トップ 内容紹介 研究班一覧 成果報告 シンポジウム記録 来訪者 学位取得者 おしらせ
目次 << 基調講演 シンポジウム1 シンポジウム2 シンポジウム3 シンポジウム4 討議
国際シンポジウム「「自然という文化」の射程」

「自然」という文化、あるいは庭の思想

内山勝利

 内山 自然という文化、これは差し当たり矛盾表現に聞こえるかもしれないわけですけれども、むろん実のところは自然と文化というのはさほど根本的な対立概念をなしてはいないわけです。このあたりは最初に司会の片柳さんのほうからも指摘があった点かと思います。

 実際、いかなる文化性というふうなものとも無縁な自然は、少なくとも今日この世界では想定することすら不可能に近く、人の活動の痕跡というふうなものが自然の隅々にまで拡散しております。他方、文化というのは我々人間のこれまた自然本性の発露にほかならない。それもまた、つまり生物体としての我々の自然的な活動、生まれつきの活動の延長上に位置しているわけであります。とすれば、その両者はほとんど常にすべての事象について、相対的な差をもって交錯し合う2つのアスペクトのようなものとしてしか取り押さえられないものである。そういう事態を我々のテーマはまず前提しているだろうと思います。

 それから、さらには自然あるいは世界というものがそれとしてとえられるときには、自然観だとか世界観だとかいう文化的な視野の中で、自然と文化との相関において初めて開けてくるものである。自然というのは、要するに文化という自然の所産であり、とりもなおさず自然という文化の形であります。この辺はまた先ほどベルク先生が非常に明確にお話しになられたことと大体重なる論点ではないかと思います。

 したがいまして、自然と文化、あるいは自然と人間の対置というのは本来暫定的な事柄でしかあり得ないわけですけれども、しかし、それはしばしば実際の議論の場面においてはむしろ自明のこととされて、とりわけ両者の共存とか調和とかいうことが語られるような場面においても、その対置を前提とした上でなされるというのが通例であるように思われます。実際にはそういうふうにしたほうが実践的にエコノミカルであるかのように思われがちですけれども、必ずしもそうではなかろうと思います。むしろ、絶えず自然という文化、あるいは文化という自然というものの本来的なあり方、それに対する鋭い意識だとか感覚だとかを回復するように努める、そこにしか本当の意味での実践性というものは成り立ち得ないと考えるべきだと思います。

 そういうことを語ろうとして、ひとまず古代ギリシャ世界というものに立ち返ってみます。これは先ほど紹介いただいたように、私はこの領域を専攻しているので、とりあえず与えられた役割でもあるわけですけれども、確かに古代ギリシャ世界は当面の問題の原形というか、素形というか、それと本来的なあり方というものがかなり明瞭に見てとれるように思われるからでもあります。

 古代ギリシャにおいて最も基調をなす見方によりますと、自然というのも、人の営みというのも、本来一体的な作用の単なる強弱の差にすぎません。我々人間というのは、マクロコスモスとしての宇宙総体に対して、その些細な一部を分け与えられたミクロコスモス、小宇宙として相似形をなすものでしかあり得ません。人間は、世界のほうから力を与えられて、ちょうど大地に対応した骨や肉質の部分、それから海に対応したものとしての血液、それから、それらからの蒸発気体としての「魂」によって構成された発熱体とみなされる。そういう仕方で身体という小宇宙を営んでいるわけです。

 古代ギリシャでも、ある時期には、つまり紀元前5世紀の後半、アテネを中心とする古典文化というものが最盛期を迎えた時期ですけれども、自然=ピュシスというものと、文化=ノモス・制度というものの対立ということが明確な思想課題として掲げられもしましたけれども、その場合にもむしろ前者のピユシスのほうの優位が強調されていきます。逆に、例えばプロタゴラスのような思想家、彼はソフィストとして最も有名な人で、例の「人間は万物の尺度である」という言葉でよく知られた人ですけれども、プロタゴラスのような人が登場して自然から文化への一種の進歩史観のようなものを提示したりもしますけれども、プロタゴラスを含めたソフィスト的な動向というものは間もなく、大体ちょうど同時代に成立したアトミズム的な自然観などと連動しながら再び、むしろ極めてラディカルな自然主義のほうへ帰趨していきます。

