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2005年4月22日発行
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(主な内容)伊藤玄吾:エラスムスとギヨーム・ポステル −古典学者と東洋学者の勝利と悲劇−
エラスムスとギヨーム・ポステルは16世紀人文主義の巨人であり、後世への影響も甚大なものがある。と同時に2人は極めて対照的な性向を持った人文主義者でもある。
エラスムスは「人文主義の法王」としてギリシア・ラテン古典文献学の新たな道を指し示すと共に、教会の「平和」、世界の「平和」を訴える論客としても持ちあげられ、ヨーロッパ的良心の古典的例として、またヨーロッパ統合をめざす精神の先駆者として極めて肯定的なイメージを現在に至るまで保持している。
一方のギヨーム・ポステルは、その東洋学研究における多大な貢献にもかかわらず、その小説的な波乱の生涯、そして過度に預言的、神秘主義的な主張のせいもあって正統な学問からは大きく外れる人物と考えられ、現在では16世紀研究者およびオカルト研究家たちを除けばその名はほとんど知られていない。
この対照的な2人を対比列伝的に論じることで、16世紀のヨーロッパの人文主義的学問の特徴を2つの角度から検討できるように思われる。
エラスムスもポステルも人間の活動における正しい言語習得の重要さを他のどの学者にもまして強調している。そして彼らの卓越した才能が最もよく現れているのは文献学関連の仕事である。
今回は2人の膨大な著作から言語に関する作品、エラスムスのDe recta latini graecique sermonis pronuntiatione『ラテン語とギリシア語の正しい発音について』(1528)、ギヨーム・ポステルのLinguarum duodecim characteribus differentium alphabetum, introductio, ac legendi modus longe facilimus...『文字の異なる12の言語の初歩、入門、そしてとても簡単な読み方』(1538)を取りあげた。
前者では正しい発音が正しいコミュニケーションの基礎になること、文学作品の正しい理解の鍵となることについて具体的な例を挙げてユーモアたっぷりに論じ、「俗語世界の移ろいやすい判断力に委ねられることがない」ラテン語での表現活動を人々に勧めている。しかしこうした正しい発音のできる人々、エラスムスの理想とする人文主義者の共和国の範囲はヨーロッパのラテン的キリスト教世界であり、その外の世界と対峙するときにはあまり語る言葉がないことも事実である。またこの著作の中でも触れられている内部の他者−ユダヤ人とユダヤ教に対する警戒心はこの人文主義共和国の影の部分である。
一方、オスマン帝国へのフランス使節団の一員として各地を旅し、イスタンブールやエルサレムに滞在した経験を持つギヨーム・ポステルは、ラテン的キリスト教世界から一歩外に出るとどのような世界が待ち受けているかよく知っており、当時広く共通語として使われていたアラビア語の習得の重要性を説いている。もちろんポステルの中には強烈なキリスト教伝道の意志が潜んでいる(ただし彼がキリスト教として理解しているものはローマ教会の正統とはかなり隔たっており、それはかれの孤立の原因でもあった)のも事実ではあるが、彼はエラスムスとは非常に異なるタイプの知的情熱、極めて外部志向型の知的情熱をもつルネッサンス人文主義者の代表といえよう。
内田健一:19世紀末から20世紀初頭における文学作品の国際的流通
イタリアの作家ガブリエーレ・ダヌンツィオ(1863-1938)の作品が翻訳されて国外に紹介されたのは、1893年9月から開始したフランスの新聞「タン」紙上の L'Intrus連載が最初である。翻訳者はG・エレル(1848-1935)で、1905年まで彼が独占的に仏語への翻訳を引き受けた。刊行は主にカルマン・レヴィ社からで、10冊以上ある。仏訳をきっかけにダヌンツィオの国際的名声は一躍高まり、彼の作品の諸国語への翻訳が盛んになされたが、第一次大戦頃から次第に減少し、散発的となって現在に至る。
