著差結果をたどってみると、戦後から五〇年は「信じている」と答える人々の数がゆるやかに減少していますが(2)、この一〇年ほどは横ばいから微増の傾向にあるようです。
 このような調査で「信じていない」と答える人の数が、他の諸国と比べて日本では際立って多いことは、よく知られています。同時に、この数字からただちに、日本人は宗教心が希薄であると結論づけられないということもよく指摘されます。それは、宗教を信じていないと答える人たちが、その一方でいろいろな宗教行動をしていると答えているからです。その宗教行動の内容とそれをすると答えた人の%は、読売新聞の調査によれば、「盆や彼岸などにお墓参りをする」79%、「正月に初詣でに行く」70%、「しばしば家の仏壇や神棚などに手をあわせる」55%、「子供のお宮参りや七五三のお参りに行く」50%、「身の安全、商売繁盛、入試合格などの祈願をしに行く」38%、「厄払いをしに行く」32%、「お守りやお札などを身につける」31%、「神社や寺などの近くを通りかかったときにお参りをする」24%などとなっています。このような宗教行動を「何もしていない」と答えた人は3%に過ぎません。
 この調査で挙げられた項目の多くは、年中行事や習俗に属することですが、それ以外にも流行現象と見られるさまざまな宗教行動を多くの人がしています。たとえば、キリスト教徒でもないのに結婚式をキリスト教の教会であげるのが、長期にわたって流行しています。まただいぶ前から、若い女性を中心に多くの人たちが血液型占いや星占いを「信じている」と言明していますし、テレビではいろいろな占師が登場して教えを垂れるような番組が人気を博しています。
 このような事例を挙げるときりがありませんが、そこには神道、仏教、キリスト教、陰陽道、占星術、民間信仰などさまざまな宗教や呪術が含まれていることがわかります。一人の人間が生活の場面にしたがって幾つもの宗教に関わり、時代の流行にしたがっていろいろな宗教行動をし、そのことに違和感をもたないというのが、一般的な日本人の宗教的態度だと言えます。日本人の生活にこのような行事や習慣が組み込まれていますから、意識的に、しかもかなり強烈な意志をもって拒否しない限り、普通の生活者は多様な宗教に関与することを免れません。
 ここから明らかなように、日本人は既にずっと以前から、宗教の多元的状況を自然に生きていると言ってよいでしょう。この状況は諸宗教のある種の役割分担という性格すら帯びています。そして、六世紀頃に日本に渡来し、それ以来さまざまな変容を経て日本の宗教伝統に根を下ろした仏教は、この多元的状況の重要な一角をなしており、生活の中でそのような仕方で他の宗教といっしょに生きられてきたと言うことができます。ただし、このなかでの仏教の地位は、近年やや後退気味であると見られます。その一番の原因は、これまで仏教が中心となって引き受けてきた葬儀について、無宗教で執り行う人が増えてきたからです。仏教教団はこのような多元的状況を結局のところ受け入れてきたのであり、その地位の衰退傾向に関して、現在かなり強い危機感を抱きつつあります。
 しかし、仏教の教えから言えば、このようにそのつどの生の状況に合わせてあれこれ宗教を選ぶような態度は迷いそのものでしょう。このような態度におけるそのつどの宗教への関わり方は多種多様です。たとえば、生存の欲求を充たす手段として宗教を用いようとする、そういった欲求を充たす上での障害の克服を宗教に求める、生存の維持の困難さから逃れるために宗教にすがる、生を営むなかで生ずる苦しみから癒されたいとして宗教に向かう等々が考えられますが、この多様性そのものが人間存在の定まりのなさを示しています。その関わり方のなかには、この生の儚さ、虚しさを感じ取り、この生への執着を否定する動向もしばしば含まれていますが、その動向はしばらく経つと別の動向に取って代わられてしまいます。この動向は人間を仏教に向かわせるものですが、この態度のなかではその動向も定まることがありません。この定まりのなさに無自覚的に流されていくことに、仏教は迷いを見るのです。発菩提心、即ち正しい覚りを得たいと求める心を起こすことが、仏道修行の出発点となるとされますが、この事態が迷いであると自覚することがまさに覚りを求めさせるのです。したがって、宗教の多元的状況は、日本の生活習慣を生きる者にとって仏教の覚りへの道程の前に立ちはだかる最初の大きな壁であると言ってもいいでしょう。
 ここで言う宗教の多元性は、日本の歴史において日本人が置かれてきた宗教的状況を指し示すとともに、日本の生活習慣を生きる者の精神的状況を指し示しています。そこにおいて、各宗教は何らかの生活態度や行動指針を提示するものではありますが、それらの生活態度や行動指針は個人の存在全体を専有的に支配するものではありません。それらはそのようなものとして受け取られることはなく、各宗教もそのような主張をしません。専有的な主張をしないことによって、日本人の社会生活の一角に位置づけられることができだのです。

3)仏教者の他宗教・他宗派への態度