 そうした全体的な動向の中で、自然と文化の関係のあり方というのをとりわけ鮮明に描き出したのがプラトンとアリストテレスであると言えるかと思います。アリストテレスの場合、両者の関係のあり方を総合的、連続的なものとしてリンクさせる、これが一つの対置のさせ方。その方向というのは、例えばアリストテレスの『自然学』の第二巻八章という箇所に出てくる言葉、これは文化に対応するものとして技術という概念でありますけれども、「技術というのは、ときには自然がなし遂げることのできないものを完成させ、また、ときには自然を模倣する」と、こう語っている。そういうアリストテレスに一方の立場は代表されます。この図式は差し当たり安定した見取り図を与えてくれることは確かです。実際それは時代的には先行するプラトンの見方とその時代の一般的な通念との融和を非常にうまく図ったものと言ってよかろうかと思います。ですから、アリストテレスによりますと、例えば樹木というものが成長する、それはむろん自然によることですけれども、それがそのまま椅子にまで成長していくということはあり得ない。だから樹木の成長のプロセスを延長的に補完して椅子にしてやる、それが人為であり技術であるというわけです。

 その場合、むろんアリストテレスにも、人の技術というのは自然の力に比べて極めて小さなものでしかないという意識ははっきりとありました。それからまた、こういう仕方で技術というものは目的達成への人為的な手段という明確な位置づけを与える。そういうことによって彼は当時のアトミズムに代表されるような自然決定論的な自然主義に対抗して、技術の目的性というものを確立して、そしてそれと類比的な目的論的な秩序というものを自然界の隅々にまで押し及ぼしていく、そういうことを意図していたわけです。しかし、彼の方策というのは結果としては後世において技術を自然に対して優位に置く立場を整備することになる、あるいはそれを根拠づけることにもなります。

 他方、先ほども触れましたように、歴史的にはアリストテレスに先立ってでありますけれども、プラトンによりますと、我々人間は身体について宇宙の側から養われているだけではなくて、魂の面においても宇宙の側に依存している。そしてそれから分け与えられているのだと考えます。そして宇宙的な自然こそが、小さな人間の文化的な技術というものを比類なく凌駕したレベルにおいて、最も完全な知性によって導かれた最大の技術の顕現だというようにとらえます。これは運動変化の定常システムといったものをマクロな、つまり本来的な生命活動とみなすギリシャ以来の伝統的な考え方をそのまま徹底させたものでありますし、それと同時に、先ほどのアリストテレスと同様ですけれども、同時代の自然主義に対して、その自然観に全く異なる内実を与え直すことによってそれに対決しようとしたものであります。ここには、先ほどベルクさんの言われる通態性というもの、トラジェクティヴィテ (trajectivité)というものをすでに本来の要件としてすでに先取りされていると言うことができます。

 ただし、通態性というものを考える場合に、ベルクさんにいただいたレジメのところで、例えば「技術が身体を世界化して外に出ていく」ということをお考えだと思うのですけれども、あるいは「象徴が世界を身体化する」ということをおっしゃっていますけれども、むしろ技術というのはプラトンの立場からしますと本来世界の側に属する。そして象徴のほうはむしろ世界から我々に対して指示されるものであります。

 今日のお話ではベルクさんはお触れになりませんでしたけれども、この辺の話と関連して、ご著書ではプラトンの『ティマイオス』のコーラー(場)というものについて詳しく取り上げられて、それがいわば重要なキー概念になっておりますので、それについて多少触れておきたいと思います。

 還元主義的な物理的世界像に対抗する点で、ベルクさんの場合もプラトンの場合も恐らく最終的に共通したモチーフを追っている。しかし、コーラー概念に引きつけてみますと、プラトン的なコーラー概念とベルクさんのおっしゃるそれとでは多少の違いがある。むしろネガとポジのような対照をなしたものになっているように思われます。多少解説めいた言い方をすることになりますけれども、プラトンの『ティマイオス』で語られていますように、宇宙過程のすべてを受容する場としてのコーラーというのはプラトンが繰り返し念を押していますように、徹頭徹尾、これはあってなきがごときものであります。確かに、まるでイデアと同様に、一方では常に存在しているものでありますけれども、しかし同時に何か目に見えないもの、形のないもの、そしてすべてを受け入れるもの、困難極まりない具合に知性対象の性格、感覚ではなくて知性によってのみとらえられる、そういう性格にあずかっている。非常にいわく言い難い性格にあずかっているんだと、こういう具合に言われています。