ドイツでは、1896年から1904年の間にフィッシャー社から小説6作品(M・ガリアルディ訳)、劇6作品(L・フォン・リュツォウ訳)、その後はインゼル社(K・G・フォルメラー、R・ビンディング訳)などから数作品が刊行された。
イギリスでは、1898年から1902年にかけてハイネマン社から小説5作品、劇3作品が刊行された。注目すべきはA・シモンズがThe Child of Pleasure(1898)に付した序文とその韻文翻訳である。
アメリカでも、ニューヨーク、シカゴ、ボストンなどの出版社から数点翻訳が刊行された。しかし、概ねアングロ・サクソン文化圏において、ダヌンツィオはラテン民族のモラル的頽廃の典型と見なされ、十分に文学的な真価が理解されたとは言い難い。
日本でダヌンツィオを紹介した最も初期のもののうちの一つは、1898年の『帝国文学』誌上に掲載された上田敏による「イタリアの新作家」および「現今の伊太利文学」という記事である。停滞するイタリア文学に現れた天才として大いに期待を寄せ、上田は翻訳詩集『海潮音』(1905)の巻頭と巻末にダヌンツィオの詩を配している。
他には、森鴎外による『秋夕夢』(1909)、石川戯庵による『死の勝利』(1913)、森田草平による『快楽児』(1914)などが挙げられるが、これらは独・英 ・仏からの重訳である。
その他の国に関して特筆すべきは、J・G・デ・ラ・セルナによるダヌンツィオの全作品のスペイン語への翻訳である。
各国の翻訳の状況を概観して言えるのは、本国イタリアにおいてダヌンツィオがとりわけ詩人として重要であるにもかかわらず、詩の翻訳が少ないということである。その理由としては、まず詩の翻訳の技術的な困難、そして翻訳することの意義に関わる疑問がある。
また、小説は多数の読者の獲得が容易であり、劇は上演との相乗効果が期待できるのに対して、詩は多数の読者を見込むことができないという実際的な問題もある。
その点、G・エレルの仏訳Poesies(1878-1893)(1912)、原田謙次の和訳『海の讚歌』(1942)、J.G.ニコルスの英訳Halcyon(1988)などの訳詩集は稀有なものである。
以上のように、諸国語の翻訳がある中で、フランス語訳だけは特別で、第二の原作と言っても過言ではない。というのは、フランス語に造詣深いダヌンツィオは、翻訳原稿の全てに目を通し、単語の選択から文章のリズム・音楽性に至るまで細かく指示をしたからである。この再創造的な翻訳の経緯は、ダヌンツィオとエレルの間で交わされた400通以上の書簡から読み取ることができる(Cfr. Carteggio D'Annunzio-Herelle, a cura di Mario Cimini, Lanciano, Rocco Carabba, 2004)。そこには、芸術に関する議論だけではなく、出版社との実務的なやりとりや、二人の深い友情が記録されており、資料的価値が高く、興味が尽きない。
<活動状況>
◎第9回研究会 2005年1月26日(水)2時半〜5時 東館4階会議室
出席者:川上穣、高橋宏幸、マルティン・チエシュコ、中務哲郎、西井奨、広川直幸、藤井琢磨、堀川宏、山下修一。池田晋也、佐々木茂人、武田良材、西村雅樹、松村朋彦。伊藤玄吾、田口紀子、辻村暁子、平尾浩一、増田真。天野恵、内田健一、渋江陽子、菅野類、深草真由子、藤井裕一。山下大吾。篠田淳子。中井裕之。
下記の研究発表に続いて質疑応答と討論を行った。
・伊藤玄吾:ルネッサンス 古典学者と東洋学者の勝利と悲劇 −エラスムスとギヨーム・ポステル−
・内田健一:19世紀末から20世紀初頭における文学作品の国際的流通
◎Georges Benrekassa 講演会
2005年4月19日(火) 17:00-18:30 於:京都大学文学部 新館第4講義室
講師: ジョルジュ・ベンレカッサ(パリ第7大学名誉教授)
演題: L'achevèment des Lumières : crise et destin de la philosophie des Lumières, de Cassirer à Foucault (啓蒙の終焉/完遂:啓蒙の哲学の危機と運命、カッシーラーからフーコーへ)
主催: 京都大学文学部フランス語学フランス文学研究室