 さて、仏教がここで二重の仕方で見られていることがただちに明らかになります。一つは、一般的な日本人の社会的精神的生活のなかに組み込まれた仏教であり、これは習俗や美意識としての性格を多分に持っており、民俗仏教ないしは生活仏教と呼ばれることもあります。もう一つは、覚者への道として捉えられた、経典に依拠した正統的な仏教です。この二つのあり方に対して、宗教の多元性は異なる意味をもっていますが、後者にとって、宗教の多元性は複雑な仕方で問題になってきます。
 言うまでもないことですが、仏教において究極的にめざされるのは、煩悩の繋縛を脱して真実の智慧を得ることであり、仏陀(覚者)とはこの真実の智慧を得た人を言います。真実の智慧は修行の結果として得られるものであり、修行には自己の全存在を挙げて智慧を求めるという態度が要求されます。現代日本の仏教宗派の多くが鎌倉時代から始まったものですが、究極的関心にしたがった専心性は、鎌倉時代の法然や親鸞、道元、日蓮では一行専修という修行形態に結びついていきました。つまり、平安時代から日本の仏教修行の中心地であった比叡山ではさまざまな修行が行われていましたが、法然や親鸞は称名念仏、道元は座禅、日蓮は唱題という一行にそれらを集約していきます。日本仏教の一つの特徴を示しているこの専心性は、ある意味では、自らの拠り所とする教えを唯一の真理とすることであると解されますので、このような形態の仏教においては、他宗派、他宗教に関心をもち、他宗派、他宗教の宗教行動をとることは否定されます。この否定が、他宗教、他宗派に対して具体的にどのような態度に出て行くかが、問題でありましょう。
 歴史的に見て、宗教、宗派の対立がからんだ争いごとは数多くありましたが、宗教や宗派そのものが真っ向から対決した特徴的事象を挙げるとすれば、まず「宗論」(法論、問答などとも呼ばれる)が挙げられます。宗論とは「古来仏道と外道、或は仏教内の一宗派と他の宗派、又は一宗派内に於いて所見を異にするものの間に行はれたること」(3)を意味し、この論争ははっきりと勝敗が決せられるという特徴をもっています。歴史的に有名な宗論としては、天台宗の最澄と法相宗の徳一との間に817年から始まった三一権実論争や、1186年に南都北嶺の学匠たちと法然との間で行われた大原問答、1579年に織田信長の命令によって浄土宗と日蓮宗の間でなされた安土宗論、1608年に日蓮宗の日経が浄土宗との問答を江戸幕府から命じられた慶長宗論などが挙げられます。
 これらの宗論はもともとは教義上の真偽、優劣をめぐる学問的な性格をもった論争であって、この論争に勝つことによって宗派建立の正当性や自宗派の優越性が天下に明らかになったと考えられます。宗論の勝敗はその後の宗派の盛衰に大きく影響することになりましたが、論争が仏教者同士の学問的な論争である限り、宗派の競い合いは健全なものであったと考えられます。しかし、信長以降、宗論は時の為政者の政治的意図に翻弄されるようになったと言ってよいでしょう。安土宗論は信長が日蓮宗を抑圧するために宗論を利用したものであり、慶長宗論も徳川家康が日蓮宗を服従させる道具という役割を果たしました。
 なお、いま挙げた事例は仏教の宗派間の宗論ですが、仏教と他宗教との宗論もありました。最も有名なのは、一六世紀中頃のフランシスコ・ザビエルらイエズス会宣教師と仏教僧侶との間の宗論でありましょう。この宗論の経緯は非常に興味深いものです。最初にザビエルによるキリスト教の説明を聞いたのは真言宗の僧侶たちでしたが、僧侶たちはデウスが大日如来と合致すると考えて、キリスト教を大いに歓迎しました。また、禅宗の僧侶も日蓮宗徒も浄土宗徒も、それぞれ自分たちの宗派の教えが説くところとデウスの教えが示すところが同じであると解釈したと言われます。しかし、宣教師たちの方は自分たちの教えは仏教とは決定的な違いがあると主張し、各地で論争が行われました。この論争は織田信長の前での宗論に発展しましたが、もはやそのときには論争は異なる宗教間の教義をめぐる議論というよりも、政治的な要素の強いものになっていました。
 ここで注目したいのは、仏教とキリスト教が出会ったとき、僧侶たちは自分たちの帰依する教えとキリスト教とが同じであると受けとめたのに対して、宣教師たちは違うと主張したという点です。その原因はいろいろ考えられますが、一つには、僧侶たちが仏教の枠内での議論には慣れていても、その枠から外れた観念体系を理解するだけの分析的論理的思考力が最初のうち十分でなかったということが挙げられるでしょう。しかしそれを差し引いても、この時代の仏教者たちには他宗教に対して仏教との共通性を見出し、協調しようとする傾向があったと言えると思います。この協調的態度は、江戸時代における幕府の宗教支配のなかでまったく失われてゆきました。