 それは当然第一にプラトンの場合には、この自然的な世界の内に内包されたいかなる自律的な根拠というものも認めようとしない、そういうことを表明するものであります。具体的には世界の構成要素として、それ以前に自然学者たちによって語られてきた火とか、水とか、空気とか、土とかいったいわゆるストイケイア(基本要素)、あるいはプラトンの時代に成立したアトミズムのアトム的な存在、そういうものを世界の基礎に決して容認しないということであります。ストイケイア的なものも日常経験レベルでの諸事物と全く同じように、生成のプロセスの合間に現象した様相でしかないというのがプラトンの見方です。ここには基本的には現代物理学における素粒子論だとか、あるいは量子力学だとかいったものが次々に明らかにしていく一種の際限のなさと同質の事態というものをプラトンは問題にしているわけですけれども、そして、ある意味では必然的にそうした先に、先ほど先生のお話にも出てきましたけれども、ヒュポケイメノン的な要因というものを何らかの仕方で認めるとすれば、それは結局あらゆる限りでの事実性というものを消去した形で、しかし究極的には否定し難いものとして現に在る、そういうものでなければならない。そういうものとしてコーラーというものが、あってなきがものだけれども、なければならない。こういうものであります。したがって、プラトンのコーラーというのは、あらゆる意味で全く無内容な存在であります。無内容であることによって絶対的な存在であります。その意味では、テキスト的には、ベルクさんが風土概念というものに込めているような通態性というものを内包した豊かな内実の広がりというものを直ちにプラトンのコーラーに託すことはできないかもしれません。しかし、プラトンがその時代の自然主義というものに対抗する仕方で新たなコスモロジーを提唱して、宇宙の根源を、『ティマイオス』の図式で言えばイデア的な存在、完全な存在というものと、それから秩序なき生成状態、それからそれが現象する場としてのコーラー、その三者にまで遡っていく。そこに宇宙の根源というものを認める。そのときに考えようとしていました事柄は、いろんな点でベルクさんのお話と共通しているように思われます。

 プラトン的、あるいはギリシャ的なコスモス(宇宙的秩序体、秩序体として見られた宇宙ですけれども)、それは全宇宙が風土的連関性をなして成立しているということにほかなりません。ただし、その連関性というものはプラトンの立場からすれば、この宇宙内の物質過程や事象的な連関において実現されているわけではない。そういう物質過程や事象的な連関の限りにおいては宇宙というのは偶然と必然に支配された現象の場、そういうものとして、いわば「トポス」的な記述の対象にしかなり得ないものであります。それに対して、コスモスというのは必然的宇宙過程の内に映し出された「意味」によって初めて形成されるものであります。我々が世界の内に諸事物のありようを認め、それらの連関をたどるには、つまり風土というものを形成していくためには、我々はその「意味」を取り押さえていかなければならない。そして、そのためにイデアというものを要する。イデアというのは差し当たりそうした「意味」の根拠のことであります。

 世界内のあらゆる意味連関は、コーラーの対極にあるイデア的充実性の中で、イデア相互の結合関係(シュンプロケー・エイドーン)として形成され、そこにおいてこそ、コスモスとしての宇宙も、そして風土的「通態性」もまた根拠を得るのである。この点で、コーラーの豊かな「開け」を論ずるベルク氏の立場は、「意味」の全き受容者としてのプラトン的コーラーのモチーフと適切に呼応している、と言うことができるでしょう。

