トップ 内容紹介 研究班一覧 成果報告 シンポジウム記録 来訪者 学位取得者 おしらせ
目次 << 基調講演 シンポジウム1 シンポジウム2 シンポジウム3 シンポジウム4 討議
国際シンポジウム「「自然という文化」の射程」

和辻哲郎「風土」論の可能性と問題性

藤田正勝

 藤田 既にベルク先生の講演の中でも触れられましたし、ベルク先生がごく最近出されました『風土学序説』という本がありますが(筑摩書房から出たものです)、それの前書きのところでもベルク先生が、和辻の『風土』という著作から大きな影響を受けたということ、そして、この『風土学序説』という本に「風土」というタイトルを使ったこと(フランス語のほうはエクメーネという言葉が使われて、「風土」という言葉がそのままタイトルになっています)、そこに風土という言葉を使ったのは和辻に対する敬意を表するためだということを書いておられます。そういうこともあって、私の報告の中では和辻の風土論というものを取り上げて、その特徴を少しお話ししたいというふうに思っています。その特徴はベルク先生が前提にされたものであって、先ほどのお話の中でも既に触れられていることで、いわば蛇足的な話でありますけれども、少し和辻のテキストに返って、風土論の特徴について考えてみたいと思っています。

 ご存じのように、『風土』という著作には「人間学的考察」という副題がついております。どうして風土が人間学的考察の対象になるのかということは必ずしも自明なことではないように思われます。その点を少し考えてみたいと思っています。

 まず、風土というものがどういうふうにこの著作の中で定義されているかでありますが、最初のところで和辻は、ここに風土と呼ぶのは、「ある土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称である」というふうに定義をしています。ここで気候とか、地質とか、地形とか、そういう言葉が使われていますから、ここで問題にされているのは客観的な存在としての地形や気候、あるいは自然環境としての地形や気候であるかのように受け取られるかもしれませんが、しかし和辻が『風土』という著作において問題にしたのは、そのような意味での地形や気候ではなかったと言ってよいと思います。あるいはそういう意味での自然環境としての気候や地形が人間の生活にいかに影響を与えているか、いかにそれを規定しているか、あるいは歴史的にいかにそれを規定してきたかということが自分の本の中で論じることではないということを和辻は強調しています。そうではなくて、「日常直接の事実」としての風土というものがこの著作の中で問題にしたいものだというふうに述べています。

 和辻が自然や環境ではなくて、まさに「風土」を問題にしたのは、そのような我々の生活の中にある直接の事実が問題であったからだということが言えると思います。その直接の事実というものが具体的に何であるのかということを言うために、和辻は「寒さ」という例を持ち出しています。それによれば、彼が問題にしようとしたのは、ある一定の温度の空気の存在、例えば零下五度なら零下五度とか、そういう冷たい空気の存在、客観的な存在としての寒気のことではありません。そうではなく、我々が生活の中で実際に感じ取っている寒さのことであります。和辻が客観的な存在としての寒気ではなく我々の生の中にある寒さを問題にするのは、我々は元来志向的な存在であるからであります。

 我々は、我々の具体的な生の場面において、まず最初、外部とは関わりを持たない一つの点として存在し、そしてその点の外にあるもう一つの点(この場合は寒気ですが)に向かって進んでいき、そこに或る一つの関係をつくり上げるのではないわけであります。我々は最初から何々を感じる(この場合は寒さを感じるですが)、何々を感じるという仕方で一つの関係の中にあると考えられます。このような志向的な関係の中に我々が最初からあるということが、和辻が風土を問題にしようとした根拠なのだというふうに考えられると思います。和辻が問題にしようとしたのは、そのような意味での志向的な関係、あるいは構造、あるいはそういう関係的構造そのものの中で出会われる自然というものを問題にしようとしたのだということが言えると思います。それが和辻の言う「風土」です。そのような意味での風土こそ我々の「生の基盤」であるというように和辻は述べています。そのように我々の生の具体的な地盤としての風土というものに注目することによって、和辻は新たな仕方で自然を見る目というものを持ったと言うことができるのではないかと思います。