 それからさきほど、近世の宗論が為政者の宗教弾圧に利用されるようになったと述べましたが、その弾圧の槍玉に上げられた仏教宗派が日蓮宗でした。日蓮宗は為政者に対してだけでなく、他の宗派に対しても非常に戦闘的な態度をとり、他の仏教宗派が権力に対しても他宗に対しても一般に宥和的であるなかで際立っています。その態度を集約したのが日蓮の四箇格言「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊(念仏を称える者は無間地獄に落ち、禅宗は天魔であり、真言宗は国を滅ぼすものであり、律宗は国賊である)」であり、日蓮はこのように他宗の信徒を強烈に批判して、法華経本門の信仰に転じさせようとしました。この教化の方法は折伏と呼ばれますが、勝鬘経には、仏教の衆生教化のために摂受と折伏という二種類の方法があると説かれています。摂受とは「相手を受け入れ、おだやかに説得すること」であり、折伏とは「相手を強く責めたて、うちくだき、迷いをさまさせること」です(4)。日蓮は「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行品の如し。邪智謗法の者多き時は折伏を前とす。常不経品の如し」(5)と説き、彼の生きた末法の世は邪智謗法の世界である故に、折伏がふさわしいと考えました。公的な場で他宗と論争し勝敗を決する宗論はまさに日蓮の望む折伏の好機であり、そのような好戦的態度は彼の弟子たちに継承されていきましたが、折伏的な論争態度は宗論の学問的な性格を次第に失わせ、相手方の誹謗中傷に流れる傾向を生むことになりました。そして、そこにつけ入られて、宗論が為政者によって政治的に利用される結果になったのは皮肉なことです。日蓮宗はやがて幕府の弾圧のなかで、折伏的な態度を止めて摂受的態度をとるようになりました。

4)蓮如の態度

 以上ような過去の日本の仏教諸宗派の態度は、現代の宗教の多元的状況を念頭においた場合、どのような示唆を我々に与えてくれるでしょうか。現代の宗教の多元性について考察する場合にしばしばモデルとして用いられるのが、キリスト教の「宗教の神学」における排他主義(exclusivism)、包括主義(inclusivism)、多元主義(pluralism)という三つの類型ですが、私はこのように類型化される基礎にある考え方を手掛りにして考えてみたいと思います。この三類型はキリスト教がこれまでの歴史のなかで他宗教に対してとった態度をまとめたものですが、宗教の神学では、宗教の多元性は、キリスト教が他宗教に対してどのような態度をとってきたか、そしてどのような態度をとるべきであるか、という問いを導いたわけです。この問いへの答えには、他宗教の真理性についての、言い換えれば他宗教の救済力についての、キリスト教からの判断が含まれることになります。排他主義者はキリスト教以外の宗教によって人間は救済されないと判断し、包括主義者は他宗教にも限定された救済力があると判断します。多元主義者は他宗教に限定された救済力があると判断するだけでなく、その判断をキリスト教の救済力にも反映させようとします。他宗教に対する態度はそのまま翻って、キリスト教自身の自己理解を映し出すことになるのであり、排他主義、包括主義、多元主義という順序でキリスト教の自己理解が深まってきたと解することができます。
 仏教の諸宗派をこれらの類型に照らせば、日蓮宗の態度は排他主義に属すると考えることができますし、他の宗派の態度もこの三者のどれかに属するものがあるかもしれません。しかし、仏教の他宗派・他宗教への態度には、この宗教の神学による分類には当て嵌まらないものが含まれているように思われます。それは、そもそも他宗教の真理性に関して判断を下さないというあり方です。仏教者にとって重要なのは選択された行への専心であるとするなら、他宗教・他宗派に対してその是非を語る必要はないと言えます。ただし、他宗教の是非を語らないということは、他者の信仰への敬意が結びついて初めて他者への宗教的態度になるのであって、この敬意がなければ、自分の信仰にしか関心をもたない自己閉鎖性の表れでしかないでしょう。この意味での他者への宗教的態度が顕著に表れているのは、浄土真宗の蓮如の『御文』です。
 「いまこの文にしるすところのをもむきは、当流の親鸞聖人すすめたまへる信心の正義なり。この分をよくよくこころえたらんひとびとは、あひかまへて他宗・他人に対してこの信心のやうを沙汰すべからず。また自余の一切の仏・菩薩ならびに諸神等をもわが信ぜぬばかりなり。あながちにこれをかろしむべからず。これまことに弥陀一仏の功徳のうちに、みな一切の諸神はこもれりとおもふべきものなり。惣じて一切の諸法にをひてそしりをなすべからず。これをもて当流のおきてをよくまもれるひととなづくべしされば聖人のいはく、たとひ牛ぬすびととはいはるとも、もしは後世者、もしは善人、もしは仏法者とみゆるやうにふるまふべからずとこそおほせられたり」(6)。
 阿弥陀仏以外の仏・菩薩・諸神は自分が信じていないだけであって、これを軽んじてはならない、という言い方から、他者の信仰に対する敬意が読み取れます。仏・菩薩・諸神の一切が阿弥陀仏の功徳の内に含まれると言われることについては、宗教の神学の云う包括主義に当たるのではないかという疑問が起こるかもしれません。しかし、ここで言われているのは、阿弥陀仏の信心は他の仏・菩薩・諸神の信心を必要としない充全なものであるということと、阿弥陀仏の信心は他の仏・菩薩・諸神の信心と同和するものであるということにほかなりません。
