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国際シンポジウム「歴史学の現在を問う」

「究極のナショナル・ヒストリー?―ピエール・ノラと『記憶の場』―」に対するコメント

本研究科教授 二十世紀学  杉本淑彦

 本学文学研究科内で私が所属しております二十世紀学という学問分野は、狭い意味での歴史学研究の場ではありません。そういう意味では、本シンポジウム午後の部の冒頭で司会役の上原真人先生がおっしゃいましたように、報告に対して他分野の人間がコメントをするという、会の趣旨によく合致しているのではないかと思います。ただ、実際の話を申しますと、『記憶の場』日本語版の翻訳チームに私自身が加わっております。私自身、翻訳を谷川先生にあおった一人でして、今から考えると、とてつもなくしんどい仕事を、後先考えずにあおったものだと反省しております。

 というわけで、今回のご報告に対してどういうスタンスをとるべきか大変苦慮しております。ごもっともなありがたいご報告でしたと述べれば、でき過ぎたヤラセ台本のようですし、後ろから鉄砲を撃つということも、もちろんできません。したがって、ここではニュートラルなコメントに心がけたいと思います。

 まず、今日のご報告によって、そして『記憶の場』日本語版の翻訳の仕事をご一緒にさせていただいたことによって私自身、大変学んだことがあります。それは谷川先生は一流のフランス近代史研究者であるだけでなく、すぐれた史学史研究者であることから、先生のおかげで『記憶の場』刊行に至るまでの歴史学研究の流れが大変よく理解できたということです。この会場には歴史学の若い学部生、大学院生も多数参加されておられますが、私同様勉強になったのではないかと思います。

 さて、今日のご報告のうち、「方法としての『記憶の場』」と、「文化=社会史としての『記憶の場』」についてですが、これも記憶の場という仕事の意味合いを見事に整理されたものと思います。これについて私のほうからさらにコメントすることはございません。

 報告のなかの、「『記憶の場』と日本における「国民国家論」」という項目についてコメント申し上げたいと思います。日本で行われている国際シンポジウムというこの会の意味合いから、このような限定的なコメントでもお許しいただけるのではないかと思います。

 さて、谷川先生がおっしゃるように、この10年ほどの日本における記憶の歴史学は、確かに政治的、倫理的、情緒的なものであり、周知のように、明治以降の日本の植民地支配と、前の世界大戦について、「真の記憶」とは、「正しい記憶」とは、「在るべき記憶」とは何かをめぐって、いわゆる左と右の対抗関係が現代の日本にはあります。こういう日本における記憶の歴史学研究の現状に対して、谷川先生は、そうでない、つまり政治的でない、倫理的でない、情緒的でない、フランスにおける記憶の歴史学を対置されたのだと思います。このことについて一言コメントいたします。

 戦争という大きな枠内で植民地支配の記憶を重視する日本の記憶の歴史学とは対照的に、『記憶の場』には第一次インドシナ戦争やアルジェリア戦争についての記憶を論ずるものがありません。もっと広く言えば、植民地支配の記憶をめぐる論議が『記憶の場』ではほとんどなされていません。正確に言うと、収載されている論文総数130の中で唯一1つだけ、1931年の国際植民地博覧会というタイトルの論文だけが植民地支配への記憶を正面から取り上げているにすぎません。これは日本とフランスにおける記憶の歴史学の大きな違いだと思われます。

 いわゆる高度経済成長時代の1960年代以降、フランスは植民地出身移民労働者を大量に受け入れ、アラブ人や黒人、そしてベトナムなどのインドシナ人が多数居住する、いってみればポスト・コロニアルな状況に現代フランスがあることを考えると、コロニアルな記憶についての議論が『記憶の場』の中でかなり希薄なことは大変気になります。それに比べて、戦争という大枠の中で、かつての植民地支配の記憶について議論が深まっている日本のそれが政治的で、倫理的で、情緒的であるなら、コロニアルな記憶の議論を書いた『記憶の場』は政治的でなく、倫理的でなく、情緒的でないのかもしれません。しかし、コロニアルな記憶を議論しないということ自体が、ひょっとしてかなり政治的なもの、情緒的なものではないかという気が少しいたします。

 『記憶の場』の各論文が準備執筆されていた1970年代から80年代初めのフランス社会は、『記憶の場』と同じように、コロニアルな記憶を隠蔽する、少なくとも現実以上に薄めようとしていた社会だったような気がします。そういう意味で『記憶の場』という歴史家の仕事は、ノラ自身が言うように社会の産物であったのでしょう。もちろん『記憶の場』刊行以降、コロニアルな記憶についての研究はフランスにおいて大きく発展したように思います。『記憶の場』の執筆陣が主にノラに代表されるように、1930年代から50年代にかけて生まれた研究者であったのに対し、現在、コロニアルな記憶の研究に取り組んでいる研究者は、主に1960年代以降に生まれた若い研究者世代です。『記憶の場』がクリアに提示した政治文化史の方法論を自分のものにして、1960年代以降生まれの若い研究者世代が、『記憶の場』それ自体には欠落していたコロニアルな記憶についての研究を現在進めている、というふうに私は思います。

 コロニアルなフランス、つまりアラブ人をはじめ植民地出身者が多数居住する現代フランス社会は、ノラ自身が言うように、多声が響き合うポリフォニックなフランスだと思います。ノラに代表されるような1950年代以前生まれの研究者が往々にして、この多声、つまりさまざまな声の中にコロニアルな声を聞こうとしなかったことに対して、1960年代以降生まれの若い世代の研究者は、このさまざまな声の中にコロニアルな声を積極的に聞こうとしているように私には思われます。

 と申しましても、繰り返し強調しなければならないことは、『記憶の場』の刊行による主に研究方法論上の大きな刺激がなければ、その後の世代によるコロニアル研究も恐らく容易には達成されなかった。あるいは少なくともその展開がもっと遅れたのではないか、ということです。

 最後に、たしか一昨年の京都でのシンポジウムのことだったと思いますが、ある研究者が谷川先生のことを「日本のノラだ」と呼んだことがありました。谷川先生はこのように呼ばれることに不快を感じられたと思います。私自身も、ろくな実証研究や単著を残していないノラより谷川先生はずっとすぐれた研究者だと思っております。しかし、少なくとも世代論で言うと、谷川先生はノラと同じ1940年代以前生まれの世代です。ここまで言うと私自身が1900何年代生まれなのか告白しなければならないのですが、申しわけありませんが、ご推察ください。

 私のコメントは以上です。谷川先生の学識ある報告と引き比べてまことに雑なコメントでしたが、少しだけ若い世代からの年齢の未熟な者としてお許しいただければ幸いです。