 それに対して、和辻に対してはいろいろな批判がこれまでもなされてきています。今言ったような点に関して、和辻は自然そのものから目をそらし、自然を矮小化した、あるいは人間化したという批判がなされています。しかし、我々は我々の生の中で、純粋に客観的な気候であるとか、あるいは純粋に客観的な景観というものに出会うことができないと言えるのではないかと思います。我々は最初から何々を感じる(例えば寒さを感じる)という関係的構造の中にあって、その外に出ることはできません。和辻自身も言っていますが、我々は我々が感じる寒さ以前の独立した客観的な寒気に触れることはできません。我々は我々が具体的に寒さを感じることを通して初めて寒気を見出すわけであります。『風土』というものでどういうものを問題にしようとしたのかということが、今言った点からおわかりいただけるのではないかと思います。

 この『風土』という著作の序言の中で和辻が述べていますように、そういう風土の問題、あるいは風土性の問題を和辻が考えようとしたきっかけに、彼がベルリンに留学中に手にしたハイデガーの『存在と時間』という著作があったということは先ほどのベルク先生の講演の中でも触れられたとおりであります。ちょうど1927年にこの本が出ていますが、そのときに和辻はベルリンに滞在していたわけであります。『存在と時間』で言われるハイデガーの「超越」という概念から和辻は刺激を受けています。

 ハイデガーによれば、超越とは、人間が個々の存在者に関わる際に、それに先立って世界という場が人間に対して開かれていること、つまり人間が個々の存在者に出会いうる根拠として世界というものが開かれていることを意味していると言えるかと思います。和辻は、このハイデガーの概念に触発されつつ、しかし、その枠内にとどまることなく、むしろそれを積極的に、あるいは意図的に拡張して理解していると言ってよいかと思います。つまり、自己が自己である前に既に自他という場に、先ほどベルク先生の講演の中にも出てまいりましたが、間柄というものに出ているということ、さらに風土の内に出ており、そこにおいて自己自身を見出しているということ、そういうことを「超越」という概念に含ませて考えようとしています。

 この風土の内に出るという事態を、和辻はこの『風土』という著作の中で例えば次のように言い表しています。引用ですが、「寒さを感ずる時、我々自身はすでに外気の寒冷のもとに宿っている。我々自身が寒さに関わるということは、我々自身が寒さの中へ出ているということにほかならぬのである。かかる意味で我々自身の在り方は、ハイデガーが力説するように、「外に出ている」(ex-sistere)ことを、従って志向性を、特徴とする」と、このように記しています。

 我々が外に出、外気の寒冷のもとに在るということは、ただ寒さを感じるということだけでなく、同時に、それに対してふさわしい行動をとるということでもあります。具体的に言えば、身を縮め、厚めの衣服を着、暖房器具を用意するといったこと、さらには作物を寒さから守るためにさまざまな手段を講じるといったこと、そういうことを我々はするわけでありますが、先ほどのベルク先生が挙げられた例で言えば、食物を歯でかみ切るのではなく、それを石で切ってから食べるということもその中の一つと考えられますが、そういうことも含めて和辻は「超越」という言葉を理解しようとしています。そういうものを含めて風土というものが理解されていたということが言えると思います。

 そこで注意する必要があると思われるのは、和辻が、「人間は単に風土に規定されるのみでない、逆に人間が風土に働きかけてそれを変化する」のであるという、そういうしばしばなされる主張を明瞭に退けている点です。

 そういう主張の前提として、具体的な風土の現象から人間の自己了解に関わる面が洗い去られて、その残余の部分が自然環境として定立され、その自然環境と人間との間の相互関係というものが考えられているからであります。

 和辻は『倫理学』という上中下三巻の大きな書物を書きましたが、その第四章で和辻はもう一度風土の問題を取り扱っています。その中での記述を参考にして言いますと、自然界と呼ばれているものは、実際は人間から切り離された純然たる自然の世界ではなく、一定の態度をもってそれを接する人間に対して現出してくる世界にほかなりません。