 仏教には八万四千の法門があると言われるように、そもそも覚者になる道にはさまざまあるということが仏教諸派の大前提であり、それらのなかから一つが選び取られるところに、宗派というものが成立すると考えられます。だからこそ、その選び取りが人間の恣意的選択を超えた意味をもつことが追究され、その選び取りの正当性を宗教的に根拠づける思索が展開されることになります。つまり、多元性への向かい方が仏教とキリスト教とでは基本的に逆であると言ってもよいかと思います。ゴータマ・ブッダは、教えを聞く人の素質や能力や要求に応じて個々別々に法を説いたと言われますが(対機説法)、仏教では、他者が自分とは別のやり方で覚りを得ようとすることは何ら問題ではないのです。他の行法があるということは、自分が如何なる行法を為すかということに先立っており、自分が他の教えではなくこの教えに帰依するという決断を可能にする一契機だと言えます。
 言い換えれば、この教えが真であるのは自分にとってのことであり、教えの真理性にはこの「自分にとって」ということが切り離せないのです。この「自分にとって」は覚りの智慧の真理性を相対化するものではなく、覚りの智慧の普遍性を否定するものでもありません。この「自分にとって」という限定は、自己の与えられた素質および置かれた状況の限定性とブッダの教えの言説化の限定性に由来するものであり、この「自己にとって」がいわば現実性の照準器となって覚りの智慧が具現すると考えられます。仏・菩薩・諸神の一切が阿弥陀仏の功徳に含まれるということは、浄土真宗の教えが理論的に他の宗派の教えを包摂するということではなく、阿弥陀仏の信心には漏れるところがなく他の教えについて顧慮する必要はないということを意味しますが、つまりそれは「自己にとって」阿弥陀仏の信心しかないということに他なりません。
 このことは、何故ゴータマ・ブッダが他者との真理についての形而上学的論争を退けたか、ということを明らかにします。ゴータマ・ブッダが説いたのは、論争という仕方では決して近づくことができず、「自己にとって」という問題場面で受け取られるべき真理であったと考えられます。そして、この「自己にとってこれしかない」ということは、他の宗派だけでなく他の宗教に対しても同じように語られるものでありましょう。
 しかし、まさに「自己にとってこれしかない」というところでこそ、他宗派・他宗教の真理性の問題は問いとして迫ってくるとも言えます。つまり、他宗派・他宗教は「本当に自己にとってこれしかないのか」という問いを投げ掛けてくるのです。「自己にとってこれしかない」という信において「本当に自己にとってこれしかないのか」という問いの随伴は止むことはありません。だからこそ、「自己にとってこれしかない」という信は絶えず新たであると言えます。そして、この信が絶えず新たになることにおいて、「自己にとって」ということは根本的に透明化していくことになります。もっともこの問いが、これしかないはずの信を打ち砕くということも当然起こり得ます。
 「本当に自己にとってこれしかないのか」という問いは基本的に、他宗派・他宗教の信者と議論することより、自己の内で反芻され熟成されることを必要とする問いです。他宗の者と真宗の信心について議論してはならないという蓮如の戒めは、議論が他宗の者との軋轢に繋がるという実際的な危険を慮ってのことであるのは確かでしょうが、その根底には、教えの真理性はあくまで自分自身において証される事柄であり、他者と客観的に議論できる事柄ではないという洞察が潜んでいると思われます。そして、自己の内面への沈潜の促しは、仏教者と見えるように振る舞ってはならないという戒めにまで徹底されます。この場合、仏教者と善人とは同義となりますが、この戒めは単に偽善に陥ることを禁じているだけでなく、仏教者であるという外面は常に虚偽とならざるを得ないことを告げていると解されます。信心は外面化されると必ず虚偽となってしまうのであり、己れの信心がそのような根本的欠落をはらんでしかあり得ないという自覚が、信心をさらに内へと屈折させるのです。したがって、親鸞の言葉は決して、ひたすら内面において信心の純粋さを保持せよと命じているわけではないと私は理解しています。
 ただし、親鸞の場合はあくまで、信心の内面性は個に属するものですが、蓮如の場合、個の内面が信者の共同体の内部に地続きになってゆき、信者共同体がその外部に対する決定的な境界となっているという傾向があります。これはおそらく、信心の内面性の徹底として、他宗教・他宗派の真理性の判断が控えられるという態度は、仏教者の優れた境位によってのみ安定した仕方で維持され得るものですが、蓮如においては集団的な位相が問題にならざるを得ず、そこから、その態度が共同体レベルで念仏者の態度類型として提示される必要があったのではないかと思われます。共同体の人々に態度類型として提示されるものは、やむを得ないとはいえ、どうしても硬直化を免れず、他宗教・他宗派の救済力への判断停止は他宗教には関心をもたないという共同体の自己閉鎖性につながってしまう傾向をもっています。