 しかし、今日ここで問題にしたいのはもちろんそういうイデア論的な世界観のことではないわけでして、当面の議論は、プラトン的な仕方で自然と文化の一体性というものをとらえながら、自然を文化との関わりの中に相関的に繰り入れてみようとすることでありますけれども、その点で端的にベルクさんとの接点を求めるときに、ベルクさんの書物にも出てきます日本の庭園というもの、特にいわゆる山水式の庭園と言われるものに興味を引かれたところがありまして、やや唐突ですけれども、その点に若干触れてお話を終わりたいと思います。山水式の庭園というものには、自然と文化とのせめぎ合いというものを超越した別の関わりによって、一種不思議な空間が成立しているのではないかというふうに私には思われるからです。

 これについて、先ほども言いましたように、ベルクさんも『風土の日本』という邦題で出ている本の中で、かなり立ち入って論じております。その中で、例えば日本の風土においては、ある芸術、すなわち造園術こそが人間を自然に導き、そして通態的に人間を通じて自然に語らせようとする、そういう欲動を最も明瞭に表現してきたというようなことが言われています。邦訳では220ページのところです。そして特にベルクさんは、作庭家というものは自分を捨てて従属するだけでは足りずに、積極的な自己同一化が行われなければならないということに注意しています。そして、「私はこのような姿勢をトラジェクティーフと形容したいと思う」と指摘されています。つまり、「主体の客体への、造園家の石への投影が前提とされるからだけではなく、二つの主体の同時存在も前提となるという意味においてである。すなわち造園家を中心とするものと石を中心とするものという二つの思考システムの同時存在が前提となり、さらには、より一般的なシステムによってこの二つを超越することが前提となる。」そういう意味であると。そして、「作品がその一般的なシステムの物質的表現ということになるのである」と、こういう具合に指摘されています。

 もっとも庭が表しているのは自然の尊重だとか、人間の自然への従属ということだけではない。むしろ私はそういうところに注意を向けてみたいのですけれども、その意味で、特に日本の庭園というのは独特の意味を持っているように思われます。もちろん西洋にもさまざまな庭園というのがあるわけですけれども、それらは第一義的にはすべて人工楽園として、人がそこを遊歩する、そういう活動する空間であります。そこでは自然というものは専ら人に奉仕するものとして、人間の尺度に合わせて計画管理されています。

 それに対して日本の庭園の場合には、最も文化を尽くした場でありながら、極めて限定的にしか人の立ち入らない領域であります。むしろ人との距離を意識させることがその役割であると言っていいわけです。

 そこでも自然は人の手の内にゆだねられますけれども、人は人の尺度によってではなくて、自然に内在する尺度を、いわば自然そのものにも実現し得ないほどの配慮をもってはかり出すわけです。石は石の可能性を最大限に表すように配慮されますし、樹木も樹木のあり方というものを最大限に表出するように配慮される。その意味で、人が自然に奉仕し切った形が庭園という人為の自然であります。それは自然との折り合いをつけていく一つのモデルを示唆するものになっているように思われます。

 ここに潜む意味、これについてベルクさんの考察というものがさまざまに展開されているので、それも本来たどりたいのですけれども、差し当たりそれは人と自然との関係において、一番最初にちょっと触れたような開発か保護かという二者択一の図式に置き入れることができないような積極的な自然と文化の関係をはらんでいるように思われ、その点にとりわけ注意が引かれるわけです。しょせん自然というのは風土として変容しつつその風景を形づくっていくものにほかならないからであり、そのようなものとして対するほかないからであります。

 片柳 主にギリシャにおける自然と文化の関係、技術は自然を補い、また模倣する、そういうアリストテレスの考えと、身体だけではなく魂においてもコスモスに養われているといった自然と文化の非常に強い一体性を述べるプラトンの考えが対比され、それからコーラーに関してベルク氏の考え方との異同が述べられました。最後に、庭園の問題の中に一つの自然と文化の関係のモデルになるようなものがあるのではないかと御指摘いただきました。日本の庭園というものは、ヨーロッパの庭園のように、自然が人間に奉仕するというものではなくて、人の手によってなされながら人を超えたもの、石や木そのものをあらわにするような、そういう庭の役割の中に、開発か保護かということでない新たな可能性があるのではないかという示唆をいただいたわけです。では、次に藤田正勝先生にお話しいただきます。藤田先生は本研究科の日本哲学史の担当教授であられます。『若きヘーゲル』や西田幾多郎に対する著書がございます。

 それでは、よろしくお願いします。

[→シンポジウム3]