 さまざまな観点からそのことを述べていますが、一つだけ申し上げますと、生産という観点でそのことを述べています。生産の可能性につながるかどうかという意思をもって自然を見る人間に対して浮かび上がってくる光景、それが自然界であります。例えば、作物を育てることが可能な広さや養分を備えた土地であるかどうか、必要な水を確保できる場所であるかどうか、そういう観点から眺められた光景が自然界であり、それは初めから人為的な光景であります。自然というのは、そういう意味で人間存在と切り離しえないものであると言うことができると思います。和辻が風土という言葉で言い表すのは、そのような意味での自然です。和辻自身の言葉ですが、「人間存在の中の」自然であって、「人間を外から取り巻く環境」ではないというように明瞭に述べています。

 風土という概念には、以上述べましたように、主観と客観、あるいは自然と文化といった二項対立的な図式で自然を、あるいは自然と人間との関わりをとらえようとする態度に対する根本的な批判が込められていたと言うことができると思います。そのような和辻の風土理解を踏まえてベルク先生は、先ほども出てまいりましたが、トラジェ(trajet)、翻訳語として「通態」という言葉を当てておられますが、そういう概念を提起されています。すなわち、主観的であると同時に客観的であり、自然的であると同時に人工的でもある風土の固有の次元を「通態」あるいは「通態的」という言葉で言い表しておられるわけであります。そして、単なる主観でも単なる客観でもなく、通態性ということを本質とする風土のありようを、シュジェでもなく、オブジェでもなく、今言いましたトラジェという言葉で言い表しておられるわけであります。

 通常は、道程とか行程とか、そういう意味の言葉に「通態」という意味を込めておられるわけでありますが、その概念で、そしてこの「通態」という訳語でベルク先生が言い表そうとしているのは、近代的なものの見方において常に固定的な対立項として見られてきた主観と客観、自然と文化、個人と社会というものが、風土においては決して固定した二元ではなく、むしろ「相互生成」するものであるということ、またその二元の間に「可逆的な往来」が可能であるということ、そのことをこの言葉に込めておられると言えるかと思います。和辻自身もその点を強調しているわけでありますが、それらは他と関わりなく単独で成立するのではなく、共通の場で相互的に生成するものと考えられます。そして、そこに成立した二元的な圏域も決して固定的なものではありません。むしろそこには限りない往来が可能であり、そのことによってその圏域自身が常に新たに創造し直されていくということが考えられますが、そこまで含めてこの「通態」という出来事を考えてよいのではないかというように考えます。

 そのように自然が見られたとき、自然はもはや人為ないし文化の対立概念ではありません。風土は生の基盤であり、そこでこそ我々の個人的・社会的な生活が、また物質的・知的な生産活動が営まれる場所であります。

 具体的な例を挙げれば、例えば暑さと湿気に対応するために独特の衣服が(素材や織り方、デザインまで含めてのことですが)工夫され、海に面した土地に特有の強風に耐えるために独特の建築材料や建築様式が工夫されるわけであります。そのように文化と自然とを対立概念としてではなく―ベルク先生のお言葉で言えば通態的に、通態性においてということですが―、必然的な連関のうちで考察することによって和辻は文化を、例えば宗教や芸術を、それまでにない広い視野の中で考察する視点を獲得したと言えるのではないかと思います。

 芸術についてだけ言いますと、ヨーロッパの芸術においてシンメトリーや比例というものが重要な意味を持つことは、和辻の理解では決して単なる偶然ではありません。ヨーロッパの自然そのものが整然とした形を持つことから切り離してそのことを理解することはできません。つまり、「法則の見出さるべきもの」として自然があるということと、ヨーロッパの芸術が「規則にかなうこと」をその特徴とすることとは必然的なつながりを持っているというふうに和辻は『風土』の中で結論づけています。