 この個と共同体の関係は、仏教においてある意味では、自宗教と他宗教の関係よりも重要なものです。仏教で智慧が求められ、それが個人における一つの存在の境位として成立するということは、自宗教・他宗教に対してそのつどの具体的状況のなかでどのように振る舞うべきかを判断する主体がそこで生成され得るということを意味します。信心や智慧が内面的なものであるからこそ、社会生活における自宗派および他宗派、自宗教および他宗教の宗教行動に対して、仏教的主体は是非善悪の判断をなし、状況によっては身命を賭して戦う場合があり得るということを、付言しておかなければなりません。日本仏教における共同体は歴史的にみて、世俗的要素の浸透に絶えずさらされてきましたので、この実践は自らが所属する教団に対してむしろ最も先鋭的であったことが推測できます。

5)仏教の寛容さ

 仏教者の専心性が基本的に多様から一へという方向をもつということは、さまざまな様相をとるものではありますが、仏教における他宗派・他宗教への態度を特徴づけているように思われます。日本仏教では、法を求めて道を同じくする者を同行、もしくは同朋と言います。一般的なこの語の使い方では仏教の同じ宗派の者たちが同行であるわけですが、仏法を求めるという点に関しては他宗派の者も同じであると考えるなら、他宗派の者も同行と言えるでしょう。また、たとえ同じ法でないとしても、求めることの根源性に関して同じであるとするなら、同行という語は他宗教に帰依する者にまで拡げることも可能であるように思います。近代化の進展のなかで、宗教の否定や宗教への無関心が増大していることを考えると、宗教者であるということにおいて他者を同行と呼ぶことは現代世界では決して言葉の誤用ではないでしょう。
 ここで、同行という言葉が指し示すのは、他者と真正面から向かい合う関係ではなく、他者が自分の横で息づいているのを感じるという関係です。その者が、自分が何かを目指しているのと「何らかの程度同じように」何かを目指していると感じられるのです。「何らかの程度同じように」と認められることが、彼を宗教者と認めることに他なりません。これは、仏教者による他者の自己同一化と考えるべきではありません。教義の違いも、世界観の違いも、何らこの同行であることを妨げるものではありません。同行というあり方が、仏教者の他宗教への態度の一つの典型となり得るならば、仏教において自宗教と他宗教という非常にくっきりした対峙構造が成り立ちにくいのも理解できます。近年、キリスト教の人々から宗教間対話の呼びかけが仏教徒に対してもしばしばなされますが、仏教側がそれに消極的であるのは、そのような仏教の特質に由来するのでありましょう。
 なお、現象として結果的に出てくる仏教者の他宗教への寛容さは、先ほど仏教者が乗り越えなければならないものとした一般的な日本人の宗教意識の寛容さと、実際上は区別できないと言っていいでしょう。先述の読売新聞の調査で、日本人に「家の中に仏壇と神棚の両方が置かれていること」「神道や仏教の信者ではないのに、初詣でに行くこと」「キリスト教徒ではないのに、クリスマスを祝うこと」の三点について、おかしいと感じるかどうかについて質問がありました。それに対して、「とくに何とも思わない」という回答がいま挙げた項目順に87%、92%、83%でした。さらに興味深いのは、宗教を信じている人でも、「とくに何とも思わない」が順に80%、90%、80%であった点です。多くの宗教にわたる宗教行動に違和感をもたないということに関して、宗教を「信じていない」人も「信じている」人もあまり差がないと言えます。
 この宗教意識調査の調査対象に僧侶や牧師などが入っているか否かは明示されておりませんが、戸別訪問面接聴取法という方法で実施されており、おそらく入ってはいないと思われます。実は、このような調査で自分は仏教を信じていると答える者が、仏道にめざめ、覚りや信心獲得を求める者であるとは必ずしも言えません。寺院の住職に世襲が多い日本では、僧侶ですら、本当に覚りを求める仏法者であるとは限りません。ただし、信心や求道の心の強さには関わりなく、仏教に関しては、人々の多宗教にわたる宗教行動に異議を唱える者はおそらく少数派であると言えるでしょう。
 このような多宗教にわたる宗教行動への寛容さは、一方で、宗教に対するいい加減さを示していると言えますが、他方で、生活世界基盤の一枚岩でない柔軟性と豊かさを醸成しているとも言えるでしょう。

6)コスモスの戦い

 さて、以上述べたような宗教の多元性は日本の伝統のなかで育まれてきたものですが、最初に述べたように、現代のグローバル化は、宗教の多元性を日本の土壌の中だけで考察するのでは済まない状況を引き起こしています。
 グローバル化ということの意味についてはいろいろな考え方がありますが、現象としては、電子メディアの発達によって潜在的に地球上のすべてが同時的に通信可能な場所になったということと、それによって地球全体を一つの市場とする経済活動が行なわれるようになったことが、まず挙げられます。世界中どこでも瞬時にコミュニケーションでき世界中の宗教に関わる情報が瞬時に得られるなかで、宗教の多元的状況はこれまでのゆるやかな並存とは違うものになると予想されます。電子的な通信手段によって得られる情報は膨大であり、グローバル化によって我々の身の周りで、宗教についての雑多で無秩序な情報があふれかえりつつあります。そして、情報は消費されるものです。宗教が現代社会で消費活動の対象になっているということはルックマンが既に1960年代に指摘したことですが、宗教が消費されるという傾向は、この情報の奔流のなかでいっそう加速されるでしょう。
 問題は、消費される宗教は長い時間を持ち堪えられないということです。これまでの日本の宗教多元性は、外来の宗教が長い時間をかけて日本の風土、日本人の生活習慣のなかに根を下ろしてきたことによって作り上げられたものです。風土や生活習慣に根を下ろさない宗教的多元性は、生活の表層でさまざまな宗教が浮かんでは消えてゆくという状況をもたらすだけであり、そのような状況は日本的な宗教多元性を蝕むことになるでしょう。それだけでなく、それは多様なものの調和によって育まれる生活世界の基盤を破壊してしまうと思われます。この動向は、現在、実際に日本の伝統的な仏教教団を衰退の方向に向かわせている一因でありましょう。
 さらに、さまざまなメディアを通して我々に伝えられてくるのは、世界各地で諸宗教が展開する「コスモスの戦い」です。近年の地域紛争やテロリズムにおいて宗教が果たしている重要な役割は既に周知のことですが、世界各地の宗教的活動家たちは自分たちの戦いを自分たちの宗教的世界理解のなかに位置づけて説明しています。つまり、自分たちの宗教世界と異教世界との戦い、この世界を蝕む悪に対する善の戦いなどという仕方で、戦いはそれぞれの宗教的文脈のなかで意義づけられます。それらは、西欧に由来する近代政治の文脈での世俗的意義づけとはまったく異なる性格をもっています。コスモスの戦いとしての宗教戦争に参与するという意識が、多くの人々の闘争を支えていると解されます。このコスモスの戦いには、イスラームとキリスト教というような宗教と宗教との戦いという側面と、宗教と世俗主義との戦いという側面がありますが、それらは現代の宗教多元性の一つの現実相を我々に突きつけています。
 日本がかつて大東亜戦争と呼んだ戦争は、宗教的ナショナリズムのもとでコスモスの戦いという性格をもっていました。しかし、日本的な宗教多元性はこのようなコスモスの戦いとは逆の方向へ導く性格のものだと思われます。日本的な宗教多元性が成立し得た所以は、それぞれの宗教が強固な世界観を主張しないということにあるからです。それ故、諸宗教が指示する生活態度や行動指針は個人の存在全体を支配することがないのです。それぞれの宗教は、世界と人間(もしくは部族・民族)がどのように成立しどのような構造をもっているか、生と死はどのように説明されるか、ということについて何らかの仕方で固有の理解をもっており、それをここでは世界観と呼んでおきますが、その世界観から戦争の意義づけや敵味方の区別が導き出されてきます。この世界観は個人や共同体のアイデンティティの支えとなるものであり、その故に、複数の宗教が出会う際に、世界観の違いが根の深い葛藤を引き起こすと考えられます。世界観は全体性を要求するものであり、世界観の異なる者たちが同じ地域に住むことは容易ではなく、衝突が表立って起こったときには生死を賭けた戦いになる可能性があります。日本人は伝統的に、世界観について理論的整合性を追究するよりも、美意識や生活の情感といった仕方での統合性を追究する傾向があり、それが異なる宗教の並存を許したのでしょう。それらの宗教は、それが本来もっている世界観をある種の生活の色、情感の色に素朴に塗りこめられて、衝突し合わないような形に変容されてきました。それが、明治期以降、神道的ナショナリズムを醸成していくようになったのは、強烈な危機意識と人為的なイデオロギー誘導があったと考えられます。日本的な宗教多元性は、それ自体としては宥和的な方向性をもちますが、イデオロギー誘導によって容易にナショナリズムに結集していくことが知られます。宗教が強固な世界観を主張しないということは、長所になると同時に短所にもなると言うことができます。

7)仏教とコスモスの戦い

 さてここで仏教に対して問われるのは、現代世界で仏教の他宗教への寛容さが、日本人の一般的な寛容さから一線を画することができるか否かということです。