 それに対して東洋の自然の中には、和辻によれば、ヨーロッパの自然が持つ規則性というものを見出すことができません。放置された自然を支配するのはむしろ不規則性であります。法則の発見によってそれを人間の支配下に置くということは東洋の自然の場合には考えられないというように言います。しかし、逆に人々はそこに人間理性の支配を超えた無限に深いものへの通路を見出したというように述べています。例えば、風景画というものは、自然の中にある規則的な美を表現するために描かれたものではなく、今言った無限に深いものを表し出すために書かれたというように和辻は述べています。

 和辻の風土論は以上述べましたように、我々が自然と人間との関わりを考える上でさまざまな興味深い視点を提供しています。しかし、この著作に対しては、先ほども言いましたように幾つかの点で重要な批判がなされています。その一つは、和辻が気候と気質、あるいは自然と文化とを、原因と結果としてとらえ、単純な決定論で結びつけているという批判であります。確かに『風土』の中にはそのように受け取れる記述が数多く見られます。

 そのような決定論的な把握は、この著作にさまざまな帰結をもたらしているように思われます。一つは、それぞれの民族の気質についても、また文化についても非常に一面的な理解がなされているという点であります。例えば中国の文化に言及したようなところにそういうようなことが明瞭に見てとれますが、要するに多様性への眼差しというものが明らかに覆われてしまった面があると言えると思います。そして、そのような気候と気質との関係の固定的な理解は、さまざまな類型の比較、価値序列化と往々にして結びつきうると言うことができると思います。

 そのことが『風土』において最もよく現れているのは次の箇所であります。「南洋の風土は人間に対して豊かに食物を恵む。人間は単純に自然に抱かれておればよい。……だから、まれにジャヴァにおいてインドの文化の刺激により巨大な仏塔が作られたということのほかには、南洋は文化を産まなかった」というように和辻は書いています。ここでは、単純な環境決定論と文化や歴史に関する知識の欠如とが結びついて、今言ったような見方が生み出されているように思われます。

 もちろん因果的決定論が『風土』における和辻の立場であったと単純に言うことはできないと私は考えています。むしろ彼の意図は、気候と気質とを、あるいは自然と文化とを固定した対立項としてとらえるのではなく、さきに言及したように、それらを「相互生成」的なものとしてとらえようとするところにあったと考えられます。そのゆえにこそ、自然や環境ではなく、ほかならぬ風土がこの書において問題にされたのだと言えると思います。しかし、実際の、特に第二章の「三つの類型」という章の具体的な叙述においては、今言ったような因果決定論的な叙述があるということも事実であります。

 『風土』という著作は、もともと通態的な風土概念の提示と、気候と気質、あるいは自然と文化との通態的な関わりの、それぞれの「ところ」における特性の記述という二つの課題を負うものであったというように言ってよいのではないかと思います。しかし、後者の課題が果たされる際に、それぞれの特性の対比的な記述という目的のために、第一章でとりわけ論じられた通態性が犠牲にされ、気候と気質、自然と文化との関わりが固定的なものとしてとらえられたということがあったのではないかと思います。もちろん和辻の類型化の試みは全くの恣意に基づくものではないということは言えると思います。それぞれの部分の叙述が説得力を持っているからこそこれまで読み継がれてきたわけでありますが、しかし、「風土」という概念に本来込められていたものが、諸類型の対比というところで否定されたところがあるということも指摘できるのではないかと思います。

 私の報告は以上です。

 片柳 どうもありがとうございました。和辻の風土論の持つ現代的な意味、新しさを改めて教えていただきました。自然や環境ではなくて風土を問題にし、直接の事実、生活の中で感じ取る自然というか、そういう問題をとらえ直した和辻の風土論の新しさとベルク氏の通態性に通じるような問題、また、その批判についても述べていただきました。最後に岩城見一先生に発題をお願いします。岩城先生は本研究科の美学・芸術学を担当しておられます。ヘーゲルの美学論など美学の根本的な問題を扱っておられます。

 それでは、お願いいたします。

[→シンポジウム4]