 それを論ずるにはまず、仏教にとって世界観がどういう意味をもつかを考える必要があります。少し以前には、現代人が仏教の教えと対峙するとき、伝統的な仏教の世界観と科学的世界観との違いが大いに問題になりました(7)。仏教には、生ある者は、欲界・色界・無色界の三界、および地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道という迷いの世界を限りなく輪廻しなければならないという思想があります。類似の考え方は世界中にあるようですが、輪廻の思想はゴータマ・ブッダ以前からインドにあったと言われます。このような輪廻する迷いの世界を解脱することが仏教のめざすところでありますが、この世界理解と科学的な世界理解とはまったく接合することはできません。科学的世界観では前世や来世も、地獄に堕ちるということも認められません。輪廻が認められなければ、輪廻の世界から脱却するという考え方は成り立ちません。古来、死後地獄に堕ちるという恐怖が、浄土往生を願ったり、覚りを得たいと願ったりする大きな要因でしたが、地獄も浄土も、少なくとも中世、近世の日本人に迫ったのと同じリアリティをもって現代の私たちに迫ってくることはなくなりました。
 そこで、輪廻ということを抜きにして、科学的世界観のもとで仏教が成り立つかということが、差し迫って問いとなりましたが、日本の多くの仏教者は、成り立つと考えました。つまり、ゴータマ・ブッダは、彼の生きた時代社会の一般的な通念であった輪廻の思想を取り入れて、教えを表現したのであり、輪廻はそれ以上のものではないという理解です。ただし、輪廻を否定したときに生じる困難は、それと共に因果の道理も否定されてしまうのではないかという点です。因果は仏教の道徳性を支える論理であり、因果の否定は道徳の否定にもつながります。しかしながら、因果の思想はインドにおいて仏教が興る以前に既に定着しており、それをめぐって哲学的議論が盛んに展開されていたといわれます。仏教成立以後も、因果をどう理解するかをめぐってさまざまな哲学的議論がなされています。その意味では、因果説は仏教の思想形成の核となるものだと言うことができますが、同時に因果説は仏教においてあくまで哲学的思索の主題と見なすべきではないかと思われます。哲学的思索の主題であるということは、因果説が別の理解の仕方に向けて基本的に開かれているということです。そう考え至ったとき、西欧の哲学史においてもアリストテレス以来現代に至るまで延々と、因果律をめぐって哲学的議論がなされていることが思い起こされます。科学的世界観とは、世界は自然的な因果法則によって支配されていると見なすものですが、人間の行為の世界については自由の問題がありますから、自然的因果性とは別の種類の因果性を考える必要が出てきます。因果性は形而上学、倫理学、科学論、心理学、言語分析などさまざまな面をもつ事象であることに気づかされます。
 仏教のなかの因果説、輪廻説は、仏教者が教条的に保持すべき教えではないと言っていいでしょう。これは、仏教がキリスト教にあるような創造論をもたないということと関係しています。ゴータマ・ブッダの教えの核心をなすのは生存が苦であるという洞察とその苦からの脱却であり、その脱却を成立させる真実の智慧そのものであって、その智慧がどのように言語的に分節されるか、世界の構造や人類の発生がどのように説明されるか、などということは本質的に相対性を免れない事柄です。だからこそ、内容も多様で量的にも膨大な経典が作られ、仏教には八万四千の法門があるという言い方が出てくるのです。確かに、言語化されたものには、その言語化がなされた時代社会の世界観が付着していますので、仏教がインドから他の地域に伝播してゆくとき、その世界観は仏教と一体となって受け取られてきました。日本でも以前から死後世界の観念はありましたが、仏教伝来以後、インド的な輪廻の思想が入ってきて、業・因果の思想によって行為や生存についての倫理的解釈が生まれたと言われています。しかし、そのような世界観の変容は、仏教的な宗教性から言うと、宗教的教化と言うよりむしろ文化的接触という性格の強いものであると思われます。仏教の覚りの智慧は、いわば世界観の手前にあるものなのです。
 それ故、仏教的世界観とは別の世界観をもつことは、仏教者となることの妨げにはなりません。ただし、これは仏教者であることと世界観とが無関係であるという意味ではなく、仏教者となることによって自らの世界観が変容するということは、おそらく不可避的に起こることでしょう。仏教は世界観によって捕らわれることを否定しますが、世界観を形成することを否定するわけではありません。我々が社会生活を営んでいく上で、言葉によって世界観を紡ぎ上げていくことはどうしても必要であり、それに基づいて自らのアイデンティティを築くことによって社会生活の責任ある主体となり得るでありましょう。そして、どのような世界観を紡ぎ上げてゆくべきかというところに、仏教の他宗教・他思想との関係のもう一つの側面が見出されるように思われます。
 ゴータマ・ブッダが、世界は有限なものか否か、人は死後に存在するか否か、といった形而上学的問題に関する議論を否定したことは先に触れましたが、その一方で、六師外道に対して厳しい批判をしています。六師外道は仏教にとっては外部の思想家でありますが、非バラモンという点ではゴータマ・ブッダと通ずるところがあります。この六人の思想家はそれぞれ、道徳の否定、宿命論的自然論、感覚的唯物論、因果の否定、懐疑論、自己制御説といった特徴のある思想を説いています。これらの説への批判はおもに哲学的議論という性格をもつものであり、この哲学的側面は世界観の形成に関わっていると言えましょう。つまり、仏教において世界観は、それぞれの時代状況のなかで哲学的に思惟され他者と議論されるべきものだと私は考えます。もっとも日本ではその形成の仕方は一般に哲学的であるより、むしろイメージ的ですが、ここで重要なのはこの世界観の形成がどこまでも開かれたものであるということであり、世界観形成を徹底的に自由な場に置き得るのが智慧や信心であると言ってよいでしょう。そこに立つ限り、形成される世界観はイデオロギー化には向かわないはずです。
 このように見ると、仏教の他宗教への寛容さは、日本的な寛容さとはっきりと区別されます。しかし、この仏教の寛容さは徹底的に自由な場に立ち得るような存在の境位を獲得することによって成り立つものですから、習俗的な仏教信仰に止まる場合は日本的寛容さとまったく区別されないでしょう。その場合には、仏教の寛容さは単に世界観の曖昧さでしかなく、グローバル化のなかでイデオロギー誘導や扇動に弱いという弱点が剥き出しになる恐れがあります。
 

8)仏教と世俗的世界

 最後に、仏教と世俗主義との関係について言及しておきたいと思います。現代の宗教的多元性を特徴づけるのは、多様な宗教の並存が無宗教の空間を背景とするという点です。現代のグローバル化が開く空間はまったく世俗的なものであり、宗教多元性とこの世俗的空間とはいわば図と地の関係にあると言ってよいでしょう。このことは、アラブ諸国のように政教分離に反対する勢力が強い地域でも、グローバルな視点から見れば妥当します。そもそも現代人の生活を物質的に規定している科学技術文明が非宗教的なものであり、近代科学は、その由来はキリスト教的であるとしても、脱宗教的となることによって世界中に伝播したと考えられます。たとえ社会制度に宗教的原理を導入して政治的世俗主義に対抗し得たとしても、現代文明が内包するこの世俗性を排除することはできず、その間の矛盾にどのように対応していくかが課題となり続けるでしょう。
 近年のイスラーム世界の動向は、この世俗性が社会の基調をなすことを承認するか否か、という問いが現代のすべての宗教に対して突きつけられていることを露わにしました。この問いは、この世俗性をどのように読解するか、という問いでもあります。日本仏教の現状を見遣ると、仏教の内部においてこの世俗性の意味を読み解く思想的営為はなされていないように思われます。仏教が内包する哲学性が仏教の内部では、この問題に対してうまく発動し得ないでいるからです。この世俗性を読解してきたのは、仏教の外に位置する宗教哲学です。西谷啓治の思想に代表されるような宗教哲学は、この世俗性が人間の生存を蝕む虚無をはらんでおり、その虚無が社会的領域に存立する諸宗教の宗教としての力を空洞化する働きを持っていることを明らかにすると共に、その虚無の中に人間存在そのものの深淵をなすニヒリズムを読み取る思索を展開してきました。世俗主義自身よりいっそう深く世俗性の深淵へと切り込んで、そこに潜むニヒリズムに逆説的に呼応する仕方でしか現代人の宗教性は成立し得ないと洞察する宗教哲学の思索は、政治的領域に宗教的原理を持ち込むことで世俗主義に対抗しようとする試みとはまったく違う位相で現代の可能的宗教性を捉えようとしています。
 この宗教哲学は仏教の強い影響を受けながら仏教とは別の地盤において展開してきたものですが、現代日本の仏教者の思惟はこの宗教哲学の営為を必要としていると思われます。現代世界の宗教の多元的状況において、宗教間対話以上に重要であるのは、宗教と世俗主義との対話だからです。仏教は世俗主義との対話を、宗教哲学を介して初めてなし得ると推測されます。先に、仏教者にとって他宗教の者も同行と呼び得るのではないかと申しましたが、超越的なものとの関わりの喪失という事象と向かい合うならば、同行という言葉が深い意味をもって立ち現れてくるように思われます。そしてさらに、超越的なものとの関わりを徹底的に断念することにおいて生存の苦を感得する者もまた、仏教者の同行であることが知られるのではないかと思われます。



                    注
(1)9月2日読売新聞。
(2)石井研士『データブック現代日本人の宗教』新曜社、1997年。
(3)望月仏教大辞典。
(4)中村元監修『新・仏教辞典』誠信書房。
(5)『開目抄』1272年。
(6)文明第五、一二月一二日夜、金子大栄編『真宗聖典』946頁以下。
(7)なお、二〇世紀の末あたりから、科学的世界観は必ずしも堅固なものとは見なされなくなっている感がある。最先端の科学研究の成果と科学的世界観との懸隔、科学史・科学哲学の研究の深まり、科学への社会学的考察など、さまざまな条件が複合的に影響し合って、科学的世界観の唯一的な正当性は揺らいでいる。科学的世界観は昨今、現代で有力な世界観であるにしても、あくまで多様な世界観のなかの一つと見なされている。

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